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始まりの試練 巫女と赤ん坊 幼馴染は異性だった

ひび割れたガラスの破片があちらこちらに散らばる廊下を走る。


自らの体に邪なものを弾く結界の札を直接貼ることで教室のときのように動けないほどではないが、僅かに息苦しさと軽い倦怠感は拭えない。例えるなら、三枚のマスクを重ねて口元に覆い、装飾が沢山施された厚手のコートを頭からかぶった様な重みを感じる。


 そんな状態で走っていれば数分ともしない内に息切れしてしまう。それでも着々と他の教室を見て回っては札を貼り付け、また別の教室に向かう。それをいくつか繰り返した。


しかし、大元がどこに居るかに関しては一向に分からずじまい、すべての室内を周り、果ては各階のトイレにまで足を運んでも大元は見つけられなかった。


気が付けば手元にあった沢山の札は残り一枚。霧雨もまた、数枚の札を残すだけだ。


こんな状態では大元を見つけたとしても果たして倒せるか心配だ。こちらの領域に踏み込んでまだ数時間の凛火は経験も知識も乏しい、それでもこの装備では無理だろうと思わずに入られなかった。


困り果てていると赤ん坊は凛火の髪を引っ張り、指を天に掲げた。

背中越しなので見えない凛火の変わりに霧雨がその行動の意味を考える。そして、思い出したかのように声を上げた。


「そうか、屋上だ。大元は屋上にいるんだね」


「あう、おう、おう、おう」

 赤ん坊は興奮したかのように声を繰り返す。その通りと言っている様な気がした。


二人は階段を駆け上がると、屋上に続く扉の前で止まる。

異様な気配が扉越しからでも強く感じた。凛火と霧雨は目配せしてうなずくと扉を開けて進んだ。


 そこは霧に覆われたかのような空間だった。太陽の光さえまともに差し込まない、暗く淀んだその場所は屋上である事を忘れさせてしまうほど異様だった。


凛火は足元を頼りに少しずつ歩き出した。


「霧雨、気を付けろ」


 声を掛けたのは単に怖かったからだが、霧雨からの返事が無い、急いで振り向くと姿は無かった。


その事実に足が小鹿の様に震えだす。凛火の心に恐怖が蝕み始めた。


「怖い、嫌だ。一人は無理だぞ!!」


 お化け屋敷でも三分と持たず、逃げ出してしまうほどの怖がりの自分にこの状況は最悪である。作り物だと理解してなお、恐怖するのだから、本物だった場合を考えると今すぐ失神したい気持ちだ。


スウッと意識が遠のき始めた時だった。


後ろ髪を強く引っ張られ、強制的に意識を浮上させる。


「あう、あう、うい、ぱあ!!」


 背中で暴れながら声を上げる赤ん坊の存在を意識したことで失神は免れたようだ。赤ん坊が自分が居るのに忘れるなと怒っている様な気がした。


「…お前が居たんだな」


 取り敢えず一人じゃない。そんな安堵感が凛火の表情を優しくさせる。それだけで赤ん坊を愛おしく思えてしまう。


 我ながら現金な性格だと自己反省をしていた時だった。


 これまでにない、重い衝撃と威圧感が凛火と赤ん坊に圧し掛かる。


 目の前の濃い霧の中から気配があった。


 その気配は濃い霧が掛った前方からこちらに向かってくる。


 そして聞こえてくる声はこの濃い霧の中で響く少女のように透き通った声だ。


「今回はどんな母親かと思えば、我が子に対してあまり愛情が感じられない存在だのぅ」


 声と共に気配は更に強くなる、凛火は怖さを抑える様に声を張り上げた。


「だ、誰だ、姿を現せ、いや、怖い感じなら現すな」


 かなりの弱腰発言だが勘弁して欲しい。もう、凛火は失禁してしまいそうなぐらい恐怖を感じているのだ。


故意きりに浮かび上がるどす黒い影が凛火の視界に入った。声はその黒い影から発せられていた。


「それは出来ぬ相談だ……これは必然、人神の子を産みし母親には我が子と共に試練が与えられる。事象を告げる者は既に我の前に現れた」


 黒い影は脈打ち、周りの霧を取り込みながら形を成していく。


「そして今は貴様たちにとって始まりを告げる試練だ」


 生まれたままの姿は無防備でありながらどうしてか畏怖させる、死人の様な白き肌、漆黒の長髪が豊満な胸と下腹部を覆う、長髪の隙間から漏れる赤き瞳の輝きは自らを傷つけ溢れた鮮血のようだ。しかしながらその表情は少女のように柔らかい。


 女は自らの指をなめて、出来たばかりの肉体の感触を確かめると口を開く。


「我が名はシュキ、試練を与える者にして、人神を神に至らしめる者。試練を受ける者達よ、名を聞いておこう」


 無邪気に笑う姿は凛火を少し落ち着かせた。


心なしか威圧感が消えているのもあって、素直に答える。


「私は火野中凛火、この赤ん坊に名前は無い」


 その答えに一転、シュキと名乗る者は身も凍るような表情を浮かべて先ほどとは比べ物にならない威圧感を前面に押し出した。凛火は苦しみのあまり膝をつく。


「我が子に名も付けないとは乃神もとんだ愚者を母親として選んだようだ、だが」


 ゆっくりと凛火に歩み寄ると顎をすくい上げた。


「ふむ、良き整えられた顔だ、恐怖に彩られたその表情は美しいぞ、愚かな母親よ」


 言って蔑むような冷笑を浮かべる。


「我にとっては都合が良い。大人しく試練を受けて失敗するがいい」


 嬉しそうな声でそう言うと凛火の頬を撫でる。その手の冷たさと眼前の恐怖に凛火はもう限界だった。赤ん坊が居ようが最後の一押しがあればもう失神できる。


「試練に失敗すると私は死ぬのか?」


 だから問う。情けなくも失神したいがゆえに最後の一押しとなる問いを震えた声であげた。


 しかし、シュキは冷笑を強めると凛火に背を向けて歩き出す。


 そして姿が霧によって消え去る瞬間、シュキは答える。


「死ぬのは貴様の子だ」


 威圧する気配はそのまま消え去った。


 その場に残った凛火は自分が死なずに済む事に内心、安堵感を抱いた。が、すぐに罪悪感となって心を蝕む。


「私は自分だけ助かれば良いと考えた、一番嫌な感情を出してしまった。心を壊すほど嫌がったのに、辛かったのに、私は最低だ」


 止めどなく溢れる涙と嗚咽が霧の屋上に木霊する。


 懐かしくも心が悲鳴を上げていた。


 死……自ら死を選ぶ事は弱い者のする事。


 でも人は弱い、麻炎が火焚き祭で述べた言葉を、一番理解できるのは凛火だ、何故なら五年前まで精神科に通っていたのだから。


 もしここに凛火だけだったら、死を選んでいたかもしれない。そうさせなかったのは赤ん坊の存在だった。


 赤ん坊は凛火の心を見たかのように大声で泣きだし、後ろ髪を強く引っ張って離さない。


 痛みと背中越しの優しい温もりが悲鳴を上げる感情を静まらせた。


 ゆっくり立ち上がると周りには黒く蠢く靄の集団が今まさに凛火達を襲おうとしていた。


 これが試練だと理解した凛火に恐れは無かった。


 目の前の異系を消し去らなければ名も付けていない赤ん坊が死んでしまう、自分が忌み嫌う自分のせいで。ならば必然的に選ぶのは決まっている。

頭にそう言い聞かせていたおかげだったかもしれない。


 凛火は雄叫びをあげ、巫女としての力を信じる、我が子を守る為に。


 赤ん坊もまた、大きく泣き声を上げ、自分の力を信じた、母親の為に。


 背中を通して赤ん坊が白い靄を発した。靄は己と母親を包み込む。あの時とは逆の現象。赤ん坊が発する力が母親の力を引き出す。


 呼応する力と声は重なり合い、赤ん坊が持つ神側の力、俗に言う神力が凛火に流れ込む。その力は凛火の短い黒髪と瞳孔を激しい炎のような紅き色に変貌させた。


 頭の中で声が聞こえる、その声に従い凛火は言玉を唱えた。


「乃神が持つ力の一端を開放せし、神の力を用いた浄化を司る白銀の炎よ、猛々しい火柱の如く表せり、この場に蠢く哀れな(もん)(じゅ)達を消し去れ」


 言葉と同時に黒き靄達が群がる地面から無数の白き炎が上空に向かって柱の様に燃え盛る。


 白き柱となった炎は地面を伝い黒い靄を燃やしていく。炎に包まれた黒い靄は人が発するような苦悶に満ちた声を出しながら消滅していった。一つ、一つと黒い靄が消えるのに比例して屋上を包み込む霧が失われる。


 すべての黒い靄を消滅させると立ち込めていた霧が払われ太陽の光が屋上を照らす。


 異様な気配も消えて一つの試練に打ち勝ったと確信した凛火は背負っていた赤ん坊を抱き寄せた。


「お前は今日からヒノだ、火野中ヒノ、私の息子だ」


 その言葉に喜びを感じているのか今までにないくらいの笑顔を見せると、赤ん坊は大きく欠伸をした。そして瞼を閉じて眠りについた。


「守ってやるぞ、私は母親だからな」


 言って、自分の瞼が耐え難い誘惑のようにとじていくのを感じる。せめて自分が赤ん坊のクッションになるよう胸に抱いて意識を手放した。


 そのまま意識を失い、後ろのめり倒れこんだ所を今度こそと意気込んで駆け付けた霧雨に支えられるのだった。












 布団に寝かされていた凛火が目を覚ました。起き上がろうと全身に力を入れるも痛みが邪魔をする。すぐ横にヒノが髪の毛を掴んで寝ていたのでひとまず安心した。


 途切れ途切れに麻炎と霧雨の会話が聞こえてくる、とうやら凛火とヒノは学校から運ばれ神殿で寝かされているようだ。

霧雨の荒い口調が耳に入ってくる。


「一方的ですね、理由を聞かせてください」


 麻炎の声は小さくて聞き取れないが随分と長い文言だ、さっきから霧雨は黙って聞いている。祖母のことだ、確固たる理由で持って相手を、この場合霧雨を封殺するだろう。


「結局、教えてはくれないのですか、聞いていて損した気分です」


 凛火も同意する。


 しかし、小さい頃から泣き虫でそれ以上に優しいかった霧雨が怒っている所を凛火は見た事が無い。


 霧雨が声を荒げる。


「留学を許可したのは俺の祖父とあなたが俺の婿入りの話を決めてくださったからだ、それなのに今更無かった事にしろと言われても到底認められない」


 衝撃の真実がここに。少なくとも、霧雨が留学した年数が約十年、つまり六歳の時には夫候補がいたことになる。本人は一ミリも知らなかったが。


「おい、私の婿養子が霧雨だったなんて聞いてないぞ!」


 凛火は思わず声を上げた。


行燈を持った麻炎と酷く驚いた表情を覗かせた霧雨が歩み寄ってくる。


「起きたか、凛火。人神の試練が始まったのじゃな」


 寝ている凛火の耳とまで近づいて言った。霧雨には聞かせられない話らしい。


「やっぱり試練の事知ってたな、いや、それは今置いといて、どう言う事だ?」


 この話は霧雨抜きで話すとして、今はもう一つの方が問題だ。


「わしと霧雨の祖父とで決めた。火野中家は婿を取らねばならん」


 乃神との盟約により火野中家は娘しか生まれない。故に次世代守り人となる長系巫女は婿を取らなければならない決まりだ。


「私に言わなかった理由は?」


「霧雨が十八歳になったら帰国させ、発表させるつもりだった、こやつが一年も繰り上げて帰って来るとは思わなんだがな。聞けば早く帰りたくて通っていた学校のプロセスを速攻で終わらせたようじゃ、凛火は愛されとるのぅ」


 麻炎にそう言われて霧雨は頬を染めて笑う。その笑みが凛火の頭の片隅に引っかかるが、取り敢えず置いておいて話を続ける。


「まあ、破棄と言う理由は分かるよ、うまくいけば私はこの神社を継がなくて済む」


 口にした途端、麻炎はため息交じりに舌打ちまでされ、霧雨は驚愕して口が開きっぱなしだ。それがどれくらい凄いことなのか、祭事や儀式に疎い凛火には理解できなかった。


「馬鹿孫が言ってしまったのだから仕方ないが、つまりはそう言う事じゃ。されど、この事はお前の中で閉まっておけ、我が神社の今後に関わること故じゃ」


「あの赤ん坊が関係するのですね?」


 確信を込めた問いに麻炎は鋭い視線を投げかけた。その睨みにも似た視線は霧雨を硬直させるには十分だったようだ。


「いくら水母神社の直系とはいえこれ以上は言えん。今後、お主がこの神社に色々と関わりたいと思うのであれば尚更じゃぞ」


 暗に、これ以上突っ込めば婿入りの話どころか、霧雨自身が蚊帳の外に永久的に追い出されるぞという脅しだ。


「じゃが、頭の良いお前なら察しくらいは付くじゃろ、それも含めて心に留めておけ。決して他言してはならぬ」


 僅かに怯えを見せる表情で霧雨は頷いた。自分が犯そうとしていた禁忌に触れて冷静になったのだ。


 神社には歴史と伝統、それにともなった儀式がある、火ノ打チ神社の祀り事に対して、いくら兄妹神社と言われる水母神社も口に出してはならない、その逆も然りだ。


 表面上は納得を見せる霧雨に対して心うちを見透かした麻炎は静かに語る。


「婿が破棄になったからと言って、お主と凛火の関係に口を出すつもりは、わしには無い。この先どうなろうと本人達次第という事じゃ。お主が凛火を本気で手に入れたいのであれば水母神社の神主、お主の祖父と話を付けるが良い、幸せな事にそれが出来るであろう」


「そこに私の意思は反映されないのか?」


 自分の存在を無視されて続けられる話に待ったを掛けた。


「言ったであろう、本人達次第。お主は自由を勝ち取り、自分の意思で好きな者を選べばいい、それだけの器量はある、じゃが、わしとしてはせっかく自由になれたのじゃ、選んだ男は柵を持たぬ者、その方が好ましい」


 この先、子供は望めないのだから、そのせいで悲しい想いをしてもらいたくは無い。祖母の小さな望みだった。


 霧雨はその言葉を自分と置き換えていた。婿が破棄になるのであれば、跡継ぎと成るが定めの自分が、凛火を手に入れる為にはそれらすべてを捨てる事しかないと。


「分かりました、祖父と話を付けます。そして手に入れて見せます、小さい頃からずっと叶えたい夢でしたから」


 神々しいと呼ぶに相応しい笑顔が凛火に理解させる。本当に自分のことが好きでたまらないのだと。


 異性として好きかは別にして凛火も霧雨の事は嫌いでは無い、むしろ好きだ。顔面偏差値の良さに加え、中身も成長して頼れる存在などある意味完璧人間である。そんな人間に優しくされて嫌いになれるはずがない。


何より嬉しそうに笑う姿が、ヒノの私に向ける笑顔にそっくりで……。


「か、か、帰れぇぇぇぇぇ!!」


 異常に真っ赤な顔をした凛火に神殿から追い出され、ついでに麻炎も追い出された。


 霧雨は半泣き状態で境内に立ちつくす。


「フラレてしまったの」


 横に立つ麻炎がボソッと呟けば霧雨はボロボロと涙を零し始めた。冗談で言ったとはいえ、憚らず泣き出した霧雨に罪悪感が沸く。


「えっとだな、あれは多分じゃが、凛火が初めてお前を異性として認識したのだ」


 フォローを多分に込めて見解を述べれば霧雨が顔だけを向けてくる。鼻水と涙を垂れ流しても美麗は美麗だなと麻炎は思う。


「だからこれは一歩前進したわけじゃ。良かったのう」


「そうなんですか、やった、やったぞ!!」


 別の意味で涙を流しながら喜ぶ、霧雨に麻炎は呆れる。


 認識されたぐらいで歓喜するぐらいだ、自分が凛火に異性として端にもされていないことを十分理解していたようだ。ただ、理解されたからといってそのまま選ぶとは限らないだろう。未来は可能性の数だけ存在して、霧雨とは別のタイプを好きになる事だって十分有り得るとはさすがに可哀想なので麻炎は言わなかった。


 喜び弾む足で石段を下りて行く霧雨に麻炎は声を掛ける。


「のう、霧雨よ、お主の祖父に言伝を頼まれてくれぬか?」


 霧雨は振り向いて頷いた。


「二度も辛い思いをさせて済まぬ、と」


 霧雨は伝言として頭の隅に置くと、先ほどの余韻を思い出しながら帰路についた。




 後に残った麻炎は悲痛な表情を浮かべて、夕闇に沈む空を眺めるのだった。


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