第三話
「オリエンタルブルー」
ふいに呟いてしまった言葉に、小野もそうだが木崎はそれ以上に驚いていた。
定位置に座り小野の手が包んでいるコーヒーカップ。落ち着いた空間に映える白ではなく、先程まで木崎が使用していたイヤホンと同じ色をしていた。
小野は目を瞬かせるも、すぐにおかしそうにくすりと笑った。
「よくご存じですね」
カップをそっと置いてこちらに示してくるので、木崎は慌てて席に座る。
「オリエンタルブルー。陶磁器によく使われる色です。中国で生まれたものらしく、チャイナブルーとも言うらしいですよ」
先日同じ内容を謎の男から聞いたが、どうして小野が話すとこうも心地よく耳に入ってくるのだろうか。
確かに、いつも出されるコーヒーカップとは材質も違っていた。陶磁器ならではの厚みが妙にコーヒーとしっくりきている。
「たまにこれで出してもらうんです。この色と触り心地が気に入ってて」
「変わったカップですよね。初めて見ました」
「最近はお洒落だからと人気出ているようですよ。でもこの色は珍しいと思います」
心なしか、小野の声が弾んでいる。刺激の強い色味にもかからわずコーヒーの濃い色と喧嘩していないのはなぜだろう。
「小野さんは陶芸に詳しいんですか?」
「・・・いえ。知人に詳しい人がいたんです」
なぜだかそれきり、陶器の話は途絶えた。
それからはいつものように、木崎は必死に間を取るために話し続け、小野は小さく笑って答えるのみだった。
しばらく談笑していたら、ふと目の前のグラスが空になっていることに気付く。注文をしようと口を開こうとした時、ふいに思うことがあった。
「あの・・・僕でも飲めそうなコーヒーってありますかね」
すると小野が少し驚いたように目をパチクリさせるので、なんだか新鮮に思えた。そんなに意外だっただろうか。
「では、カフェラテはどうですか?ミルクや砂糖が入っているので飲みやすいですよ」
勧めまれたカフェラテを注文する。出てきたカップの中はコーヒーでできたクリームのような色合いで、いつも飲むミルクティーと似通っているように感じた。
隣から香るものより柔らかく甘みを含んだ湯気を吸い込む。一口飲むと、苦みと同時にまろやかなミルクの優しさがじんわりと染み込む。
「・・・美味しいです」
心からの言葉だと察したのだろう。小野はどこか嬉しそうにほほ笑む。
「そうですか。それは良かった」
ミルクのお陰か、コーヒーの苦みをそれほど強くは感じない。だがそれでもコーヒーの香りは失われておらず、香ばしい香りで心が落ち着く。
「こうしてちゃんとコーヒーを飲むのは初めてですけど、やっぱりいい香りですね。コーヒー好きの人の気持ちが少し分かったような気がします」
「・・・そうですか」
「えぇ。僕、あまり新しい物に手を出すことがなくて、いつも決まった安定を選ぶタイプなんです。だからこうして自分の知らないことを知るのは結構新鮮なんですよね」
くすっと笑う小野は、オリエンタルブルーのカップをなぞる。
「気持ちは分かります。私も普段挑戦はしないタイプですから」
「そうなんですか?」
「意外でしたか?」
正直な所意外だった。小野の様な容姿端麗で頭のいい人なら、何事にも動じず積極的だと思い込んでいたからだ。
自分に自信が持てる人間なら、繰り返されるだけの日常に満足しない。そう疑ってこなかった。
「ちょっと驚きました。僕とは違うだろうなって勝手に思い込んでいたもので」
「・・・・・・そうですか」
その瞬間、小野の纏う空気が少しだけ重いものになったことに、残念ながら木崎は気付くことが出来なかった。
「で、これからどうするの?」
木崎には全く理解できないデザインのシャツを満足げに眺めながら、苑子が苦言に近い言葉を投げかけた。
家に行ったら丁度買い物に行くという苑子に引っ張られ、こうして体よく荷物持ちに使われている。
「どうってどういうこと?」
「栄太郎くん、その人と進展しなくてもいいの?」
思わず苦い顔を見せる。
苑子の言いたいことはよく分かる。このまま小野と喫茶店で会う関係は、どちらかが習慣をやめれば切れてしまう薄いものだ。友達とも言えない今の関係を少しでも発展させなければ、合わなくなることなんて簡単だ。
「でも、やっぱり無理だよ。あんな綺麗な人、僕みたいな奴を相手にしないよ」
「またそういうこと言う。当たって砕けないと分かんないでしょう」
水色とピンクのシャツを手に取って悩んでいた苑子だったが、最終的にピンクを手に取り、木崎が持っていたカゴに放り込む。
「結果なんて分かりきってるよ。あんなに誰からも認められて余裕のある人とは人種が違うっていうかさ」
山盛りになった服を眺めてようやく満足したのか、苑子は一つ頷いてレジの方へ歩き出す。後を付いて行き、レジの列に共に並んだ。
「だから、そんなこと考えてたって仕方ないじゃない。それに栄太郎くんは自分の事を卑下し過ぎよ」
「そ、そうでもないと思うけど」
「そうよ。栄太郎くんが本当にどうしようもなかったら、私がこんな風に助言しないもの」
流れるように会計を済ませて店を出る。当然のように荷物を持つ木崎の隣を歩きながら、苑子がため息をついた。
「思い切ってデートに誘ってみなよ。映画?遊園地?水族館?その人はどんなところが好きなの?」
「どんな所って・・・」
そこではた、と考える。
小野が好きなもの。コーヒー。読書。陶磁器。後は・・・。
「後は・・・」
あぁ、そうか。僕は小野さんのこと、まだよく知らないんだな。
自分がずっと話題を振ってばかりで、小野はそれを静かに聞くだけで。小野の事をまだ知らないでいることにようやく気付く。
「ねえ苑子ちゃん。その人の事をもっと知ろうとするにはどうすればいいんだろうね」
苑子が驚いたように木崎を見上げた、その時だった。
「ドーン!」
擬音と同時に腰に来る突然の衝撃。遠慮のない力が突如としてかかり、前につんのめりそうになる。
声を上げることを忘れ、驚いて振り向く。腰に感じる些細な圧迫感。小さい腕が回されているせいだと分かった時、その少女の顔を見てハッとする。
「あ、花ちゃん」
木崎が問いかけるより先に苑子が反応を示した。花は嬉しそうに苑子にも抱き付く。
「え、えっと・・・?」
「おや、また会いましたね」
どこかで聞いたことがある声に振り向くと、やはり見覚えのある長髪の男がいた。皺の入ったシャツを羽織、大き目のズボンを履いている。
「あ。篠崎さん、こんにちは」
「こんにちは苑子さん。お兄さんもこの間ぶりですね」
まさか木崎と面識があるとは思っていなかった苑子は驚くも、家電量販店での不可思議な話をするとなぜか納得した。
しかし不思議なこともあるものだ。もう二度と会うことはないと思っていた人にこうして出会うと、なぜか決まりが悪い。
「・・・・・・・・・」
木崎と苑子の手を持ってじゃれていた花が唐突に動きを止める。向こう遠くを見つめて固まる花に、苑子が異変を感じて声をかけた。
「花ちゃん、どうしたの?」
が、次の瞬間。
「オリエンタルブルー!」
「!ちょっ・・・」
木崎の手だけを掴んだまま、花が走り出す。突然のことに足がもつれて転びそうになるも、花の勢いがそれを許さなかった。
人混みをすり抜け、ぐんぐん進んでいく。子供の足なので追いつけないことはないが、その分遠慮がない速度に息が切れる。
前を走る花は一直線にどこかを目指していいるようだが一向に緩まない速さに、木崎は永遠にこのままなのかと錯覚しそうになった。
「ね、ねえちょっと・・・」
訳が分からない。この状況を誰か説明してほしい。一度会っただけの子に、手を捉えて走っているなんてどんな状況だ。
木崎の不安も杞憂だったようで、ようやく花が立ち止まる。その止まり方もやはり唐突で遠慮がなかった。
花の目当てはとあるカフェだった。全国区に展開している、安さを売りにしているコーヒーショップだ。
花に導かれるように店内に入る。中は人の喧騒で埋まっていたが、席はちらほら空いている。
花がメニューの抹茶ラテを指さす。どうやら飲みたいらしいそれを、木崎はレジでホットココアと一緒に注文した。喉が渇いたのだろうか。でも走り出す前に何かを言っていたような気がする。根本的に人のいい木崎は、ほぼ他人の花にお金を出すのを躊躇うことはしなかった。
「あ、私も抹茶ラテ」
「苑子ちゃんの分も買うの?」
「もうお金ないんだもん。あ、篠川さんの分も買ってね、場所取ってくれてるから」
いつの間にか追いついたらしい苑子と、ちゃっかり席を確保してくれている篠川の分も買い、それらをテーブルに並べた。
「すみません、僕と花の分まで。おいくらでしたか?」
「あ、それくらいいいですよ」
やんわり断ると強要するのも失礼だと判断したらしい篠川は、もう一度すみませんと口にして、花に目をやった。
「良かったね花。お兄さんにありがとうは?」
抹茶ラテを飲んだ花はニカっと笑って木崎を見た。どうやらお気に召したようだ。
この店の特徴で、飲み物によってカップの柄が異なる。緑の植物があしらわれた紙コップを手にして、苑子は一息ついた。
「いきなり走り出すからびっくりしたよ」
「うん、僕も」
すると篠川がにこりと笑って花の頭をなでる。
「ここに何かあるのかもしれませんね」
「え?」
「オリエンタルブルー」
反射的にイヤホンが入っているリュックに目をやる。
「花の示す色が、何を表すんでしょうね」
にこりと笑う篠川。ザワザワと声が飛び交う店内。
思い当たるのは小野だった。彼女もオリエンタルブルーの事は知っていて、その時は珍しく感情に素直に話してくれた印象を受けたものだ。
いやまさかと首を振る。そんなことあるはずない。
だが無意識に見渡した店内に、見覚えのあるセミロングが映ってどきりとする。
いつぞや見た横顔と同じアングルだった。
視線の先には、いつもよりあか抜けた風貌の小野が、グレーの背広の男と向き合って座っていた。
ほぼ後ろから見る形となっているためか、小野は木崎に気付いていないようだった。いつもの喫茶店以外で、しかも男といるのを目撃し、木崎の心臓が不穏に揺れる。
会話までは聞こえない。だけど二人の周囲だけ、チェーン店特有の気安く明るい空気とは程遠い、無機質で温度の低い雰囲気が伝わってくる。
男の渋い表情が更にその色を濃くしていた。男が一方的に話しているようで、小野は時折ただ頷いて耳を傾けている。
少しずつ男の目が細くなり、やがて何かを悟ったように瞬きをした。しばらくの沈黙の後、やがて男だけが立ち上がる。
小野に何を告げず、じつにそっけない去り方だった。だが小野も男の方に視線を投げかけることもなく、テーブルの飲み物に手を伸ばす。
植物があしらわれている紙コップが、後ろ姿から垣間見えた。視線がぶれてもどかしい。
そんなの、似合わないじゃないですか。
ただ甘い飲み物なんて、いつもは飲まないはずでしょう?
コップから口を離し、しばらく見つめた後、椅子を引くこともせず静かに立ち上がる。そして何事もなかったかのように紙コップをゴミ箱に投げ入れ、さっそうと店を出て行った。
これまたあまりにもそっけない、悲しいほど平然とした後ろ姿だった。
苑子と篠川も、小野たちが発している空気で何があったか悟ったようだった。小野の姿を見て興奮するも盛り上がることもできない苑子は珍しく口を濁し、いい意味で空気を読まない篠川はニコニコとした表情を崩さない。
その場は苑子と篠川が雑談だけして早いうちに解散となった。木崎にとってそれは本当にありがたかった。
そして土曜日。木崎はいつもの時間に『SHINE』の前に立つ。
肩が重い。小野といつも通り何事もないようにやり過ごす自信がなかっった。だけどこの関係を絶ってしまうことはどうしても出来なくて、一つ息を吐いて店に入る。
カウンターの席に、いつも通り変わらない様子で、小野がコーヒーを味わっていた。




