黄都 その8
巨人街と通称されるその区画が黄都の北端に位置する理由は、天を衝いて聳える高層建築の数々が以北の地域の日照を妨げかねぬためであり、他の人族とは尺度の異なる巨人が自由に働けるよう、経済活動の特区を設けるためでもある。
そこに住む者は主に建築や解体をはじめとした土木労働へと従事し、黄都の外より休みなく流れ込む資材を用いて、黄都自体の都市圏を常に拡大し続けている。
北方へと都市が広がれば、その分だけ巨人街の南方では解体の仕事が始まる。そうして生まれた跡地には、多くの小さき人族が流れ込むことになる。よって、巨人街は常に黄都の北端である。
「小せえなあ、おい!」
地平咆メレは、まったく無遠慮に言い放った。
確かに彼が通れる道があり、頭をうんと屈めれば潜れそうな門すらある。工術に長けた巨人による高層建築の技は、“彼方”のそれにもなんら劣らぬものであったが。
「ここの連中はこんな家で寝てんのか!? どういう拷問だよ……背丈を縮めて、人間の大きさにでもなろうってか!」
「デカさ自慢なんかしてる場合じゃないでしょ!」
声は、メレの隣――というより、足元から返った。
20mを優に越えるメレの巨体に比べれば、あらゆる人間は豆粒のようであった。
黄都第二十五将、空雷のカヨンという。端正な顔立ちの男だが、隻腕である。
「アンタも黄都に落ち着かなきゃなんないのよ! いつまでも街の外で野宿なんかしてみなさいな! アタシが白い目で見られンの! 『第二十五将は勇者候補にどういう扱いをしてんだ』ってさ。今日こそ絶対、家を選んでもらうわよ!」
「面倒くせえなあ~」
メレは腹を掻いた。そもそも、巨人なのだ。本来は住居などという文明に馴染むものではないし、不自然なことでもある。
彼はこれまでずっと“針の森”で寝起きをしてきたし、貧弱な人間とは違って、雨風に晒されて風邪ひとつひいたことはなかった。二百五十年間、一度もだ。
とはいえ、この黄都もなかなか悪いものではないと考えている。ガス燈の光は磨いた鉄の輝きのようで、時計塔の機械仕掛けはメレを仰天させた。
河川も石で固く補強されていて、この工法があるのなら、嵐の日にも水に沈むことはないだろう。サイン水郷の人々がこれを学べればよいと思った。
そして、食べ物だ。労働者への炊き出しの一つを、メレは発見した。
「おお、鳥竜鍋やってるじゃねーか! おいカヨン、俺ぁ勇者候補だからよ! 二人分寄越せって言ってくれや」
「バッカ言ってんじゃないわよ! 家! 家探しに来たんだーかーら! ウワッひどい臭いねこれ!」
流れてくる湯気を、カヨンは片手で追い払っている。例えばその材料は、人間の食用に堪えぬ蛇竜や鳥竜の肉、あるいは腐乱した野菜の残骸などだ。毎日のように発生するそれは、広大な黄都の全域から集められ、巨人街で消費されていく。
放浪の暮らしを行い、あらゆるものを採取狩猟して食べる巨人は、腹を壊すこともない。味などは三の次であって、食事の満足度は基本的に量の多さの一点のみで判断されるものだ。
そんな中でサイン水郷の人々はいつも心ある食事を与え、メレはそれに文句をつけることもできなかったが、土地柄上、いつでも肉の量だけは如何ともし難かった。
「チビに合わせた量じゃあよ、逆に腹が空くだけだろうが! なあ!」
「なんだ~? お前うるさいな」
「ちょっとデカいからって調子乗ってんじゃねえぞ!」
「ガハハハハハハハ! チビをチビって言って何が悪いんだよなあ? カヨン!」
列に並ぶ巨人からは主に罵声が返るが、一向に堪えた様子はない。
カヨンは呆れて溜息をついた。この英雄の豪放さは、しばしば要らぬ揉め事を呼び込んでしまう。
「いいからとっとと行くわよ! 大体ねェアンタ、最初の目的分かってんの? アタシたち――」
「ははははははははははは!」
近くの噴水で盛大に飛び散った水飛沫がカヨンの顔面を直撃した。
巨人の空間尺度でそのようなことが起こる以上、尋常な飛び散りようではない。
メレはそちらの方向を見た。
「み、みず! みず、みずが、いっぱいあるぞ! ははははははははは!」
「メステルエクシルじゃねえか!」
泉の中で、狂った猫のようにじたばたと回転を続ける鉄塊には、名前があった。
窮知の箱のメステルエクシルという名の、機魔である。
何が彼を熱中させているものか、人間が迂闊に触れれば挽肉にもなりかねぬ猛烈な回転を続けていた大質量の機魔を、巨人は難なく摘んで持ち上げた。
「相変わらずアホみたいな真似しやがって」
「はは、ははははははは! メレ! お、おおきいなああ!」
「俺はいつでもデカいんだよ。母ちゃんからはぐれたか? 俺が探してやろうか」
この両者には共通点がある――それは、共に六合上覧の出場者であること。そして、共に地平の条理を逸脱した、無双の強者であるということ。
候補者十六名が知らされて大二ヶ月。彼らは互いにそれを承知している。
「ぼく、ぼくは、ひとりで、あそびにきたんだ! こ、こ、こわしたら、だめ。た、たてもののかべを、ゆびでぼろぼろやるやつは、やっちゃだめ。だ、だから、ははははは! みずで、あそんでた!」
「そうかよ。俺が来たんだから、そんな迷惑な遊びしねえで済むぞ。さァどうする」
「ちょっとメレ! 何度も言ってるけどね! その子、アンタの敵なんだからね! その子が勝ち進んだら、当たンの準決勝よ!」
「ったく、カヨンは小せえなあ~! どう思うよメステルエクシル? こいつうるッせーんだよ」
「ははははははは! カ、カ、カヨンは、メレより、ちいさい!」
「当たり前でしょバカ!」
鳥竜鍋の列からは離れ、メステルエクシルをその手に掴んだままで、メレは巨人街を練り歩いていく。健脚で知られた武官たるカヨンであっても、ぶらぶらと歩くだけのその歩幅に追いつくのは容易なことではない。
「何して遊ぶかなあ」
「ははははは! ははははははははは!」
軸のキヤズナの最高傑作とされるメステルエクシルを、あろうことか手毬でも弄ぶように投げ上げては受け止め、歩いている。
そのたびにメステルエクシルは笑い転げている。様相の異常性さえ無視できるのならば、それは微笑ましい光景であるのだろうが。
(……メステルエクシル。魔王自称者キヤズナの兵器。どんな裏があるのか分かったもんじゃないわ)
このあまりにも異質な勇者候補の擁立は、弾火源のハーディと並ぶ強大な軍閥を形成する、第四卿ケイテの他には許され得ぬ暴挙である。
誰も表立っては非難を行わぬ。しかしケイテは二十九官の中でも反王族に近い立場を取っており、現体制への反乱を目論んでいるのではないかという噂すら、まことしやかに囁かれていた。
民の衆望を一身に集め、二十九官の大半をまとめ上げた絶対なるロスクレイ。
軍を率い、黄都議会とは異なる独自の思惑で動きつつある、弾火源のハーディ。
得体の知れぬ小鬼の軍と、オカフ自由都市を取り込んだ荒野の轍のダント。
“本物の魔王”に対処するためには、それが必要だった。同等の裁量を与えられた複数の官僚が動かなければ、国家の異なる民をそれぞれに属する官僚がまとめ上げることも、同時多発的に発生する魔王軍への迅速な対応も不可能であった。
その戦時体制のつけが、今回りつつある。この黄都は爆発寸前の火薬庫に等しい。
(最後のひと押しが、この六合上覧……ッて話にならなきゃあいいんだけど)
カヨンは考えている。もしも起こるべくして起こる争乱を収められる英雄が一人いるのだとしたら、それは――。
その時、眼前で起こった事態を見た。
「メレ!」
カヨンが叫ぶまでもなく、メレは既に気付いているようであった。
気付いた上で、意に介していない。
建造中であった高層住居の一つが――建築工術の失敗なのか――主柱から崩れ、メレの真横より倒れ込みつつあった。
「ああ、なんだ……よいしょォッ!」
絶大な工事事故を、メレは左腕の前腕だけで受け止めた。右腕には、メステルエクシルを抱えたままである。
伸し掛かる巨重は巨人の尺度にも堪える、最新の鉄筋建築である。
それでもメレはニヤリと笑った。
「――小せえなあ、おい」
「ははははははははははははは!」
何がおかしいのか、メステルエクシルもじたばたと笑った。
メレが受け止めた部分からは石と凝土が崩れ、路地に被害をもたらしつつあった。
上空の惨状を前に叫び声を上げていた出稼ぎの山人の一人を、カヨンは素早く救助している。
「ぼ、ぼ、ぼく、ぼくが、やる!」
「そうかよ。やってみろ、メステルエクシル!」
機魔は、抱えられたままで工術を唱えた。
地中から、森林の如き無数の鉄柱が飛び出す。瞬きほどの時間も経たない。
その高層住居は群生する鉄柱に支えられ、工術で癒着し、崩れる途中の構造を完全に安定させてしまった。
「む、むこう! はははははは! は、はしらが、はじけて、とんでる!」
「ああ~?」
最初の衝撃で折れ飛んでいた、一際巨大な鉄骨もあった。
天高くを舞い飛んでいる最中のそれを、メレはその超絶の視力で一瞥した。
彼は今、武器となる黒弓を持ってはいない。
「よっしゃ、あれもやっちまうか――なあ!」
「ははははははははは!」
そう言うと、理外の膂力を以てメステルエクシルを投擲した。
彼はそのまま鉄の弾丸となって、狙い違わず鉄骨の落下軌道へと到達している。
弓と矢を持たずとも、地平咆メレは規格外の弓手であった。
「【エクシルよりメステルへ。星の逆転。吼える雨風。動地の暗闇。放て】」
メステルエクシルは、光とともに加速した。
「“XR-4A3”」
ロケットエンジン――この空にあり得ざる衝撃と轟音は、遥か地上まで届いた。
鉄骨を掴み取ったメステルエクシルは、一条の閃光と化して飛び……そして無人の路地へと落着した。
「ははははははははははははは! ぼくは、さいきょうだ!」
「メステルエクシル~! やるじゃねえか!」
高速度で落下した彼の体自体が舗装を盛大に叩き割っており、到底被害を抑えたとも言えぬ有様であったが、それでも巨人街におけるこの規模の事故で、人への被害が及ばず終わることは異例の事態である。
「バカ! 逆に街壊してんじゃないのよ! こんな……地面からゴチャゴチャ生えたこれ、逆にどうすんの! あんた達、全ッ然後先考えてないのね!」
「うるせえなあ~! どう思うよメステルエクシル?」
「ははははははは! カ、カヨンは、ちいさい!」
「小さいことを気にしなさいッての!」
崩れた住居を受け止めた強靭な鉄骨は、別の解体作業が必要になることだろう。
建物の重量を支えたメレもまた、やはり足元の舗装を破壊してもいた。
後始末という点では、そのまま崩れていた方が容易であったかもしれぬ。
文字通りにこの地平に許された身の丈を越えた建築を日夜続ける巨人街は、このような危険を常に孕む、ある意味で黄都の縮図の如き火薬庫でもあった。
(……)
巨人に悪態をつきながら、カヨンは崩れた建造物の土台部分から離れた。
(工術の意図せぬ歪み……別の陣営の破壊工作じゃないわね。ただの事故か……)
単なる不運の範疇といってよかった。そもそも地平咆メレの力などは、この六合上覧に臨む者ならば誰もが既に知っている。わざわざ危険を冒して実力を測る意味もないのだろう。
……それでも、どうしても気を張りつめてしまう。
今回は偶然だった。しかし、これから何が起こるのか。どのような陰謀が水面下で進みつつあるのか。空雷のカヨンただ一人では、到底その全貌を把握しきることなどはできない。
メレは機魔と共に笑いながら、再び歩き出している。
今の恐るべき災害ですら、彼にとっては予期せぬ刺激の一つに過ぎなかった。
(……メレ)
その後姿を見ながら、カヨンは思う。
他の擁立者がどうであろうと、彼はいつでもそのことを考えている。
(アンタを負かしたりしないからね)




