魔女 バニラ
大陸歴1509年。
この世の根底には、常に魔術と、それを扱うことの出来る限られた女性ーー魔女の存在があった。
ノエルはそんな口上を前置きとして語りだした。
時に繁栄を支え、時に革命を起こし、時に災いを齎す。
長い歴史の中でも、生命の起源や進化、そして滅亡に纏わる話に魔術と魔女は付き物だった、と。
魔術の種類は多岐に渡り、火球や暴風を顕現させるなどの戦いに用いるものから、筋力を強化させたり傷を癒やすという日常生活でも用いられる便利なものまで。
今では一般人は、魔術の力を借りることが出来る特別な道具ーー魔道具という形で魔術を目にすることが主流らしく。
どうやら魔術は常に人々に寄り添いながら時代によって変化し続け、今や人々の生活とは切っても切り離せない存在になっているらしい。
そんなこのご時世、魔術の才能を持っているだけで人生の勝ち組と言われることも珍しくはない。
なんて大げさな、と思うかもしれないがしかしこれが本当の話のようで。
凡人がどんなに努力をしようと、魔術の適正がないだけで必ずどこかで絶対に超えられない壁にぶち当たる。
しかし魔女はその壁を容易く超えてしまうーーそんなことがまかり通るのが、魔術一辺倒のこの世界というわけらしい。
だけどそんな魔女に対し、凡人達は嫉妬や畏怖の念を向けたりはしない。
彼らの心中にあるのはただ敬愛のみ。
魔術によって飛躍的に進歩した自分達の生活を顧みると、魔女への悪態など口をついて出てこないらしかった。
と言っても、わたしの住むような田舎町には魔道具のような画期的な何かがあるわけではないけど。
……つくづく田舎という言葉の似合う時代遅れな町だ。
兎にも角にも、魔術という力は人の人生を一変させるくらいのことは極めて容易。
それこそ、わたしのような子供一人くらいーー。
「ベル」
隣を歩くノエルに呼びかけられ、わたしはハッとなって辺りを見回した。
うんざりする程に見慣れた門と町並み。
わたしは故郷の《ミルク》にいつの間にか帰ってきていたらしい。
彼の話に夢中になるあまり、全く気付かなかった。
「大丈夫かい?」
「うん、それよりーー」
わたしは返事もそこそこに、視界の奥の広場を指差す。
そこでは、見知った顔の住人達が大きな円を作っていた。
何やら我先にとその円の中心にいるらしい人物へ声を掛けているようだが。
「もしかして」
「あぁ、あそこに魔女様がおわすのだろう」
わたしの言葉の続きをノエルが代弁してくれた。
「魔女……」
魔術を扱う事の出来る稀有で崇高な存在。
今まさに、わたしの中ではホットな話題だ。
是非この目で、その姿を一度見てみたい。
魔術について詳しい人から色々と話を聞いてみたいーー!
そう思うよりも早く、わたしは人だかりへ目掛けて走り出していた。
「あ、ベル! 待ちなさい、急に走ったら危ないだろうーー!」
後ろから静止の声が聞こえたが、こうなったら自分自身歯止めが利かない。
「うぉ、ベル!? なんだ突然!?」
「ちょちょ、押すんじゃねぇって!」
人混みを掻き分ける最中、そんな声があちこちから上がるがーーわたしの耳には留まらない。
この人混みの先にいるという魔女とやらが、一体どんな人なのか。
今のわたしには、それ以外はまるで眼中になかった。
……いや。
これからのわたしにも、と言うべきだったのかも。
「…………ぁ」
ふと視界を横切った純白が、彼女の美しい髪だと気付くには少し時間が掛かった。
それは、わたしがその女性ーーいや、少女を目の当たりにして一瞬思考を放棄してしまったからだと思う。
「(き、綺麗……)」
とても、と。
わたしは活動の鈍くなった脳内で何とかそう付け足した。
あどけなさを残しながらも美しい顔立ちと気品ある佇まい。
純白の長髪に映える黒を貴重としたワンピースドレス。
そして身体の全身から発するオーラ。
わたしとあまり歳は変わらなそうなのに、そのどれもが、こんな田舎町には勿体ないくらいの代物だった。
「……?」
「ぅ……!」
人混みから顔を出したわたしに気付いた少女が、大きな瞳で不思議そうに見つめてくる。
そこでわたしは、ついつい人混みの中に隠れ戻ってしまった。
だって、くすんだ灰色の髪と全身包帯だらけの身体を見られるのは何だか恥ずかしかったから。
今まで他の人達に見られるぶんには全然気にならなかったのに……。
どうしてだろう?
「バニラ様」
わたしがそんな事を考えていると、思考の隙間を刺すように芯の通った声が場に響いた。
その言葉と共に人混みから現れたのは、軽鎧を身に纏うお堅そうな長身の女性。
その装いと脇にレイピアを差しているのを見るに、騎士の様に思える。
少なくとも町の住民ではなかった。
「宿の手筈が整いました。参りましょう」
彼女は魔女をバニラと呼んでから、スッと手を差し出す。
その光景を見て、わたしは女性の正体に合点がいった。
なるほど、彼女は言わば従者のようなものだ。
ノエルも魔女は特別な存在だと言っていたし、従者の一人や二人いてもなんら可笑しくない。
いや、むしろいて然るべきだろう。
「えぇ、お願いします」
騎士然とした女性の誘いに応じると、バニラさんは彼女に手を引かれるまま広場を抜けていった。
バニラさんの進路上にいる住民は自然と道を譲り、隅で彼女の美しさに見惚れ、足を止める。
それが続いていくうち、小さな町にはやがて人の道が出来上がって行った。
誰が意図したものでもないだろう。
しかしそこにはさながら凱旋とも言える状況が出来上がっていた。
ある意味、魔女の絶対さを知る光景となっただろう。
その傍ら、わたしはバニラさんの背中を見つめながらーー
「(……バニラさん。バニラさんって言うんだ)」
そんな風に、彼女の名前を繰り返していた。
なぜだろう?
バニラさんの名前を繰り返すたび、胸の奥がじんと熱くなるのを感じる。
それに呼応して、胸の鼓動も早くなっていくような気がした。
「(……風邪かなぁ)」
額に手を当てると心なしか熱っぽい。
これは早いうちに家に帰って、休んでいた方がいいのかもしれない。
そう思考を巡らせながら、バニラさんが曲がり角に消えるのをぼーっと見つめる。
そしてその姿が消えたところでーー。
「あーーーーーッッ!?」
わたしは思い出したように叫んでいた。
突然奇声を発したわたしの周囲がざわめき立つ。
当然注目の的になってしまっているが、そんな事はお構いなしだ。
「(わ、わたし、魔術の事を聞こうとしてたんだった……!)」
そう、あまりにバニラさんが綺麗だったから、本来の目的を忘れてしまっていた。
わたしは彼女に魔術について色々と話を聞きたかったのにーー!
「はぁ、はぁ……ベル。今度はどうしたんだ?」
と、そこへタイミングよくわたしを追ってきたノエルが顔を見せる。
しめた、とわたしが舌なめずりするのを、彼は気付いただろうか。
いや、気付いていようがいまいがどっちでもいい。
「ノエル! これ、わたしのバッグ!」
「え? あぁ……空瓶を家に持って帰るんだろう?」
「いや、わたしはあの娘を追いかけるから、代わりにわたしの家に持っていって! お願い!」
「は、はぁ……!?」
困惑の色を表情に滲ませるノエル。
だけど今に始まったことではないからか、彼はため息を挟むとすぐに状況を理解してくれた。
「……粗相のないようにね」
「うん! ありがとう!」
流石はノエルだ、話が早い!
わたしは言い残すと、勢いよく地面を蹴ってバニラさんの足取りを追った。
あぁでも、ノエルにお使いを頼んだと知られたらまたお母さんに怒られちゃう。
……だけど、後のことより今のことだ。
わたしは一刻も早くバニラさんに会いたい。
会って魔術の事を深く知りたいのだ。
「ーー見つけた!」
同じ様に曲がり角を抜け、更にその先の突き当りを左折したところで美しく靡く純白の髪が目に留まる。
その持ち主であるバニラさんは、丁度宿の中へ入ろうとしているところみたいだった。
「ま、待って! バニラさーー!」
彼女に駆け寄り、わたしは嬉々として呼びかけようとする。
ーーしかし、その言葉は突如喉元に突きつけられたレイピアで止められた。
「ひぇ……!?」
目視も間々ならぬ一瞬の出来事。
バニラさんの従者の女性が、いつの間にかわたし達の間に割って入っていたのだ。
「……何者だ、貴様」
先程広場でバニラさんに掛けたものとは違う、トーンの低い声で凄んでくる女性。
その鋭い目つきといい、剣先を突きつけてきている状況といい、彼女には得も言えぬ迫力があった。
騎士と見立てても、ノエルとはまるで真反対のものだ。
「あ、あの……わたしは、バニラさんに、お話を……」
たどたどしく答えるも、女性の警戒は全く緩まない。
むしろ厳しくなる一方だった。
「なんの話だか知らないが、たとえ子供だろうとバニラ様に危害を加えかねないのなら……」
彼女は脅すように剣先を更に近付けてくる。
その意図は容易に理解出来た。
正直、生きた心地がしない。
……。
………………だけど。
「……お願い」
わたしは引けなかった。
意固地になっているつもりはない。
ただわたしの本能がそうさせていたのだ。
知りたいのなら、知らねばならない。
例えどんな危険が及ぼうとも。
この世に生を受けながら知る機会を放棄するなど、それは死んでいるも同然。
教えて。
知らないと。
お願い。
わたしはそうしないとーー自我を保てないの。
「……ッ!?」
わたしが無意識に一歩踏み出すと、女性は酷く狼狽した様子を見せた。
それもそうだろう。
わたしが歩み寄ったことで突き出したレイピアが喉元に僅かに触れ、たらーっと一筋の鮮血を垂らしたのだから。
女性は反射的にレイピアを引いていた。
冷徹な仮面を被っていても、彼女も所詮は“普通”の人間だったようで。
「な、なんだ……貴様……!」
今度の彼女がわたしへ向ける視線は、魔物を見るそれとなんら遜色ないものだった。
レイピアを一旦手元まで戻し、そして構え直す。
それもまた、魔物と対峙した時にするものと変わりないだろう。
女性の瞳にはある種の恐怖が見て取れた。
それはその恐怖を払拭するためなら、人間相手でも武器を振るうことを躊躇わないような。
そんな保身的な恐怖だった。
ーーだけど。
「おやめなさい」
事の成り行きを見守っていたバニラさんが、見るに耐えてそう口を挟んだのだ。
彼女はわたしを庇うように立つと、従者の女性に食ってかかる。
「そこまでです、おふざけが過ぎますよ」
「バ、バニラ様……!? 離れてください、そいつは何か危険で……!」
「あら、わたくしはそうは思いませんが」
バニラさんは女性を一蹴すると、今度はわたしに向き直った。
目と鼻の先にある彼女はやっぱり綺麗でーーいや、綺麗すぎて、自分から声を掛けておいてわたしはバニラさんを直視出来なかった。
しかし彼女はそんなわたしの肩に優しく触れたかと思うと、にこりと微笑んで見せる。
「わたくしでよければ、是非聞かせてください」
次いで投げかけてくるのはそんな言葉。
明らかに怪しいわたしを前にしてもその穏やかな佇まいが崩れない辺り、とても方便には聞こえなかった。
「あ、えぇと……」
わたしは少し言葉に詰まりながらも。
「……魔術、魔術について知りたい。どんな物があるの、どんな効果を齎すの、どんな意味があるの、どうすれば使えるの、わたしにも使えるの、ううん、使いたい……!」
ひと呼吸の内に、早口でまくし立ててしまった。
悪い癖だと分かっているのに、やはり止められない。
知りたい。
知りたいの、どうしても。
この知識欲を満たさないと、わたしは今夜からずうっと眠れない。
そんな確信があった。
……だけどそれにしたって、バニラさんからしたらはた迷惑ではないか?
そう考えてちらりと彼女の様子を伺うが。
「まぁ……ふふ」
しかしそれでもバニラさんはわたしを邪険に扱おうとはせず、それどころか嬉しそうにえくぼを作っていた。
それから今一度わたしの顔を見定めると、その直後、彼女は背後の従者を一瞥する。
「リア。わたくしはこの方と暫くお話がしたいです。貴女は少し外していなさい」
「な……!? で、ですが、こんな得体も知れぬ者と二人きりなど……!」
「よいですね?」
「……っ、は、はい」
バニラさんが重ねて尋ねると、リアと呼ばれた女性は頷くしかないみたいだった。
バニラさんは特別高圧的な態度を取っているわけではないのだけど、彼女の言葉には不思議な強制力があるのだろうか。
自分よりも年下の彼女に、リアさんは気圧されているらしかった。
「……失礼致しました、さぁ、どうぞ」
「ぁ……う、うん」
広場でリアさんがしたように。
今度はバニラさんがわたしに手を差し出してくる。
その手を取ったわたしは、誘われるまま宿屋の一室へと足を踏み込んだのだった。