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遁走

「・・・そっか、彼はまだ戻らないんだね」

「え?」


 クリスにラナが遅れると伝えて返ってきた言葉に違和感を覚える。

 ルカも同じだったようで、二人できょとんとクリスを見上げた。


 けれど、ルカは急に何かに気づいたように顔色を変えた。

 驚いた表情でクリスを見る。


「もしかして・・・知ってるんですか」


 声が驚きでかすれている。

 クリスは表情を変えずにルカを見ている。

 それはいつもの、仕事モードのときの顔。

 にこにこと、どこか優しげな笑みが張り付いている。

 けれど、眼鏡の奥の細い目だけが、ルカを観察するかのように見ているのに気づく。


「うん、そうだね。・・・君たちのことも昨夜のことも、大体の事は把握しているかな」


 表情も変えずに返ってきた言葉に、ルカが驚愕といった顔色で息を呑む。


 サーシャは意味がわからず、けれどクリスがルカたちに関する情報を得ていることだけはわかった。

 それは、ルカやラナが人には知られたくないことなのだろうということも、雰囲気で察する。


 そう、クリスは情報屋なのだ。しかも腕利きの。

 そのことはサーシャが何よりも理解していた。

 けれど、情報を知りえたとしても、クリスは理由が無ければそれをひけらかしたりはしない。


 情報は力だ。


 うまく使えば金にもなるし、身を守ることも出来る。

 だけど、逆に下手をすれば命を危うくすることにもなる。

 知らなければ良いことも、人の世にはたくさんある。

 それも、サーシャはクリスから学んだのだ。


 そんなクリスが、理由も無くこんなことを言い出すとは思えない。

 サーシャは慎重に言葉を選んだ。


「で、クリスは・・・ルカの味方なの? それとも敵?」


 結局は、そのどちらかしかないのだと思った。

 なんの情報を仕入れたかは知らないけれど、敵か味方か、どちらかによって、情報の使い方は変わる。


 少し間を置いて、二人が驚いたようにこちらを見た。

 そして、クリスが笑みをこぼす。


「そうだね・・・僕は味方でいたいと思っているよ」


 その言葉に、ルカがクリスをまじまじと見返して、嬉しそうに微笑む。

 それは、やっぱり少し大人びた表情で、なんだろう、不思議な感じがした。


「あのね、サーシャ」


 ルカが体ごと、こちらを向いて見上げてくる。

 もともと、しっかり相手の目を見て話すタイプなのは知っていたけれど、どこか決意をこめた眼差しに、緊張がうつってごくりと唾を呑む。


「昨日、全部話すって言ったよね」

「・・・うん」

「僕たちは・・・実は、」


 その時だ。

 急にルカが顔色を変えて、戸口を振り返る。


 秘密ごとを話す部屋よろしく、重厚な扉で遮断されたそこからは、普通はなにも聞こえない。

 直接、扉に耳を押し当てていたとしても聞こえないはずなのだ。

 けれど、ルカは慌てた様子で扉を開けた。


「ルカ! すぐにこの街を出るぞ!」


 すると息せき切ったラナが飛び込んできて、驚く。

 説明もせずに、ルカのと思われる荷物をルカの腕に押し付け、そのまま踵を返して店を出て行こうとする。


「ちょっと待ってよラナ! いきなりどうしたんだよ」


 さすがにルカも納得できない様子で、動かない。

 ラナは顔をしかめてチッと舌を鳴らすと。


「昨夜のことが役人にバレてる。しかも、お前がここにいることも・・・もしかしたら、俺たちの正体も知られてるかもしれねえ」

「! わかった」


 ルカは顔色を変えると、即座にうなずいて後に続こうとする。


「ルカっ」


 咄嗟に声をかけたのは無意識だった。

 それは、このまま二人がこの街を出て行ってしまう。別れだということを感じたから。


「っ、ごめんサーシャ」


 名残惜しい気持ちはルカも同じなのだろう。

 少し寂しそうな顔を見せて、だけどすぐに向き直るとラナの後に続いて部屋を出る。

 しかし、急に立ち止まった。


 訝しく思って見ると、ラナも同じく骨董店の中で立ち止まっている。


 磨かれていなくて汚れで曇りガラスのような骨董店の窓。

 その外に人の気配がした。

 しかも、いつもは閑散としている通りなのに、たくさんの人の気配。


「やっぱり、バレてたってことか・・・」


 チッとラナが剣呑とした雰囲気で、その手が腰の剣に伸びる。

 緊張がうつって、うなじがチリチリする感覚に無意識に首を振った。


「ラナ・・・あんまり怪我させないでね」


 ルカの心配そうな声。

 けれど内容は、ラナじゃなくて相手を気遣うもので。

 こんな状況でもルカらしいなと思って、少し緊張が緩む。


「わかってる」


 そう言って、ラナが今まさに、剣を抜こうとしたとき。


「ちょっと待って!」


 珍しく強い口調でクリスが止めた。

 普段は仕事中であっても、どこかテンポが遅い、そんな彼の声にラナも無視できずにちらりと視線を向ける。


「なにも、正面からいかなくてもいいんじゃないかな?」


 いつものようにへらりとした笑みを浮かべてクリスは続けた。


「はあ?」


 外にいる人たちに向けられるはずだった殺気がクリスに向けられる。

 それでも相変わらずの飄々とした態度で。


「奥に別の出口があるんだよ」


 そして、部屋へと引き返した。


「出口?」


 ルカが首をかしげる。

 それは無理もない、部屋には入り口以外の扉があるようには見えないから。

 あとに続いて部屋に入るといつもどおりに鍵をかける。


「そ、隠し扉だけどね」


 少し得意げな様子でクリスは笑った。



 ***************



「ここなら、しばらくは安全なはずだよ」

「ここは?」

「昔、僕が住んでた家」


 クリスの先導で、役人に見つかることも無くたどり着いたその場所は、サーシャにとっても馴染みの場所だった。


 あの後、クリスは部屋の奥にある本棚の本を数冊抜くと、本棚の中に手を伸ばした。

 すると、ガタンと小さく音が響き、そのままクリスが本棚を押すと本棚の一部が奥へと移動する。

 本来壁のあるべき場所も過ぎて更に奥へと移動して、人一人が通れるほどの隙間が出来る。

 良く見ると、移動した本棚があった場所には溝が掘られていて、動いた本棚は少し浮いていて車輪がそこを通るように設置されているのだとわかる。


 つまり通常この部屋の壁だと思ってしまっている場所は、本棚が隙間無く並べられているから壁があると思い込まされているだけで、この部屋の本当に壁はその移動した本棚が今くっついている壁なのだ。


 そして、本棚が移動することで現れたその壁には普通の扉があった。

 扉を開けると短い廊下になっている。


 その先にあったのは、クリスにはまったく関係の無いと思われる店舗の事務室。

 コンコンと一応ノックをして、返事を待たずにクリスは扉を開けて。


「ごめん、ちょっと通らせて」


 部屋の机でデスクワーク中と思われる、その店の主らしいおじさんに軽い調子で声をかける。

 クリスの後に続いてサーシャたちが現れると、さすがに驚いた顔をしたけれど、クリスがここを通ること自体は珍しくは無いのか、「ああ」と返事をしてうなずいただけで特に何かを聞かれることも無く、一行はそのまま日用雑貨を販売している店舗を抜けて外に出た。


 その後は人ごみにまぎれたり、人目に付かない裏道を通ったりして、無事に騒ぎにならずに、クリスの昔の住処に到着したのだ。


 あんな裏口があるなんて、サーシャも知らなかった。

 でも、クリスの仕事を考えると当然とも言える。

 人の秘密を知るということは危険が付き物だ。

 もしかしたら、他にも自分の知らない隠し部屋とかあるのかもしれないと思った。


 もちろん、出てくるときは本棚を戻して尚且つ扉には鍵を掛けてきたので、役人もそうそう追ってはこれないだろう。


「昔の家? それって逆に見つかったりしない?」


 今、クリスの店から逃げてきたばかりなのだから、関係のある場所は真っ先に疑われる。

 そう思うのは当然だ。


「大丈夫だよ。ここが僕の家だと知っているのはサーシャくらいだから」

「そうなの?」


 首をかしげて見上げてくるルカに、少しためらってうなずく。


 ここはこの街の住宅街の中でも貧困層のエリアの更に外れになる。

 サーシャが初めてここに来たときは、周辺の治安も衛生状況も最悪で、クリスはすぐに別の場所に家を持ったのだ。


 貧困街でも最下層なだけあって、間取りは最低限で二部屋のみ、入ってすぐのところに簡単な炊事場があり、奥に小さい部屋があるだけ。

 今は使っていない家だから、少し埃っぽい部屋にはテーブルと椅子が二脚しか置かれていなかった。


「さてと、じゃあ僕はちょっと出てくるね」


 着いて早々、腰を落ち着ける間もなく出て行こうとする。


「え? どこ行くの?」


 さすがに驚いて声をかけると。


「えーと、簡単に言うと情報収集と交渉。ここに隠れてたってしょうがないし。出来たら争い事なく収めたいし。ツテもなくはないから」


 自信ありげな様子には少しほっとする。

 なんだかんだで、クリスの仕事ぶりは確かだと信頼しているのだ。


「・・・ちょっと待て」


 出て行こうとしたクリスを止めたのはラナだ。

 クリスは今まで特に否も無く、ここまでついてきたラナの静止に少し驚いた様子で振り返った。


「・・・お前はなんで俺たちを助ける? 店から逃がしたのは・・・まあ、成り行きだったとしてもだ。・・・交渉だぁ? そこまでする義理がどこにある?」


 それは確かに不思議だった。

 クリスは情報屋。だからこそ、その価値を下げないために情報の安売りはしない。

 交渉も情報のやり取りの一部だ。

 なんの利益も無いのに動くことは珍しい。


「そうだね・・・ただ単純に君たちのことを助けたいと思ったから」


 にこにこといつもの情報屋の顔でクリスは答えた。


「・・・お前、馬鹿にしてんのか?」


 さすがにラナがドスのきいた声を出す。

 ついでに無意識なのかその手が腰の剣に伸びて、クリスはちょっと本気で慌てた様子で手を振った。


「ごめんごめんっ。冗談だよっ」


 手が剣から離れるのを確認して息を吐く。


「実は・・・この騒ぎが落ち着いたら、君たちに頼みたいことがあるんだ」

「頼み?」

「そう、君たちが適任だと思うんだよね。だから捕まってもらったら困るし、それをきいてもらうためにも、今の状況を平和的に収めたいと思ってる」

「回りくでぇな。なんだよその頼みって・・・今、ここで言えばいいじゃねぇか」

「・・・今はまだ言えないんだ。ちょっと準備が必要で」


 少し困ったような表情。

 さすがにこれは嘘ではないとわかる。


「・・・わかった。とりあえず信用してやるよ。まあ、ダメだったら強行突破するだけだしな」

「ラナ・・・僕は」


 ルカが何かを言いかけてやめる。

 どこか悲しそうな寂しそうな表情で、言葉を捜している様子に、ラナは。


「わあったよっ。・・・出来るだけ穏便に済ます。それでいいだろ?」


 腕を組んでふてくされた様子でそっぽを向く。

 それでもルカは安心したようにほっと笑みを浮かべた。


「じゃ、時間がもったいないし、僕は行くね」


 クリスが言いながら戸口に向かい。


「そうそう、探し人の情報も伝えたいから、ちゃんとここに居てね」


 にこにこと、とてもいい笑顔で出て行った。


「・・・はあ!?」


 ラナが驚いて声を上げて、その反応に逆に驚く。

 それはまるで、ラナは最初からクリスが探し人の情報を手に入れることができないと思っていたような態度だったから。


「あ~~ラナ。なんかクリスは僕たちの正体わかってるみたい」


 ルカがちょっと言いにくそうに言うと、ラナがあんぐりと顎を落とす。


「で、あの態度か。・・・珍しいヤツだな」


 どこか、感心したような視線をクリスが消えた扉に向けた。



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