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異修羅  作者: 珪素
第一部 十六修羅
15/94

音斬りシャルク その2

 平原を見下ろす高い外壁。それを越えた先にも壁。その中にも壁。壁と壁の隙間の道は迷路のように迂回して市街を形成し、そして曲がりくねる道の立ち止まる地点は、尽く中央の砦が見下ろす狙撃地点でもある。

 さらには、一人一人の装備や練度までもが完璧に保障された傭兵無数。オカフ自由都市の攻略に当たり、黄都こうとが自らの軍で攻め込まぬことには、瞭然たる理由がある。


 黒い音色のカヅキは、黄都こうと議会とは『無関係』な一介の冒険者だ。近年頻発する教団施設襲撃事件。オカフの傭兵に虐殺された遺族からの報復依頼を受けて、ここにいる。――と、いう理由になっている。

 互いに益のある話だ。カヅキは黄都こうとに知られることなく、自身の目的を達する。黄都こうとはオカフとの戦争状態を回避し、“客人まろうど”同士の共倒れを望むこともできよう。


 それが傭兵集団であろうと、突出した英雄であろうと、今の平穏を脅かす武力は、後の時代には無用だ。

 老巧の“客人まろうど”――黒い音色のカヅキともなれば、その趨勢を利用できる。


「目的は情報ですか? 盛夫さんは、各地に派遣した傭兵からの情報を統合できる立場にいる――」

「その通りよ。あなたの得になる話じゃないわ。私は個人的に納得したいだけ」

「……何か、納得できないことがあると?」

「移り馘剣かくけんのユウゴ。黄昏潜りユキハル。みはりのモリオ。……黒い音色のカヅキ。逆理のヒロト」

「……?」

「……ふ。いい顔ね。ここ最近で現れた“客人まろうど”達の名前よ。疑問に思わなかったの? 皆、私達と同じ国から来ている」


 かつては、そうではなかったはずだ。種族の命名法則や文化様式からしても、彼女らの住む“彼方”よりも、遠い西側の国家の者達が多く訪れていたはずである。

 そこに大きな変動があったと、カヅキは確信している。世界のこの現状へと至る、大多数の者がまだ知らぬ謎だ。


「……ええ。そこは確かに、気にかけた事はありませんでした。その理由を知って、どうするつもりなんですか?」

「別に? 個人的な納得だって言ったでしょう。英雄として……この世界への責任を、果たすだけよ」


 カヅキは、長い髪を大きく払い――沈む夕陽の最後の輝きに目を細める。

 夜の帳が落ちた。彼女の時間が来る。

 時を同じくして、一台の小馬車が街道の砂を巻き上げ、滑り込むように到着する。


「……ああ。もう時間のようですね。名残惜しいですが、お元気で」

「次はいつ会えるのかしら?」

「もしかしたら、また十年――いいえ、じきに会うことになるでしょう。水村香月さん。あなたが変わっていなくて、よかった」

「ええ。あなたも相変わらず、胡散臭かったわ」


 カヅキは少し微笑む。ひらりと身を運んで馬車へと飛び乗る。

 少年の配下らしい御者は、異様に背丈が小さく、全身をマントで覆い隠したままだ。それでも“彼ら”は、並の人間ミニアより余程忠実に任務を果たしてくれることを、カヅキもここ数日の戦闘で理解している。


 十三年ぶりに出会った少年の姿も、遠く小さくなっていく。馬は地を蹴り、走る。

 ――馬。この世界にも馬がいる。彼女の故郷と確かに連続していて、けれど、決定的に異なる世界。


「たたーん、たーん、たーん。たたーん……」


 車内、多数のマスケット銃を弄びながら、カヅキは懐かしい歌を口ずさんでいる。

 夜は彼女の時間になる。砦から狙う射手は、闇の中では狙うべき的へと当てることができないからだ。黒い音色のカヅキの他は。


 街の門が迫る。走り続ける。襲撃者であると気付く。誰かの指令で、弓と銃の照準が一斉に向く。

 御者は怯えることなく速度を増す。物量に任せた、闇雲の弾幕を浴びる。馬が肉の断片と千切れて散る。幌に隠れた板金装甲が、その雨を一度だけ防ぐ。既に加速はついている。止まらない。放り出された彼女は、宙で二丁の銃を構える。門へと到達する――。


 空中、門を守る盾使いの大鬼オーガを認識した。

 それは正しい判断だ――仮に門へと踏み込み、遮蔽と機動力を活かせる戦いになれば、彼らに勝ち目はない。最初の三日、彼女は傭兵達をそのように殺戮している。


「……たーん、たたたっ、焼っけ付いたー。情っ景、にー」


 両腕の交差と同時、火薬の爆轟が二度連続する。

 この世界で量産されたマスケット銃は、“彼方”の史上と比べ、著しい精度改良が加えられているが――。


 その弾は、カヅキにしか見えぬ速度で曲がる。

 左右両翼より、盾を回り込む軌道。それは力術りきじゅつではない。彼女の絶技は弾体の不規則回転をすら、自らの意志の支配下に置く。


「……!」


 ギギ、と乾いた音が響いた。右を守れば左が穿つ、大鬼オーガが今の同時曲射へと処することができぬのは明白。

 だが現に盾使いは、投げ出されたカヅキが地に降り立った今、その場に立ち続けている。ならば何者が。

 今の音は、射出された弾が壮絶な速度で二つ止められた音に相違なかった。


「いい声だ。歌手になるのもいい」

「……。とっどーかない指をー。かっさねてー……たん、たん」


 大柄な大鬼オーガの背後に隠れるほどの、異常な細身。骸魔スケルトンか。

 骸魔スケルトンは、速い。筋肉も内蔵も持たぬ彼らは生命体にはあり得ざる極限の軽量体を持ち、それが生前の技術と膂力を備えている。それでもこれ程の存在はいない。種族の差異などとは、桁の違う速度だ。

 その弾丸は斬られたわけでも、弾かれたわけでもない。


 槍の穂先の腹で地面に押さえつけられている(・・・・・・・・・・)


(――どういう速さなの、それ)


 カヅキは、僅かに不機嫌になる。

 その横合いから、飛来物が。当然のように体を翻し、躱す。

 細い薬瓶は地面に落ちて、刺激性の黒煙を爆発させた。


「黒い音色のカヅキさん。狩ってばかりも飽きたでしょう。本日は逆ですよ」


 機械でそれを射出した砂人ズメウの蜥蜴じみた顔は、笑みすらしない。

 正しい判断だ――門に踏み込む前であれば、カヅキを囲み、このように有利な状況を作ることもあるいは可能であろう。

 カヅキがその状況に備えていなかったのならば。


「【ヒルカ(hilca)より(io)オカフの土へ(ocaf)霜の力(formia ora)断崖の面(nel cloza)――】」


 彼女は回避の勢いのまま地面すれすれを旋回し、地面に散らばるマスケット銃の二つを指へとかける。

 馬車に満載されていた銃は、その布石だ。この場は既に彼女のフィールドである。


 回転。照準。撃つのは正面の砂人ズメウではない。


「【――脈動を(enzeham)止めよ(nort)! 起これ(nazelctuk)!】」


 右方。煙幕の中を突き抜けて斬りかかっていた、森人エルフの足を撃ち抜いている。

 頭ではないのは、下段に鉄杖を振り抜く動作が急所を守っていたためだ。さすがに練度は高い。


「チィーッ!」

「……リフォーギドがやられた!」

「なんて反応してやがる、くそっ……!」 


 一方、砂人ズメウの方角は突如聳えた土壁が射線を遮っている。

 ここ数日で見た、黒い人間ミニアの防御であろう。

 砂人ズメウの煙幕で注意を引き、反撃に合わせて詞術しじゅつの防御。

 同時、煙幕に隠れて死角より森人エルフが仕留める。そうした戦術だった。


「たん、たたーん。たーん、たーん。I don't believe anymore……自分ーすっらー、溶けていっきそうでー」


 確かに状況は彼らに有利だ。研鑽も積んでいる。

 それでも、彼らがカヅキの才に及ぶことはない。決して。


「……。あなたはそこに隠れているだけ?」

「俺の仕事は足止めだ。聞きたいこともある。弾が尽きるまでは付き合うさ」

「……そう。ご自由に」


 この槍使いの力だけが未知数だ。

 盾の大鬼オーガと共にいる以上、畳み掛けて殺すのも手間になる。

 それより優先すべきは――


 ガチ、という音が響いたのは、カヅキが片手のマスケット銃を投擲した後だ。

 砂人ズメウが射出機械から放った薬瓶の次弾は、カヅキの手を離れた銃床に遥か手前で迎撃され、煙幕は砂人ズメウ詞術しじゅつ使いの人間ミニアを包む。

 続けてカヅキは、足元に散らばっていたマスケット銃の一つを蹴る。銃は地面を回転し、滑るように黒煙の中へと飛び込んでいく。


「【ヒルカ(hilca)より(io)オカフの土へ(ocaf)】」


 現実離れした敏捷性で走り出している。

 勢いのまま、残る一丁のマスケット銃を煙の中へと突き込む。胸板を貫く感触。

 黒い人間ミニア詞術しじゅつは不発に終わる。無論、迎撃に突き出された、二本の両手剣の刺突も。

 彼女の銃は同時に、銃剣を備えた槍でもあった。


「……っ」

「必然がっ、すーべてー。引き裂くまーえにー」


 銃を回転させ、背後に。円を描いて血液が散る。

 後方から射出音。大鬼オーガの盾の仕掛けならば、既に理解している。

 木の銃床が、射出された四本の鉄鋲を打ち払う。


「シッアァ――ッ!」


 至近に踏み込まれた砂人ズメウは、自身の鉤爪でカヅキの喉を裂きにかかった。

 ガン、という轟音がその口を貫いて遮る。

 カヅキは抜き放ったフリントロック銃を捨てる。


 足元の銃を爪先で跳ね上げて取る。先程の蹴りで、この位置へ送っていた。

 ――その時、背後には刺突剣使いの人間ミニアが。

 ここまでの攻防で完璧に気配を消していた。銀の軌道が、心臓を。


「――ああ、惜しいわ」


 脇を潜らせた銃剣の迎撃は、刺突剣よりも長く届いた。

 腹部を貫き、そのまま引き金を引いた。

 内臓が爆裂する。麻の雫のミリュウは、その衝撃に吹き飛ばされる。


「あなたが一番いい線行ってたのに」


 まるで舞踏のような動きでくるりと回って、斃れた者達へと微笑みかける。

 四人。彼女の戦いは、全てを一瞬で終える。


「あ、れ……」


 致死の銃殺を受けた人間ミニアは、細い目で困惑の笑いを浮かべた。


「こ、こん、なに……。全然だな、僕っ……て……」


 カヅキは、新たに二つの銃を取る。ここまで無傷。

 平原で迎え撃つ選択肢こそ正しかったが、カヅキは常に、射角から隠れるように街の外壁を利用している。砦からの援護射撃が届くこともない。戦闘でも、戦術でも、傭兵達が英雄に及ぶことはない。


「さあ、弾が尽きるまで付き合ったわ? 勿論、あなた達の弾だけれど」

「……そいつは、俺の案内をしてくれるって言ったっけな。見殺しにしちまった。高く付くぞ」

「ええ? 案内しやすいように、先に送ってあげたのよ」


 骸魔スケルトンは、一人前に踏み出す。

 死神じみた黒い襤褸。何かしらの技術で、純白に処理された全身骨格。


「シャルク。退くぞ。わかっただろう。奴に挑めば死ぬ」

「おいおい、あんた喋れたのか? ありがたいね。……だけどとっくに死んでる身だ。損はしないさ」

「たたーん、たーん、たーんたーん……」


 再びリズムを刻み始めたカヅキを、虚無の眼窩が見やる。

 もはや身を守る盾もなく、彼は白槍を構えた。


「黒い音色のカヅキ。あんたは、勇者か?」

「……違うわ。そう勘違いされることもあるけれど、私は違う」

「そうか。それなら一つ。俺が勝ったなら、黄都こうとの王城試合の出場権を譲れ」

「へえ……」


 カヅキは、僅かに感嘆の息を漏らした。

 黄都こうとから打診されたその試合を、彼女自身はただの酔狂の催しとしか認識していなかったが、そのために決闘を挑む者までが、この世に存在するとは。


「構わないわ? どうぞ、ご自由に」


 それよりも重要な事がこの世にはある。これからモリオに問い質すべきはそれだ。


「二つ目だ。こいつは今、答えてもらいたい」

「……あなた、見た目より随分厚かましいのね」


 シャルクの重心をカヅキは見ている。直進。最長の突きで仕留めるつもりか。

 この男には、弾丸を叩き落とした速さと精度がある。


「すぐに終わる。勇者を見たことはあるか? もし死んでいたなら、勇者の骨は? そいつを見たことがあるなら――」


 身を沈めて躱すか、あるいは槍の持ち手の逆側、右に踏み込んで躱す。

 その二箇所、頭骨の位置へと弾丸を置くイメージだ。槍の間合いよりも五歩早くカヅキの弾丸は届き、潜り抜けたとて、反動で振るわれる銃剣がその骨を断ち切る。


「――そいつは。こんな骨をしていなかったか?」

「悪いけど」


 風が、カヅキの長い髪を揺らした。

 自分が何者であるかを知らぬまま、産み落とされた骸魔スケルトン

 きっと、逸脱故に異世界へ追放された“客人まろうど”の孤独にも似ているのだろう。


「あなたのことなんて、知らないわ」

「そうか」


 砂埃が舞った。彼女は引き金を引


「――え」


 槍の穂先が、喉笛から引き抜かれた後だった。

 カヅキは白い骸魔スケルトンを見た。何も、見えなかった。黒い音色のカヅキが――何も。


 見立ての通りに、槍の間合いより五歩遠い。

 組み替えられて異形に延長した左腕が、刹那の内に元に戻った瞬間だけが、弾丸の軌道すら目視する“客人まろうど”の視力をして僅かに捉えられる、超絶の速度であった。


 ましてや――その、刺突の神速は。


(……嘘……? あれ……?)


 片足から力が抜け、体がねじれるように倒れた。

 歌うことができない。

 彼女は英雄だった。この先に、求めるものがあったはずなのに。


 その様子を、音斬りシャルクはただ見下ろしている。


「ああ、こいつも……違った」

 

 虚ろな骸魔スケルトンは、苦々しく吐き捨てて、荒野を立ち去っていく。

 彼が何者なのか。何処から来たのか。何故これほどまでに強いのか。

 それを彼自身すら理解できていない。


「……俺は、誰だ」



 それは刺突も射撃も無為と帰す、死せる理外の肉体を持つ。

 それは自身の由来を知らぬままに、英雄すら凌駕する槍術を知る。

 それは瞬時の分離と接合で、認識し得る間合いの概念を無意味と化す。

 この世界に忽然と生まれた怪異。地上最速の非生命体である。


 槍兵スピアヘッド骸魔スケルトン


 音斬おとぎりシャルク。

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