2話
何かが部屋を暴れ回る音で目が覚める。
眠い目を無理やりこじ開け、荒れた部屋を目の当たりにする。部屋の隅には昨日助けた少女がこちらを怯えた目で凝視していた。
僕はこれ以上少女に恐怖を与えないようにゆっくりと立ち上がる。少女に近づき跪く。少女は僕の一挙手一投足にビクビクと恐怖している。
手を差し伸べてほほ笑みかける。
「大丈夫だよ。僕は君に危害は加えないから…」
「……来ないで」
「いいや、君の事を知らなくちゃならない」
「………」
少女は僕の手に向かって手を伸ばす。白く、細く、今にも壊れてしまいそうな手を。まるで砂の彫像が崩れないように触れるかの如く、ゆっくりと慎重に僕の手に触れた。
触れた指を少女はすぐに引っ込めた。僕と触れたその部分を、何度も何度も自分で触れている。まるで自分の存在を確かめるように。
少女は再び手を伸ばす。今度は僕の手を握りしめた。そしてその手をぺたぺたと触っている。
その手を引っ張り少女は自分の頬に当てる。少女の頬は暖かく、滑らかだ。
突然、手に冷たいものが触れる。少女は僕の手を頬に当てたまま涙を流していた。
「どうして泣いているんだ?」
「……懐かしい気がするから」
「そうか……僕の名前はコウ。 白川 コウって言うんだ」
「コウ……」
「君の名前は?」
「……ない」
少女はそう言って僕の手を優しく離した。
「ウロボロスって呼ばれてた」
「呼ばれてた?どこで?」
「…言わなくちゃダメ?」
「言いたくないならいい」
「…ありがとう」
少女はそう言って僕に微笑み返した。
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荒れた部屋を片付けているうちにちょうどいい朝飯時になってしまった。
僕は少女に部屋にいるように言い、コンビニに出かける。菓子パンをいくつか買って帰路に着く。
「ジョォォォォォォォコォォォォォォォ!!!!!!!」
背後から僕の不名誉極まりないあだ名を呼ぶ声が聞こえる。振り返る気も起きないから無視して歩き続ける。
声の主は僕の脇を通り過ぎ、僕の目の前で止まった。
「無視するなんてひどいぞ!なぁ!」
「そのあだ名は嫌いだと言っているだろう。それよりこんな朝っぱらから何やってるんだ?陸上部期待の新エースの藍田さんよぉ」
コイツは藍田 勝暑苦しくやかましい、見た目通りの熱血バカだ。平和で静かな僕の高校生活を騒音で埋めつくした元凶だ。
「俺は朝の自主練だ!ジョーコーも朝練か?なんて冗談だよ!はははは!」
「見ての通り朝練の帰りだ」
「え!?ほんとに朝練だったのか?!」
「冗談だ。朝飯を買った帰りだ」
「これは1本取られたな!ははははは!」
「笑ってる暇があるなら朝練に戻ったらどうだ?ここで僕と話してても時間の無駄だぞ」
「俺はそうとは思わないな!だがそろそろ朝練に戻るとするよ!じゃあなジョーコー!」
そう言い切る前に藍田は走り去ってしまった。こっちが何か言い切る前に去って行くことは日常の中にあるかもしれないが、相手が言い切る前に相手が去ることはそうそうないだろう。
「もはや台風だな」
そんな一言を地面に吐き捨て、また歩き始めた。
家に帰ると、少女は僕の言いつけを守り座って待っていた。
買ってきたメロンパンを渡す。
「食べていいの…?」
「あぁ。お腹すいてるだろう?」
「ありがとう…」
少女は恐る恐るメロンパンを食べ始める。僕も自分の分のメロンパンを食べる。
静かな夏の朝。外からセミの鳴き声が聞こえてくる。
「初めて食べた…」
「美味しい?」
「うん!」
少女はメロンパンを頬張りながらにっこりと笑った。
メロンパンを食べ終え、片付けの続きを始める。少女も僕の手伝いをしてくれている。
片付けが終わった時にはもう昼の中頃だった。ちょうど腹も空いている。
「何か食べに行くか…」
とは言ったものの。彼女にはいくつか問題がある。まずは服だ。僕の服を着せているが…当然ながら僕は男物の服しか持っていない。ので彼女に似合う服は持っていない。……いや、彼シャツとか言う便利な概念がなんとかしてくれるはずだ。その問題はもはや解決したと言っても…過言だな。
まぁいい。だがもう1つ問題がある。
「見た目が目立ちすぎるな」
銀色の髪、整いすぎた顔立ち、街に出れば100人中1000人が振り返りそうな程可愛らしい。老若男女人間動物植物問わず彼女に釘付けになるだろう。そしてそれを見た一般人達は写真に撮ってSNSに勝手にあげるやつもいるだろう。肖像権を知らないアホ共め。
彼女が血を流して倒れていた理由はよく分からないが、あれが他人の仕業だとしたら……
いけない。時々悪い方に考えてしまいすぎるこの癖を治さなくてはな。
部屋のクーラーを付け、家を出る。彼女は置いて来た。この暑さの中、髪や顔を隠すと暑さでやられてしまいそうだからだ。
近所の某ハンバーガーショップでいくつかハンバーガーを買って帰る。
「あら奇遇ね」
僕の行先を塞ぐように、彼女はそこに居た。運動のしやすそうな服に、背中の竹刀がよく目立つ。
「奇遇なもんか。僕の家の方向から歩いてきたくせに」
「私がどこ歩こうと勝手でしょ?それよりも…」
彼女は僕の手のハンバーガーが入った袋を調べ始める。
彼女の名前は桃家 百。見ての通りの剣道少女。中学からの腐れ縁で、一人暮らしの僕を心配してよく料理を作って持ってきてくれる。
「体に悪いって言ってるでしょ?それにこんなに1人で食べるつもり?体がおかしくなるわよ」
「1人でこんなに食べれると思っているのか?」
「じゃあアイツと?」
「たまに食べるが今日は違う。待たせてるんだ、じゃあな」
そう言い切る前に僕は足早にその場を離れた。いや、離れようとした。
僕のその行動は女子とは思えぬ馬鹿力が肩を掴んだ事で、未遂に終わってしまった。それどころか勢いだけが付いてしまって尻もちを着いてしまった。真夏のコンクリートの暑さが手に焼き付く。痛い。熱い。
「あ、ごめん…」
「引き止めるからには何か理由があるんだろうな?」
「えっと、家行っても誰もいなかったから…玄関に昨日の残りのご飯置いてきたから食べてね……」
「あぁ。ありがとうな、百。早めに食べるよ」
百はその言葉を聞くと僕の肩から手を離した。
家に帰るとドアノブにシチューの入った容器入りの袋がぶら下げてあった。昨日の残りと百は言っていたが、どこからどう見ても作りたてホヤホヤだ。シチューとハンバーガーの袋をぶら下げながら部屋に入る。確かに人の気配はなく、まるで昨夜から今日の朝にかけての出来事が夢のように感じれた。
まぁ少女は部屋の真ん中で眠っていたんだがな。ほんとうに小さな寝息を立てながら。
僕が少女の近くに座り、ハンバーガーの入った袋を開ける。すると中からハンバーガーのいい匂いがすると共に、少女はパッチリと目を覚ました