窮知の箱のメステルエクシル その2
無残な破壊の吹き荒れた、岩礁の只中。
囁きに最初に気がついたのはミンレだった。
それは完膚なきまでに叩き潰された、メステルエクシルの胴の部位から。
「【――の番う翼は灰燼と消え星殻の肌膚に溢れ満ち模り小さき空の震えと天土の創廃を繋ぎ赤の繊鎖は】」
それは淀みのない水のような音声であった。
ミンレがこれまでの人生で聞いてきた詞術とは何もかもが違う。
二体の機魔の行動は早かった。
レシプトは先と同様の熱術を詠唱しつつある。ネメルヘルガは尾の射出機構を爆発させた。誰にも過程の認識できぬ速度で、杭が突き刺さった。
着弾点は胴の断片からは離れている。
中空に形成された装甲が――杭の軌道を逸らした装甲が、砕けて落ちた。
射出の瞬間まで、この障壁が存在しなかったことは確かだったはずである。
「【レシプトよりハレセプトの瞳へ。金に浮かぶ泡】」
「【巻かれる自転の纜に掛かり到達の虚の枢を外し光象再び見え】」
「【水路の終わり。虚ろを満たす。灼け】」
熱線の光が再び閃き、声の源を焼いた。腕がそれを止めた。
防いだまま、それは右の足で立った。左の足で体を支えた。
散乱していたメステルエクシルの破片は、再び一箇所に集結していた。
「ははははははははははは!」
――詠唱は工術である。滅びたはずのメステルエクシルは、自身の詞術で、自身の命を錬成した。
しかも再生した鎧の体は、浴びせられたレシプトの熱線を耐久している。
表面で剥離した薄層がバラバラと落ちた。
「ぼ、ぼ、ぼくは……さいきょうだ!」
崖上からその戦闘を眺める老紳士は、素直に賞賛の拍手を鳴らした。
「……素晴らしい。完全に破壊された状態から、どうして詞術を?」
「それくらい解析してみろや。ミルージィ、お前も魔族使いの端くれだろう」
「いえ……無論、仮定はできます。確かにネメルヘルガは、あの巨体を破壊した。破壊したが……あるいは胴部装甲内に収容し得る、超小型の『本体』がいたのではないか? それが工術を扱えたとすれば、辻褄は合うでしょう。ただし……」
「――『本体』が今の破壊を耐え抜いた方法が分からないかい」
キヤズナは腕を組んで、やはり不機嫌そうにメステルエクシルを眺めている。
それは再び、愚直にネメルヘルガへと向かっていくようであった。
「第一の機能だ。機魔の再生。自分自身を再構築する工術を、如何なる状況でもあの子は使える」
「なるほど。ならば無論、次に私が用いる手も分かっているでしょう」
「……ヒヒッ! 好きにやんな」
ミルージィは、ラヂオを介して指示を下す。彼のレシプトとネメルヘルガは、極めて高い戦闘性能と引き換えに大半の自己判断力を持たぬ。このようにして本体が補うだけで解決できる機能であるからだ。
「胴部装甲内の実体を破壊します」
「ZZZZZYYYYYAAAAAAAAAAAAA!」
巨人と巨蟲が再び激突する。顎の斬撃はメステルエクシルの腕には通らない。
だが、先の状況と異なる点が一点。ネメルヘルガは蠍の如く尾を持ち上げ、抑え込んだメステルエクシルを杭の射出軌道へと合わせている。
パギン、という破裂音が響いた。杭は胴部に食い込み、装甲が歪んで剥がれた。
「ははははははははは! も、も、もう、きかないぞ! ぼくは――」
横合いから影が飛び込んだ。レシプトの翼から生えた真鍮の刃が、すれ違いざまに工具めいて胴を引き剥がした。
これもまた、瞬きにも満たぬ一瞬の連携である。
レシプトの翼の先からは、血が滴っている。無数の刃の一本に、メステルエクシルの『本体』が突き刺さっていた。
人の頭よりも小さい、胎児のような生命であった。
串刺しにされたそれは声なく四度震えて、活動を止める。
「まさか造人が核とは、驚きでしたな。この三手詰を解答としてよろしいでしょうか」
彼女らの主は、淡々と自らの成果を確認する。やはり彼の機魔は戦闘性能において、キヤズナの機魔を大きく上回っている。
一体ずつが、一つの街を滅ぼすことのできる傑作だ。それが二体。
「ほーう。本当にそう思うかい。第二の機能だ」
「……!」
それは、既に開始されていた。本体を失った機魔が。
「【六十四の格子を分かち枝の遡行の赤色の合つところ四の符号見えざる光の網目に無明を通し目覚めることの――】」
もはや知性を持たぬ虚ろと思われたメステルエクシルは、顎を掴んだままネメルヘルガを引き倒している。
爆発のような激突音が水を跳ね上げ、彼の膂力の異常を再び示した。
しかもそれは再び動き出し、そして言葉すら発した。
「は、ははははははは! かわいそうな、ネメルヘルガ! ぼくは……ぜったいに、し、しなない! かあさんが、そ、そう、つくったからね!」
復活の過程を見届けたキヤズナは、不敵な笑みと共に告げた。
「――第二の機能。造人の再生。自分自身を再構築する生術を、如何なる状況でもあの子は使える」
「み、見事……! 機魔の方にも詞術詠唱の機能があるとは……!」
「これで二つのタネは見せた。さァ、他に試すことは?」
メステルエクシルがここまで見せた詞術の能力は極めて異常な機能であることを、ミルージィも理解している。
魔族は詞術によって心を吹き込まれ、稼働する。だがその使い魔に、自己複製能力。十分機能する詞術を唱えさせるよう行動を刻むことは可能だろうか?
たとえばナガンの迷宮機魔は、自分自身を工場として単純な構造の機魔の兵を作り出すことすらできたという。その時点で、キヤズナの能力は計り知れぬ魔王の高みにあると言っていい。
しかし、メステルエクシルのような複雑な存在までを複製できるともなれば、それは完全な心だ。ただの使い魔の域を越えて、独立した新たなる生命の創造に等しい。
「どうやって貴女は……あそこまでの作品を作り上げたのですか。素晴らしい」
「作品じゃねェって言ってるだろ。全部アタシの子供だ。自分の子供がどんな風に出来上がっているか、お前は説明できンのか」
老婆は橙茶を口に含んだ。優勢であろうと劣勢であろうと、いつも苛立っている。
数十年前から、彼女は何も変わっていない。
「何千回の繰り返しの中で――一つの偶然がある。それは求めていた通りの機能のこともあるし、まったく役に立たねえ機能だったりする。だが、再現性のない構造がそこにある。そんな奇跡の見えた時にだけ、アタシは子供を造る。一つの機能を元に、ただ一人、その時にしか生まれてこない子供を」
「あのメステルエクシルの機能は、つまり……詞術を使えることだと?」
「――ンな分かりやすいので奇跡と言えるかよ。“共有の呪い”。もっと解析不能の、役に立たねえ機能だ」
ミルージィの二体の機魔は、再び方針を変更している。
レシプトは、射程の届かぬ天空で再び熱術を唱えつつある。
ネメルヘルガは体を奇妙に曲げて、メステルエクシルの側面へと回り込んでいく。
「ネメルヘルガ! ははははは! やってこい! ぼ、ぼくは、ち、ちいさいのを、しなせたり、しないからな!」
メステルエクシルはやはり、自らの体のみで立ち向かう。
星のように空が閃いて、熱線が降った。メステルエクシルの装甲表面が泡立つ。それはすぐに炭化して脱落する。
粗い表面構造で熱量を受け止め、層の脱落によって熱を防いでいる。
「何よりも、この知性……! まさしく独立した思考がある! 学習している……! 私のレシプトの攻撃を!」
「学習? そんな生易しいモンじゃあない。造人は生まれつき全てを知ってるってな……ただの迷信じゃねえって、見せてやるよ」
「是非……! ただし、既に指令を下してしまっております」
熱線の光でメステルエクシルを遮ったその時に、動いている。
ネメルヘルガの体節が一斉に開いて、熱術の推進器が展開した。
それは青白い爆風で後方地形を砕き、突撃した。
「こい! ネメルヘルガ――」
初動を眩まされたメステルエクシルは、爆発的な突撃をまともに受けた。
大地が線路じみて抉れ続け、その体を海岸の際まで押した。
その淵より僅か三歩の距離で、彼は踏みとどまった。
「ZZZZZZYYYYYYYYYYAAAAAAAA!」
止まらなかった。
ネメルヘルガの節が爆発した。その長大な鉄の体の全体が多段式の射出機構となり、幾度もの衝撃でメステルエクシルを吹き飛ばした。
沖合の彼方へと放逐され、鉄の巨重は深く沈んだ。
彼は不死である。しかしそれは永遠に戻ることのない、冷たい水底の暗闇だ。
嵐の過ぎ去った戦場の地には、バラバラに分解されたネメルヘルガの構造だけが残った。空のレシプトは、兄弟機の散滅を冷たい眼差しで眺めるのみである。
「再証明の終了となります。我が父。指示を」
「【――の泥中より熱を食み新たな罪業の証となればその双つを結束すること数千――】」
「……」
……詞術が響いている。
岩礁のうちの一点。そこに小さな、胎児のような生命が発生しつつある。
メステルエクシルは、内の造人ごと放逐されたはずである。無から現出したとしか思えなかった。
「【――レシプトよりハレセプトの瞳へ。金に浮かぶ泡。水路の終わり。虚ろを満たす。灼け】」
レシプトはすぐさま熱線を浴びせた。それは形成された機魔の装甲が阻んだ。
――もはやこの攻撃を学習している。対応した構造となっている。有効ではない。
「ほう……! 一体、これは……どういう仕組みで……!」
「それくらい簡単だろバカ。メステルはエクシルを造り出すことができる。エクシルはメステルを造り出すことができる。声の届く範囲の、どこにでもだ。どれだけ距離を引き剥がそうが、どこにでも行けンだよ」
「こ……交互に肉体を生成して、瞬間に陸地に戻ったとでも……そんな想定ができるはずがない……な、なんということを……!」
常軌を絶する離れ業だ。都市そのものが動き出す迷宮機魔をすら越える最高傑作という触れ込みは、まったく嘘ではなかった。
もしもそれが本当だとしたなら、メステルエクシルの詞術士としての能力は、魔王自称者であるミルージィの能力をすら超越しているだろう。
ましてや彼の機魔の持ち得る手段などでは、永劫これを殺すことができない。
偶然と奇跡が生み出した、あれが真の怪物。
機魔が本体なのか。造人が本体なのか。投棄された肉体と、今海岸に立つ肉体の、どちらが真であるのか。
恐らく、どれも正解だ。全てがメステルエクシルだ。僅かな生命細胞の痕跡から自身を造り出すことができる。大地の鉱物から自身を造り出すことができる。
彼の詞術の定義する世界では、もはや自己の同一性すらが無意味というのか。
「レシプト。父の敗北だ。この実験を中止して、すぐに」
「第三の」
魔女の言葉が、ミルージィの指示を遮った。
「――機能だ。やれるだろう。メステルエクシル」
全身を形成し終えた怪物の頭部に灯った紫の視線が、宙のレシプトを見た。
単純な力のみで戦う彼には、届かない射程の敵であるはずだった。
彼は工術を唱えた。
「は、ははははは! 【エクシルよりメステルへ。潜る破音。群れの終端。回る円錐――】」
そしてこの世界の誰も見たことのないものを形成した。
名状しがたい、到底人の手では作り出せぬ形状である。彼の右腕は黒い鉄の管を三本束ねたような構造に変化し、その根本はさらに複雑な機構で動いていた。
熱術の電流が走り、それは回転した。
「【――穿て】。“GAU-19/B”」
その時響いた銃声は、悲鳴のようでもあった。金属と火薬の絶叫。
鳥竜よりも速く飛行した機械の天使は、その一瞬で、形も残さぬ破片と散った。
硬貨の山のように、無数の薬莢が地面に落ちた。
誰もが……創造主であるキヤズナすらもが知らぬ、それは異世界の兵器であった。
――回転式多銃身機関銃。ガトリングガンという。
「“客人”は……“彼方”での常識が残っている限り、決して詞術を使えねえ。だが奴らは“彼方”の兵器を知っている。アタシらの知らない、全てを凌駕する知識を」
「……」
「一度は思わなかったかい。そいつらが工術さえ使えたなら……自分の思うように器物を再現する力を持てたなら、そいつの知っている限りの、向こうの世界の何もかもが手に入ると」
「……キヤズナ……貴女は……何を……」
ミルージィは、向かいに立つ老婆を見る。同じ魔王自称者であっても、あまりにも次元の違う創造主の顔を。
キヤズナは初めて、苛立ったような顔ではない。一つの実験を終えて次の実験を考え続ける学者のような、先にある何かを深く考える表情をしていた。
「あァ? 簡単なこったろ。向こうで学者だった“客人”が手に入った。いい素材だと思ったんでね」
悪魔めいた笑みを浮かべていた方が、まだ彼の心は安らいだであろう。
「詞術を使えるようにしてやったんだ」
――造人は、生ける人族を素体にして作成される。
それは素体の知識を潜在的に持つが、紛れもなくこの世界で生まれた一個の生命でもある。
それが、メステルエクシル。
「……完敗です。最後に……一つだけ。どうして、熱線で中の造人が焼けていない? それをずっと考えていますが、まったく分かりません」
キヤズナは呆れたように笑った。だが、問われずともそれを説明したのであろう。
まるで子供を自慢する母親が、当然そうするように。
「それが第四の機能だ。“共有の呪い”。片方が片方の損傷を引き受ける。どんな手段だろうが、メステルとエクシルを同時に殺すことはできない」
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全てが過ぎ去っていた。
あの世界を喰らうとも思われた二つの怪物は、どちらも砕けて消えた。
ミンレがここで見たことを、誰も信じることはないだろう。
「ど、どう、どうだった!?」
残る一つの怪物が迫ってくる。逃げることはできない。
興味深くて仕方がないというように、それはミンレの愛する娘を忙しなく眺めた。
「ぼく、ぼくが、ちいさいのを、ま、まもったぞ! まもって、たおした! はははははは! それでもかてた! さいきょうだから!」
「こ、来ないで……ごめんなさい……もう、嫌……」
「はははははは! ははははははははは! はは……」
ミンレは、このあり得ざる存在からせめて娘を守ろうと、固く抱きしめた。
彼の恐ろしい笑いは少しずつ弱まって、そして止まる。
「……はは……」
「うう、あ!」
腕の中で、娘はもぞもぞと動いた。
出ていっては駄目だと叫びたかった。けれど彼女の足も竦んでいた。
娘は、機械の怪物へと短い腕を伸ばした。
「ああ、あい」
「……こ、これ……はは! く、く、くれるんだね!?」
左手が、娘の差し出した花を摘んだ。
人間と比べてあまりに巨大で、破滅に塗れた手。恐ろしい災厄。
娘はそれを知らなかった。
「や、やった……! へ、へへ……! ち、ちいさいのが、いきてて、よかった! き、き、きれいだ! ははははははは!」
その不死身の体とあまりにも対称的な命を持って、彼はどこかへと消えていった。
ミンレの知らない……きっと果てよりも先の、戦闘の地獄であるのだろう。
「は、はな! はなだ!」
彼は、人間のように表情を持たない。けれど常に笑っている。
復活のたび知らぬ知識が泡のように浮かび上がり、それでも彼は彼のままだ。
彼の名はメステルエクシル。
二つの生命が融合した、真に無敵であるべく造られた存在。
「……上手くやれたかい、メステルエクシル。戦果報告は?」
「か、か、かあさん!」
海岸からの道が平地へと合流する頃、彼の愛する母がそこに立っている。
この自分の生命を創造したもの。彼女の望みを叶えることが、彼の望みだ。
「ほら、みて! はな! も、も、もらったんだ! ぼくが! はははは!」
「あァ!? 花だァ~? おい、メステルエクシル……そんなモンはなァ」
キヤズナは、彼の持つ花を奪い取った。
鮮やかな黄色をした、小さく愛らしい花であった。
そのまま背を向けて、彼女は歩き出す。
この先の道は黄都へと続いている。
彼女の指先が何かを弾いて、後を追うメステルエクシルの掌中へと収まった。
花を収めた、硝子の小瓶であった。
「――こうして、もっと大事に扱うもんだ。楽しかったか、メステルエクシル!」
「へ、へへ……! レシプトも、ネメルヘルガも、すごかった! すごく、すごく、た、たのしかったよ!」
「……フ。そうかい」
彼女は深く笑う。勝利の味も、花の美しさも、全てを味わえばいい。
彼女の機魔は、作品ではない。誰もが彼女の息子なのだから。
「まだだ! まだまだ、世界はこんなもんじゃないぞォ! 綺麗なモンも汚いモンも、なんでもある! 味わい尽くせ! 全部お前のモンだ! 生きる権利を――何もかも楽しめ! メステルエクシル!」
「ははははははははははははははは!」
「よし! 黄都に行くぞ! こっから、もっと楽しいぞ!」
黄都だ。まず手始めに、黄都の王城試合を目指す。
そこには彼女の迷宮をただ一人で“斬った”、“客人”が来る。
メステルエクシルの兄弟を殺した男だ。
「柳の剣のソウジロウか……ヘッ!」
如何に世界の逸脱者といえど、ただの“客人”が殺せる域の子供ではなかった。
魔剣の類を使ったか。あるいは策に落として攻め立てたか。
いずれにせよ、こちら側に存在してはならぬ怪物だ。
「殺す」
それは自らすらも形成する、真理の域へと達した詞術を使う。
それは殺されるたび、異界の知識を得て無限に成長する。
それは一つが残る一つを再生し、そして二つを同時に殺すことはできない。
必然の論理に無敵を保証された、真に無欠なる戦闘生命である。
生術士/工術士。機魔/造人。
窮知の箱のメステルエクシル。




