覚醒
黒装束の三人を追って路地裏に入ったわたしは、灯りのない道に足を取られかけながらも、なんとか彼らの背中を視界に留めていた。
「(……どこまでいくんだろ)」
こんな人っ子一人いないような場所で、何をするつもりなのか。
どんどんと道は狭まり、あるのは謎の機器やゴミばかり。
普通の人間ならまず立ち入らないような場所なんだけど……。
「……アニキ、今帰りやした」
「ーーッ!」
思考をやめ、わたしは息を潜める。
声が聞こえてきたのは、曲がり角の先の空間。
そろりと覗き込むと、そこには店でも開けるくらいの広いスペースがあった。
「(路地裏の中にこんな場所が……)」
古ぼけてはいるけど椅子や机、ベッドなんかも置かれていて、そこは“秘密基地”だとかそういう印象を受ける空間だった。
その中心で頭を垂れている、わたしが追跡してきた男達。
彼らは積み上げられた木箱の上に座るフードを深く被った細身な男に、何かの報告をしているみたいだ。
「(……な、なんの話をしてるんだろ)」
ここからではイマイチ聞き取りづらい。
危険を承知で少し顔を出してみるとーー。
「……えぇ、魔石の回収は順調です。この調子で……」
話の途中からではあるが、そんな言葉が聞こえてきた。
魔石?
回収?
何の話だろう。
わたしには皆目検討も付かなかった。
……だけど、かえってそれが気になってしまう。
「(やめておけばいいのに……!)」
わたしはそんな風に考えながら、矛盾して、更に顔を出してしまう。
あぁ本当に、どうしてわたしってこうなんだろう。
自分自身馬鹿馬鹿しく思えてしまうけど、そのおかげか、更に会話が鮮明に聞こえてきた。
「《ステーキ》付近の鉱脈は抑えやした。魔道具の普及も上場……いずれはこの街にも……。こりゃますます魔石の価値は跳ね上がりやすぜ。ひひひ」
部下の中でリーダー格っぽい男が下卑た笑いを零す。
分かりやすく悪役っぽい笑い方だった。
「(……それにしても)」
魔道具と魔石に何か関係が?
魔石はそもそも知らないからなんとも言えないけど、そういえばこの街に来てから魔道具というのも見ていない。
画期的な道具のことを言うらしいけど、もしかしてまだまだ王都からは遠いから、この街には普及していない?
見てみたかった気もするけど、それなら仕方がないだろう。
それに価値?
この人達は何かを売っている人なのかな?
文脈から察するに、魔石を売っているみたいだけど……。
……そもそも魔石ってなんだろう。
わたしがそう気になりかけたーーその時のこと。
「……で?」
木箱の上で沈黙を貫いていたアニキさんとやらが重たい口を開いた。
あまりにもその声音が怒気を孕んでいたから、部下の報告に何か気に入らない事があったのかなーーわたしはそんな事を考えたけど。
それは全くの見当違いだったようで……。
「てめぇらはいつから……ガキ一人の追跡も気付けなくなったんだ?」
「「「へ?」」」
「……………………ッ!?」
その怒気の矛先は部下達と、そしてわたし。
バレていたんだ、彼には。
「(や、やばッ……!)」
まだまだ気になる事はあるけど、ここは一時撤退すべきだろう。
わたしの本能もそれに同意してくれたらしく、すぐさま足が動いてくれた。
……だけど。
「………………え?」
次に感じたのは脱力感。
そして踵に感じる鋭い痛みだった。
「あぁ!?」
わたしはなす術なくその場に倒れ込んでしまう。
そこでようやくわたしは異変に気付いた。
「な、い、いつの間に……」
なんと、先程まで後ろにいたはずのアニキさんが瞬きの間に、わたしの前に現れていたのだ。
気配も、音も、姿も。
何一つ捉えられなかった。
しかも、彼が手にしている二本の逆刀からは鮮血がぽた、ぽた……と垂れている。
それがわたしの両足の踵をえぐりとったのは明白だった。
しかしあの一瞬で、回り込むばかりか的確に足を潰すだなんて……。
少なくとも今の自分では全く叶わないーー彼はわたしにそう思わせるような恐ろしい相手だった。
「……よぉ、嬢ちゃん。ちょいと好奇心に踊らされでもしたか?」
アニキさんは掌でくるくると逆刀を遊ばせながら、飄々とした態度でそう問いかけてくる。
目元はフードで隠しながらも、ニヤリと吊り上がった嗜虐的な笑みが印象的だった。
「う、うん……」
好奇心に踊らされた。
まさにそんな感じだったろう。
「ぶはっ! 正直に答える必要ねぇって! ははは!」
わたしがそう答えると、何が可笑しいのか彼は腹を抱えて笑い出した。
別に変な事を言ったつもりはなかったんだけど……。
「ア、アニキ……そいつは!?」
「あー? てめぇらが呼んだお客様だろうが? なんとか言ってみろ、ん?」
「「「す、すいやせん!」」」
「ちッ……」
遅れてやってきた部下の男達へ舌打ちを見舞うアニキさん。
部下の三人共、彼よりガタイは良いのにまるで頭が上がらないみたいだった。
「あ、あの……それで、このガキどうしやす? 見たところ魔女ではなさそうですが、久しぶりの女ですし、すぐ殺すには惜しいような」
「あぁ? いつも言ってるだろーが。金は裏切らねーが、女は裏切る。潜入されたからにはきっちり殺しとくんだよ」
「ウ、ウス!!」
「えー、マジすか!? 傷だらけではあるけど中々上玉なのに……」
「そうですよー、たまにはアニキも楽しみましょう?」
「……てめぇらが先に死ぬか?」
「「な、なんでもねぇっす!!」」
渦中のわたしを置いて、そんなやり取りをする男達。
彼らは何事もないように話しているけど、わたしにはそれが酷く恐ろしく思えた。
「(……え? ころ、される?)」
アニキさんの言葉が脳裏で反響する。
わたし、死ぬの?
まだ魔術の何たるかをまるで理解してないのに?
……やだ。
……やだ、やだ!
……やだやだやだやだやだやだやだやだ!
「(なんとか、逃げないと……)」
そう思って地面を這いながら場を脱しようとするもーー
「……おっと! 待ちな、嬢ちゃん」
足も動かない今の状態では、到底逃げられる相手でもなく。
アニキさんが立ちはだかるようにしてわたしを見下していた。
「わりぃな。何処まで聞かれたかは知らねぇが……こっちとしてもてめぇを生かしとくわけにはいかねぇんだよ」
「……み、見逃してくれない?」
「はっ、肝の座ったやつ。仲間に加え入れてやっても良さそうだが……生憎、手は足りてるんだ」
彼は言いながら、掌で遊ばせていた逆刀を構えた。
その切っ先をわたしに向けて。
「(あ、あぁ……)」
死ぬんだ。
本当にわたし、こんなところで死んじゃうんだ。
やだ、やだ。
まだこの世には気になる事が沢山あるのに。
それを知れずに死ぬなんてーー!
「…………」
気になる、こと。
そうだ。
魔術書を読んだとき、気になる事が一つあったんだった。
流石に“事が事だったから実行には移せなかった”んだけど、どうせ死ぬなら……。
「……ねぇ、アニキさん」
駄目元で、わたしはお願いをしてみることにした。
「あん?」
「一つね、死ぬ前にやりたいことがあるの。いい?」
「はっ、自爆でもしようってんじゃねーだろーな?」
「うーん、どうだろ」
”これをやったらどうなるか分からない”。
だからアニキさんの質問に確信をもって否定は出来なかった。
如何にも怪しい交渉だろう。
だけど。
「はん、まぁいいだろ。気に入った。どうせなら俺様を楽しませて死んでくれや」
アニキさんは鼻を鳴らしてそう言った。
どうしてわたしの事を気に入ってくれたのかは知らないけど、ラッキー、そう思った。
「それじゃあーー」
わたしは仰向けになってから、懐の剣を抜く。
すると部下の男達は慌てて臨戦態勢を取るも、わたしは彼らを見て微笑んだ。
違うよ。
戦おうって魂胆じゃない。
ただね。
気になる事があるの……。
「……この辺り、かな」
剣先を服の上から胸元辺りにあてがう。
そうまるでーーあのウルフの事を知ろうと解体した時と同じように。
「…………?」
アニキさんが怪訝な表情を浮かべているのが見て取れた。
自殺でもするつもりか? と、なんだかつまらなそう。
確かにそんな風に見えるのかも。
……でも、違う。
広義で見ればそうなのかもしれないけど、わたしにとっては違うの。
わたしはいつでも変わらない。
わたしはいつでも、気になる事を追い求めたいだけ。
「…………魔術炉は、この辺り、だね」
魔術書に書いてあった通りなら、胸の中央から僅かに下にある物。
心臓のすぐ下に位置するとされるーー魔術炉。
わたしの狙いはそこだった。
「……こいつ、まさか」
アニキさんの声が僅かに震える。
この感じだと、彼は薄々気付いているみたい。
うん、そうだよ。
わたしはね…………。
“魔術炉を無理矢理こじ開けてみたら魔術が使えるようになるのか”、気になったのーー!!
「……てめぇら、撤退だ!!」
アニキさんがそう叫ぶのと同時。
……わたしは胸元に深々と剣を突き刺した!!
「あ、あぁぁぁあぁぁああッッ!!」
飛び散る鮮血。
跳ねる身体。
止まらぬ悲鳴。
痛い。
熱い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
「う、あぁ……ッ!!」
痛い。
なんて痛いんだろう。
言葉では言い表せないような想像を絶する激痛。
涙が溢れ出ている事にすらわたしは気付けない。
だけどそんな中、わたしは激痛で意識を保ちながら絶え間なく内臓を抉る。
魔術炉を求めて。
「な、なんだこいつ!?」
「頭おかしいぞ!?」
部下達のそんな声が降ってくる。
うん、変だよね。
わたしも……本当にそう思う。
「ア、アニキ!? どうしやすか!?」
「いいから逃げるぞ! もしも開腹に成功されでもしたら……!」
「で、でもここには魔石がいくつも……」
「んなもんほっとけ! この基地は捨てる!」
朦朧とする意識の中、そんな声が聞こえる。
それに次いで、ばたばたと響いた足音が遠ざかっていった。
どうにもアニキさん達が逃げていったようだ。
「が、あぁぁぁ!」
だけど、わたしは今更止まれない。
ここで剣を抜いてもどうせそのうち死んでしまうだろうし、ならば行けるところまで行く。
ぐちゃぐちゃと、剣を体内でこねくり回す。
痛い。
痛いよ。
だけどね、止められないの。
わたしは知らないといけないから……。
「う、う、あぁ……」
それから少しして。
わたしの意識がいよいよ飛びそうになったーーその瞬間の事だった。
サク……と。
嫌にあっさりとした感触を覚える。
その刹那、不思議な事が起こったーー!
「…………………ッ!?」
一瞬、この世の理を見たような……そんな気がしたのだ。
ふと、視界がぱあっと晴れていくのを感じ、直後、わたしは想像を絶する光景を目の当たりにする事となる。
世界から音が消え、色が消え、線が消え、それから目を焼く程の激しい閃光が世界を包み込み、やがて何もなくなる。
そんな不可思議な感覚を全身に浴びせられ、真っ白な空間に放り出されると、次いで奇妙な浮遊感を覚えた。
水の中にいるような不自由感と同居する謎の幸福感。全身が冴え渡り、指先の神経までも滞りなく伝わる脳波の渦。
そしておよそ人が感じることのない全能感。
今体験している事柄は現実に起きていることではない。
それを頭でわかっていても、脳が錯覚として認識してしまいそうな程、世界の真理に触れるような真に迫る体験だった。
「(わたし、わたし……は……まだ)」
消え入る意識の中、周囲で謎の破砕音が轟く。
それはわたしを中心として広がっているみたいだった。
だけど、わたしの心はそこにはない。
思い出すのは……。
「(バニラ……さん)」
もしも、もしもわたしが生きていたら、また、会えるかなぁ?
そんな、願望にも似た想いーー
だけ、
で……………………。