9話
「ねぇ、今度キャンプ行かない?」
百の一言から僕達のキャンプは始まった。
場所は街から少し離れた森の中。珍しくキャンプ場に他の客はおらず、僕達だけだった。
「森の中って空気が美味しい気がするのよね〜…」
「そうか?味はしないぞ?」
「そういう事言ってんじゃないのよ」
百は藍田にそう言いながら、即席テーブルの上で野菜を切っている。
「藍田!さっさと水!」
「分かった!」
「おい、そっちは川だぞ?」
「ん?川で組むんじゃないのか!?」
「こっちに水道って書いてありましたよ」
「ほら、虚ちゃんに着いて行って水持ってきて!」
「分かったぞ!」
そう元気に返すと、藍田は鍋を持って虚子について行った。
「ほら!あんたもそんな所で突っ立ってないで!」
「あ〜…野菜切るの手伝う?」
「お米用意して!あと薪!」
「あぁ分かった。……何作ってるんだ?」
百は驚いた表情をこちらに向けたまま動かない。
……セミの鳴き声が…うるさいな、
「カレーよ!カレー!!キャンプと言えばカレーでしょ?!さぁ、働かなきゃ食べれないわよ!」
「りょーかい」
心を無にしながら、米をひたすらに洗う。勝なら洗剤とか入れそうだから僕が適任だろう。と言うか藍田と虚子の帰りが遅い。水を持って来るのにこんなに時間がかかるのだろうか。
「勝なら……いや、無いな。ちょっと見てくる」
「ついでに薪も拾ってきて〜!」
手に着いた水滴をパッパと払いながら、2人が向かった方へと向かう。
道の途中、大きな地図が書かれた看板が置いてあった。地図はボロボロで所々見えなくなっている。ただ、【水道】の文字と矢印だけは綺麗だった。
不思議に思い、その文字を触ってみる。すると、その文字はペリペリと剥がれ落ちた。どうやら【水道】と書かれたシールが貼ってあったようだ。そのシールの下には
「クマ注意………」
と、読み取れた。
誰がこんなイタズラをとか、カレーの完成が遅くなるとか、そんな考えよりももっと酷い想像が頭をよぎる。
僕は、クマ注意と書かれていた方へ走り出した。
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「ん?今走っていったのはジョーコーだな!食事前の運動とは精が出るな!!はははは!!」
「……ちょっと私、追いかけます」
「お、行ってきな!!」
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地面が少しぬかるんでいる。足跡は僕のだけしか無かった。それに気づいたのは走り出しておよそ5分。
がさりと音を立てた茂みのおかげで、足を止め気づけれた。
音のした茂みはもう動く事もなく、ただ沈黙を守っていた。
5分全力疾走した。森の中をただひたすらに走った。そのせいで森は一層深くなっていた。
「戻ろ…」
くるりと後ろを向き、歩き始める。
がさがさ、がさがさ、と、音がついて来る。足を止めると、その音も止まる。
振り返っても誰もおらず、何も動いてはいなかった。
僕は全力疾走をまた開始した。不安に駆られた全力疾走と、恐怖に抱かれた全力疾走。2度の全力疾走は、僕の足を疲れさせるには十分だった。
「うわぁっ!」
ぬかるんだ地面に足を取られ、派手に転ぶ。背後の音はこれみよがしに距離を詰めてくる。
「コウくん!」
顔を上げる。そこには、心配そうに僕の顔を覗き込む虚子がいた。
「転んじゃった」
「それにしては派手に転んでたけど…」
「あ〜…カレーが早く食べたくてさ」
「そう…なら早く戻りましょ!」
虚子が差し出してくれた手を取り、起き上がる。
背後の音はピタリと止み、幻聴を疑う程に静かだった。
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「遅かったな!!どこ行ってたんだ!?」
「無事そうね…良かった。罰として晩御飯調達係に任命するわね」
「あぁ。悪い、遅れた」
戻ってみれば、カレーはもう完成していた。スパイシーな香りがふわふわと漂っている。
「「「「いたたきます」」」」
カレーは程よく辛く、米の甘みによく合っている。野菜も柔らかく、肉も美味しい。
「それで晩御飯調達係の僕は何をすれば?」
「川魚よ。1度食べてみたいのよね〜」
「川魚!!いいな!俺も手伝うぞ!!」
「あんたはまだやる事があるからダメよ。虚ちゃんはどうする?」
「私は…コウくんのお手伝いをします」
「分かったわ。じゃあコウくんと虚ちゃんは川魚。藍田と私は…秘密。ご飯食べたら行動開始よ」
「おかわり!!!」
「自分でやりなさい」
「わかった!!」
勝はカレーのおかわりを自分の皿に盛り付けると同時に、それをすごいスピードで食べ始めた。
「美味いか?」
「美味ぁぁぁい!!!」
「うわうるさ…」
「美味ぁぁぁい」
「あんまり変わってないよ。ごちそうさまっと」
紙皿をゴミ袋に入れ、虚子が食べ終わるのを待つ。
地面に落ちていた長い木の棒を取り、糸を括り付ける。即席の竿にしては、いい品だ。
カレーを食べ終わった虚子と一緒に、川の方へと歩いていった。
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川にミミズをつけた釣り糸を垂らしながら、静かな森を五感で楽しむ。
川の流れと一緒に流れる青い葉。ざらざらとした木の棒の竿。森独特の葉と土の香り。遠くの木々から響いてくるひぐらしの鳴き声。口にほんのり残るカレーの味。
「釣れそう?」
「どうだろうな」
「釣れなさそう?」
「どうだろうな」
「釣り楽しいですか?」
「ぼちぼちだな」
何故か虚子は嬉しそうだ。
「見てて楽しいか?」
「はい!」
「何がそんなに楽しいんだ?」
「コウくんを見てるのが楽しいです!」
「そうか……」
「はい!」
そんなこんなで1匹釣れた。中々大きく、片手でギリギリ持てるサイズだ。魚の種類はよく分からないが、食べれたら問題ないだろう。
「あと3匹ですね」
「あぁ。……バケツ取ってきてくれるか?」
「わかりました!」
虚子は転ばないように慎重に、バケツを取りにテントへと戻った。
魚は地面に横たわり、こちらをじっと見ている。
「見るなよ。何も面白くないぞ」
「……」
「……おっ」
竿が引かれ、釣り上げる。竿の先にはさっきと同じ種類の魚が。
「ほら、お前の仲間だぞ」
「……」
「僕、釣りの才能あるかもな。お前はどう思う?」
「……あると思うウオ」
「下手なアフレコはやめてくれ」
「あ……バレちゃいましたか」
バケツを持った虚子が、変なアフレコをしながら戻って来た。
バケツに川の水を入れ、釣った魚を入れる。死にかけていた魚の目も、生き返り始めている。
虚子はバケツの中の魚をじーっと見つめている。
「コウくんは……この子達をどう思いますか?」
「どう思う?美味しいかな〜……とか?」
「……そういう考え方もありますね」
「……?」
「私はこの子達を可哀想だと思います」
「食べられるから?」
「……やっぱり忘れてください。ほら、竿が!」
「おっと!」
竿を引き上げると、もう1匹食いついていた。さっきの2匹よりも、少し小さい。
バケツに入れると、元気そうに泳ぎ出した。
また、釣り糸を垂らす。
「私、逃げてきたんです」
そう言いながら、虚子は僕の背中にもたれかかった。
「苦しくて、辛くて、暗い所から。自分の役割を投げ捨てて。皆に言われたんです」
「皆って?」
「………」
「そっか」
「続ける?」
「……最近コウくんに懐かしさを感じるんです。感じるはずないのに…」
「……それって」
竿が引かれる。竿を上げると、最初の2匹よりも、少し大きな魚が釣れた。
「……人数分釣れたし、戻ろうか」
「…はい」
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「あら、おかえり。どれくらい釣れた?」
「とりあえず人数分」
「え、てっきり何も釣ってこないものだと思ってたけど……見直したわ」
「まぁな。その荷物は?」
百の後ろに置いてある買い物袋を指さす。
「ちょっと買い物に行ってきたのよ。藍田が居てくれて助かったわ〜」
「中々にハードだったぞ!晩御飯以外にも色々買ってある!楽しみにしておくといい!!」
「さ、まだ夕方だけど晩御飯の準備よ!」
「それで晩御飯とやらは?」
「決まってるじゃない!BBQよ!!」
そう言いながら百は、買い物袋の中からBBQセットを取り出した。
キャンプ場から借りて来たBBQコンロを組み立て、火をつける。百の要望でついでに焚き火も作る。魚に串を刺し、焚き火の傍に並べる。
虚子は、百と一緒に野菜や肉の準備をしている。勝は……いつの間にかいなくなっている。まぁ飯が出来たら帰ってくるだろう。
「よし!焼けたやつから食べて行きな!どんどん焼いていくよ!」
「野菜も食べてくださいね!」
「美味そうだな!!!いただくぜ!!!!」
「勝、お前どこ行ってたんだ?」
「小便だ!!さっさと食おうぜ!!百も虚子もどんどん食べるといい!!ははははは!!!」
勝は目にも留まらぬ速さで、肉を焼きながら食べるを同時にこなしている。あいつこんなに器用だったか?
「まぁいいか。魚も焼けたぞ!」
「私!私食べたい!」
「慌てるな慌てるな。人数分ある。人数分しかないけどな」
百に、少し小さめの魚を渡した。
「はふっはふっ!うっ!美味しい!!!なんかプチプチしてる!!」
「プチプチ?卵でも持ってたのか?」
「俺も俺も!!」
「はいよ。お前にピッタリなやつだ。あ…ごめん」
勝に渡そうとした魚は、ポロリと頭が取れてしまった。
「構わないさ!はふりゅはふりゅ!美味いな!!!大きいから沢山美味い!!」
「そりゃ良かった。ほら、虚子も」
「あ、ありがとう」
虚子に、普通の魚を渡す。虚子は美味しそうに魚にかぶりついている。いや、みんな幸せそうに魚にかぶりついている。
僕も魚を取り、腹の位置から食べる。少し砂が入っているのか一部ジャリジャリしているが、身は暖かく柔らかで美味しい。
僕達はBBQと焼き魚を一通り楽しんだ後、焚き火を囲んで静かに座っていた。
「楽しいなぁ…」
「えぇ。とても」
「ですね…」
「あぁ!楽しいなぁ!」
「こんなに楽しいのって虚ちゃんのおかげよね…」
「え?私は何もしてませんよ?」
「虚ちゃんがやって来て、そのおかげで私達この夏一緒に過ごせてるんだもの」
「あぁ…!確かにな!」
「最初はビックリしたな…血まみれで倒れてたんだもんな……」
「うん、本当に懐かしい……」
焚き火のパチパチと弾ける音だけが、周囲に響いた。
「こんないい夜だ!一つ話をしてやろう!!」
「お、珍しいな」
「面白くなかったら怒るわよ〜!」
勝は姿勢を低くし、静かにドスの効いた声で話し始めた。
「これはこの山に関する話なんだがな……」
「怖い話かよ…」