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花ちゃんの色言葉  作者: 望月 薫
二色目  オリエンタルブルー
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第四話

小野はいつもと変わらず、いつもの指定席で本を読んでいた。本当にいつもと変わらずに。


「・・・こんにちは」


平静を装って小野の隣に座ると、口元だけの笑みを向けてきた。


「こんにちは」


しおりを手に取って本をぱたんと閉じる。木崎が来るために読書を中断する所作もいつもと変わらない。

木崎はカフェラテを注文した。ちらりと横を見ると、小野の前には深い色のコーヒーが湯気をあげている。

先日の小野の姿が頭から離れない。自分とは明らかに違う、同性から見ても憧れる出で立ちと風貌の男と共にいた小野の姿。

無表情の横顔で、男の一挙手一投足に動じなかった小野は、同じ顔をほんの少し朗らかにして木崎に向き合っている。

なんだか妙な感じがした。小野の表情があまり変わらないのは、単純にクールだからだと思っていた。だがそれは違っていたんじゃないかと疑いを持ち始める。

小野は、もしかしたら。


「どうしました?」


かけられた言葉に反応して肩が吊り上がる。


「ど、どうとは?」

「百面相されてましたよ」


呆然と頬を触る木崎を見て、小野が何もかも悟ったように目を細める。


「昨日のことが気になりますか」


聞き流しそうになるほど平然と聞こえた声に、びくりと背が震える。それでも男のちゃちなプライドのせいか、平然と装いたくて言いかけた言葉を飲み込んだ。


「昨日のこと、とは」

「コーヒーショップにいらっしゃったでしょう。見間違いではないと思うんですが」


気付かれていた。後ろめたいことはないはずなのに、どう誤魔化そうとしか考えられない。

だが小野は怒ることも落胆する様子も見せず、コーヒーを味わって息をつく。


「あ、あの・・・」


「大丈夫ですよ。木崎さんを責めるつもりはこれっぽっちもありません。見られて困ることでもないので気にしてませんから」


悠々とした様子からは嘘を言っているようには見えない。本当に気にしてはいないようだった。


「・・・すみません。たまたま入った店にいらっしゃったので」

「いいんですよ。あんな所で別れ話しているこっちが悪いんですから」


別れ話。

ずん、と体が沈むような感覚に囚われる。肩が重い。

なぜだろう。今の小野に恋人がいなくなって少しは希望を持ってもいいのに、全然前向きに考えることができない。

いつもより垢ぬけた化粧、服装。いつも飲まない抹茶ラテ。いつもは感じない喧噪。

知らない小野がそこにいた。でも間違いなく、彼女は木崎が知っている小野だった。

小野の存在が遠くに感じる。隣にいるのに、触れておかないと消えてしまうんじゃないかと不安になる。

淀んで消えない不安が突き動かすように、おもむろに手を伸ばしかけた時だった。


「私ね、昔から感情が希薄なんですよ」


行き場のなくなった手が宙で震える。


「物事に強い関心が持てないっていうか、熱がないといいますか。勉強でも運動でもそれなりにできた方だったので、傍から見れば可愛げのない子どもだったと思います。それでも友達はいましたし、家庭も平凡そのもので不満なんてなかったんですけどね、成長するに従って自分はどこか欠落しているとなんとなく感じ取っていました」


小野がこうして自分のことを語るのは初めてのことだった。今まで身の内を明かしてこなかった小野は、タガが外れたように続ける。


「自分の欠けた心をはっきり認識する出来事がありました。高二の夏、幼馴染の父親が亡くなったんです。亡くなる前、彼女は心細いからと電話をくれました。葬儀に参列すると、私を抱きしめて泣きました。でもそんな彼女を見ても、私は何も感じなかったんです」


注文したカフェラテがそっと置かれる。だが淡いクリームから出る湯気を眺めるだけで手を付けることができなかった。


「彼女の涙を見ても、私が悲痛を感じることはなかった。幼い頃から一緒にいる彼女の悲しみに歪む表情を見ても、心は全く苦しくなかった。当たり障りない慰めの言葉をかけて葬儀から帰ると、何事もなかったかのように学校の課題に取り掛かっていました」


小野はそこでコーヒーを一口飲む。今になって周囲の静けさが気になり辺りを見渡すも、客は木崎達だけだった。


「それは恋愛に対しても同じでした。最初は好きじゃなくて構わないと言ってくれた相手から、いつも別れを切り出されるんです。昨日も言われましたね。『君は俺のことを愛してはくれなかった』って。連絡もマメにとっていたし、相手をぞんざいに扱ったこともない。でもね、やっぱり分かってしまうんですよ。私の行動一つ一つがどれも空っぽで、想いなんてこれっぽちも含まれていない。恋人ではない事務的な扱いに相手もいずれ気付く。だから昨日のように傷つく人が出るんです。でも私は止められない。与えられても与えることができない。そんな冷たい人間なんですよ」


向けられる感情は分かっても、自身の感情が伴わない。情報として取り入れられても影響されない。

小野はそうやって、ずっと人の感情を客観的にしか見てこなかったということだろうか。その為に人との関わりが長続きしないと、彼女は諦めている。


「木崎さん」


びくりと肩が震える。横を見ると、先ほどまで遠くを見ていた小野の目がこちらに向いていた。

真っ黒で淀みのない目が木崎を捕らえる。ぐっと息を飲んで視線を交わす木崎に、小野は目元を細めるだけの小さな笑みを零す。


「私はね、一時の優しささえあればいいんですよ」


乾いた笑み。どこか自虐的で軽すぎる笑み。


「何も与えられないと分かっていて、相手の好意を利用するんです。最低でしょ?」


そんな小野の顔なんて見たくない。

堪らず視線を逸らしてしまう木崎は、どこから来るか分からない震えを抑えて懸命に口を開いた。


「なんで・・・僕にそんなこと言うんです」


しまったと目を見開く。答えなんて決まっている。

小野の口から言われてしまっては、きっと立ち直れない。

自分の過ちに気付くが時すでに遅く。

小野は自分の手元に視線を移し、落ち着いた声で言った。


「木崎さんは優しくていい人だからですよ」


コーヒーの香りがする。

人々が香ばしいと称賛する香りは焦げ臭く。

人々が豊かだと揶揄する香りはきつすぎて。

いつまでたっても自分にはブラックを飲める気がしない。

それが今の小野との距離をこんなにも作ってしまっているのだろうか。

小野がカップを持ち上げる。だが口をつけることはせず、ただ香りを吸い込んで瞳を細める。

一瞬だけ瞳を閉じた横顔が、あの昼間の喧騒と重なった。

小野の心には届かない。諦めている彼女には、誰かを愛するという選択肢がない。

そんなやるせない事実を、想いをさらけ出す前に知りたくなかった。

悲しみで締め付けられるのは、自身の言葉で告げてからがよかった。

全部すっ飛ばして拒絶されてしまえば、もう木崎になす術はない。

残るのはこれまでの後悔、そして砕けた恋情の欠片。

初めてに近い本気の恋をして、その人の名前を、好きなものを知って。

自分だけに向けられた言葉に、耳を傾けてくれる仕草に。

そのどれもがフワフワと心もとなくて、そして楽しかった。

もっと彼女のことが知りたくて、でも知るのはなぜか怖くてその先に踏み出せなかった時間。

ただそれだけの心残りが、今になってひどく心を抉る。

ぬるくなったカフェラテを一気に流し込むと、代金をテーブルに置いて立ち上がる。


「今日はもう帰ります」


逃げるように出口に向かう木崎に何も告げず、小野はカップに口をつける。

向けた背中に視線を感じず、思いの外痛くなかったことが、無性に自分に対して腹立たしかった。







「木崎君、何かあったの?」


休憩室でサンドイッチに噛り付いていると、同席の声をかけずに綾野がテーブルの正面に座った。


「何かって?」

「豆腐の角で頭をぶつけたような負のオーラが滲み出てる」

「確かに豆腐をぶつけたら大惨事になるから落ち込むだろうね」


弁当を開けて箸を持つ綾野をぼんやりと眺め、黄色い卵焼きが美味しそうだなとどうでもいいことを考えた。


「豆腐っていうより、コーヒーの苦みにやられて引きずってるって所かな」

「だからってサンドイッチにコーラの組み合わせは私的にありえないけどね」


久々に甘ったるい物が飲みたくなった手にしたコーラだったが、やっぱり飲まなかったらよかったと少し後悔する。綾野の言う通り、サンドイッチにコーラは合わなかった。


「綾野ってコーヒー飲めたっけ」

「好きだよ。仕事終わりの一杯がたまらない」

「飲めるようになったきっかけは?」

「中学の頃かな、試験勉強してたら母さんが淹れてくれたの。砂糖とミルクがたっぷり入った甘いやつ」

「紅茶よりコーヒー派なんだ?」

「紅茶も好きだけど、コーヒーの方が飲む頻度は多いね」

「告白もできずに失恋したことはある?」

「あるよ」


手作りらしき唐揚げを齧った綾野はゆっくり咀嚼しながら思い出しているようだった。そこに悲壮感や懐古の類は見られない。


「同じクラスの男の子でね、話下手の私にも普通に接してくれる優しい人だった。だけど学年で一番人気のあった女の子と付き合って終わり。向こうは私の気持ちに気付くこともなかったと思うな」


綾野が卵焼きを箸で摘まむ。だが口に運ぶことはせずじっと木崎に目を向けた。


「だから元気ないんだ」

「・・・なんのこと」

「木崎君って結構分かりやすいんだよ」


核心に触れられた気がして、木崎は手元のコーラ缶に視線を逃がした。


『木崎さんは優しくていい人だからですよ』


あれほどに穏やかな拒絶の言葉を知らない。

小野は諦めている。自分が人に対して必要以上の感情を持てないことを受け入れて笑っている。

あの人の心を占めるのは、一方的に与えられる優しさと、他人に対しての無関心。空っぽのように見えて必要以上に重さを持ったその心に、木崎の入る余地などなかったのだ。

木崎の恋は終わった。終わらされた。全てを見透かした小野によって。


「一つアドバイスしてあげる」


サンドイッチの包みにそっと卵焼きを置いて、してやったりと言わんばかりに満足げな表情を浮かべた。


「結果は分かってても言葉にすることは大事だと思うよ。相手のためじゃなく自分の為にもね」


木崎は少し驚いて、卵焼きと綾野の顔を交互に見つめる。


「それに、もしかしたら伝えていたら何か変わるかもしれないしね」

「・・・綾野は後悔してるってこと?」

「そうだね。玉砕しても言っておけばよかったって思うよ」

「なんで卵焼き?」

「食べたかったんでしょ?」


やっぱり分かりやすいんだと、裏のある笑みを向ける。

やっぱり綾野は凄いなと感心しながら、卵焼きを掴んで一口で放り込んだ。


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