弱虫ディック
「ほら、ディック! 早くしなさいよ」
「まってよ、マリー。やっぱりこんなことやめようよ」
ディックが情けない声でそう言うと、マリーは眉を吊り上げて怒りました。
「何言ってるのよ? あんた男でしょう? いずれ、ドラゴン退治をしなくちゃいけないんだよ?」
「そんなことないよ! だって鍛冶屋のカシムさんやドクターミネは、ドラゴン退治になんか行かないじゃないか。僕も行かなくたってすむに違いないよ」
「カシムさんはドラゴンと戦う武器を作るのだし、ドクターミネは狩りで怪我した人を助けなくちゃならないもの、当たり前じゃないの」
「じゃあ、僕も鍛冶屋かお医者になる」
「そんなの無理に決まってるでしょ。鍛冶屋になるには、あんたはひ弱すぎる。あの大きな玄翁を振るえなくちゃならないんだよ? それにお医者は、シティの大学に行って勉強しなくちゃならないんだから」
「僕、勉強がんばってるよ?」
「でもだめ。シティの大学にいくには、頭がいいだけじゃだめなの。凄くいっぱいお金がいるんだから。お医者になるには、お家が建つくらいのお金が必要なんだよ?」
そう言われてしまえば、ディックは黙るしかありません。
彼はマリーの父親に、生活の面倒を見てもらってる身なのですから。
まさか、厄介になっている上に、大学にいく金を出してくれなんて、言えるわけがありません。それにマリーの父親は優秀なドラゴンバスターですが、それでも、お金が余っているとは言えません。
すくなくとも、家一件分の学費をひょいと出せるような、裕福な家庭とは言いがたいのです。
「だからあんたも、ドラゴン退治に行くんだよ? それとも、この町を出る?」
彼らの町は辺境の森と隣接している、ドラゴンバスターの町です。
などといえば聞こえはいいですが、要は森に棲み、街に出てきては畑や人々を襲うタチの悪いドラゴンを、人々の住む地域に入れないようにすると言う危険な仕事で生計を立てているのです。
そしてドラゴンバスター以外の人は(それほど多くはいませんが)彼らの必要なものを売ったり、必要とする癒しを与えたり、つまりそういうサポートをして生計を立てています。
荒れ果てて農作物は取れず、かといって観光の目玉になるようなものもない、危険なだけの森のそば。
こんな町に住んでいるのですから、そこに住む人々には、さぞかし複雑な事情があると思われるでしょうが、そう言う訳ではありません。
森から遠く離れた、ドームに守られて清潔で安全なシティに住む、一握りの貴族以外は、どの町も同じように、ドラゴンだの、ケルベロスだのに脅かされる、危険な場所なのです。
そう言うとなんだか悲惨に思われますでしょう。
しかし、ヒトと言うものはどんな環境でも、強く、たくましく生きてゆける、不思議な生物なのです。
この町の人々だって、ドラゴン退治をしながら、大変な思いをしながら、それでも皆さんと同じように明るく、たくましく生きているのです。
話を戻しましょう。
そんなドラゴンの棲む危険な森の一角で、マリーとディックは遊んでいました。
なんていうと、マリーに怒られてしまうかもしれません。
彼女は森の中ほどにある秘密の場所へ、きのこ狩りに来たのです。そのきのこは大変貴重で、同じ重さの金と同等かそれ以上の価値があるといわれています。
ドラゴン退治に出れば三ヶ月は帰ってこないパパのために、きのこを取って売り、おいしいものを沢山食べてもらおうと言う、けなげな思いからの冒険なのです。
もちろん、そんな危険なきのこ狩りに付き合わされるディックは、いい迷惑なのですけれど。
「マリー、そういそいで行かないでよ。ドラゴンが出るかもしれないじゃないか」
「ばかね、あんた。ドラゴンは普段、こんな森の端っこにはいないのよ? やつらは森の奥で暮らしているんだから。そんな風に臆病だから、みんなに泣き虫ディックなんて言われるのよ」
「でも……群れをはぐれたドラゴンが出ることだって……」
「知ってるってば。そりゃあたまに「はぐれ」が出てくることもあるけれど、一匹くらいなら、私がやっつけてあげるから大丈夫」
そう言ってマリーは、ドラゴンソードを振りかざします。
肉厚で強靭なその小刀はセコンドナイフと言われる、ドラゴン狩りに使う刀です。
セコンドという名前から判るように、普通、狩りに使われるロングソードよりもずっと短く、捕らえたドラゴンをさばいたり、密着してトドメを刺すときに使う刀なのです。
屈強な男ならともかく、マリーのようにか細い女の子が持っていても、あまり役には立ちません。
もっともディックはそんなことを指摘してマリーを怒らせるようなおろかな真似はせず、黙ってため息をつきました。
本当だろうが事実だろうが、女の子の望まないことを言って怒らせてはいけないという、男における世界共通の基本を、この歳にして早くも身に着けているわけです。
なかなか賢い男の子でしょう?
そんな彼の様子を見て、マリーはなんだか心配になりました。
なぜならもうすぐ、彼の面倒を見てあけられなくなるからです。
彼女はしばらく逡巡した末、この大事な話を、できるだけ明るく切り出すコトにしました。
「あのね、今度パパが帰ってきたら、私たち、引っ越すかもしれないんだ。腕のいいドラゴンバスターが足りなくて、隣の町に行かなくちゃならないんだって。だからね、もう、あんたのこと、いじめっ子たちから守ってあげられないんだよ?」
まさに寝耳に水。ディックは驚いて叫びます。
「そんな……そんなのイヤだよ」
泣き出しそうなディックの顔を見て、マリーはため息をつきます。
「イヤだって言っても、仕方ないでしょう? パパは優秀なドラゴンハンターなんだから」
言ってしまってから、マリーはしまったといった顔になります。
ディックの父親は、ドラゴン狩りのときに誤って命を落としてしまっていたからです。
夫の死に耐え切れず、彼の母親も病で亡くなりました。それ以来ディックは、彼の父の親友であったマリーの両親に助けられながら、家族との思い出がある家に独り暮らしているのです。
マリーに彼の父を悪く言う気など毛頭ありませんでしたが、今のせりふは、彼の父が優秀ではなかったと揶揄しているように聞こえたのではないかと心配したのです。取り繕うように、マリーはあわてて言い募りました。
「とにかく、これからはあんた一人で強くならなくちゃだめなんだよ? わかった? もう、あたしは助けてあげられないんだからね?」
「引越しなんてしないで?」
「そういう訳には行かないの。わかった?」
情けない顔で、しぶしぶとうなずくディック。
マリーは、もうひとつため息をつくしかありません。
まあ、そんな風にマリーは意気揚々と、ディックはおっかなびっくりしながら、それでも何とか二人はきのこの群生する場所を見つけました。
歓声を上げてきのこ狩りを始めたマリーに引きずられ、ディックも、もさもさときのこを採ります。
もちろん、泣き虫ディックらしく、あたりにびくびくと気を配りながら。
そんな様子を見て、マリーはまた怒ります。
「本っ当に臆病ね、あんたは。そんなにびくびくしている暇があったら、とっとときのこをたくさん採って、さっさと帰るわよ。ほら、早くしなさい!」
少なくとも「さっさと帰る」と言う部分には大いに賛成だったので、彼は急いでかごの中にきのこを放り込みます。その様子を満足そうに眺めたマリーは、自分もきのこを採るために、くるりと振り向きました。
そこで、彼女は凍り付いてしまいます。