間章 その4
第八卿、文伝てシェイネクは、二つ目の名の通りの能力を見込まれて、黄都二十九官に名を連ねる。彼は教団文字と七家系の貴族文字、“彼方”の二つの文字に通ずる。
ナガン迷宮都市で長く学んだ彼は、文字の解読と記述に関してならば、第三卿ジェルキすら上回る俊才であった。
やはり、黄都の中枢議事堂である。
午後の日差しが差し込む執務室に入ると、残る一人はまだ仕事を続けている。
「グラス卿。議事録の方は、もう整理終わりましたよ。そちらはどうですか」
「少し待っていてくれ」
「……おっと、組み合わせですか?」
その能力故に、彼は黄都第一卿、基図のグラスの実質的な書記でもあった。
六合上覧の対戦組み合わせは、現状の黄都にあって最重要機密に値する情報だが、この二人はそれを見ることを許される立場にある。
「擁立者の二十九官の合意はおおよそ取れた。恐らくはこれで決定稿になる」
「……しかし、これは」
「妙だよな?」
「はい」
一見して理解できるその違和感は、グラスも同様に感じているところである。
六合上覧の参加者へと与えられた準備期間。各々が他の候補者を探って得た情報を元に……各々の擁立者の間で、調整や対立が数多くあったはずだ。
グラスもシェイネクも、それらの全てを知るわけではない。だが。
「冬のルクノカをこの位置に置いて、本当に良いのですか」
「……それを言うなら、通り禍のクゼもだなぁ。容易に落とせる駒の使い所としては、分からん」
「第二十七将はうまくやりましたかね」
彼らの関心の中心にあるのは、無論、第二将ロスクレイである。
そもそもこの対戦表を決定する権力を持つことこそが、彼の力の根本だ。
ならば、この名簿の羅列が示している事実は――。
「……ちょうどいい、シェイネク。北東文字で写しを作ってくれ。俺もまあできないことはないが、年で随分と文法を忘れちまってな。手間がかかって困る」
「そこはグラス卿のお仕事でしょ? ぼくの仕事じゃない。無償とはいきませんね」
「フ。図々しい奴だな。今度“霞の鳳亭”で奢ってやる」
「仕方ないなあ。いいでしょう」
書記係は少し笑って、向かいの席に斜めに座った。
グラスは軽く一度欠伸をしてから、上から順に読み上げていく。
一つ一つが、候補者全ての命運を決定づける組み合わせとなる。
ただ一人の勇者を決める戦い――六合上覧。
八試合の全てが、千年に一度とて機会のない、究極にして無上の王城試合。
「第一試合。無尽無流のサイアノプ及びおぞましきトロア」
粘獣、対、山人。
無手にして無限と、全剣にして全技。
「第二試合。星馳せアルス及び冬のルクノカ」
鳥竜、対、竜。
伝説殺しの英雄と、英雄殺しの伝説。
「第三試合。移り気なオゾネズマ及び柳の剣のソウジロウ」
混獣、対、人間。
“客人”の隠されし剣と、秘されし剣の“客人”。
「第四試合。絶対なるロスクレイ及び灰境ジヴラート」
人間、対、人間。
最強を装う最弱と、最弱を装う最強。
「第五試合。通り禍のクゼ及び魔法のツー」
人間、対、不明。
不可知の絶殺の矛と、不可侵の絶止の盾。
「第六試合。窮知の箱のメステルエクシル及び奈落の巣網のゼルジルガ」
機魔、対、砂人。
完全なる鉄の機構と、完全を崩す影の機構。
「第七試合。音斬りシャルク及び地平咆メレ」
骸魔、対、巨人。
回避を許さぬ速度と、回避を許さぬ射程。
「第八試合。千一匹目のジギタ・ゾギ及び不言のウハク」
小鬼、対、大鬼。
理を支配する戦術と、理を破壊する法則。
「……」
全員分を書き写した後で、シェイネクは僅かに思考した。
「……ロスクレイは、やはり第四試合を選びましたね」
「そこはさすがに、上手くやってはいる。第四か、第八。戦闘の消耗のないうちに、第三試合までの自分の組の連中の戦いを確認して、仕込みに動くことができるわけだ。加えて、次の組の四試合の間には、第二回戦に向けた準備ができるからな」
「第一回戦の相手にジヴラートを選ぶのも妥当。問題は……次」
シェイネクは、組み合わせ表を指でなぞる。そこで当たるのは、第三試合の勝者。
移り気なオゾネズマか、柳の剣のソウジロウ――と、いうことになる。
ここで問題となるのは、候補者ではなく擁立者。第二十七将。
「弾火源のハーディだな」
「ハーディ将はロスクレイ陣営最大の対抗馬でしょう。二十九官で堂々とロスクレイに立ち向かって許されるのは、彼くらいだ。全力でロスクレイを潰しに来ますよ」
「……ハーディのやつが上手く立ち回ってロスクレイをカタに嵌めたか。あるいはロスクレイの方が、この機会に敵対派閥を全部ブッ潰すつもりでいるかな」
「不安要素は、序盤に片付けてしまった方が良いという考えですか」
「どうだかなァ」
なお、グラスとシェイネクは、今回の六合上覧において完全な中立陣営だ。
それは政争において不利を選んでいるということでもあるが、全てを余さず楽しもうとするグラスにとっては、俯瞰の位置こそが最も都合が良かった。故にこうして運営の中核に当たることもできる。
「移り気なオゾネズマの方に仕込みをしている――という線は?」
ハーディが擁する柳の剣のソウジロウの相手は、移り気なオゾネズマ。
そちらの擁立者は第十四将、光暈牢のユカだ。
「ユカは素朴な男だ。策謀でハーディの上は行かんだろ。奴は本当によくやってるが、この手の争いに野心は持ち込まないだろうさ」
「本日はジェルキ卿の警護だったそうですね。あまり六合上覧に身を入れてはいないのか、オゾネズマの黄都入りも遅れているという話です」
「……そうなるとオゾネズマは、ますます勝ち上がりにくいわな」
オゾネズマに関しては正体も実力も一切不明の存在だが、適切な後ろ盾のない者が勝ち上がれるほど、甘い戦いではない。
これは真業の戦いだ。戦闘力以外の全てをも尽くして戦わねば、容易く出し抜かれ、実力で上回っていたところで、試合において敗北する。
「そして、第三回戦」
続いて指がなぞったのは、第二試合の組み合わせである。
集う十六名の候補の中で最強と目される二名。星馳せアルスと、冬のルクノカ。
「……勝ち上がるのは、どちらかのはずです」
「俺もそう思う。ここも……まずいな」
「――竜に勝つことはできません」
絶対なるロスクレイは、竜殺しの英雄だ。世間では、そのようになっている。
だが、世間に知られぬ真実の手段を尽くしたところで、彼がアルスやルクノカに本当に打ち勝つことができるのか。
第二回戦のサイアノプやトロアでは、到底この竜族を止めることはできまい。
ましてやトロアなどは、一度アルスに敗れ、光の魔剣を奪われてすらいる。あのロスクレイほどの男が、同様の予測に辿り着いていないはずもない。
「さあて。お前なら勝ち進めると思っていたがな、ロスクレイ」
――故に、この名簿の羅列が示している事実は明らかだ。
彼は自身の強みを、この決定の時点で発揮することができなかった。
どのような不測の事態が起こったかは分からぬ。
絶対なるロスクレイは、失敗した。政治戦で負け、勝てぬ戦いを掴まされた。
「ここで終わっちまうか?」
第一回戦。
無尽無流のサイアノプ、対、おぞましきトロア。
星馳せアルス、対、冬のルクノカ。
移り気なオゾネズマ、対、柳の剣のソウジロウ。
絶対なるロスクレイ、対、灰境ジヴラート。
通り禍のクゼ、対、魔法のツー。
窮知の箱のメステルエクシル、対、奈落の巣網のゼルジルガ。
音斬りシャルク、対、地平咆メレ。
千一匹目のジギタ・ゾギ、対、不言のウハク。




