第五試合 その3
「――魔法ノツー。君ノ肉体ハ、竜鱗以上ニ不壊ノ構造体デアリ、ソノ上デ構造維持機能ヲ併セ持ツ。コノ世界ノ理論上、君ノ肉体ヲ破壊可能ナ攻撃手段ハ存在シナイ」
「そっか。攻撃が効かないんだ。イジックもそんなこと言ってたかな……」
「タダシ引キ換エニ、君ハ擬魔本来ノ特性デアル変異ガデキナイ。ソノ変異能力ノ全テヲ以テ肉体構造ヲ保ツヨウ、生マレツキ設計サレテイルカラダ」
「へえ、なんだか凄いんだなあ。オゾネズマ、この子と当たらなくてよかったね」
「うん! ぼくも、オゾネズマと当たらなくてよかった! イジックとの話が本当なら、ぼくのお兄さんだから」
「……」
ツーの緊張感のない笑いを見て、オゾネズマはゆっくりと耳を振った。声に出すことはなかったが、呆れていたのかもしれない。
「慢心スルナ。何事ニモ例外ガ存在スル。君ノ第一回戦ノ相手ガソレダ」
「それって、通り禍のクゼのこと?」
「……ユカ。君ハ席ヲ外シテモラッテモイイカ」
「いいよ? 喧嘩だけはやめてよね。ここ、俺の管理施設だから」
「迷惑ハカケナイ」
第十四将は特にそれ以上を追求することもなく、ツーを置いて席を外した。
当然、聞き耳を立てている気配がないことは知覚できる。嘘をつかない男だ。
そうでなければならない。ここからオゾネズマが話す物事は、黄都に入っていなかった彼が本来知るはずのない情報である。
「クゼノ異能ハ、即死ダ。生命デアル限リ、ソノ対象ニ例外ハナイ。彼自身ガ動カズトモ、遠隔ノ、不可視ノ力デ創傷ガ刻マレ……ソシテ死ヌ。ドノヨウニ微細ナ傷口デアロウトモ、致命ダ」
「……ぼくも死ぬ?」
「恐ラクハ、ソウダロウ。タッタ今説明シタ通リ、君モ一個ノ生命ダ」
オゾネズマはヒロト陣営と結託をしているが、それは対等な授受関係であり、参謀であるジギタ・ゾギ程に密接に作戦中枢に関与しているわけではない。
彼自身の目的と勝利のために、後方支援や参加者の情報を『買って』いた立場だ。
故に、自身の属さぬ側の組――第五試合以降の候補者の能力や素性を知らない。
ただしクゼの情報のみがその例外である。
通り禍のクゼは、六合上覧が開始した後にヒロトの陣営に加わった協力者だ。彼の詳細な情報をジギタ・ゾギから流されている。
その時には、何故そのようなことをするのかを理解できていなかったが。
(――即チ、コノヨウニ使エトイウコトダロウ)
オゾネズマは言葉を続けた。
「ツー。クゼガ、何故コノ戦イニ挑ムカヲ知ッテイルカ」
「……知らない。“教団”? の人だって聞いたけど」
「ソウダナ――彼ラ“教団”ガ、ドレダケ追イ詰メラレタ状況ニアルノカ。君ハ知ル由モナカッタダロウ。戦災デ親ヲ失ッタ孤児。貧困ニヨル捨テ子。“教団”ハソウシタ者ニ糧ト教育ヲ与エ、救イノ手ヲ伸ベル者タチダッタ」
「じゃあ、いい人たちだ」
「……ソノ様子デハ、彼ラガ“本物ノ魔王”ノ悲劇ノ責ヲ負ワセラレテイルコトモ知ラナイカ」
「えっ……どうして……」
「彼ラガ信奉スル詞神ハ、コノ世界ヲ作リ出シタ神ダカラダ。ソノ神ハ、“本物ノ魔王”ノ存在ヲ許容シタ。民ハ、憎悪ノ矛先ヲ必要トシテイル」
「そっ……そんなの、おかしいよ! 悪いのは“本物の魔王”じゃないか! “教団”も神様も、何も関係ない! 救えなかったのは誰だって、ぼくだって同じだ!」
ツーは身を乗り出して、感情のままにオゾネズマの毛並みを掴んだ。
傷の癒え切っていない体にはあまり好ましくはなかったものの、オゾネズマは甘んじて受け入れた。
「ツー。六合上覧ガ……勇者ヲ決定スル場デアルト同時ニ、黄都ノ政情ト名誉ヲ賭ケル戦デアルコトハ分カッテイルダロウ。“教団”ノ地位ヲ復権サセルタメニハ、政治上ノ価値ヲ証明セネバナラナイ。戦闘力シカ持タヌ通リ禍ノクゼガ、“教団”ヲ救ウタメニデキル、唯一ノ道ダ」
「よく分からないけど……でも、クゼの攻撃は……死ぬんだよね」
「ソウダ。例外ハナイ」
「誰かを殺して皆を救うの?」
その一瞬だけ返答に詰まった。それは予想していなかった返しだった。
クゼはその両手に余るほどのものを背負ってしまっている。血塗られた道だ。
ツーの緑色の瞳の輝きが、オゾネズマを見ている。混獣は答えた。
「ソウスル他ニナイ者モイル」
「……」
「誰モガ、君ノヨウニ手段ヲ選ベルト思ウナ。意ノママニ生キラレヌ者ガイル。望マヌ悪ニ手ヲ染メル者ガイル。……君ハ、全テヲ悪ト断ジテ裁クツモリカ? ソレガ君ノ正義デアレバ、ソレデモ良イダロウ」
「ぼくは……そんなつもりじゃ……ど、どうすればいいのかな……」
「……言イスギタナ。戦イヲ挑ムカドウカハ、君ノ自由ニ任セル」
「……うん」
見て取れるほどに意気消沈したツーの様子を見て、オゾネズマも起こしていた体を再び休める。
予定よりも大幅に遅れてしまったが、これで彼の真の目的は果たした。
(――無敵ノ肉体ヲ持ツ者ガ相手ナラバ、奪エバヨイ。……肉体デハナク、戦意ヲ)
ツーとは初対面だったが、彼女の人格であれば十分に伝え聞いている。
オゾネズマの独断の作戦ではあったが、成功の可能性が十分に高い策でもあった。
(両者ヲ生カシタママニ、クゼヲ不戦勝トスル。借リノイクラカハ、コレデ返サセテモラウゾ……ヒロト)
だがそのタイミングは、僅かに遅かったのかもしれない。
ソウジロウ戦で負った深手は予想以上のものであった。ツーと話ができるようになるまでの間に……もう一つの策が、既に動き出してしまっていたのだから。
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明るい黄都の夜を往く、黒衣の影がある。
山の手の高級住宅街の街路を沿い、そして一際巨大な邸宅の前で止まった。
それは黄都第七卿、先触れのフリンスダの居城である。
門を守る二人の兵に声をかけることもなく、彼はその脇を通り過ぎて門を潜った。
「おい、待て……」
声をかけようとした一人は、門番の片割れが既に倒れていることに気づいた。
首筋に熱を感じた。天使の“死の牙”で切り裂かれ、声も発さずに彼は死んだ。
「悪いね」
その言葉で許されるとも信じていない。
ただ今夜の犠牲が、この二名だけで済むことを祈った。あるいは……それは三名になるだろうが。
ガス燈で明るく照らし出された庭先を、彼は悠々と歩む。
僅かな皮膚感覚が、暗闇の中で空気の震える力を感じた。
「……っ!」
咄嗟に掲げた篭手が、毒針と思しき飛来物を受け止めていた。
羽音のような何かが、彼の周りを取り囲んでいる。
緑に満ちた庭園の中、小さな銀色の甲殻がガス燈の光を照り返していた。
その群れに意識を巡らせた刹那、頭上から襤褸を纏った何者かが急襲する。
彼は対応できない。だから白い羽根が舞った。
天使が刹那にすれ違って、それはただ墜落する。
「……誰だ」
その死骸は、乾燥した砂人を金属骨格で補強した――屍魔だ。
「そこに誰がいる?」
暗闇に紛れ、雨の如く毒針が射出された。クゼは屍魔の襤褸を剥ぎ取り、翻し、それを防いだ。その間隙を通して当てる軌道を狙った蟲もいたはずだが、全てナスティークが撃墜している。
……いつでも通り禍のクゼの死の運命だけが、否定されている。
「――これハ、一つ目ノ忠告ダ」
周囲の存在の全てから、ざわざわと声が反響した。
これほど巧妙に隠していたのか。この庭は魔族の巣窟だ。
……本体の位置を掴むことができない。
「その不埒ト、卑劣ヲ恥じ、去れ。……黄都ノ、外まデ、永遠ニだ。通リ禍のクゼ」
「……ふへへ、こりゃ計算外だったな……あんたまで加担してるのかい」
クゼは笑った。防ぎきれるだろうか。どれだけ殺させずにいられるだろうか。
真理の蓋のクラフニル。第五の系統、心術を極めたとされる当代最高の詞術士。先触れのフリンスダが本来予定していた勇者候補者であったはずだが。
(魔法のツーに加えて、こいつも同時に雇っていた? フリンスダがそこまで出費する価値がツーにあるのか? クラフニルほどの奴が、どうしてツーを守っている……ちくしょう、参ったな。もっと頭が回ればよかった)
無用な犠牲を出したくないと願っていても、ここまで踏み込んでしまった以上は、何事もなく帰されるわけもない。
試合前夜に、魔法のツーを始末する。“不慮の事故”による不戦勝。
それがナスティークの力の真骨頂。試合場で手の内を見せるのは最後の手段だ。ヒロトの陣営がそうは思わなかったとしても、彼自身の目的でそうする必要がある。
外套を翻し、その内に備えていた小型の盾を構えた。その動作の隙を逃すことなく、狼めいた屍魔が植え込みの内部より奇襲をかけていたが、それもナスティークが事前に殺害している。
彼を殺そうとする者は、殺す可能性のある者は、全て。
「ああ、案外いい奴なのか? 真理の蓋のクラフニル」
「……何?」
「いいや。こっちの話。まだ……」
本来ならば、通り禍のクゼは防御に徹する必要性すらないのだ。
本体をこの場に置かぬ魔族使いが相手であろうと、それは例外ではない。
(……あんた自身はまだ、俺を殺そうとはしていない)
だが、侵入者を迎撃する魔族は違う。夜の戦端が再び開いた。
蛇型の屍魔が右足を絡め取る。その毒牙が脛に食い込むよりも早く、巻きついたままのそれを新たな狼型へと叩きつける。牙は屍肉を裂いて、しかしクゼの生身に届くことはない。僅かなその隙、顎の内へと篭手を捻り込んでいる。
背後で羽音が揺れた。振り向きざまに盾を一閃して針を受ける。受け漏らしたものもあったが、当たらなかった。
泉の水面が膨らみ、機魔が出現した。それは脚を持たず、上半身は即座に展開して巨大な火砲へと変わった。
狼型を押さえつけたままのクゼを置いて、ナスティークが機魔の背後に出現する。刃の軌跡が僅かに見える。殺した。
「くそっ……」
夜空に翼が群れる。天使のそれではない。クゼは頭上を見た。鳥型の屍魔。多条の曲線を描いて殺到する。狼型の屍魔の体で防ぐ。防ぎきれない。巨大な狼が一瞬で刻まれて飛び散る。悪性の血飛沫が視界を塞ぐ。鳥型は幾度も往復し、斬撃が嵐を成す。一羽。二羽。三羽。四羽。五羽。
――体勢を立て直し、次の突撃をいなすまでに、五羽がナスティークに殺された。
まだ三羽残っている。蛇型。狼型。機魔はもういないか。否。厩舎の中から現れる。金属甲殻の蟲が列を成して湧く。
「……そレは、ドういウ手品ダ? 毒でハナい。熱術の防御デも……」
「さあね……天使サマが守ってくれてるんじゃないかなあ」
「世迷言ヲ」
殺したくない。殺させたくない。そのように願うだけならば簡単なことだ。
だが、犠牲を出さずにここから逃れられるのか。
リスクの高い暗殺策を取った以上は、ジギタ・ゾギからの加勢も望めない。
(……大間抜けめ)
――違う。彼らの手を借りたくなかっただけなのだろう。
ジギタ・ゾギならば、もっと効率的な手段を提示していたはずだ。
かつての友だったノーフェルトを暗殺させたように。
(なあ……どうすればいい。教えてくれよ。ナスティーク)
邸宅の屋根を見上げると、そこには新たな二つの影がある。
片方は弓に矢を番え、もう片方の長い三つ編みは、夜風を追うように揺れた。
(全部殺すしかないくらい、俺は弱いのか?)
通り禍のクゼ、対、魔法のツー。
この六合上覧に、本来あるべき第五試合は存在しなかった。
それは試合の始まる前夜に、既に決着した戦いであったから。