巫女の夢、親友の顔、老人の出落ちは勘弁
性格にはおかしいと表現してもいいのか分からない夢だ。始まりが何時だったのか覚えてない、それでも夢の内容だけは忘れられなかった。いや、忘れさせてくれないそんな夢。
始まりは単純にすべての景色が真っ暗な場所に自身が佇んでいるというシンプルなものだった。
そんな夢が二日ほど続いたある日、唐突にその暗い空間に燃え滾る炎が走る。その炎は自分を囲うように移動して、危険だと理解した次の瞬間には既に軽く自分の背丈を越えた炎に囲まれているのだ。
「熱いとは感じないからこれが夢だと理解はするんだ。でもな…」
今度は二日たっても夢は変わらなかった。何日も何日も同じ夢を繰り返して見続ける。変化のない夢は凛火にとって酷く精神を酷使した。後悔と懺悔を繰り返してきた過去の日々を思い起こさせるから。
「夢の内容がどうあれ私にとって変化のない夢は悪夢でしかない。ようやく見なくなったと思っていたのに」
そして何をしていても忘れさせてくれない夢は凛火に永続的な拷問行為を行っているようなものだ。
唯一の救いは通っている高校での睡眠だ。何故か学校にいる昼間の時間帯はいくら寝ていてもあの夢を見ることはなかった。
凛火が次世代の守人候補だからだろう、教師は儀式等のことで寝不足なのだと勘違いして黙認する。この神生町ではごく当たり前の光景だ。
「過去を忘れるなってことかよ……」
そう呟きながら凛火の手は無意識に羽織っていた薄手のコートに付属するポケットの中に手を突っ込み、中にあるものを見つけるとそれを強く握り締めた。
凛火の体が小刻みに震えだす。祥子に夢の話をしたからか、それとも燃え盛る焚火を見すぎたせいなのか、先ほどからあの赤い炎に包まれた夢が頭に何度も過ぎってしまう。
助けを求めるように祥子を視界に移せば見知らぬ杖をついた老人と楽しく会話している光景が映し出されていた。内容までは聞こえないが結構な声量で口を動かしているのがわかる。
凛火は視線を一度焚火に戻し、再び祥子を視界に移した。
祥子が手を叩いて大爆笑していた。見知らぬ老人も若い子と話せて嬉しいのか、小刻みに肩を揺らして笑っている。
凛火は目を瞑り軽く米神を揉むともう一度だけその目に祥子を移した。今度は老人が所有する杖をゴルフクラブに見立て何度もスイングをしている。老人がそれを見て小さく拍手していた。思わず凛火に芸人張りの二度見をさせたぐらいの衝撃だった。
強引に悩みを語らされたに聞き役は見事にガン無視、あまりの対応に怒りを通り越して呆れるしかない。
さて、とりあえず未だにスイングする祥子『スイングするたび素人目に見ても上手くなっているのが凄い』に声を掛け、状況の整理をしたいと告げれば不満げにその手を止めた。見知らぬ老人も何故か不満げだ。まるでこちらが空気を読めていないと言わんばかりの態度に理不尽さを感じるが、このままでは先に進まないので無視だ。
「まずそこにいる老人は参拝客か?」
まず一番に浮かんだ疑問を問えば、祥子は一応頷く。
「たぶん、そうではないかと思うのです」
曖昧な回答を付属され、凛火は困ってしまう。
「…参拝客だから会話していたんだろ?」
だから至極当たり前のことを問えば祥子は否定する。
「このご老人がお汁粉を飲みたいと言うものですから参拝客かな? と思いまして」
祥子の回答はますます理解しがたい。
「だからその参拝客である老人と楽しく会話していたんだろ?」
「ですが、お汁粉はもう無くなってしまいましたから謝ったのです」
会話が噛み合わない。
「おう、だからそのやり取りの後、私の相談を聞かずに楽しく――」
「ところがご老人はどうしても飲みたいと申しまして、あまり駄々を捏ねては困りますと言ったのですが聞いてくれなくて」
「うおぉぉぉい、だから楽しく会話していたのをまず認めろよ!」
「認めま、す?」
「え、なんで最後が疑問系? 違うだろ、確実に楽しんでいたよな? フルスイングしていたよな? 確実に視線はグリーンを目指していたよな?」
「いえ、むしろカップを目指していましが」
「素人の癖にどんだけ、向上心が高いんだよっていうかようやく認めやがったなぁぁぁぁ、しゃぁぁぁぁ!」
わが意を得たと言わんばかりに歓喜とも怒気とも呼べる声をあげて祥子に詰めよった。
しかし、祥子はあせる様子も見せず澄ました笑みを浮かべるだけだ。
そうなると自分だけ興奮状態というのもバカバカしくなるもので高ぶっていた感情が見る見る萎んでいく。
「はあ…もういい。相談する相手を間違えた」
酷く落胆した様子に落ち着いていた祥子が焦りだす。おろおろと視線をさ迷わせ口を開いては閉じること数回、最後は苦悶の表情を浮かべて俯いた。
不穏な空気が漂う中、ここにきて傍観していた老人が動く。
「お嬢さん、彼女は私と楽しく会話をしていたわけではありませんよ」
老人特有の萎れた声に二人は勢いよく顔を上げた。
驚きを見せる凛火。同じく驚きを見せる祥子。両者は同じ驚いた表情を浮かべているがその実考えていることはまったく別物だろうと考えて老人は凛火に視線を向ける。
「黒髪のお嬢さん、私の存在を忘れていましたね?」
図星だったのだろう、凛火は素直に頭を下げて謝罪した。
「そして茶髪のお嬢さん、私からお話しても?」
次に祥子の方へ視線を向ければ首を横に振る姿が映る。
しかし、老人は無情にも口を開いた。
「茶髪のお嬢さんは酷く慌てた様子で私の元へやってきました」
「だめ!」
「そしてこう言ったのです。親友が苦しんでいます。どうか私に合わせて会話してくださいと申しました。そして私はそれに合わせただけでございます」
老人の言葉で凛火は己の体を抱きこんだ。そして本当の意味で理解する。体はもう震えていなかった。
「馬鹿祥子…」
震える凛火を救いたくてしたとっさの行動は祥子の精一杯だったのだろう。
「愚かだと笑ってください。これぐらいしか思い浮かばなかったのですよ」
「だから頑なに認めなかったのか。で、最後に認めたのはフリか?」
「やるなら徹底的にと思ったのですが……」
「居た堪れなくなったと」
「予想外に辛かったのです」
「気づいてやれなくてごめん」
「いやいや、気づかれていたら本末転倒ですよ」
「じゃあ、震えを止めてくれてありがとう?」
「何で疑問系ですか、仕返しのつもりですか、もう」
先ほどの不穏が嘘のようにお互い軽口を叩き合う姿はもう平常どおりだ。
そんな中、老人が言う。
「いやはや、麗しい友情ですな。心を暖かくさせていただきました。そうなると体の方も温めたいところです」
暗にお汁粉を求めていると言っているのだろう。
「残念ながら本当にお終わってしまったんだ。私としてもお礼をかねて出したいところだが」
一から作るとなるとそれ相応の時間が掛かる。市販のものでも山を降りなければならない。どっちにしても今すぐには無理な話だ。
「仕方がありませんな、では代わりのものをいただきましょう」
そう言って老人は二人の目の前まで歩み寄る。
「あなた達のおっぱいを飲ませなさい」
それはごく自然に最案だと思わせるほどの淀みない口調だった。
思わず頷いた凛火は自らの手を胸に、
「死にさらせ。エロうじん」
行くはずもなく、老人の顔にロックオン。その時間僅か一秒。後は力強く握るだけ。
メキメキっと人体が出してはいけない音を奏でれば老人もくぐもった悲鳴を上げる。
「そ、そんな。私はお二人の友情の架け橋になった功労者」
「私の感謝の気持ちを返せ、エロうじん!」
なお更その手に力が入るというものだ。
「ごめんなさい痛いです冗談ですおちゃめな老人の戯言として寛大な処置を!」
その必死の懇願に込めていた力を少しずつ抜く。
「あ、でも少し気持ちよくなってきました。新たな扉が開か―」
凛火の心に気遣いという単語が消えると己が持つ最大の力を込めた。
「れぬぅぅぅぅぅ!!」
「私のフルパワーがうなるぜ」
「死んじゃう、私が死んじゃうぅぅぅ!!」
「の割にはしぶといな、もう少し力を込めるかっ」
「まだ上限があるのぉぉぉぉ、嘘つきぃぃぃ!!」
メキメキ音からゴキゴキ音にレベルアップした。
「出落ちは嫌ですぅぅぅぅ!!」
ようやく命の危険を感じたのか、老人は凛火の腕を必死に掴み外そうともがき出した。残念ながらびくともしていないが。
傍観していた祥子は老人の足が痙攣しているのを見て取ると流石に洒落にならないと感じて二人の間に割り込む。
「凛火、さすがに死んじゃいます、親友のために拘置所通いは勘弁してほしいです!?」
祥子の必死の…若干ズレてる発言ではあるが…叫び声で凛火は我に変えるとその手を放した。
「私としたことが人生を溝に捨ててしまうところだったぜ。正気に戻してくれてありがとよ、祥子」
確かな感謝を込めた言葉に祥子は謙遜の意味を込めて首を横に振る。
「感謝されるほどではありません。拘置所に差し入れを持っていく手間を考えれば」
ただ、あくまでそこは譲らない祥子である。
「お前が結構ひどいやつだと十年来の付き合いで理解していたさ。でも何故だろう心が悲鳴を上げそうだ」
胸を押さえ凛火は形容しがたい表情を浮かび上がらせる。それでも祥子は止まらない。
「後、追い咲き短いエロうじんを潰したところで私の視界に醜いものが映るだけです」
「私が悪かったとはいえ、初対面でここまで言われる筋合いはなくね? 頭より心のほうが数倍痛いのですが」
新たに加えられた理由によって心身ともにダメージを食らった老人は地面に崩れ落ちた。ご愁傷様である。
地面に蹲る老人の横ではどうやら心のダメージが時間差で膝に直撃したのか凛火が同じように蹲っていた。
亀みたいに蹲る二人を見ながら自愛に満ちた笑みを祥子が浮かべる。
「もちろん、冗談ですからね。お二人とも」
この時、蹲る二人は思った。言葉は違うも同じ内容の思いを祥子に向けて。
(私を救おうとしてくれた姿と今の姿、どちらが本当のお前なのだろうな)
(この方の二面性は侮りがたく、本質をわしにすら読ませないとは)
賢い二人はもちろん口に出さない。
膝をプルプルさせながら凛火が立ち上がる。そして祥子に向けて頷いた。
「私はお前を信じているさ、祥子」
(信じなければ私の存在理由が危うくなる気がする)
杖を支えに老人は立ち上がると深く頷いた。
「わしも信じましょう。あなた様は老人を労われる人格者です」
(肯定しておかねば今度こそ出落ちしてしまう気がするの)
祥子は良かったと一言述べると変わらない自愛に満ちた笑みを惜しみなく二人に向ける。その笑みが恐怖に感じる、凛火と老人なのであった。
二話です。