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WWⅡは、昭和だとダメかな照和かな?

作者: sugc1965

WWⅡifに関する概論の補足である。東西冷戦で、日本が東側に着くで、太平洋戦争の中で起きるシミュレーション結果から・・・

 仮想史上のラバウルで、原爆投下を受けた後に出撃から帰還したある撃墜王の飛行士による、アメリカ議会での答弁である。

「私は、たくさんのアメリカ兵を殺してきました。それを持って、死刑となるのであれば、仕方ないと判断します。私は、今、後遺症に悩まされています。また、私を治療してくれたアメリカ人の軍医も、私と同じ病に倒れ亡くなったと知りました。私自身の命も、いづれ病に倒れると思います。

 私は訴えます。原爆によって、失われた命は、戦場で失われる命と同じではないと。原爆は”悪魔の兵器”であると訴えたい」

 この後に、弾劾決議が下院で通過し、大統領が辞任した。


 こういう作品は、読みたいとは思うが自分には描けないという作品ですね。

まぁ、補足である。

 本質的には、時代的に近すぎることが、最悪な状況を生み出すこととなる。これは、現在、生きている人がいるというよりも、戦後70年程度では、冷静に話をすることそのものが、まだまだ難しいということにある。

 今回のWWⅡを、小説として描けないなぁというのも、昔々のシミュレーション時代の誤解と無理解から来ているところがある。確かに、昔々はゼロ戦が格好良いなぁ、21型と52型を掻き分けることすら出来た時代であった。日本の戦車は格好悪くて、タイガー戦車が凄い!!と言っていたのも子供の頃の話である。

 しかしながら、「にんげん」という本が無料で配布され、「黒い雨」を含めて様々な話を子供に刷り込んでいた時代、「Black Rain」が映画化されたのが、1989年で、ようやく背景的な話ができるようになったくらいであろうと思う。


 最近は、自○隊のヘリコプターで「キルゴア中佐」の霊にでも憑かれたようなアニメが放映される時代かも知れないが、まだまだ難しいように思う。映画館であのシーンを観た人間には、個人的にあの衝撃が忘れられない状況でもある。あの映画が評価することが難しいのも、そのシーンだけがピックアップされると、あの映画の評価で誤解を生まなきゃ良いなぁという思いもあります。


 仮想WWⅡの中で、ラバウルとトラックに原爆が投下され、同時に上陸作戦が展開されると、「黒い雨」は、米軍の上陸軍や飛行場の設営部隊等への被害として描くことで、太平洋戦争終結に向けた流れを創ろうとするのも、描くことの難しさだろう・・・

 出撃していた、零戦隊がラバウルに着陸し、凄まじい被害の跡に呆然とする。人という生き物は、一定以上の精神的な衝撃を受けると、思考回路が停止する。これは、「心的外傷後ストレス障害」という表現がなされている。

 仮想WWⅡで議会で、原爆に対する被害証言をおこない、トルーマンの弾劾を努める日本兵とすると、正史から観て大空のサムライにお願いせざるを得ないとか、だけど実名じゃ描けないなぁ・・・アイディアとシミュレーションとなっても描けないなぁという個人的な認識である。



 日米戦は、日本人からすると、良いにつけ悪いにつけ、様々な伝説を生み出した戦いであったように思う。

 日本のアニメで「負けると判っていても、戦わなければならないことがある」というセリフが生まれるのは、この日米戦を戦ったことから始まるような気がする。

 ルーズベルトにとって、切腹的開戦の決意を日本がするという認識が無かったかも知れない。当時の日本にとっては、絶望感であったように思う。総力戦研究所のシミュレートが進んでいく流れは、絶望感を漂わせるモノだったのではないか。

 日本人というのは、困ったことに、「死中に活あり」ではないが、ポジティブな生き物ではないかと思う。絶望の中に、一筋の希望を探す行為であったように思う。昭和16年夏に敗戦が確定したとしても、開戦は決定であった時の問題である。


 日米開戦が、避けられなかったのは、本質としてアジア利権を欲しがるアメリカに対して、提供できる利権を選択できなかったことにある。これは、日本の悪い部分である、誰もが悪者になることで、暗殺される立場になりたくないという点にあった。

 当時の満州における利権は、既に中央政府の制御範囲を超えていて、満州国が独立国であれば、干渉することも困難な状況に追い込まれていたと言える。

 戦後の平成に入ってから見れば、愚かな行為と罵れば済むかも知れないが、中央政府の官僚や政治家を含めて、当時状況で満州利権に絡みつく様々な勢力を調整することは、不可能であったと判断している。国益のために判断するという権限が、中央政府が持っていないというのが、当時の日本政府であった。


 正直に言えば、これは、今も尚変わらない日本の常態となっている。地方に権限があり、中央政府は圧力をかけることはできても、権限を有しないというのが地方行政に対する中央行政の在り方である。

 中央政府は、予算とかを通して、金や権力で圧力をかけるけど、実施責任はあくまでも中央ではなく地方組織が持つ。これが、今も昔も変わらない日本の実情である。

 このため、中央から離れれば離れるほどに、地方行政はやりたい放題になっていくのも、日本政治の在り方となっている。地方にとっては、日本という国の国益ではなく、自分の地域の利益が最優先事項なのである。


 日本が中国領になるか、米国領になるかについては、国益から判断する範囲だとしても、自分の県に基地は要らない、だけど金は寄越せが、県としての利権の主張であり、地方自治体としては正しい。正直に言えば、基地の国籍がアメリカになるか中国になるか程度の違いでしか認識はできないものである。

 現在の日米地位協定が、日中地位協定になって悪くなることもなければ、良くなる事も無い。ならば、どちらの軍事基地があったとしても、地方自治体にとっては県益としては関係ない話となる。


 このあたりの話になると、感情であって、論理ではないし、政治にすらならない。

 WWⅡというのは、様々な意味で、難しさが今尚存在する話になるのだと思う。こんな世界にしたくないという想いが、様々な創造をめぐらせるだろうと思います。殺す相手は、同じ人間ではなく、異世界の人間だとすれば許されるのか?魔物であれば許されるのか?というのは、昔々スターウォーズを見ていた時の思いに繋がるところです。歴史じゃ描けないけど、SFなら描ける。パラレルワールドなら描けるかな?それでも、疑問符になりますねぇ・・・

 自分では描けない。

 WWⅡで思いをはせるときの流れです。

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