知識欲の獣
「未知の魔女、ティアラベルよ。貴様を禁術行使の現行犯……反逆罪でこの魔術社会から追放とする」
この世を牛耳る魔術教会ーーその長にそう告げられ、わたしは静かに目を細めた。
禁術。
それは時間、空間、生命を操る、この魔術が跋扈する世界においても研究からして禁じられている代物。
この世のパワーバランスを壊しかねない恐ろしい魔術だ。
それを行使するだなんて言語道断。
極刑は免れないだろう……それはわたしも理解していた。
あぁだけど、どうしてこうなったんだっけ?
魔術の事すら知らなかったあの日の事が、まるで昨日の事のように思い出せた。
ーーー
ーー
ー
時期尚早な冷たい風が吹きすさぶ、山あいの細道の一角。
そこで天を仰ぎ見て、大空を縦横無尽に飛び回る鳥達を見据えながら、わたしは息を吐いた。
「あーあ、鳥になりたいな」
そうすればわたしも色んな所に行けるのに、と、内心で付け足す。
自由に世界を冒険でき、様々な景色を見られる鳥を羨み、口籠る。
辺境の村でひっそりと暮らすわたしは、いつも暇さえあればそんな事をしていた。
見慣れた村の中で起きるありふれた日常ではない、新しい何かを体感したい、知りたい。
そう、自分の世界を変えてくれるような何かを知りたい……わたしはいつからかそんな事を思うようになっていた。
例えその考えが己を危険に侵すとしても、湧き出る知識欲は自分でも止められない。
それがわたしの性分だったから。
「おーい、ベル」
ふと、わたしを呼ぶ声がある。
声のした方角を見ると、そこには見知った顔が。
「あー、ノエルだー」
田舎町にはそぐわない綺麗な金の長髪だけで、彼が例の自警団長ーーノエルだと分かる。
彼は自警団の証でもある綺麗な刺繍の入ったマントをたなびかせながら、悠々とわたしの前まで歩み寄ってきた。
「やぁ、相変わらず愛らしいね、君は」
「ありがとー」
膝をついて目線を合わせながら言う彼に、わたしはなんの気兼ねなしに答えた。
はたから見たら、まるでノエルがわたしを口説いている様にも見えるけど、彼の異性への全幅の尊敬は今に始まったことではない。
先程のような口上ももう慣れた。
だからわたしは、ノエルの甘美な言葉で心持ちを変えることはなかった。
とは言え、どうやら町の娘達は彼の甘いマスクにメロメロのようだけど。
わたしにはそういうのは良く分からない。
今の所、自分の恋愛ごとには全く興味がなかったから。
「配達の帰りだろう? よければ私も手伝うよ」
「いい、またノエルに迷惑かけたくないもん」
わたしは彼の伸ばしかけた手を静止させ、空瓶の入ったバッグを手繰り寄せた。
家の仕事の手伝いで、わたしはここ最近牛乳の配達をやらされていた。
今はもう配達を追え、回収した空の瓶を持って帰るところ。
家だってそんなに遠くない。
「一人で帰れるよ」
というより、一人で帰らないとまたお母さんに怒られる。
ノエルに何度迷惑をかければ済むのよ! って、まるで口癖みたいに。
「ふふ」
するとわたしの心中を察してか、ノエルは口元に手を添えて上品に笑った。
「分かった。ただ、家の近くまでは送らせてもらうよ」
「えー、いいって」
「そういうわけにもいかない。ここまで来てレディを一人で帰らせるなんて、自警団員の風上にも置けないからね」
「はぁ」
相変わらずというか、まだ十二になったばかりのわたしによくもそんな懇切丁寧に接してくるものだ。
そういえば昔、ノエルは王都のほうで騎士をしていたんだっけ。
だから礼節を重んじるようにしているのかも。
そんな彼が何故こんな辺鄙な場所へやって来たのかは知らないけど、兎に角、これ以上申し出を断るのはちょっと憚られる。
「まぁ別にいいけど、お仕事は? 最近は魔物の出現報告がないからって、わたし一人につきっきりでいいの?」
「これも立派な仕事さ。住民の安全を確たるものとするってね」
「家までたいして距離もないのに……わたしってそんなに信用ない?」
「ないな」
「むーん……」
彼に珍しく強めの口調で言い切られてしまい、わたしは思わず唇を尖らせてしまった。
「そ、そんな風に言わなくたって……」
「この前帰り途中に、ふと「スライムの生態を知りたい!」とかなんとか言って近くの洞窟へ飛び込んで、結果痛い目を見たのはどこの誰だったかな?」
わたしの“包帯だらけ”の身体を指差し、ノエルはまくし立てるように続けた。
「私が助けに入らなかったらどうなっていたか、今考えても恐ろしいよ……。頼むから自分の身体は大事にしてくれ」
「わ、分かったから……ごめんって」
確かに彼の言うとおり、命があるだけ儲けもの。
魔物の生態が気になったあまり、武器も持たずに魔物の蔓延る洞窟に飛び込んでしまうだなんて、我ながら馬鹿にも程がある。
……だけど。
それでも内心、わたしは考えを改められなかった。
だって、知りたいから。
知らない事を知る事で、わたしの世界を広げられるような気がしたから。
こればかりは譲れない、信念みたいなものだった。
……いや、ただのワガママなのかも知れないけど。
「……そうだ、そう言えばこの町に魔女様が立ち寄ってらっしゃるらしいぞ。ひと目見てみないか?」
陰鬱な空気を嫌ったか、ノエルがそう口火を切った。
魔女。
わたしにはあまり馴染みのない言葉だった。
「魔女ってなぁに?」
「あぁ……まぁ、平和な証拠かな」
ノエルはわたしの問いにぼそりと何かを呟いてから、こう続けた。
魔女とは魔術を扱う事が出来る凄い人のこと。
そして魔術とは、色んな超常現象を引き起こせる凄い力のこと。
細かい説明は省くと言ったけど、ノエルはその後でこの世界の根底には常に魔術と魔女の影があったと付け加えた。
彼曰く、この世界の仕組みや政治を語る上で魔術と魔女の存在は欠かせないらしい。
「へぇー、凄いんだねぇ」
あたかも一般常識のようにノエルは語るけど、わたしは魔術なんてものは良く知らなかった。
こんな物品も情報も数週遅れで届くような辺鄙な町にいてはそれも仕方ないのかもしれないけど。
それにしても、魔術ーー初めて聞くその言葉は不思議とわたしの脳内に抵抗なく染み込んでいった。
「ねぇ、魔術ってどんな感じ? 見たことある?」
「ん、まぁ」
「ほんと!? ねぇ教えて!」
「あ、し、しまった……」
スイッチが入ってしまったーーノエルの表情が如実にそう伝えてくる。
わたしの内実を代弁してくれた、とも言えるだろう。
魔術だなんて凄い力の事を知ったら、もういても立ってもいられない。
この子はどんな危険な手を使ってでも魔術の事を知ろうとするだろう、あぁ失言だった。
彼はそう考えてるに違いない。
そして事実、わたしの“気になる”はもう魔術という未知の力に向いていた。
「ねぇ、魔術ってどんな事が出来るの!? ねぇねぇねぇねぇッ!」
「で、でもなぁ……」
「教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えて教えてッ!」
わたしは帰路の途、困り顔のノエルにも構わずそうまくし立て続けた。
彼が話を渋る理由は何となく分かる。
大方、魔術の事を知ろうとする中でわたしが危険に晒される可能性を恐れているのだろう。
だけど、もう遅い。
一度気になってしまったことは、突き詰めてみないと納得が出来ない。
わたしのそんな性分を彼も理解しているはずなのだ。
「……わ、分かったよ」
結局、最後はノエルが折れて、町に戻るまでの間に色んな話を聞かせてもらうことになった。
……まさか。
まさか彼もたった一つの失言で、わたしがいずれ“後世に名を残す”魔女になるとは思いもしなかっただろう。
だって当のわたしも、そんな事は微塵も考えていなかったのだから。
それは当然の事だった。