領主の屋敷
・・・女の子の泣き声が聞こえる。
嗚咽を無理して呑み込む、苦しそうな泣き声。
真っ暗な空間に、膝を抱えた少女の姿が見える。
ふわふわの金色の髪が、品の良い薄いブルーのドレスに落ちている。
嗚咽とともに揺れる小さい肩。
「お母様・・・お父様・・・」
泣き声に漏れる言葉。
途端、目の前に横たわる人の姿が浮かぶ。
折り重なる二人は、血に濡れていた。
女性のきっちり結い上げられていたと思われる栗色の髪がほつれて散らばった頬は、真っ赤な鮮血に彩られ、女性に覆いかぶさるように倒れた男性の落ち着いた金色の髪は、半分以上が赤黒い血の色に染まっていた。
二人の前で泣き続ける少女。
その、か細い肩が不意にびくっと震えて、顔が上がる。
夏の晴れた空のような綺麗な青い瞳。
その涙に濡れた瞳が瞬きを忘れたように見つめる先には・・・。
倒れた男性と同じ金色の髪を、無造作にまとめた男の姿。
表情は翳っていて良くわからない。
その手には剣が握られている。
男が少女に向かって、一歩足を踏み出した。
歩くたびに、剣の切っ先から赤い雫が落ちて、小さな水玉ができる。
落ちた水玉は、そのまま揺らめいて波紋を広げるように少女の足元まで届く。
その瞬間、思わず叫んだ。
「やめて! 叔父様!」
悲鳴のような声に、目を見開く。
そこは見慣れた天井だった。
自室の寝台の上。
自らの声で目が覚めるのは、これで何度目だろう。
すでに覚えきれない数だった。
上半身を起こすと、長く伸びた後ろ髪が視界に入る。
ゆるく癖のある、栗色の髪。
視界から遠ざけるように右手で髪をかき上げると、目をつむる。
夢の記憶を忘れたくて、震える肩を抱きしめながら大きく息を吐き出した。
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「ここが、この街の・・・ていうか、この領地の領主様のお屋敷よ」
そこは一種の観光地となっている場所だった。
美しい白レンガ造りの屋敷。
まるで城のような佇まいだが、これでも8年ほど前に改築されて、城っぽさは半減した建物だ。
それまでは、長年翼人との戦争があったせいもあり、しっかり城という造りだったのを、商人の多いこの街の風景には合わないだろうと、現領主のレオン伯が改築したのだ。
白い色も、この街では近くの山で良く取れる白い石で造られた家並みが特徴だったのもあって、それに合わせて造らせたという徹底振り。
おかげで、こうして人々が観光しに来る場所になったのだから、やはり商魂たくましいというものなのかもしれない。
城だったころよりも、見た目重視に改築がなされ、優美な曲線を描く塔や、塀が屋敷を囲んでいる。
塀や塔の隙間に見え隠れする屋敷は重厚なデザインで、表は立派な柱が並び立ち建物の顔を作り、広いバルコニーがその上に鎮座している。
いちおう、あのバルコニーは公式な場面で領主が民衆に何かを伝える場合に使われる。
そのときばかりは平時は開かれていない門が開放され、その美しい庭に群衆が足を踏み入れることを許される。
通常は警備兵に門扉は守られていて入ることは叶わないが、その隙間から立派は庭園を見ることができた。
ほかの領地や街から来た人間にはとても珍しく映るらしく、この場所も人の行き来が絶えることがない場所だった。
「すごい立派なお屋敷だね・・・僕、こんな大きな家を見たの初めてだよ」
どこか唖然とした表情でルカが見上げる。
「・・・すごいといっても、たかが一領主のお屋敷よ。王都の王宮とかはもっとすごいらしいわ」
サーシャもこの街から出たことはないので、聞いた話だけれど、王都では王宮以外でも、貴族の屋敷はかなりのものだという噂だ。
「へ~すごいんだね」
ルカは想像もつかないのか目をパチクリさせて、適当な相槌を打つ。
サーシャは苦笑して、次の場所へ促そうと口を開きかけて、目を見張った。
門の警備兵たちが動き出したのだ。
誰か、出てくるところなのだとわかった。
周りの観光客たちもざわめく。
「もしかして、伯爵様が?」
「それは僥倖だ。レオン伯はなかなかの人物だと聞こえるからな」
ざわめく人々はこの街の領主を賛美する様子ばかり。
邪魔にならないようにと門の付近から自然と人が居なくなる。
そして、ゆっくりと歩く馬のひづめの音が近づく。
門が開くと同時に出てきたのは馬車ではなく、人を乗せた馬が二頭。
先頭で美しい毛並みの栗毛に乗っていたのが、領主のレオン伯だった。
サーシャはその顔を確認する前に、仕事で身に着けた素早さで、ラナの影に隠れた。
向こうからも見られず、自分も見ずに済む角度へ。
ラナは少し驚いたのか片眉を上げたが、とくに大きな動きはせずに、レオン伯を見上げているようだった。
しばらくして遠ざかる馬のひづめの音。
少しほっとして息を吐いた。
「サーシャ? どうしたの?」
心配そうな声にはっとなる。
自分が、変な行動をとった自覚はある。
慌てて言い訳を考えた。
「なんでもないのよ。・・・やっぱり、あんな仕事をしているから、領主様とか、ああいう人たちには顔向けできないって言うか・・・」
苦しい言い訳だと自覚はあったけれど、ルカは疑わなかったようで、そっかとうなずく。
ラナも、珍しくこちらをじっと見ていたが、とくになにも言う様子はなかった。
「それにしても、立派な領主様だったね。言葉で応えたりはしなかったけど。みんなと目を合わせて笑顔を向けてたよ」
ルカが感心したように言った。
「・・・そうだな。ただ・・・」
ラナが珍しく、言いよどむ。
何かを考えているように領主が去った方角を見ていた。
「ラナ?」
ルカも驚いたような顔で見上げる。
けれど、ラナはしばらくして首を振ると、たぶん勘違いだと言って、話を切り上げてしまった。
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サーシャは自室の寝台の上に寝転がった。
とくに何をしたわけでもないのに体がだるかった。
あのあと、サーシャは体調が悪くなったので、案内を切り上げさせて欲しいといって帰ってきた。
実際、顔色が悪くなっていたのだろう。
ルカにすごく心配されてしまって、ちょっと困った。
看病すると言いかねない雰囲気だったけれど、それだけは断固辞退した。
とりあえず、今日回る予定だった場所だけは教えてきたので、サーシャが居なくても困りはしないだろう。
明日はちゃんとしないと・・・また別の場所・・・ああ、あそこがいいかも・・・。
そんなことをつらつら考えているうちに眠りに落ちていた。
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