第八試合 その4
城下劇庭園を臨む、喫茶のテラスの一席。
壁の内より響く喧騒を聞きながら、リナリスは黙考を続けている。
まるで昼下がりに一人休息する、無害な良家の子女であるかのように見える。
(これで最大の障害が消えた)
目に見えぬ軍勢にとっての最大の脅威は、その目で見ずとも、思考の力でその正体に辿り着く力を持つ者。
ジギタ・ゾギの陣営には未だ逆理のヒロトがあり、哨のモリオ率いるオカフの軍勢がある。千一匹目のジギタ・ゾギの死も、きっと大勢力の僅か一匹が潰えただけのことに過ぎぬ。
それでもただ一人の頭脳を失った軍は、“黒曜の瞳”にとって烏合の衆に等しい。
六合上覧の当初に予定していた通りの状況が整う。頭を失った軍勢の疑心暗鬼と敵愾心を煽り、黄都との戦争状態を引き起こす。その先にある世界こそが、黒曜レハートの悲願する戦乱の世。
(荒野の轍のダント。逆理のヒロト。二つめは、この二名――ジギタ・ゾギさまの慮外の死で、彼ら本来の計画が崩れ去った今が、好機)
彼女の狙いは不言のウハクではない。ジギタ・ゾギが徹底してその能力を秘匿し続けていた以上、彼が切り札としてウハクを狙っていたことは明らかだったとしても、ウハクに血鬼の病原が無効であることはとうに掴んでいる。
最初から劇庭園内に、“黒曜の瞳”の戦闘員を潜伏させている。
無垢なるレンデルト。韜晦のレナ。目覚めのフレイ。彼らは第八試合における成果を確認次第、即座に行動を開始する手筈であった。
母体の血に浸したハンカチよりの揮発を介した空気感染は、正体露見の可能性と引き換えの奥の手だ。逆理のヒロトには、その手の内を見せる必要すらない。配下の屍鬼が僅かな掠り傷を通して血を送り込めば、それで支配に事足りる。
「お嬢様」
声があった――美貌の令嬢の足元には、妖異の存在が潜んでいる。
テーブルクロスの下に隠れて這う、四足歩行の人間だ。
円月輪にて敵を仕留める狙撃手の名を、変動のヴィーゼという。射程に現れた新たな存在にいち早く気付き、彼は警告を発した。
「馬車が六台。黄都二十九官の印章が見えます」
「……ありがとう存じます。ハルトルさまにも、すぐさま動けるよう合図を」
狙撃手の目からは随分遅れて、リナリスの金色の瞳にもその判別ができた。
豪奢な銀をあしらった馬車の意匠。医師の存在を示す白と青の旗。医療部門統括、先触れのフリンスダの手勢だ。
だが、それは病原生物にとって、軍勢の到来よりもむしろ脅威だ。
(急病人……? だとしてもこれだけの医師を……違う。第七卿は特定の派閥ではなく、金銭で動く。ジギタ・ゾギさまはマスケット銃の取引を通じて、黄都の外貨を大量に獲得していたはず。ダントさまを介して、試合の以前からフリンスダさまを動かしていたのだとしたら――)
次に馬車から降り立った者を見て、その不安は確信に変わった。
その女は、巨大な戦斧を抱えている。まるで視線を遮るような厚い前髪。第十将、蝋花のクウェル。
「第十将……! そんな……血人までが……」
「お嬢様。ここで仕留めますか。医療班は一人も逃さず殺れます。相手が第十将とて、ハルトルと共にかかる限り、負けはありません」
「……いえ。いいえ……黄都の医師は皆、屍鬼化への予防の血清を摂取している筈……。私たちが直接動いてしまえば、存在と秘密の証拠を多く残すことになるでしょう。……私たちは弱く、人間は強い。今ここで彼女らを仕留めたとしても、いずれ必ず捜査の手が伸びます」
血鬼への抗体を持つ第十将を護衛につけている。
フリンスダの目的が急病人の治療のためなどではないことは明白だった。屍鬼の存在を探ろうとしている。城下劇庭園の兵士として、まだ多く残っている屍鬼を。
この第八試合で、“黒曜の瞳”は大きく動いた。
ジギタ・ゾギを始末するためには、空気感染の切り札を含めた全ての札を用いる他になかった。最強の戦術家は、この試合で“黒曜の瞳”の本体が動くことすら見越していたのか。否……それ以前に。
(……血鬼の関与が……既に、知れている……!)
情報はどこから漏れたか。リナリスの思考は高速で巡る。
第六試合の直後……ケイテとキヤズナの追跡任務に当たった塔のヒャクライが敗死した。“黒曜の瞳”の総力を以てしても、孤立無援の敗残兵たるケイテの行方を追跡できていない。それを匿うだけの組織力がある者の手助けがあったとすれば。
千一匹目のジギタ・ゾギは黄都の全域に手を伸ばし、情報を集め続けていた。あるいはその手の一つが……彼らを隠したのだとすれば。
リナリスの袖口で、ラヂオが音を立てた。
城下劇庭園内部で動く、韜晦のレナよりの通信である。
〈お嬢様。不言のウハクは問題なく勝利いたしましたわ……しかし、一点〉
「何か、問題が……?」
〈千一匹目のジギタ・ゾギは鉄兜を被って現れたのです。そして、頭部を砕かれ敗北。それも、ここから確認いたしました〉
「――レナさま。すぐに。すぐに皆を連れて、劇庭園から退避するように。標的への感染は放棄して構いません。どうか誰にも目撃されないよう、素早く」
〈作戦中止。かしこまりました〉
令嬢は、即座に撤退の判断を下した。
作戦は失敗だ。その可能性が十分にあった。全ての動きが読まれていた恐れがある限り、彼女は情報の秘匿に徹する。
足元から、ヴィーゼが一度問い質した。
「お嬢様。本当に、よろしいのですか」
「ジギタ・ゾギさまが……生きている可能性がございます」
六合上覧に挑む十六名の姿は、複数の二十九官が事前に確認し、それを以て登録を行っている。あからさまに顔を隠す装備があれば、当然に、試合の前後にその面相を検められるだろう。
故に候補者の名を詐称しての出場などは、本来はあり得ないことだ――それは、擁立候補自体が別の候補へと差し代わった第四試合とは話が違う。
だが、この試合ではそれができない。確認すべき頭部が破壊された。
そのように敗北することを前提とした策だったとすれば、この試合に現れた者は最初から捨て駒であった可能性がある。
仮に、勇者候補としてのジギタ・ゾギの敗退と引き換えにして、“黒曜の瞳”を暴き出そうと試みていたのだとすれば。
「今踏み込めば、七割は勝てるのでしょう。きっと、それで勝利が。けれど……三割。ジギタ・ゾギさまの戦術が、私の全力を果たしてなお届かない域であったのだとすれば。フレイさまも、レンデルトさまも、レナさまも……私の失策のために、犠牲となります。既に、ヒャクライさまが倒れました。お父さまから皆様の命を預かる者として、それだけは。決して看過できることではございません」
「……出過ぎたことを申しました。判断を支持します。お嬢様」
リナリスの配下の兵がヒロトの確保に動くと同時に、姿見えぬ戦術家の潜ませた伏兵が彼らを囲み、捕らえる。同時に到着した医療班が彼らの感染状況を検め、そうしてリナリス本体へと辿り着く。
偽の候補者を起点とした罠。
それは、リナリスの常識では十分にあり得る未来のように思えた。
現に彼女は六合上覧に、奈落の巣網のゼルジルガを端末として送り込んでいる。
(……策の成就は見せ掛けだった。医療班が来て、客席が閉鎖される。もし。もしも私が、この仕掛けを劇庭園の内で行っていたのなら。クウェルさまの到着を見て、撤退指示を下すのが遅れていたのなら……一網打尽にされていたのは、私たちの方だったはず……!)
リナリスは何よりも敵の強さを恐れている。
白い肌をさらに蒼白に染めて、罪を暴かれる咎人の如く、可能性に恐怖していた。
無論――それは実在しない脅威の幻影である。
ジギタ・ゾギは、彼らの陣営を脅かす“見えない軍”の正体を血鬼と特定していた。事前に医療班を手配し、化学兵器を用いた第八試合の“事故”を通じて、確実な感染者と目される囁かれしミーカを調査しようとした。
リナリスの下した撤退判断も、ある意味では正しかったと言えるのだろう。
だが彼は出場し、そして死亡している。
彼自身が小鬼の未来のために戦う以上、たとえ“黒曜の瞳”を打ち倒すためであろうとも、ジギタ・ゾギが敗退を選択する筈もなかった。
稀代の戦術家の根源の動機を見抜けなかったことが、斥候に撤退を選ばせた。
彼が用意した鉄兜の第四の機能が……仮に試合の結果として死したその時、実在しない疑念の影を敵に植え付けるためのものであったかどうかは、果たして。
「私……私には、賭けることなどできない……お父さまの組織なのですもの……」
――全ての秘密を暴く諜報群体も、他者の心の奥底までは読めぬ。それは政治家の領分であるからだ。
皮肉にも彼女自身が、最大の敵の脅威を現実よりも大きなものとして捉えていた。
最大の戦術家は消え去り、もはや謀略の能においてリナリスに並び得る者は存在しない。それでも彼が打った一手の布石は、死して後もなお、ヒロトの命を救った。
「……ああ。お父さま。申し訳ございません……。私……私では、及びません……」
手で顔を覆い、忸怩たる思いで呟く。
必勝を期した策であったはずだった。
この敵を倒すために多くの危険を冒し、塔のヒャクライも犠牲となった。
もはや、多くの屍鬼を劇庭園の内に残したまま、“黒曜の瞳”は撤退を選ばざるを得ない。
「……リナリスをお許し下さいませ。お父さまの願いは、私……私が、必ず……」
それを成し遂げられないことだけが、死よりもなお恐ろしい。
父の代わりにはなれないという事実。少女の身には途方もない目的を果たさなければならないという事実。
だから、まだ思考を続けなければならない。策を弄さなければ、彼女が勝つことはできない。万が一にも敗北は許されない。勝利しなければ、父の犠牲が報われない。
齢十八の娘である。その心が、リナリスの根底にあった。
黒曜レハートの代わりとして恥じることのない娘でありたい。
父の名を、自らの失敗で汚したくない。
「……殿には私が残ります。ハルトルと共に、撤退を。お嬢様」
「ええ。ヴィーゼさまもお気をつけて――」
自身も撤退を決断し、振り返ったその時に、それは起こった。
空の裂ける轟音が響き、遠くの空が赤く光った。
「――爆発?」
それは彼女の想定を外れた、もう一つの事態であった。
花火ではない。東の市街で火の手が上がった。事故か、暴動か――
鳴り響く警報の鐘の音は、そのどちらでもないことを示していた。
――――――――――――――――――――――――――――――
ダントは酸鼻極まる控室の扉前に立ち、現場の保全に努めた。
兵が人を集める間には当然、証言者となるべき老兵を自らの背に守っている。
この劇庭園の中にどれだけの敵が潜んでいるか、ダント一人では読み切れない。
人間と小鬼の兵が一名ずつ。そしてハイゼスタ。試合の最中に、三名もの犠牲が出た。
その中に黄都二十九官が含まれる以上、この事件は十分に試合中断とウハク失格を申し立てる理由になる。
「……ダント様!」
数名の兵が、血相を変えて通路を駆けてくる。
だが、彼らの表情には焦りとは別の危機感があるようにも見えた。
ダントは警戒した。誰が敵であるのか。
「すぐにこちらを離れてください! 現場は我々が保全します!」
「何を言っている? これは重大な不正行為だ。俺も立ち会うに決まっているだろう。即座に試合を中止し、六合上覧を汚した不埒者を突き止めるべきだ……! ジェルキかグラスには既に伝えたのか? ミーカはこのことを知っているのか?」
「そ、それが……。その、そうではないのです」
帯剣する者が三名。弓の兵が一名。医師が二名。狭い通路で、弓の類は使えまい。
仮に最悪の事態が起こったその時のため、ダントは既に間合いを測り、切り捨てる優先順位を組み立てている。
「申し訳ありません! 恐らく、ダント様がこちらに到着した頃合と同時でしょう。第八試合は終了しております……! 千一匹目のジギタ・ゾギは死亡! それからほぼ間を置かず警報が鳴ったため――」
「待て。警報だと? 何が起こっている!」
「ジェルキ様もグラス様も、既に劇庭園を発ちました! 加えて……ダント様には出撃命令が出ております!」
「……まさか」
ダントはすぐに全員の口を止めさせ、静寂の中で耳を澄ませた。
そして地下に遮られていた鐘の音を、微かに捉えた。二回。三回。二回。三回。
それが何を意味する合図なのか、二十九官の全員が知悉している。
「おのれ! ただでさえややこしい時に……!」
「我々はたった今、王宮から応援に寄越されたところです。屍鬼潜伏の疑いがあるということで、フリンスダ様の医師も同行しております。これより劇庭園内の兵の全員を尋問にかけ、犯人を特定します。この一件についてはダント様にも、後ほど出頭していただくよう……!」
「身分証は。これか。フン。ならば俺の瞳孔を調べてもらう。診断としては簡易だが、それで十分だろう」
医師の一人に瞳孔を見せ、ダントは自らが屍鬼ではないことを証明した。
……血鬼。既にその大半が根絶されたはずの疫病。真っ先に落とすべき、ジギタ・ゾギの敵。それは当然にダントも知らされ、警戒していたことだ。
――だが、先程の新兵やハイゼスタの様子は違う。
敵は、単にフェロモンで行動を支配するよりも深い段階の操作の技を持っている。
恐らくはそれこそが“見えない軍”。無数の組織に気づかれることなく斥候を増やせる存在が、既に黄都に潜んでいるのだ。
「すぐに出撃する」
「御武運を。他に確認はございますか」
「……そうだな。一つ聞きたい」
故に、はっきりとそれを聞いたのだとしても、到底信じられるものではなかった。
そこまでの展開を読み切っていた、人間の誰よりも賢しく、狡猾なる戦術家が。
「ジギタ・ゾギは死んだのか?」
「はい。一撃で頭部を割られ、即死です」
「……」
小さく頷き、ダントは駆け出していく。
一人、苦々しく呟いている。
「ふざけるな……」
それは彼自身も想像だにしていなかった喪失であった。
自らの自覚していた以上に、あの小さな小鬼の力を認めていたことを知った。
「ジギタ・ゾギ!」
ジギタ・ゾギが死んだ。それを信じたくない。
彼なくして、オカフの軍勢を、小鬼の集団を、誰がまとめるというのか。
「この俺に……勝手に、面倒を押し付けるな!」
――――――――――――――――――――――――――――――
時は僅かに遡る。第八試合の決着した直後であった。
劇庭園の中央にはジギタ・ゾギが血の斑となって広がっていて、観客はその瞬時にして凄惨な結末を前に息を呑み、あるいは囁き声を交わした。
「真業は決着した! 勝者を不言のウハクとする!」
裁定者が叫んでいる。
彼女のよく通る声は、座り込むヒロトと、その傍らのオゾネズマに虚しく届いた。
「……ヒロト……」
「……」
その結末の光景をどのように受け止めるべきか、オゾネズマは言葉を持たない。
一時とはいえ同胞であった男の死を痛むべきなのか。
それとも、“本物の勇者”が勝ち残ったことに安堵すべきなのか。
かつての、“最後の一行”の旅の終わり。
“本物の魔王”の腕の接合手術に苦しみ、もがき、オゾネズマが正気を取り戻した――少なくともそう信じ込んだ時には、セテラの姿は消え失せていた。
真に栄誉を受け取るべき一人の勇者を探すべきと考えたが、セテラの正体への恐れがそれを拒んだ。
……死んだものと信じていた。
“本物の魔王”の死体を食らって平然と生きていられるような存在がこの世にあるとするなら、それは正真の怪物だ。
最後に残った旅の仲間が、そうであると思いたくはなかった。
故に彼の功績を黙して語らず、同時に、偽りの勇者の存在を許したくもなかった。
それは他の誰も成し得なかった……成してはならなかった。
あまりにも、おぞましい偉業なのだから。
だが、セテラは帰ってきた。
語れぬ口で勇者の実在を語るために、この六合上覧に。
「ジギタ・ゾギニハ――」
――必勝の策があったのではなかったか、と問おうとした。
その時、遠くからの早鐘が響いた。
それは区画のそれぞれの尖塔にすぐさま伝播し、けたたましく鳴り響いた。
「……! コレハ……」
遠くに立ち上る高い黒煙が、客席からでも視認できた。
オゾネズマは、その意味するところを悟った。
「皆の者、全員落ち着いて動け!」
客席に駆け上がってきた兵が、あらん限りの声で指示を叫んだ。
「危急の災害である! 順に並び、誘導に従って避難せよ! 幼子や老人、病人の歩みに合わせ、統制を乱すな! 周囲に混乱をもたらす者から逃げ遅れると知れ!」
「東出口の近い者はこちらへ! 今、外に馬車を手配している!」
オゾネズマは知っている。この警報は、単なる災害ではない。
いずれ詳らかにする予定だとしても、黄都市民を最優先で逃す必要がある今、敢えてそれを知らせることもないという判断であろう。
「……ヒロト……! 君モスグサマ逃ゲロ。彼ラノ言ウ通リ、コノ場ハ既ニ危険ダ」
「……ああ。そうだね」
ヒロトはごく落ち着いて、膝の上に手を組んで、試合場を眺めている。
異能の政治家は、ジギタ・ゾギの死に取り乱すこともなかった。
「後から行く。君は先に行ってくれていい」
「……イイヤ、私ハ……」
セテラは既に姿を消していた。この混乱の中で、成すべき仕事へと向かったのか。
彼を恐れている。彼を許している。彼を忘れずにいる。彼を後悔している。
一言でも何かを伝えたかったが、何を伝えるべきかは分からなかった。
ジギタ・ゾギの死体は食われることなく、そこに野晒しになっている。
勇者のおぞましい真実を信じる者が一人でもいたのなら、今日の結果は起こらなかっただろうか。オゾネズマが糧魔を完成させなければ、ヒロトはあの海から戻らなかっただろうか。あるいは、ジギタ・ゾギが黄都からオゾネズマを離していなかったのなら。ウハクの情報を明かしていたなら。
柳の剣のソウジロウに、オゾネズマが敗北していなかったのなら。
色彩のイジック。漂う羅針のオルクト。外なるセテラ。“本物の魔王”。逆理のヒロト。千一匹目のジギタ・ゾギ。柳の剣のソウジロウ。移り気なオゾネズマ。
彼がこれまでに出会った、誰が仕組んだことでもない。
誰もの手の及ばないところで、彼らの運命は絡み合っている。
この六合上覧の先に待つものが、運命への答えなのか。
「……ヒロト。私ハ、君ニ力ヲ貸スツモリデイル。必要ナ時ニハ、呼ベ」
「ありがたいよ。是非、そうさせてもらう」
巨獣は一飛びに劇庭園の壁を越え、消えた。
人と規格の異なる獣族が、人と並んで避難することも不可能であっただろう。
空白と化した客席に、ヒロトはまだ座り続けていた。
完璧な政治家は私情を持たない。何かを欲することなく、事業を成すことができるはずだ。小鬼の再興。それさえ成せれば良い。問題はない。
彼は小さく笑って、拳を額に当てた。
「あああ……ちくしょう……」
――ただ一人、きっと二度と生まれることのない頭脳だった。
ゼゲグ・ゾギが、エフェリナが、ラヒークが継いだ夢だった。
遠くで、警報の音が鳴り響き続けていた。
彼は無力で、友が失われるその時にすら、何も為す術がない。
誰も、その呻きを聞くものはいない。
「ちくしょォォォォ……ッ!」
第八試合。勝者は、外なるセテラ。




