翼人
「やっぱり、そうか・・・」
クリスは確信を持って、手にした書類を机に置いた。
ここは、骨董屋の奥の部屋とも違う仕事部屋。
接客用のあの部屋は、情報屋としてのインパクトを持たせるための見せる部屋。
本当の仕事部屋は人に見られては困る類の書類や、いろんな情報を集めてクリスが独自に結論を出した情報など、秘密にしなければならないものが溢れた場所だ。
もともと、興味があって調べていたことが、やっと一本の線でつながった。
仮説が証明できたことの喜びで、滅多にないくらいクリスの心は躍った。
そして、ずっと懸念だったあのことも、これで解決するかもしれない。
それは誤算だった。良い意味での。
クリスは、かるくずり落ちていた丸眼鏡を指で押し上げて、少し寂しそうに笑った。
***************
「サーシャ、大丈夫?」
翌日、開口一番にルカに心配される。
「うん、大丈夫。昨日はごめんね」
「ううん、元気になったなら良かった」
ほっとしたような笑み。
やっぱりルカは可愛い。
微笑んで、つい頭を撫でると、困った表情で見上げられて、思わず吹き出してしまう。
「サーシャ・・・」
「うん、ごめんごめん。今日は、ちょっと面白いところに連れて行ってあげるね」
「面白いところ?」
「最近になって、この街に来たばかりだから、街の人も珍しがっていっつも人がいっぱいなのよ。実は私もちゃんと見るのは初めてなの」
人が集まっているところなので、仕事としてなら近くに何度か行ったことはあるが。
「へえ、楽しみ」
嬉しそうなルカと相変わらず仏頂面のラナを連れて、街の中心から少し外れた場所に向かう。
そこには市場に負けないくらいの人ごみと、その奥に大きなテントが見えた。
「これって・・・」
あまりの大きさにルカが口を開けて見上げる。
それも無理もないことだと思って、サーシャも改めてテントを見る。
それは二階建ての家よりも高さがあり、横幅もかなりのもので、本当に布で出来ているのか不思議なくらいの大きさなのだ。
「サーカスって言うらしいわ。動物たちを使った芸とか、人間業とは思えない芸を見せてくれるんだって」
「動物・・・」
ふと、ルカの表情が曇った。
「どうかした?」
「・・・ううん。それより、こんなに混んでたら中に入るの難しそうだね」
「そうなのよね~。入場料もそれなりかかるし。・・・だから、私も今まで中に入ったことはなかったんだけど・・・」
「じゃあ、中に入らなくてもいいよ。周りの店をちょっと見て、別のところに行こう」
サーカスの周りはその客目当ての出店がたくさん出ていて、そちらもかなり賑わっていた。
確かに入るだけで何時間かかるかわからない状況に、サーシャも入る気がすっかり失せてしまっていたので、否もないが、突然のルカの消沈した様子に首を傾げる。
そのまま、周りの店を見て回るが、やっぱりルカはいつもと違ってちょっと元気がないような様子だ。
出店は食べ物を売っている店が多い。
「あ、これ美味しい」
このあたりでは珍しい、魚のすり身を揚げて棒にさしたものを見つけて、それを食べて少し元気が出たようでホッとする。
いつも周りに喧嘩をふっかけているようなラナも、気づくと目を細めてルカを見ている。
ああ、そっかラナって・・・。
サーシャは思わず笑みをこぼした。
けれど、急にラナの表情が険しくなる。
チッと舌打ちして、とある店の中を睨みつけた。
気づくとルカも同じ店の中をじっと見ている。
え?
その表情に驚いて、息を呑む。
感情を削ぎ落としたような無表情。
今まで、素直な感情がいつも溢れていて、わかりやすくて可愛いと思っていた。
しかし、表情を落としたその横顔は急に大人びて見える。
「・・・どうしたの?」
声をかけるとハッとした様にこちらを向く。
その表情はいつものルカで。
「えっと・・・サーシャはここってなんの店かわかる?」
二人が見ていた店、それは・・・。
「見世物小屋・・・」
答えて顔をしかめる。
あまり良い噂を聞かない店だ。
サーカスは芸を仕込んだ動物を見せるところだが、見世物小屋は変わったものならなんでも見せて金を取る。
このあたりでは見たことのないような珍しい動物はもちろん、中には奇形の動物や人などもいて、珍しくはあるがあまり見ていて心地の良いものではないものもあったりして、サーシャは苦手だった。
今はサーカスが興行に来ているからか、見に来る人はほとんどいないようで、人が集まっている様子もなくて少しホッとする。
「そういえば、サーカス団が来る前は、遠くの山奥に住む珍しい真っ白な鳥を見せていてけっこう人が集まっていたみたいだけど・・・」
「そうなんだ・・・」
呟く表情がまた違って見える。
目を細めて睨み付けるような・・・。
・・・もしかして、怒っているんだろうか?
そういえば、今までのルカからは喜怒哀楽の『怒』の感情を見たことがなかった。
最初のときですら、困った様子だったけど怒ってはいなかったし、それ以降も嬉しそうだったり楽しそうだったり悲しそうだったりしても、怒っているのはなかった。
代わりというわけではないけれど、ラナは逆にいつも怒っているようなものだったから、気にならなかったのかもしれない。
「ルカ」
そんなラナが不意に呼んで、ルカの頭を撫でた・・・かと思うと、そのまま今度は両の拳でルカのこめかみにぐりぐりと力を込める。
「いったぁ!! なにするんだよっ」
たまらず叫んで逃げ出すルカをラナが笑って見ている。
その笑顔に、サーシャは驚いて目を見開く。
初めて見たラナの笑顔はちょっと意地悪そうで、でもルカを見る眼差しはどこまでも優しい。
いつもがああだからこそのギャップもあるけれど、やっぱり美形の笑顔って、破壊力ハンパないわ・・・。
ルカがラナに文句を言ってラナは意地悪そうな笑みでこたえていて、なんだか大型犬と子犬がじゃれあっているみたいな微笑ましさがそこにはある。
二人だけのときは、いつもこんな調子なのかもしれないと思った。
「? サーシャ?」
つい、ぽかんとしていると、気づいたルカが目を丸くしてこちらを見た。
口を開けっ放しだったことに気づいて、慌てて口を押さえてから、そろりとラナを見上げる。
「・・・ラナも笑えるのね」
「はあ?」
意味がわからないというように眉間に皺を寄せてこちらを見るラナ。
けれど、いつものあの敵意が薄くなった気がする。
それはサーシャの感じ方が変わっただけなのかもしれないが。
「・・・なんでもないわ」
なんとなく嬉しくなって、サーシャは笑顔を返すと、別の場所に二人を誘った。
***************
「明日は約束の日だけど、どうする? クリスのところに行くのは午後だから、午前中はまたどこかに案内してあげようか?」
二人が泊まっている宿屋の前で、サーシャは聞いた。
「あ・・・明日はいいや。お昼頃に待ち合わせしようよ」
言われて、少しほっとする。
実際はあらかた案内できるところはしてしまったので、明日もとなると、ちょっと考えなければいけないと思っていたからだ。
「じゃあ、明日の正午に迎えに来るわ。クリスにいい情報もらえるといいわね」
「・・・サーシャ」
手を振って、踵を返そうとしたとき、不意に強い口調で呼び止められる。
振り返ると、思わぬ強い視線とぶつかった。
「ルカ?」
驚いて見つめると、ルカは真剣な表情で、けれど少し迷ったみたいに視線を逸らす。
「あのさ、サーシャは・・・翼人をどう思う?」
「え?」
突然の問いに意味がわからない。
質問の意図がわからずに、咄嗟に答えられずにルカを見返した。
ラナが眉間に皺を寄せて、どこか咎めるみたいにルカの肩に手をかける。
「ルカ・・・」
「・・・ごめんラナ。でも僕は」
言って、逸らしていた視線が、またサーシャに向けられる。
真剣な眼差しに、少し息を呑む。
わからないけれど、きっとルカにとってはとても重要なことなのだろうと思った。
そして、考える。
翼人のこと。
二十年前に終わった戦争の相手。
でも、戦後生まれのサーシャにとっては話を聞くだけだった。
人間とそっくりな外見を持ちながら、人にはない翼と赤い特徴しるしを持ち、中には人が持ち得ない魔力を持って、超常現象までも操る者もいるとか。
何よりも人と違うのは、人の五倍もあるという寿命。
そして、実際に翼人と剣を交えたものが言うのはその強さ。
翼があるとか、魔力とか、そんなものよりも、ひとりひとりの強さが桁違いなのだと、サーシャに仕事を教えてくれた男が酒を飲むと良く言っていた。
その男はクリスに情報を売りに来ては、ついでとばかりにサーシャにいろんなことを教えてくれた。
まあ、基本的にはあまり褒められない、裏社会の話だ。
クリスはその男とサーシャが話をするのを嫌がっていたけれど、サーシャにとっては、それまでまったく知ることのなかった裏の世界の話は物珍しくて面白かった。
男は戦争時代、傭兵として働いていたという。
けれど、あまり優秀な兵士ではなかったらしい。
「翼人は強すぎる、正面から戦って相手になる人間なんていない。どんな有名な騎士でも、一対一で戦うことは自殺行為だ。・・・翼人は森の死神だ」
そういって、少し震えていた姿を思い出す。
自分は逃げたから無事だった・・・と。
戦争を知る大人たちは、あまりその時のことを話したがらない。
特に戦地での話は皆一様に口をつぐむ。
翼人の話は暗黙の了解でタブーとされていた。
ただ、母親たちは子供を躾けるときに「わがままを言うと翼人にさらわれちまうよっ」と、怖がらせるネタにすることくらいはあるが。
強くて怖い、死神のような生き物。
けれど、それならどうして・・・。
翼人は戦争に負けたのだろう?
強いはずなのに、戦後は森から出てくることはほとんどない。
残党がいるなんて噂もあるが、それは決まった森だけだ。
森に入らなければ害を加えられることはなく、街が襲われたなんて聞いたことがない。
いや、本当はそんな噂が立つことはあるが、実際に捕まえてみると人間が翼人を騙っていることばかり。
たいていの人間はそれでも、翼人を怖がっている。
でも、サーシャにとっては・・・。
怖いのは、見たこともない翼人ではなくて。
身近な、大好きだった人。
そのほうがよっぽど・・・。
「サーシャ・・・?」
不安げなルカの声にハッとなる。
いつの間にか考え込んでいたようだ。
「えーと、翼人よね・・・そうね、はっきり言うと・・・どうでもいいかな?」
「え?」
「は?」
ルカもラナも鳩が豆鉄砲食らったみたいな、馬鹿みたいにぽかんとした表情で、サーシャを見返す。
逆にサーシャは思った以上の反応に気圧されて、取り繕う言葉を探す。
「だって、実際会ったことないし、いろんな噂はあるけど、なんか信憑性にかけるし。わたし、昔からクリスに情報は自分で確かめるまでは信じるなとか言われてるもんだから・・・」
それに。
「・・・本当に怖いのは身近な人の方よ」
「サーシャ?」
声をかけられて、言うつもりのなかったことまで口から出ていたことに気づいて焦る。
「なんでもないわ。・・・それより、なぜ急に翼人のことなんて聞くの?」
急に、ルカが真顔になった。
どこか大人びて見える表情。
そして、ふっとやわらかい笑みを浮かべる。
思わずドキッとして、目が離せない。
「明日、言うよ」
「明日?」
「うん、全部話すから」
言う言葉が、なにか別の意味を持って聞こえる。
今の質問の答え以上のなにか・・・。
「わかったわ。じゃあ、また明日ね」
気にならないといったら嘘になる。
けれど、ルカのいつもと違う雰囲気に聞くのが少し怖い気がして・・・。
サーシャは足早に帰路に就いた。
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