転章
席を埋める市民が神妙に沈黙する中、壇上の男は口を開く。
硬質ながら遠くまで届く、明瞭な声色であった。
「……我々は、多くの痛手を被った」
黄都第三卿、速き墨ジェルキは、城下劇庭園にて、この演説を行っている。
この六合上覧を戦う勇者候補が。あるいは歴史に名を残してきた英雄の数々が。存在の限りを尽くし、民に証を立ててきた、それは神聖なる場でもあった。
「諸君らも理解している通りに、意思持つ鳥竜の飛行経路は到底予測し得るものではない。故に避難の手立てが遅れ、その犠牲となった民が少なからず存在したことに、改めて遺憾の意を示す。これも既に決定した通り――遺族には十全の補償を行い、住居を焼け出された市民には十分な代替住居を宛てがっている」
それは無論のこと、六合上覧が決定したその時より備えられてきたものである。
彼らは最初から、この戦いを一切の犠牲なく終えられるものと楽観してはいない。
この地に集った、十六名の候補者。その全員が勇者であり、魔王でもある。
黄都を救う力は、同時に黄都を滅ぼすこともできた。
――それでも。
「……それでも敢えて、このように断言させていただきたい。これまで襲来した何よりも恐るべき魔王自称者――星馳せアルスに対し、我々は勝利を収めたのだと。卑劣なる奇襲に九名を失った他は、兵の犠牲は僅か六名に留まっている。これは各官僚の迅速な対応により、可能な限りの人命を掬い上げることができたためであると認識している。だが。断じて。それのみではない」
黄都の市民の心には、それが刻み込まれたはずだ。
もはや過ぎ去った“本物の魔王”の恐怖のみで終わりではない。
いずれ再び、新たなる恐怖が彼らを脅かすことがあり得るということ。
「今の黄都には勇者がいる」
それは漠然とした予感だった。勇者を求め続ける深層の動機。
“本物の魔王”によって齎された、今も残り続ける狂気の形。
もはや誰もが明瞭に、その事実を認識している。
次に訪れる何かを。未来を脅かす何かを。
その恐怖を打ち倒せるものは、きっと勇者だけなのだと。
「認識していただきたい。勇者候補の戦いの結果として、第六将ハルゲントは星馳せアルスを討った。六合上覧のこの時でなければ、星馳せアルスの侵攻に対し、我々は為す術もなかったのだと」
その過程の中で、勇者がこうして牙を剥くことすらあり得る。第二十卿ヒドウはアルス擁立の件の責を引き受け、黄都二十九官の除名処分を受けた。
勇者を騙る魔王自称者は正しく討伐され、真に勇者たらんとする者が力を見せた。
そのようにしてまで、見つけ出す価値があった。
「第三卿ジェルキの名において、再びここに約束しよう! 六合上覧の、この第一回戦を勝ち抜いた者、総勢八名! この中に、必ずや勇者が存在すると! それは単なる強さの証ではない! この時代の恐怖を晴らし、新たなる世界を切り開くために、なくてはならない光である!」
彼らは勇者を必要としている。
市民だけではない。二十九官の各々も、ジェルキ自身さえも、それを欲している。
晴れることのないこの恐怖を払拭したい。
真であろうと偽であろうと、一つの強さの究極があるのだと信じたい。
誰かに願いを託さなければ、きっと耐えてはいられない。
心を導く道筋を、立ち上がるための勇気を。
――全ては、一つの象徴を作り出すために。
それは確かに存在するのだ。
「故に私は、この場に宣言する」
異世界の遍く武芸を修めた、無限の極地へと至る格闘家が存在する。
絶望と終焉をその身に体現する、最強にして孤高なる凍術士が存在する。
その刃の運命を完全に支配せしめる、逸脱の地にあって異常の剣豪が存在する。
絶対不敗の祝福と呪詛を一心に集める、完全にして万能の騎士が存在する。
死の権能を許された特異点にして、認識不能の領域より至る暗殺者が存在する。
摘出不能の謀略の網を張り巡らせ、確定の結末すらも覆す斥候が存在する。
知覚速度を凌駕する一撃を、あらゆる地点より到達せしめる槍兵が存在する。
世にあり得ざる全てを消失する、虚無を現世界に投影する神官が存在する。
「続行とする」
ただ一人の勝者を決める、真業の戦い。
「――続行! 六合上覧を、我々は続行する!」
そうして至る結末が、どれほど無残なものになるのだとしても……
運命は動き出していて、誰も立ち止まることはできない。
新たな戦いが、そして始まる。




