情報屋
「クリス、居る~?」
サーシャは馴染みの店の扉を勢いよく開いた。
扉には小さなプレートが貼られていて、良く見ると、かすれた字で『骨董店』と書いてある。
ホコリっぽい店内は静まり返っていて、人の気配がしない。
それでもサーシャは気にせずに足を踏み入れる。
その後に続いて店を覗き込むルカは、ちょっと驚いた顔をして店内を見回して。
「サーシャ、このお店って・・・入っていいの?」
ちょっと不安そうな声を上げた。
それも無理もない反応だ。
店内には壷やら古そうな調度品やらが溢れている。
店名の通りならば骨董品で商品なのだろうが、すべてホコリをかぶっていて、本当に売り物なのか? と、疑いたくなる有様なのだ。
「あ、うん。これがこの店の平常運転だから、気にしないで」
っていうか、先日も「掃除くらいしたら?」と言ったばかりなのに、代わり映えしない店の様子に嘆息する。
いつも通り、雑然と置かれた商品をひょいひょいと避けながら、店の奥へと向かう。
店の奥のほうは大きい本棚が店内を区切るように置かれていて、その奥のプライベートスペースに居るはずのこの店の店主に声をかけようと覗き込んで・・・サーシャは一瞬固まった。
「・・・なにしてんの?」
そこにいた目的の人物と目が合う。
「・・・あれ? サーシャ、いつ来たの?」
「今だけど・・・っていうか、それって大丈夫なの?」
「う~ん、実は動けないんだよね」
とくに焦った様子もなく、いつもの調子でこの店の店主、クリスは応えた。
その身体の上にはたくさんの本が乗っていた。
うつぶせの状態で背中から足にかけてまで、本の山ができている。
だけど、その手には開かれた本が一冊。
「もう少しで読み終わるから、ちょっと待ってて」
そんな状況なのに、助けを求めるでもなく唯一動く手の先でページをめくる。
「・・・クリス」
しばらくしてサーシャは声をかける。
クリスが目線を上げるとにっこり笑って、その手にある読みかけの本を、えいっとばかりに奪い取った。
「ええ? サーシャ??」
戸惑う言葉と非難するような眼差しを無視して、手にした本をぱたんと閉じる。
「ちょ~っと待てないかな? ていうか、なんでこんな状況になってんの?」
笑顔のままで言うと、クリスがびくっとなる。
「え~と・・・本を片付けようと思って、本棚の上のほうに入れようと思って、でも踏み台がないから本を積み上げて、そこに乗ったら・・・」
案の定、足を滑らせて足場にした本が崩れるばかりか、慌てて本棚に手をかけた反動で、本棚にもともと詰め込まれていた本までも落ちてきて、こんな状況になったらしい。
「理由はわかったけど、なんで助けも呼ばずに本を読んでるのよ?」
ちょっと頭が痛くなって額を押さえる。
「あ、そうそう! ずっと探していた本が、ちょうど落ちてきたんだよ! あんなところにあったなんてな~。見つからないはずだよ」
文字通り本に埋もれて身動きできない状況なのに、顔を輝かせる様子に、本気で頭が痛くなって、がくっと首を落とす。
「そんなの、片付けてからにしなさいっ。まったく、いっつもちゃんと整理しないからこんなことになんのよっ? わかってるっ?」
「う・・・ごめん」
言われて、クリスはうつぶせの状態で落ち込んだみたいに顔を伏せる。
「もう、いいから。とりあえず片付けるわよ」
サーシャはクリスの背中に乗った本を、横にずらして積み上げはじめる。
クリスは動けないのでされるがままだ。
「え~と、サーシャ?」
後ろから声をかけられて、冗談抜きに驚く。
ルカたちが居るのをすっかり忘れていた。
クリスの誰? という視線はとりあえず無視する。
「・・・手伝おうか?」
遠慮がちに言われた言葉に、笑みを返すしかできない。
「う、うん。そうしてくれると助かるかな?」
ラナはともかく、ルカにまで呆れたような視線を向けられて、サーシャはいたたまれなくなった。
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「えっと、これがこの店の店主のクリス。・・・で、情報屋でもあるの」
助け出したクリスを指差して、サーシャは二人に紹介した。
「情報屋?」
ラナの不審そうな声に、苦笑する。
「こんなでも、いちおう仕事は確かよ」
くたびれた服に伸ばしっぱなしの灰色の髪を一つにくくった頭、ちょっと変わったデザインの丸眼鏡。
その頼りなさは、別にいつものことなので隠しようもない。
「・・・クリス。この子はルカ、こっちはラナ。二人は人を探してるんだって」
「人探し?」
眼鏡の奥から髪の色と同じ灰色の瞳で、クリスはじっと二人を見た。
ちょっと頼りなさそうな面影が災いして、ぱっと見二十歳そこそこくらいに見えるけど、実際は二十代後半、たぶんラナと同じくらいだ。
クリスは二人を交互に見る。
すると、急に二人の雰囲気が変わる。
とくにルカはあからさまに、顔がこわばった。
?・・・緊張してるのかしら?
「えっと、お願いできますか?」
ルカが恐る恐るといった感じで、言う。
ラナはただじっとクリスを見ている。
「・・・じゃ、奥へどうぞ。そっちの仕事は奥で請けているから」
二人の変化を見ても、クリスはいつもと変わらない様子で、奥へと誘った。
本棚で間仕切られたプライベートスペースの更に奥に、ちゃんとした部屋へと続く扉がある。
クリスに促されて部屋に入る。
窓のない部屋は昼間でも薄暗い、クリスは慣れた様子で灯りを点ける。
灯りに照らされたその部屋は、雑多な店とは雰囲気が全く違っていた。
三辺の壁を覆う天井まである本棚には整然と並んだ本がぎっしりつまっている。
部屋の中央には重厚感のあるクルミ材のテーブルがおいてあり、存在を主張していた。
塵ひとつない部屋、あまりの雰囲気の違いに、ルカとラナの驚いた気配が伝わる。
・・・これもクリスの戦略のひとつなのよね。
サーシャは苦笑を浮かべながら最後に部屋に入ると、扉を閉め、鍵をかけた。
この扉も厚みが普通と違う。
『仕事は信用が大切だ』と、クリスはいつも言っている。
この部屋の外、骨董屋はあくまで趣味で、本職はこっち。
明確な線引きと、相手への意思表示をこの部屋一つで行っている。
「どうぞ」
促されて、テーブルに着く。
ルカとラナが並んで座ると、その対面にクリスが、サーシャは少し迷ってからルカに近い側の横の席に座った。
ちらりとクリスがサーシャを見る。
けれど、視線を受けても動かないサーシャを見て、クリスはなにも言わずに正面の二人に目線を戻して仕事に入った。
「で、探しているのは誰なのかな?」
サーシャは部外者だという自覚があった。
だから、聞くのか? というクリスの意思も言われなくてもわかった。
けれど、ルカには手伝うと約束した。
二人が、許すならここから出る気はなかった。
「・・・俺の妹だ。双子の」
ラナが感情を抑えたような声で語る。
自分にも向けられた、あの理由のわからない敵意のような感情を押し殺しているように見える。
クリスは信用が大切と言うが、実際には相手に信用されないことは多い。
だからか、ラナの様子にもクリスは別段気にする様子もなく、質問を続ける。
「じゃあ、歳は君と同じで・・・容姿は似ているのかな?」
「ラナと彼女は良く似てます。でも、ラナみたいに目つき悪くないし、明るくて優しい人です」
ルカが嬉々として声を上げた。
どうやら、ルカはその探し人のことが大好きなのだと、すぐにわかる。
なるほど、だからこの凸凹コンビで人探しなんてしているのね。
ラナは妹を、ルカは大好きなその人を見つけたいのだ。
「じゃあ、居なくなったのはいつ?」
「えっと・・・」
突然、ルカが言いよどむ。
ラナも視線を逸らして語る気がないようだ。
人を探しているのなら、居なくなった時期なんて当たり前にわかることだろうし、探す手がかりには欠かせないものだろう。
「それは、言えねえ。他に手がかりもねえ。・・・それでもなにか情報があるなら教えてくれ」
視線をクリスに戻したラナが言った。
ルカは視線を落としている。
言えない理由があるのだろうか?
クリスはじっとラナの視線を受け止めて、ふっと目を細める。
「いいよ、わかった。それで大丈夫。少し、時間をもらうけど」
自信ありげなクリスの様子に、逆にサーシャが驚く。
「え? これだけで?」
思わず声を上げると、クリスは笑ってサーシャの頭を撫でた。
「ちょっと、やめてよ。子供じゃないんだからっ」
昔から、気を抜くとクリスは自分を子供扱いする。
それが、少し癪だった。
「とりあえず、三日後の昼過ぎにここに来て。最低でも進捗を報告するよ。お代はそのときに情報と交換。いいかな?」
ルカとラナの二人はうなずく。
自分に情報を聞いてきた時点で思ったことだが、やはり二人は手がかりに飢えているのだ。
でなければ、いきなり見ず知らずの自分に頼るようなことはしないだろう。
「あ、いちおう聞いておいていいかい? その探し人の名前」
クリスが本当に忘れていたかのように最後に聞いた。
「カーラ。・・・まあ、本名を名乗ってるかわからねえけどな」
ラナの言葉で、なるほどと思う。
けれど、それはその本人が自ら身を隠したという事実を教えていた。
本当に抜け目ない・・・。
半分、感心してクリスを見る。
彼には昔から肝心なところで勝てる気がしなかった。
けれど、だからこそ、たった三日でも何かしらの情報を手に入れてくるかもしれないという期待を覚えたのも事実だった。
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