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ドラゴンバスターへの道

 

 しばらく待つうちに、町の人々が担架を持ってやってきました。


 マリーは母親の姿を見ると駆け出していって、その胸に飛び込みます。


 母親のレミーは娘を抱きしめて無事を確認すると、夫のところへ近寄ってきました。


 その口から言葉が出る前に、彼女の腕の中のマリーがうれしそうに叫びます。



「ママ! パパはねえ、もうドラゴン狩りをしないんだよ? これからはみんなでずっと一緒にいるんだよ? もう引越しもしなくていいんだよ?」



 驚いた妻の顔に、ジェイルは優しく微笑みながらうなずきます。


 しばらく呆然としていたレミーは、やがて大きな大きな、今までにたまったイロイロな思いを吐き出すような、本当に大きなため息をつきました。そんな妻の姿に、ジェイルはうれしそうに何度もうなずきかけます。


 一方、マリーのほうは勢いよく飛び出すと、ディックのもとへ駆け寄りました。



「ねえ、ディック! 聞いたでしょう? パパ、もうドラゴン退治に行かないんだって。だからお引越しもしなくてすむんだ。これからも、ずっと一緒にいられるんだよ?」



 マリーは満面の笑みを浮かべて、今度ばかりは本当に素直に笑いました。すると、



「はじめて……」



 ディックがぽつりと言います。


 マリーは彼の顔を覗き込んで聞き返しました。



「え? なに?」



「初めて僕に向かって、そんな風に笑ってくれたね」



 うれしそうな、本当にうれしそうな笑顔。


 にっこりと屈託なく笑うその顔を見て、急にどきどきしだした心臓に戸惑いながら、マリーは顔を真っ赤にしてようやく言いました。



「そ、そうだっけ?」


「そうだよ」


「そう……それで?」



 ちょっとイジワルを言ってみたくなったのでしょう。マリーはディックの顔を覗き込みながら、ちょっとイタズラっぽい顔で言いました。


 もちろん本気で意地悪をしたいわけじゃありません。女の子というのは、その気がなくても時々気まぐれに、そういうことをするものなのです。


 すると彼は、急に、少しだけ寂しそうな顔になって答えます。



「ありがとう。君の笑顔、ずっと忘れないよ」



 ありがとうと言われても、どういう返事をしてよいのでしょう。マリーは困ったように沈黙します。それから、今の言葉に込められている別離をにおわせる意味を悟り、あわてて聞き返しました。



「どういうこと?」


「僕はもう、君と一緒に暮らせない。行くところがあるんだ」


「一緒にいられない?」



 ディックはゆっくりとうなずくと、寂しそうに笑いました。



「どうして? どうして?」



 軽いパニックになりながら、マリーは必死の思いで繰り返します。


 ディックは困ったようにマリーを見、それからジェイルの顔を見ます。


 ジェイルはやさしい微笑を浮かべながら、ディックに向かってうなずきました。


 ディックもうなずき返すと、何かが吹っ切れたのでしょう。


 晴れ晴れとした面持ちでマリーを見返しました。



「今度は、僕がゆくんだ。ドラゴンを退治するんだよ」


ドラゴンバスターになるためには、専門の学校に行かなくてはなりません。全寮制のその学校で、毎日厳しい訓練をしながら、戦士として自分を鍛え上げなくてはならないのです。


 そのかわりドラゴンバスターの養成学校は、町の公費で運営されていますから、これまでようにマリーの家で厄介にならなくても、一人で生きてゆけるのです。


 戦いを決意し、独立の気概を持ち始めた若者には、とても魅力的な条件だといえるでしょう。


 もちろんその条件が、その若者に恋する女の子にも同じように魅力的だとは、間違っても言えないのですが。



「どうして!」



 強く叫んだマリーにも、ディックは瞳をそらしません。



 もう、彼は泣き虫ディックではなく、一人の男なのです。



「今度は、僕が君を守るんだ。君のパパが君を守ったように。今までずっと、君や、ママや、僕たちみんなを守ってきたように」


「あんなに怖がっていたじゃない。だのに、なぜ?!」



 ディックは照れくさそうに微笑みます。それは確かに、男らしい、まことに涼やかな笑顔でした。



「うん。今でも怖いよ? だけど、ドラゴンがいるうちは、みんな安心して暮らせないだろう? 僕は、君や君のママとパパ。誰も失いたくないんだよ。みんな、僕の大切な家族だから」


「だからって……そんな……」



 マリーはもう、なんと言っていいのかわからずに、ただ、いやいやと首を振ります。すると、彼女の父親が近づいてきて言いました。



「マリー。行かせてあげなさい。彼はドラゴンと戦い、それを打ち倒したんだ。もう、立派な一人前の男なんだよ? そんな男が、大切な人を守るために戦いにゆくと言っているんだ。誰にも止める事はできない。止めてはいけないんだ」


「でも……パパ……でも……」



 マリーの大きな瞳からは、いつの間にかぽろぽろと涙が溢れ出しています。


 その涙はディックの心を少しだけ痛めましたけれど、でも、彼の固い決意を変えるまでには至りません。


 ディックは胸を張り、内に強い意志を秘めた「男の微笑」を浮かべると、ジェイルを見つめます。ジェイルも、もはや娘の友達を見る目ではなく、共に戦った戦友に対する真摯な強い瞳で、彼を見つめ返します。



「では、僕はゆきます。今まで、ありがとうございました」


「うむ。学校への手続きは、すぐに済ませよう。これからは、君自身の力で、一人で生きてゆくんだ。それはとても大変なことだけれど、今の君なら大丈夫だろう」



 ディックはジェイルの、いや、彼のふたりめの父親の言葉に、力強くうなずきました。


 彼の気持ちをわかってくれ、送り出してくれる父への感謝の念で、胸が熱くなります。



「でも、何か困ったときには、いつでも私を訪ねてきなさい。君は、私の息子なんだ」



 ディックはまたも力強くうなずくと、思わず抱きつきそうになりました。しかし思いとどまり、少し考えてから、右手を差し出します。その手をジェイルの大きな手が、がっしりと握りました。


 男たちは、そうして万感の思いを秘めたまま、固い握手を交わしました。



 それからディックは、マリーに視線を移し、言います。



「マリー…………僕は君が好きだ。必ず帰ってくるから、それまで待っていて欲しい」



 マリーはぷいとむくれたまま、返事をしません。


 ディックはそんなマリーに苦笑すると、ジェイルとレミーに向かって深々と頭を下げました。


 それきり、くるりと振り返ると、力強い足取りで歩き出します。


 マリーは横を向いたまま、まだぐずっていましたが、ディックが振り向かずに歩き出したのを見ると、ついにたまらず駆け出します。


 ほんの数時間で急激に知らない人間になってしまったような、ディックの変化に対する違和感や戸惑いを振り切って、彼女は心の底から素直に叫びました。



「ディック! ディック! 必ずよ? 必ず帰ってきてね?」



 ディックは振り返ってにっこりと笑うと、右手を上げて叫びました。



「うん! 必ず帰る。待っててくれ!」



 そして何事もなかったようにきびすを返すと、今度はもう、二度と振り向かずに歩いてゆきます。


 マリーはその後ろ姿を、見えなくなるまで見つめ続けました。


 彼女の後ろでは、ジェイルに寄り添ったレミーが、大きなため息をつきます。その様子にジェイルが小首を傾げて彼女を見ると、少し怒ったような表情で、答えが返ってきました。



「まったく、ディックも男の子ってことね」



 ジェイルは我が事のように胸を張り、力強く首を振ります。



「いや、もう、一人前の男さ」



 夫の答えに、レミーは同じように、いや、むしろあきれたように首を横に振りました。



「いいえ、男の子よ。あなただって、ずっとそうだったでしょう? 私とマリーを放りっぱなしで。私たちを守るなんて殊勝なことを言ってたけれど、本当はドラゴン相手の命のやり取りが好きだったんでしょう? いつ帰るかも判らずに待ち続ける女の気持ちを、少しは考えたことがあるの?」


 言われてジェイルは何と答えていいやら言葉につまり、肩をすくめて苦笑します。


 その顔をしばらく睨んでいたレミーは、ふいに愁眉を開くと、輝くような笑顔を見せました。


 それは確かに、ジェイルが愛した一番大切な笑顔です。



「でも……おかえりなさい。これからは、今までの分も、いっぱい愛してくださいね?」



 ジェイルは何度もうなずきながら、愛する妻を強く抱きしめます。


 それから、娘の背中越しに旅立つディックの姿を見、小さくつぶやきました。



「がんばれよ」


 言ってみると、その後ろ姿が急に大きく見えてきて、なんだか悔しいような、自分も共に戦いたいような気持ちになります。


 引退宣言なんてしたのは、早まったかなぁ? ディックと共に、ドラゴンと戦うって言うのも、実際、悪くないよなぁ。なんて、舌の根も乾かぬうちに思ってみたり。


 しかし、女のカンで敏感に察知し、不安げに顔を曇らせた妻に気づくと。


 あわてて、底抜けに陽気な声をあげました。



「ディックが大きくなって帰ってきたら、マリーと一緒になるんだぜ? 楽しみじゃないか」



 その言葉に、レミーは顔をしかめて見せると、おどけて言い返します。



「マリーの旦那さんには、できればドラゴンバスターじゃない人を、って思ってたんだけどな。ドラゴンバスターの妻なんて、女としてはあんまり幸せな生活じゃないから」



 目を丸くした夫に、レミーは舌を出します。


 それから二人は、同時に大声で笑い出しました。



 

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