一筋の光が更なる混迷を呼ぶ 巫女と親友 息子はおっぱいが好き
八月も後半に突入、夏休みは続く。
朱火の育児日記を手に入れたとは言え、長い間、ヒノをほったらかしには出来ない、家の中でつまらなそうにしているヒノを連れて海に行くことにした、というのは建前で朱火の達筆過ぎる字と昔の漢字を解読するのが困難で凛火は中々読み進めて行けず、頭がオーバーヒート、気分転換も兼ねて祥子も誘い海に来たのだ。
観光客、地元住民で賑わう浜辺の一角にシートを引いてパラソルを立てると凛火と祥子は疲れた表情を見せていた。
「やっと着きましたのです。祥子は半ば海に行くのを諦めてしまいました」
「お前の挑発的なビキニがいけないんだ。ここに来るまで何人の男に声を掛けられたか。その度に断らなきゃいけなかったんだぞ」
水着の上からTシャツを羽織った凛火はクーラーボックスからお茶を取り出すと一気に飲みほした。ヒノは祥子の横で浮き輪を膨らましてせっせと海に入る準備をしている。
「でも、ヒノちゃんがナンパ男達を蹴散らしてくれましたから良かったじゃないですか」
騎士きどりなのは良いがさっきからチラチラと祥子の胸をチラ見している姿を見ていると母親として一抹の不安を抱いてしまう。そして自分の胸を改めて見てため息を吐いた。
この場所に来るまで数多の男達に声を掛けられて、その六割が祥子のスタイル目当て、三割が凛火の発育途上の体目当てだった。まあ、声を掛けてくる相手を見ての判断によるものだが。
そんな二人を守ってくれたのが小さな騎士ヒノだ。小さいとは言えこの騎士は半端じゃない、祥子が少しでも嫌な顔を見せるや、威嚇して自分より遥かにデカイ男に対してでも、俺の女に手を出すなと言わんばかりの睨みを見せつける。大抵相手は一瞬だけ竦むが、すぐに弟かなと判断、無視して祥子に詰め寄る。そうなると大変だ、無視された怒りと男の尊厳に傷を付けられた恨みで、その手から炎を繰り出し見せつける。もう隠蔽などといっていられないぐらい使っているので今更注意もしない。もちろん、身体的に傷つける訳じゃないと思われるが、精神的に恐怖を植え付けるのだ。
ナンパ相手は不可思議な子供に恐れをなして逃げて行く。それを見てニヤッと笑い勝ち誇る騎士ヒノは、母親である凛火に詰め寄る相手に初めから容赦ない、僕の母親に声を掛けるとはいい度胸だと叫びながら威嚇無しに炎を発現させ相手目掛けてぶっ放す。しかも、身体的に傷つける為と思われるから放たれた炎を凛火が力で消し去る。余計に疲れる。そんな事を繰り返して今に至るのだ。
「霧雨君と璃雨君も来られれば良かったのに残念でしたね」
「しょうがないさ、璃雨は神主修行として水母神の言葉を聞かなければならないから神殿に籠っているんだ。霧雨だって弟一人にすべてを任せるなんてさせないだろう」
「誘いに言った時、もの凄い残念な顔をしてましたけどね、二人共」
霧雨は確かにこの世の終わりと言わんばかりの顔をしていたが璃雨はそこまで残念そうな顔をしてなかったような気がする。
「そうか? 霧雨はともかく璃雨は祥子の水着が見れないとかじゃないのか」
「祥子よりも魔性の女たる自分をもっと自覚なさい、凛火。霊的な力が無くてもそう言った事に関して祥子は鋭いのです…多分」
「多分かよ、確信も無いのに璃雨を変な目で見てやるな、可哀想だぞ」
「鋭いです、祥子お姉ちゃん」
「ん、ヒノちゃん、今何か言いましたか?」
ヒノは無言で首を横に振った。そして、心の中で恐るべき恋愛眼の持ち主と賞賛した。
祥子とヒノが海で楽しく遊んでいるのを遠目から確認すると凛火はバックからメモ帳を取り出して目を通し始めた。
老人から譲り受けた育児日記を現代語に翻訳する際に使っているメモ帳だ。今まで翻訳された分が書かれている。
「やはり、私と同じく朱火さんも火炊き祭の直後に人神の子を産んだ、けど、取り乱す事無く受け入れ、儀式を全うしようと心に決めてこの日記帳をつけると書かれていた、でも」
その直後から書かれていた内容が『酷い』の一言に尽きる、一例として現代語に翻訳してメモ帳に書き記したものの中で印象的な物を上げる。
『私は朱火、まだ十四歳の美少女よ、なのにどうして私が子供を育てなきゃいけない訳、有り得ないんですけど。つうか、私の股からこんなのが出たのが有り得ねえって。この歳で子持ちかよ、ふざけんな、何で天才の私が子守りしなきゃいけないわけ、面倒臭い。こんな事になるなら顔だけは及第点の時雨に押し倒された時に素直に受けとくんだった、て、言うか私に言い寄る男と片っぱしから』
「さすがにこの先は読めない、うん、R的な事情で読めない」
とにかく20ページにも及ぶ壮大な愚痴と儀式に関しての罵り、そこに我が子に愛情を注ぐ様は一言も書かれていなかった。
「私が初めてヒノを見た時はそこまで思わなかったぞ…多分」
朱火は本当に麻炎が慕うほどの凄い人なのか、疑問に思う。
愚痴と罵りの後、取り敢えず子供に火の神の子供と言う事でカシンと名を着けると書かれていた。昔の人は安易なネーミングセンスだなと凛火は鼻で笑ったが、自分も同じように火野中家だから頭の二文字を取ってヒノにした安易なネーミングセンスに自己反省する。
その後はまた、育児に関しての愚痴が続く。我が子は愛想がない、夜泣きが酷い、母乳を良く飲むから、面倒くさいなどを二カ月にも渡って書かれていた。つまり、二か月もの間、赤ん坊のままと言う事になる。
「ヒノは次の日にはもう成長していた。やはり成長には愛情が必要なのか」
ここまでを読み終えて、愛情が乃神にする為に必要不可欠だという事が分かった。考えて愛情を持った訳じゃなく自ずと持つ事の出来た自分に安堵する。
「ほんと、ヒノのおかげだ」
二か月にも渡る愚痴の後から朱火の書く文体にも変化が訪れていた。そのきっかけになったのが試練を与える者との出会いだったようだ。対峙する中、カシンを守らなければならないと、心に抱いた気持ちが愛情の雛型となったと書かれている、時期は遅いが凛火と同じだった。
「そしてこの先からもう翻訳するのも恥ずかしいぐらいの親馬鹿ぶり」
朱火はカシンとの一日を丁寧にかつ、親馬鹿ぶりが惜しげも無く注がれた文章になっていく。その一例として、ある日の出来事を翻訳したものがある。
『今日は久方ぶりの配給ででかい芋を貰った、残念だけど赤ん坊のカシンは食べられない。ホントは一緒に食べたいけどね、テヘッ』 これは翻訳の過程で凛火が勝手につけたもので、厳密にはテヘッとは書かれていない。ただ、言い回しから言ってそうという予測の元つけただけだ。
『境内の落ち葉で焼き芋をしたくて落ち葉を集めたら火を忘れちゃったの、そうしたらおぶっていたカシンが力を使って落ち葉に火を付けてくれたの、マジ感激、優しいカシン、母親想いで最高の息子。赤ん坊の頃から優しすぎ、きっと大きくなったらたくさんの女の子にモテモテ間違いなし、少し嫉妬、なんてね』
何度も言うが、翻訳したのは凛火だ。
『焼き芋を食べれて嬉しくて微笑んだら、カシンも笑ってくれたの、それだけでもうお腹いっぱい。でもね、少し寂しい、この気持ちをカシンと一緒に分かち合いたいの、同じ物を食べて一緒に笑いたいの、だから言っちゃったの、大きくなったら一緒に食べようねって。そしたらカシンが急に泣いちゃった、ホント私の馬鹿、最低の母親、笑って居てくれるだけで良いのに泣かすなんて、思わず自害しようとも考えちゃった』
「うん、笑えないな。私も危うく自害しそうになった……」
芋を焼いた次の日には今のヒノぐらいまで成長したと書かれていた。母親が望みカシン自信も望んだ事により神としての部分がそうさせたのだろうと付け加えられていた。
凛火も納得する。状況は違うが望み望まれたのは確かだ。
「この先から違和感を抱かずにはいられない内容になるんだよな」
凛火は頭を抱えながらメモ帳を覗く。
成長したカシンと共に試練を与える者と対峙する日々が書かれていた。試練の内容は凛火達と同じく危険を要するものだが、朱火はその内容を自身の力と我が子を成長させる為のプロセスだと考えていた。そして試練を与える者の存在を神聖な神的な存在に位置付けているのだ。試練の話を読むたび育児日記を何度破り捨てようか、そしてその都度大切な遺品だと思い直し寸前の所で押し留めたことか。
試練を与える者に詳細な名は記されていなかった。ただ、漆黒の女性で、時折見せる悲しみの表情が何とも言えない孤独感を抱かせたと特筆されていた。
凛火にもシュキが悲しそうな表情を覗かせた所を見た、その意味を考えた事は無かったが、改めて考えさせられる文章だった。
「で、考えた結果がオーバーヒート」
どう考えてもシュキが人の、主に凛火の心を弄び、試練と銘打ってヒノと自分を傷つけているようにしか思えなかった。これ以降、達筆さと難解な言い回しが増えてきて解読困難をより際立させ、合わせ技で頭が爆発した。もちろん、比喩である。
「ま、私も朱火さんもやる事は変わらない。我が子を守り、乃神として、育て上げる」
朱火がカシンに愛情を持ってから記した日記の最後は何時もこの言葉で締めくくられている。
『明日もカシンが幸せであると望む』
「あの子は幸せなのか? 私といて、やがて乃神となる事で…」
(当たり前すぎて考えもしなかった、私の幸せは既にあの子が幸せである事、乃神となるのが幸せだと誰が知っている、それは乃神となった者だけだ、ヒノが乃神となって幸せになるのなら私は必ず育て上げて見せる。でも、もし、もしも違うのなら私は……)
この町に降りかかる災厄とヒノの幸せを天秤に掛け、凛火は罪の意識に苛まれた。
家族や友が住む神生町、ヒノの笑顔、どちらも大切だからこそ大きい悩みにぶつかった。
「朱火さんも私の様な気持ちになったのだろうか」
くしゃくしゃに握りつぶしていたメモ帳を伸ばしながらそんな事を考えていると、日記の先が気になってしまう。
(朱火さんの気持ちが早く知りたい。帰って、朱火さんの育児日記を解読したい、読みたい、知りたい。でも、ヒノは今日楽しみしていた、今だって……)
悶々とした思考を振り払うかのような人々の叫び声が聞こえ、凛火は立ち上がった。
祥子とヒノが居た場所に何時の間にか海水浴客で人だかりが出来ていた。凛火の頭にシュキの存在を過らせる。
凛火は群れなす人をかきわけ、やがて見えてくる情景に息を飲んだ。
ヒノは紅い炎を纏った手を空に掲げ、直径五十メートル程の火炎玉作り上げて、三人の若い海水浴客を睨みつけていた。祥子は必死でヒノに止めるよう声を掛けている。三人の若い海水浴客はヒノの力に怯えて腰を抜かしていた。
祥子の声を完全に無視して何時でも投げられる態勢にヒノが移った。凛火は迷わず走り出すと三人の若い海水浴客の前で仁王立ちした。
「さあ、放つなら私に向けて放て、全身全霊を込めて消滅させてやる」
凛火は自身を紅き姿に変化させると炎をその手に纏って構えた。凛火の登場にも関わらず、ヒノの焦点は三人の若い海水浴客に定まったままだ。
「僕の邪魔をするのは誰?」
初めて聞く、我が子の戦慄するような低い声に凛火は内心で驚きを見せるも、表面上は笑みを浮かべ優しく言葉を紡ぐ。
「ヒノに人殺しなんてさせる訳にはいかないだろう。私は母親だからな」
その優しい声色を聞いてヒノの焦点が凛火に合わさると驚き目を見開いた。
「凛ママ……」
「馬鹿息子、さあ、どうする、このまま私に向かって放つか?」
ヒノは何度も何度も首を横に振ると遥か遠くの海に向かって火炎玉を放った。
衝撃と爆音が遠くから響き渡ると水蒸気が凄まじい勢いで上空を舞う。ギャラリーは騒然として次に恐怖する目でヒノを見だす。凛火は静かに歩み寄りしゃがんで目線を合わせた。
「ヒノが我を忘れて怒るなんて、何があった?」
震える小さな体、ヒノの瞳からは涙が零れ落ちていた。祥子はそんなヒノを撫でる。
「ヒノちゃんは祥子を守ろうとしてくれたんです。祥子があの三人組にしつこく言い寄られて一人を突き飛ばしたのですけど、その一人が激情して逆に頬を殴られてしまい、それをちょうど駆けつけてくれたヒノちゃんが目の当たりにしたら」
「キレてしまったわけか」
「怒って自分を抑えられなかった、凛ママが来てくれなかったらあの人達を燃やしていた。僕、自分が怖いよ、普通の人じゃないのが嫌だよ」
ヒノはギャラリーが向けてくる畏怖の眼差しを見ないよう瞳を強く閉じて唇をギュッと噛みしめた。凛火は全身で震えるヒノを見て悔しさを滲ませた。
(元はと言えばナンパしてきたふざけた野郎どものせいじゃないか、何故、可愛いヒノが心を苦しめなきゃいけないんだ)
立ち上がった凛火は手に纏う紅き炎で三ミリ程の火炎玉を三つ作り出すと、どさくさまぎれに逃げ出し始めた三人組に向けて放った。
放たれた火炎玉は見事に三人の水着に命中、下半身の緊急事態に悲鳴を上げた三人は海に飛び込んで行った。凛火は極上の笑みを祥子に向けた。祥子も不敵な笑みで返す。
次に凛火はギャラリーに目を合わせ微笑んだ。
「みなさん、どうかこの子を恐怖する目で見る前に私を見てください」
その手に白き炎を発現させて鞭の形状に変えると砂浜を打ち付けた。
「息子が泣いています、母親としては許せない状況です。母が子を想い何するか見物なさいますか、みなさん?」
ニタっと笑みを零し、ギャラリーにいる一人一人と目を合わせる。ギャラリーは我先にと散って行った。凛火は姿を元に戻すと残念そうに苦笑した。
「なんだ、見て行けばいいのに。母が子を想ってする事と言えばこうだろう」
涙が止まらないヒノを抱き上げると頬に思いっきりキスの嵐を食らわせた。
「え? 何、ああ、止めてよ、恥ずかしい」
「泣き止まないと続けるぞ、どうだ」
キスの嵐は続く。溢れた涙はピタッと止まり、顔を真っ赤にする。
「もう泣いてない、泣いてないから止めて。ほら、また人だかりが出来てるよ」
散っていた面々が戻ってきて今度は微笑ましい視線を二人に浴びせている。
「よし、こうなったら見せつけてやるぞ」
キスの嵐が再開されると嫌がりながらもヒノは笑顔を見せ始めた。
「じゃあ、もう片方のほっぺは、祥子を守ってくれたお礼としてキスさせて頂きますね」
祥子がキスすると顔は真っ赤にさせて、それでも嫌がった表情は見せなかった。むしろ嵐を期待する様な顔だ。
「母親の私より祥子を望むのか?」
「ち、違うよ。誤解だよ」
「うっふ、ヒノちゃんは正直ですね。それに見る目がありますよ」
「言いやがったな、祥子。お前は私を見下してる節がある、でもな、成長を終えたら後は下るだけなんだからな」
「成長過程で止まってしまう事もあるのではないですか。そちらの方がよっぽど惨めです」
「なんだと、私は止まってない、何なら見せてやろうか」
ヒノを降ろすと、Tシャツを脱ぎ捨てようと手に掛けた。
「駄目だよ、凛ママ。人がいっぱい見てるんだから止めてよ。恥ずかしいよ」
ヒノは必死で周りに見せまいと止めに入る。
「お前も私の体が恥ずかしいと言うのか?」
「そういう意味で言ったんじゃないから」
「お前は私の母乳で育ったんだぞ、もっとありがたみを持て」
「もう、人前で言わないで、昔の話だよ」
「たった、二か月前の事だろう」
ふぅぅぅぅっと歓声を上げるギャラリーのほぼ男達。事実だが、その意味をちゃんと理解している者は当然いない。
顔を真っ赤にさせたヒノは、凛ママなんて大嫌いだぁぁと、叫んで走り去ってしまった。
「なんだ、事実を言っただけだろ。それなのに大嫌いとは何だ」
「ヒノちゃんも男の子だって事ですよ。ねえ、それより見てください、さっきまで恐ろしい目で見ていた野次馬さん達が笑っていますよ」
凛火とヒノ、祥子の掛け合い漫才にギャラリーは笑っていた。
「ふん、私はヒノに笑って欲しかっただけだ。最後は怒らせてしまったが」
「凛火、ヒノちゃん、迷子になったんじゃないですか」
「そういえばヒノの奴どこに行ったんだ」
良いタイミングで浜辺に設置してあるスピーカーから迷子のお知らせが聞こえて来た。
「ええ、五歳ぐらい男の子、火野中ヒノ君を迷子センターでお預かりしています。え、これを言えっていうの、分かったからマイクに触らないでね。えっと、息子の恥ずかしい事を話してしまうデリカシーの無いヒノ君のお母様、至急、迷子センターまでお越しください。あ、駄目だって、マイクに触らないで――」
「凛ママのバカァァァァ」
スピーカーから大音量でヒノの悪口が聞こえるとぷっつり切れた。
「あのバカ息子、わざと迷子センターに保護されたな。嫌がらせのつもりか、許さん」
拳を握りしめ怒りに震える凛火は鬼の形相で迷子センターまで走りだした。
「小さな反抗期に突入ですかね、成長している証拠ですよ、凛火」
そう言って、ギャラリーに微笑みかけるとお終いとばかりに頭を下げ、自分たちの荷物があるシートの方へ歩いて行くのだった。
貯めていたものが全部出された。
燃え尽きた。