巫女と親友、弟と息子の人生相談 始めての喧嘩偏
凛火が迷子センターに駆け付けた頃、水好璃雨と兄の霧雨は正装にあたる浄衣を羽織、烏帽子を被ったスタイルで水母神社の奥神殿、水時の間に赴いていた。
水時の間とは火ノ打チ神社の神殿と同じく、水母神が鎮座する場であると言われ、海の傍でありながら淡水がわき上がり、滝となって流れ落ちている場所だ。室内でありながら流れ落ちた水は泉になっており、小船で移動する。流れ落ちる滝の前には小さな小島が浮いていた。
二人はオールを動かして滝の傍まで行くと璃雨だけが小島に降り立った。小島の中央には祭壇などが設けられ、雄雄しく流れ落ちる滝と静寂さを伴った泉が相まって神聖な空気が漂っている。
祭壇の前で璃雨が正座して瞑想しだした。水母神のお言葉を頂戴するのと新しく神主となった報告をするのだ。言葉を拝聴出来るのは神主となった者だけで、霧雨は小舟で待機となる。
璃雨が瞑想を始めてから二時間、流れゆく滝が淡い光を放ちだす。これが水母神の降臨の合図だ。
水母神に形となる概念は無いとされている、水の流れる音を通して璃雨の頭に直接、言葉を送り、それを受け取る事で疎通を図るのだ。
更に一時間掛けて言葉を頂戴すると璃雨は静かに目を開けた。
「水母神よ、お言葉、拝聴させて頂きました。水母神社当代神主として申し上げる、我らは際も古い契約によって禁じられている行為をしてはならない。よって一切の手出しはなりません」
滝を見据え、神にすら怯まぬ口調で一字一句を述べる様は小学生とはとても思えなかった、生りは小さくとも立派な神主姿である。
「まして、私情を挟むなど言語道断。不服とあらば、神の裁きを持って答えたし!」
璃雨の問いが部屋に響くと淡い光を放っていた滝がその光を消失させた。水母神が去られたのだ。
璃雨の存在が問いの答えとなった。立ち上がり祭壇を後にする。
ゆっくりと水面を移動する船の上、お言葉を聞きたそうにしていた霧雨に言う。
「ごめん、いくら兄貴でも、内容は秘密だから話せない」
霧雨は船をこぎながら頷いた。
「分かっている。それにしても、水母神に対してあれだけの口を聞いたのは驚いたぞ」
「まあね、俺様は女に優しいが言う時はズバッと言うタイプだからな」
「お前は俺に似てないな。俺には無理だ」
「すぐ、顔を赤くするしね。ある特定の相手だけ」
からかい混じりの笑みに霧雨は苦虫を噛みつぶしたような表情をしたが、実際そういったところを見せているので否定は出来なかった。
「でも、兄貴は行動するときは半端ないと思うよ。だって俺様に神主に成ってくれって土下座までして、夏休みの前半は祖父ちゃんに付き添って説得する毎日だったじゃん」
「やはり嫌だったのか?」
「違うよ、ただ、羨ましいなって思っただけ」
璃雨は水面に浮かぶ自分の顔を覗くとマジマジと見つめた。
「俺様の直感、間違ってなかったのか」
「璃雨、何か言ったか?」
「ううん、何でもないよ、兄貴」
小舟は静かに水時の間を後にするのだった。
神殿から社務所に戻ると座布団で座り、どことなく苛立ちを顔に浮かべながらお茶をすする凛火と頬を膨らませ、不貞腐れたような表情を浮かべたヒノがお尻を抑えながら部屋の隅で立っていた。
「帰りに寄る様に言われて来てみればお付きの人に留守と言われてここに通されたぞ、忙しいなら寄れとか言うな、気にしてしまうだろ」
明らかに棘を含ませた言葉を吐いた凛火に、海から帰るときは寄って欲しいと懇願した霧雨は自己嫌悪に陥る。そんな不甲斐ない兄貴に代わり璃雨が口を開く。
「悪い、儀式だったんだ。で、凛火、何で怒ってるんだ?」
「別に怒ってない」
嘘付けと内心で璃雨は思った。霧雨は凛火のことしか頭にないから気づいていないようだが明らかに凛火とヒノの間に若干の不協和音を感じる。
「親子喧嘩か?」
ズバリそう問えば凛火とヒノは同じタイミングで同じ明後日の方向を見つめて黙る。ここまで息が合う所を見ると喧嘩をしているように見えない。
――大方、凛火がヒノのケツを引っ叩いて泣かして自己嫌悪して、ヒノは初めて叩かれたのが怖くてどう許してもらえばいいか分からないから口を聞けないと言った所か。
璃雨の推理は見事に当たる。
あの後、迷子センターでは凄い怒声と暴言が入り乱れた、初、親子ゲンカが勃発した。ほとんどが売り言葉に買い言葉の内容で傍から見たら微笑ましい親子に見えていたのだが、ヒノが凛火に対して胸無しババアと言ったのは不味かった。気にしている事を可愛い息子に言われ、ぶち切れた凛火は手を振り上げてしまう。が、その行動に怯えたヒノを見て呵責の念に襲われるも怒りの方が勝ってしまい、羽交い絞めにしてケツに振り下ろしたのだ。
祥子が迷子センターに来た時には泣きじゃくるヒノと、叩いてしまった自分の手を見てブツブツと独り言を呟きながら自己嫌悪に陥った凛火の姿があった。このまま遊べるわけも無くお開きとなり、沈んだまま帰る二人を見かねた祥子は霧雨の懇願を思い出し、丁度いい気分転換になると水母神社に寄る様に勧めてくれて今に至ると言う訳だ。ところが、いざ神社に付くと祥子は今思い付いたかのように用事があるのだと言ってさっさと帰ってしまった。まったくもって自由人である。
凛火とヒノの間に漂う不穏な空気は更に強くなっていくのが目で見て分かる。今は一緒に居させない方が良いと判断した璃雨は凛火を霧雨に任せ、ヒノを外の庭へと連れ出した。
池の縁にある大きな岩に璃雨は座ると自分の膝を叩いて座るよう促した。しかし、ヒノは首を横に振って嫌がり、璃雨は苦笑して好きなようにさせた。かなり痛いようで、凛火も加減が出来なかったのだろう。
「凛火の奴、結構怖いだろ?」
ヒノは力いっぱい首を縦に振った。よほど怖かったのか、ヒノの瞳に涙が溜まる。しかし、ヒノには悪いが璃雨は羨ましかった。
「あのな、お前くらいの時に怒ってくれるのって凄い憧れてたんだぜ。ほら、あの当時は心に傷を持ってたせいでお前くらいの歳の奴は無視するか拒絶するかじゃん? 俺様の場合は完全無視されたけどよ、まあ、それで俺のM心をくすぐって好きになったんだけど、少し寂しかったりもした訳だ、だからお前が羨ましい」
当時を思い出しているのか璃雨は遠い目をして池を見る。
「凛ママ、怒ってから口を聞いてくれない、僕を本気で嫌いになったのかもしれない」
声を震わして言う様に璃雨は視線を戻して今すぐにでも落ちそうな涙を拭ってあげた。
「怒るって事はお前を好きでたまらないって意思表示なんだと思う。叩いたのは良くないけど、それは凛火自身も理解したから苦しくて、黙っているのはヒノとどう仲直りすればいいか必死で考えている証拠だよ」
羨ましくもあんなに愛されているヒノがそこまでの不安を口にするのか、璃雨には分からなかった。それを感じたのかヒノは瞼を一度閉じる。そして再び瞼を開くとその瞳は黒から燃えるような赤に変わっていた。
「璃雨兄ちゃん、もし、僕が普通の子供でも凛ママは同じ事をしたと思う?」
炎のように赤い瞳に見据えられ、それでも璃雨は理由の軽さに笑ってしまう。
「なんだ、そんな下らないことを考えていたのかよ。だったらズバリ言ってやる、どんな理由でケンカになったか知らないが凛火なら確実にやる。そして本気で後悔する。お前が普通の子だろうと無かろうと、だ」
ヒノは半信半疑なのか眉を顰めた。それを見て璃雨は笑みを苦笑に変えるとヒノの頭を優しく撫でた。
「凛火は表面上拒絶したり怒ったりするけど、心の奥底ではどんな相手でも優しくせずにはいられない性格なんだ」
昔、璃雨がヒノくらいの歳で凛火に拒絶されていた頃、通っていた幼稚園の友達数人にいじめられていたことがあった。理由は良いとこの坊ちゃんだったからという他愛もないものだったが、祖父は多忙を極め、兄は留学していない。両親とは離れて暮らしていた当時の璃雨にとって頼れる存在は居ないにも等しかった。ところがいじめと寂しさから家で泣いていた日々は唐突に終わりを告げる。ある日いじめていた友達は璃雨と距離を置くようになったのだ。そしてその理由は幼少期を過ぎて小学校に上がった頃、凛火との関係が戻ったことによって判明する。
「凛火の奴、たまたま俺様がいじめられていた現場を見てたらしい。で、その場では無視したくせに後になって後悔して、いじめていた子供の家に乗り込んで両親に詳細に話したそうだ。当人には会いたくないから幼稚園に通っている時間帯を選んでまでだぜ。俺様の為にそこまでしてくれたんだ、すげぇ嬉しかった。そんな奴なんだよ、凛火はさ」
凛火は話したくなかったようだが、拒絶したことによる後ろめたさを盾に聞き出したのだと璃雨は付け加えた。
それを聞いてヒノは璃雨が凛火を本当に好きになった理由を知った気がした。
「たく、お前らって本当に仲良し親子だよ。俺が嫉妬するくらいだぜ、だから馬鹿な事で悩むな。堂々とケンカして仲直りすれば良いじゃねぇか」
「…どうやって前と同じようにできるのかな」
ここまで言ってもまだ不安を滲ませる言い回しに璃雨は深く息を吐くとヒノの両頬をつねった。
「悪いと思ったら謝る、思ってないなら納得するまで話す、断言するが凛火は二度とお前を叩いたりしない。怖がる必要はないから簡単だろ?」
「ホントだ、簡単かもしれない」
つねられながらも笑って答えたのを見て璃雨は思いっきり頭を撫でまわした。
「だったら最初から悩むな、バカ息子……けど、凛火もバカ母親だから丁度良い似たもの親子だ、今度ケンカする時はバカ母親と言ってやれ」
「うん、そうする」
璃雨は、そうしろ、そうしろと言いながら腰を上げた。
「じゃあ、この広い庭を使ってかくれんぼでもするか。俺が鬼になるから隠れろよ、十、九」
「え、あ、待って、急にズルイよ。隠れなきゃ」
ヒノがその場から慌てて駆けて行くのを見届けると苦笑した。
――ホント、お前らは本気で嫉妬するくらい仲が良い。だから別れる時はきっと考えられないくらい悲しみを抱くんだろうよ。
苦笑はやがて自嘲を伴った笑みに変わる。
――けど、俺は何も出来ない、決めるのはお前達で俺や兄貴は所詮蚊帳の外だ。
璃雨の近くにある草むらに隠れようと必死になる姿に可愛さが増すものの同時に心が軋む。その痛みに悲鳴を上げそうになる。咄嗟に口元をその手で押さえて蹲る。
――耐えろよ……俺様。
自身にそう言い聞かせると璃雨は無理やり笑みを形作って立ち上がり、もぞもぞと動く草むらに向けて歩き出した。
「凛火、さっきから障子に張り付いて盗み聞きするくらい気になるなら様子を見に行ったら?」
「いや、微かだが笑い声が聞こえる、少し安心した」
障子から離れると座布団に座って霧雨によって出されたお茶をすすった。それでも視線は先ほどから障子の外を見据えていた。
「良かった、罪悪感に押しつぶされそうな顔してたけど少しは持ち直したみたいだね」
「我ながら精神が幼いと痛感した。我が子に手を上げるなんて最低だ」
朱火の日記に親子ゲンカした記録は今の所無い、それどころか、息子の仕草や言動、息子が抱いた葛藤までもを事細かに記している。要は母親として達観した思考の持ち主ということだ。
「ヒノを愛する気持ちは負けないつもりなんだがな」
「凛火は十分ヒノ君を愛していると思うよ、俺が嫉妬するほどね。それに死ぬほど後悔したならもう二度とやらないだろ?」
「お前の嫉妬は別にして、他人から言われると少し心が楽になる。どんな事があっても、もう二度と手を上げるつもりは無いと心に誓うぞ、後はどう仲直りすればいいか…」
深くため息を吐くとお茶を口に含んだ。
「ねえ、凛火、ヒノ君とは何時かは別れなければならない事は理解してるんだよね?」
霧雨の言葉で含んでいたお茶を盛大に噴き出した。
「霧雨は痛い所を唐突に言う。それが普通の子より早い事も一応理解しているつもりだが」
「だったらそんな事で悩むのってバカバカしいと思う。だって別れを考える方が数倍辛くて悲しいと思うから、一々考えていたら身が持たないよ?」
心臓の鼓動が一瞬、跳ね上がり、凛火は思わず胸に手を当てた。
「…そう、だな」
「俺は凛火が笑ってくれてないと嫌なんだ。ヒノ君を大事に思う気持ちは分かるけど、そのせいで凛火が苦しい想いをするのを黙って見ていられない」
スッと影を落とした様な瞳で凛火を見つめる。
「ヒノ君の存在が凛火を苦しめるなら俺は許さない。どんな事をしても凛火を守るよ」
「き、霧雨、お前…」
自分の表情が強張るのが分かる。同時に心の底で僅かに警鐘が鳴らされた。
「まあ、凛火とヒノ君の親子関係に万が一にも有り得ない事だから言えるんだけどね」
惚れ惚れする様な笑顔を浮かべると凛火の頭を優しく撫でた。
「大丈夫、ヒノ君は凛火が大好きなんだから精いっぱい謝れば笑って許してくれるよ」
凛火は笑って頷くも、心の底で鳴らされた警鐘は止むことはなかった。
それは得体の知れない恐怖からくるものか、はたまたこの先に待つ別れを言い当てられたからか、今の凛火には知ることは出来なかった。
ジャンピング土下座。三ヶ月の放置申し訳ありませんでした。
ただ、今後も不定期になりますです。はい。
終わらせるつもりはあるんです!!
では、また。