2017.10.29 日曜日 松井カフェ
松井カフェ。開店と同時に入ってきたのは久方創だった。まっすぐカウンターに向かってきて、松井マスターの前に座った。そして、
まだ、あいつがいるような気がするんです。
と言った。何か話したそうだなとマスターは思ったが、すぐに別な客もやってきたのでそちらの対応を先にした。奥にいる孫をちらっと見たが、スマホの画面に夢中になっていて、こちらには関心がないようだ。
松井マスターが戻ってくると、久方はまた、
そのへんからひょこっと出てくるんじゃないかと思ってしまうんです。
と言った。
人が亡くなった時はたいていそうよ。
松井マスターは言った。
夫が亡くなった時もそうだったわ。亡くなった後しばらくは、店の奥からひょっこり出てくるんじゃないかという気がしたものよ。実は、今でもそう思うことがあるのよ。
その時、カウンター奥にいた高条勇気は、ヨギナミに、『久方さんが今カウンターでおっさんの愚痴言ってる』とLINEしていた。
前は『早くいなくなってほしい』と思っていたけど。
久方が言った。
実際にいなくなられると、なぜか、ひどく虚しいんですよ。自分の一部、いや、ほとんどがなくなってしまったように感じてしまって。
いろいろあったものね。
そうですね。
そこでまた新しい客が入ってきたので、松井マスターは席を離れた。久方はコーヒーを口に含むと、出窓で丸まっているねこを見た。いつでもここの猫は『ここの本当のボスは私』という風格をしている。
君には仲間は必要ないの?
久方はねこに話しかけた。奥で、高条が動画を撮っていることにも気づかずに。
君は一人でも平気なの?
ねこは『何お前、さびしいの?』という顔つきで久方をじっと見て動かない。
最近、客がひっきりなしにやってくるのよ。
松井マスターが戻ってきた。
ほとんどが遠くから来たお客さんでね、どうも最近『昭和風の喫茶店』が流行り始めているらしいのよ。一時期は人気がなくなってどんどん潰れていたのにね。
ここは昭和風じゃなくて『じいちゃん風』なんだけどね。
高条がスマホを見たまま言った。
そうねえ。ここは100%夫の趣味でできてるからねぇ。
松井マスターが笑った。
実は、私好みに改装しようかと思ったことも何度かあったのよ。でも、あの人が作り上げたものは残しておきたいと思って、やめたの。
そこに、ヨギナミと早紀が入ってきた。カウンターに並んで座ったので、久方は来た時と同じ話を繰り返した。
私もまだ、奈々子に見られているような気がするんですよ。
早紀が言った。
変ですよね。いなくなる前より今の方が、幽霊を意識しちゃっているような。
僕もそうなんだ。ここ数日、橋本のことばかり考えてる。
私もおっさんのことばかり思い出してる。
ヨギナミが言った。
お母さんのことは全然思い出さないのに。
お母さんに見守られているような気、する?
早紀が尋ねると、
全然しなーい!
ヨギナミがおどけた声を出した。珍しいなと高条は思った。
あの人、人を見守るようなタイプじゃなかったもん。今もきっと、おっさんと話すのに夢中で、私のことなんか見てないと思うよ。
そうか〜。
久方が弱った声を出した。
だとしたら僕のことももう目に入ってないな。
あさみさんがいるから。
でも奈々子は結城さんを見守っているでしょうね。
早紀が暗い顔で言った。
悔しいけど、でもきっとそうなんです。
3人は『おっさん』の思い出話をしばらくして、そのうち久方と早紀が『2人で出かけよう』という話をしながら出ていった。ヨギナミは会話の余韻に浸りながらコーヒーを飲んでクッキーをつまんでいた。とてもリラックスしているように見えた。
うらやましいね。もう受験終わってて。
高条が近寄ってきた。
まだやらなきゃいけないことはたくさんあるんだよ。ビジネスマナー講習にも行くし、パソコンの使い方も学ばなきゃいけないし。
ヨギナミが言った。
そんなのやんの?真面目だね。
だってウェイトレスしかしたことなくて、事務とかはよく知らないんだもん。
ヨギナミなら大丈夫だって。
他の女子と違って真面目だから。
それどういう意味?みんな真面目だよ?
がんばってるんだよ?
あいつらを見て『がんばってる』なんて思えるヨギナミがいい人すぎんだって。
ちょっと、さっきからひどくない?
ひどくない。ほめてるんじゃん。ヨギナミは他の女子とは違うって。何ていうかさ、特別っていうかさ──
そこで高条は口ごもり、ごまかすようにスマホを操作して、
今のは忘れて。
と言って、店の奥に引っ込んでしまった。
照れちゃったのねぇ〜。
松井マスターがニヤニヤしながら近寄ってきて、コーヒーのおかわりを勧めた。ヨギナミはそれを断り、顔を赤らめながら店を出た。
私が特別?
いや、違う。そういう意味じゃないよね?
ヨギナミは困惑しながら帰り道を急いだ。




