理由
それは綺麗な満月の夜だった。
星がかすむくらいの明るさの中、一瞬大きな影が月の光を遮る。
ばさりと羽ばたく羽音が響いた。
大きな翼が月の光を受けて白く輝く。
黒く長い髪が風に散る。
赤い瞳がかすかに揺れた。
「・・・ほかに方法はあった筈なのに・・・」
哀しい呟きが月の青い光に溶けて消えた。
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「サーシャは、なぜ・・・あんな仕事をしてるの?」
クリスの店を出てから、ルカが遠慮がちに聞いてきた。
「それは・・・」
言いたくない。
でも、ルカの質問ももっともだと思って言いよどむ。
クリスにしてやられた・・・と思って、顔をしかめた。
店を出るとき、クリスが言った言葉。
「そういえば、サーシャが仕事を紹介するなんて珍しいね。どうやって二人と知り合ったの?」
クリスはサーシャの性格を良く知っている。
自分が、人と積極的に関わろうとしないことを誰よりも知っているいる人間だ。
つい、言葉に詰まる。
「昨日はだいぶ稼いだって聞いたけど・・・」
そこで、追い込む言葉。
仕事のことなんてサーシャは自ら話したりなんて絶対にしない。
しなくても、なぜか毎回クリスには筒抜けで。
こんなことで、クリスが情報屋としてはやり手だということを痛感する。
・・・きっと、今日の出来事も。
そう思ったら、いちいちごまかすのが面倒になった。
「・・・仕事に失敗した。それだけよ」
「ふうん?」
首を傾げて、ルカとラナを見てからサーシャに目線を戻して、にっこりと笑う。
嫌な予感がした。
「じゃ、そろそろ潮時じゃないかな?」
いつも、クリスには仕事をやめるように言われていた。
危ないし、仕事はほかにいくらでもあるからと。
・・・でも、わたしは・・・。
「やめないわ。ほかの仕事なんて、考えられないから」
クリスは困ったみたいに眉を下げる。
心配してくれていることはわかっている。
けれど、無理なものは無理だった。
これ以上、話すこともない。
クリスもそれ以上引き止めたりしなかったので、そのまま店を出てきたのだが・・・。
ルカが心配そうな眼差しを向けてくる。
真っ直ぐな瞳が眩しくて・・・目を逸らす。
「まじめに働くなんて・・・趣味じゃない。それだけよ」
本当のことなんて言えるわけがない。
不意に風が吹く。
初夏の昼下がりの熱気を吐き出してくれるような涼しい風。
風に誘われるように目線を上げると、雑多な町並みの向こうに、この街でも一際大きな白いレンガ造りのまるで城のような建物が見えた。
「・・・ねえ、そんなことよりも。三日後までヒマじゃない? 観光案内でもしてあげよっか?」
「え? ・・・それは嬉しいけど・・・」
ルカがちょっと困ったみたいに見上げてくる。
「仕事は・・・しないよね?」
不安そうな眼差し、これは・・・心配されているんだろうか?
「大丈夫、しないわよ。・・・今、そんな困ってないし。・・・そうね、ルカたちがこの街に居る間はやめておくわ。手伝うって約束だしね」
安心させるように笑顔を向けると、ようやくほっとしたように笑顔が返ってきた。
「じゃあ、まずは市場を歩いてみよっか?」
「市場? 僕たち、昨日と今日でけっこう見て回ったけど・・・」
「それって、大通りだけでしょ? ここは大きい街だから、大通り以外も店が並ぶ通りがあるし、珍しいものを売っているお店とかもたくさんあるのよ」
珍しいものと聞いてルカの表情が明るくなる。
まず初めに向かった店は、綺麗なガラス細工が集まる店舗。
色とりどりのガラスの破片で作ったステンドグラスを使った工芸品や、色ガラスに微細な彫刻が彫られ、絵が浮き上がったグラス、ガラスに美しい絵が色彩豊かに描かれたランプシェードなど、さまざまな様式や技法の商品が並んでいる。
「この店は遠い異国のものから、この街で造られているものまで、ガラス工芸品なら何でもそろうってのが売りなの」
「すごい! 見たことないものばかりだよっ」
ルカは興奮して、いろんな品物を見て回る。
そのうち、近寄ってきた店員らしい男に、商品についていろいろ質問しはじめた。
どうやって造られてるのかや、どこの国のものなのかなど、店員が四苦八苦するほどの勢いで。
微笑ましくて笑ってみていると、隣に不穏な気配。
目を向けなくてもわかる、ラナだ。
ルカのように商品に興味を持つでもなく、人がまばらに居る店内を見回して、すぐに飽きたように店の外を行きかう人々を見ている。
「ラナは・・・興味がない? 別のところの方がよかった?」
いちおう好みとかは聞いたほうが良かったかもしれない。
ルカは楽しんでくれているが、ラナを無理やりつき合わせるのもどうかと思うし・・・。
すると、意外と落ち着いた声が返ってきた。
「・・・俺のことは気にするな。確かに興味はねえが、だからって行く場所に反対はしねぇよ。・・・俺が観光案内とか言うのに付き合ってんのは、できるだけ人目のあるところに行きたいだけだからな」
ちらりとこちらに落とされた視線は相変わらず好意的なものではない、どこかピリピリとしたものを感じる。
けれど、それはサーシャに限らず全ての人間に向けられているらしく、逆にサーシャは慣れてきつつあった。
これって、もしかして警戒しているだけなのかしら。
何に対してなのかはわからないし、警戒している割にルカが見ず知らずの人間と話してもとくに気にするふうもない。
だから、別にルカが危なっかしいから警戒しているとかとも違うってことよね・・・。
やっぱり良くわからない男だと思う。
でも、サーシャの中で『いけ好かないヤツ』から『良くわからないヤツ』にクラスチェンジしたのは確かだった。
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