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過去からの刺客 巫女と息子の覚醒 試練を与えるものの憎悪 

 病室にてヒノと果炎が着かない事に麻炎が苛立ちを見せていた。先ほどから扉と凛火の座るベッドを何往復もしている。


「遅い、果炎は何をしておるんじゃ」


「歩いて来るらしいですのよ、気持ちを落ち着かせているのでしょう。凛火にとっても心構えが出来る時間と考えれば良いじゃないですか」


 凛火の横に座る祥子は微笑んだ、互いに握った手は固く結ばれている。


「ええい、それにしても遅すぎる。ここいらを探して来るぞ」


 病室の扉を開けると麻炎は勢いよく駆けていった。儀式などの事に関しては落ち着き冷静に対処する麻炎も、その他に関しては意外と焦りを見せたりする。朝、病室を訪れた麻炎は凛火からあの時の出来事に関して話があると告げられた時、安堵した顔が印象的だった。儀式関係を抜きにすれば孫に甘い、どこにでもいるお祖母ちゃんなのだ。


「消えろとか言ったから私を嫌いになって来ないのかもしれない」


「大丈夫、ヒノちゃんは凛火が一番ですよ。ちょっと度が過ぎたマザコンかもですけど」


 その時、扉を叩く音が聞こえた。祥子は顔が強張る凛火に微笑むと、どうぞと声を掛けた。


当然、やって来るのはヒノと果炎だと思っていた、しかし、病室に入って来たのは火炊き祭の時に会ったセクハラ老人だった。


杖をつきつつ、ゆっくりとした足並みで二人の前に来ると今日は帽子を被っているのか、それを外して一礼した。


「ほほ、凛火殿が入院したと風の噂で聞いたのですが、思ったよりも元気そうで何よりですな。不肖、この私がご子息を産んで大きくなったおっぱいを揉みたく……じゃなくて見舞いに来ましたぞ」


 町の住人には告げられていない凛火の息子の存在を知っている事に対して警戒する凛火と祥子は思わず身構えた。


老人はそんな二人を余所に備え付けの椅子に座る。


「ヒノ君でしたかな、会いたいと思ったのですがどうやら居ないようですな。はて、何処で何をしているのやら、もしかしたら危険が迫っているのかもしれません」


 ヒノの名前まで知っている、更に警戒する祥子だが、凛火は危険が迫っているという言葉に反応した。


「どうやら、愛情が無い訳ではないようですな。母は子を思い、子は母を思う。ごく自然な形ですがそこに色々な気持ちが働くとそれはより深まり、逆に薄まる。あなたはどちらですかな」


「教えてくれないか、ヒノはどこにいる?」


 凛火は老人が知っていると直感した。


威圧しながら問いただすも老人はどこ吹く風か笑顔を見せると立派な髭を撫でた。


「教えたら、あなたは迎えに行くのでしょうか」


「…当然だ。私の、息子だから」


「再び、ヒノ君の姿を見ても美代殿を思い出しませんか、また拒絶しませんか?」


 自身の過去も知っているような口ぶりに凛火は答えを詰まらせる。


 老人は杖を凛火の眼前に向けて構えると口を開いた。


「シュキはそんなあなたの心を弄び、同じ想いをさせるでしょう。覚悟はありますか?」


 口調は不思議と信憑性を帯びさせるほど冷静で穏やか、それでいて恐怖心を覚えさせる。


この恐怖心が曲者だった、先ほどの威圧する凛火は見る影も無く、怯えた目に変えた。それだけ過去のトラウマは深い。


老人は少し考えを改めたかのように笑顔を見せた。


「凛火殿、人は独りでは弱い。ですが、愛情はその弱さを強くし、支えてくれる。あなたが心に痛みを持っているのなら愛する者にさらけ出しなさい。そうすればシュキを退けられる」


 老人は凛火の耳元でヒノの居場所を語った。


凛火は祥子に視線を向けると微笑して駆け出して行った。


「お行きなさい、そしてどんな時も我が子を愛しなさい、心の痛みを持つ者よ。それが人神の母親に選ばれた理由、乃神の希望です」


 老人は目を細め、髭を撫でながら呟いた。もう一人いるのにも気づかず。


「あの、祥子が居る事を忘れて発言していませんか?」


 一応、自分の存在を主張すれば、驚いたように振り向いた。


「あれはオフレコというやつですよね……」


 その指摘に老人は平静を装っている、用に見えてかなりの発汗量を覚えて目をキョロキョロと迷わせている。なんてベタな驚き方だと、祥子は呆れた。


「えっと、別に言いませんですよ、あなたが誰なのかも聞きません。祥子ではきっと計り知れない事なのでしょう。まあ、ぶっちゃければ聞いたら面倒になりそうなので知りたくないのが本音です。あ、ですが、あなたが凛火を悲しませる為だけに存在するなら別ですよ、もしそうならナニかを潰します」


 言って、何かを握りつぶすイメージを込めて手のひらを握る。祥子の目は獲物を捕らえたかのように鋭い。先ほど凛火の威圧に平然としていた老人が怯える。


「ほほ、わ、私は女子高生の味方です。凛火殿と祥子殿に危害を加えない、だから―」


「揉ませませんよ?」


 もう一方の手のひらも握りこむ。


「で、ですよね、それでは、ま、またお会いしましょうぅぅぅ」


 老人は帽子を深々と被ると駆け抜けるように病室を後にした。


病室に残った祥子は麻炎達にどう説明しようか考えながらベッドに潜りこむ、かなり限界に来ていたのだ。数分もしない内に眠りにつく。昨日は寝像の酷さを抑える為に眠りに付いた様に見せかけずっと起きていたのだ。










 病院の外に出ると微かな気配が凛火の脳裏に疼く。場所を知っていなければ迷うほど微かだったので聞いておいて助かった。


思考はすぐにヒノの安否に変わり心配になるが、その想いが本心なのかは自身では計れなかった、覚悟はした、けれど実際に目の前にした時にも同じように思えるのか不安だった。


そしてそれ以上に自分を拒絶されるかもしれない恐怖が心に纏わりつく。


 それでも走るのを止めることはなかった。


 公園前では人だかりが群れをなしていた。


凛火は人だかりを押しのけて入口の柵まで辿り着くと、霧に包まれ変異した公園を眺めた。


そこへ麻炎と霧雨、そして果炎がやって来る。


「やはり来たのか、この異変は試練じゃな」


 凛火は頷きながら霧に手を伸ばした。すると、霧雨はその腕を掴んだ。


「駄目だ、この先に凄い力を感じる、行ったら危ない。それに僕らでは行く事は叶わないよ」


「だったら手を離してくれ、行けないのなら止める必要はないだろ?」


「霧雨、離してやらんか、これは避けては通れぬ道じゃ」


 麻炎に言われ渋々、霧雨は腕を離した。水好としてこれ以上は関われないと判断したからだ。


凛火が再び手を伸ばすと霧は向かい入れるかのように薄まる。


「姉さん、必ずヒノを連れて帰って来て、私のせいだから」


「お前のせいじゃない。すべて私の責任だ、お前の事も含めてな。今更許して欲しいとは言えないが、帰ってきたらヒノと一緒に聞いて欲しい話がある。お前には辛い想いをさせる話だ」


「ヒノを見失った落ち度は私にある、だから聞いてあげる」


 それが本当に言葉通りの理由だから少し笑った。果炎は自分が悪いと思ったら嫌いな相手でも素直に非を認め、嫌でもその相手が望む事をしてやる性格だ、もし、果炎が病室にヒノを連れてきたら聞いてくれと言っても嫌だったら聞かないだろう。それが麻炎の言葉だろうと、流火の言葉だろうと嫌なものは頑なに拒否する性格である。


 大きく深呼吸して凛火は霧の中へと足を踏み入れた。


すべての体が霧に包まれると、さっきまで聞こえていた人々の声や車が往来する騒音が欠き消えた、同時に重く圧し掛かる重圧、この感じは覚えがある、シュキと出会った時と同じだ。


肌を触る生温かい風が吹き抜けた。その直後、凛火の眼前が赤く輝き、まるで夕暮れの海岸線を思わせる風景が映し出した。





 そしてそこには信号待ちする三人の女の子がいた。




「早く行きたい、行きたい、ね、凛火お姉ちゃん」


「もうすぐ青に変わるから慌てないで。ほら、果炎も機嫌を直して」


「だって、お家でご本を読んでたのに」


 幼い凛火は自分より幼い二人の女の子の手をしっかり握りしめていた。


「美代ちゃん、海は初めて?」


 凛火の問いに美代はまあねっと答えた。


「果炎と私は二回目だよね?」


「霧雨お兄ちゃんの家に泊りに行った時、行った」


 信号はまだ赤を指していた。潮風の香りを肌で感じて待ちきれなくなった美代は足踏みを始める。


果炎も文句を言っていた割には表情が明るい、凛火はそんな二人を見て笑顔になる。


 信号が青に変わると急いで駆け出したのは美代だった。それに続き凛火も走りだす。果炎はよそ見をしていたのか引っ張られる形で足を踏み出した。


「早く、早く、海の匂いがするよ。もうすぐだね、泳げる? 泳げる?」


「そんなに急がなくても、信号はすぐに変わらないから。後、泳ぐのは明日ね」


「美代はせっかちさん」


 美代と果炎は凛火の取り合いでケンカを良くしていた。本当の姉のように慕う美代に果炎が嫉妬する形で、そんな二人をなだめるのが凛火の役目だ。

遠い町から里帰りする美代が来ると凛火は喜び、果炎もケンカをする割には気が合う。強く握られた手が三人の絆を物語る。


そして、同時に選択の時が迫っていた。


 凛火が歩道のちょうど真ん中あたりに来た時、蛇行運転するダンプカーが運悪く三人に向けて走って来た。数秒後、何もしなければ自分達がはねられるとこの時の凛火は瞬時に悟る。


だから飛ばなければいけない、両手に握られた手のどちらかに。


幼い凛火はこの数秒でどちらかを犠牲にしなければ助からない選択を迫られた。


右手はダンプカーの存在に気づかないほど楽しそうに駆けている従兄の美代、左手は夕空を眺めて喜んでいる妹、果炎。


どちらも大切な妹達、自分が真ん中で手を握っていなければ迷わず犠牲になる事を選んだだろう、でもそれは出来ない。どちらか選ぶ、そうしなければ妹達は死んでしまう。


 選択はなされた。なさなければならなかったというのは言い訳に過ぎない。凛火は片方を見殺しにしたのだ。


 凛火は美代がはねられる様を見つめ続けた。


自分の選択の末を余すことなく見逃さないように。


 自分の罪を己すべてに刻みこむように。


 決して消えない永遠の傷になるように。


 美代は視界から消えるまで凛火に向けて微笑んでいた。


 腕や足が曲がってはいけない方向に曲がり、顔の半分が陥没している変わり果てた美代を抱きこみ、血溜まりの中で凛火は謝り続ける。


ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 それは呪詛のように救急車が来ても続けられた。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


その謝罪には二つの意味がある。


 一つは助けられなかった事に対して、もう一つは後悔が出来ない事に対して。


 何故なら果炎は助かったのだ。けれど、果炎を助けることが出来ても喜んではいけない、美代が死んだのだから。


 救急車のサイレンと人々の怒号が響く中、駆け付けた美代の母親、玲炎が我が子を見て泣き叫ぶ姿が視界に入ると呪詛のように唱えていた謝罪を止めた。そして、


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」



 例えようのない想いをぶつけるかのように咆哮して意識を失った。










 霧の中、幼い日の自分と同じように何もない空間を抱き寄せ凛火は呟く。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、美代ちゃん」


 耳元にシュキの偲び笑い声が聞こえる。だが、凛火は変わらず謝罪を呟いていた。


 何らかの形で過去の幻影を見せられていのだろう、シュキは的確に凛火の心を壊そうとしている。そしてそれは見事に嵌った。


 心があの時と同じように壊れてゆく感覚。


 立ち上がれない、あの日をもう一度見る事になると思わなかった、辛い、痛い、美代の笑顔とはねられる瞬間の顔が頭から離れない。


(このまま意識を失って終わりにしたい)


 精神科に通っていた時、先生が言ってくれた、忘れて良いのですよ、という言葉が脳裏に過る。


(そうだ、意識を失って忘れよう……)


 薄れゆく意識の中、祥子と老人の言葉が頭に響く。


―――凛火、立ち向かう時です。


―――覚悟はありますか?


 確かな音となって響いたその声は意識を繋ぎとめる。


―――どうして、凛ママ。


 次に聞こえてきたのは泣きそうな顔で自分の名前を呼ぶ我が子。


(駄目だ、駄目だ、駄目だ……あの子を見た最後が泣いている顔なんて駄目だ)


 意識が忘れることを拒絶する。息子の笑顔が見たいと意識が強固に繋がれる。


(ああ、あの子に再び笑顔を返さないと、自分を許せない)


 そんな想いが両足を踏ん張る力となって立ち上がる。


 霧の先を見据え、凛火は駆け出した。


(こんなにも自分がヒノを考えているとは思わなかった、出会って三日も経たないのにヒノの事を考えると力が湧き、壊れそうな心を持ち直す)


 速度を上げて走る、すべては息子に会うため。


(今まではヒノぐらいの子を無条件で拒絶しても心が少し痛むだけだった。でも、ヒノは別だった、美代が死んだ時のように心が痛かった、死ぬほど後悔した)


 駆ける、ヒノが凛火を呼んでいるから。


(これが愛情というものなら、これほど力強くて怖いものは無い。ヒノの為なら過去の恐怖にも立ち向かえてしまうのだから)






 特に濃い霧の中に足を踏み入れると懐かしき息も出来ぬ程の重圧を感じた。


 その場にシュキが静かに佇んでいた。


「あのまま意識を失えば辛い想いをせずに済んだのに。だが、最高の母親ではあるな。過去のトラウマを抜け出し、良く来た、凛火よ」


 クスクスと笑うシュキの姿に殺意すら芽生えてしまう。


「さても、ヒノとは良き名だな。では、試練は始める……出でよ、門呪達」


 白く美しい腕を高らかに掲げ、黒き靄の塊がシュキの両隣に出現する。塊が鉄格子の檻のような形状に変わると、片方の檻にはヒノが、もう片方の檻には璃雨が入れられていた。


 ここに居るとは微塵も思わなかった、璃雨の存在に状況の悪さが絡んで思わず睨み付ける。


「どうして璃雨までいる!!」


「おいおい、現れたのが凛火かよ、入院してるはずのお前が何でこんな所に居るんだ、危ないから帰れって!!」


 璃雨は何故か鼻を押さえながら凛火の登場に驚いている。しかし、先ほどからヒノは俯いて凛火と目を合わそうとはしてくれない。


「私は帰らない。帰れない」


 決意を込めて言えば、ヒノが肩を揺らして反応してくれた。その横で璃雨は騒ぎ出す。


「馬鹿言え! 何の力も無いお前が勝てる相手じゃない。ここは俺様とヒノで何とかする、今は捕まっているフリをしているだけだ、すぐに抜け出してこいつを倒して…くそっ」


 言いながら格子を壊そうと蹴りを喰らわすもビクともしない。何度も試みてやっぱり無理だった。


 その間、ヒノは口を開いてくれない。嫌われた、そう思った時だった、凛火に視線を合わせたヒノは頬から止めどなく涙を流していた。


「僕、知らなかった、凛ママがあんな辛い想いをしてたなんて、なのに大きくなった姿を見せつけて喜んで、悪い子だ。僕は最低の息子だ」


 シュキが一層笑みを深くした。


 凛火はすぐにシュキが何をしたか察して睨めつけ、声を荒げる。


「貴様は許さない。試練なんて関係ない、この場でぶっ潰す!!」


「さても、我はこやつの望みを叶えただけ、母親の心の痛みを知りたいと願ったから、貴様と同じ幻影を見せた。良かったの、言う手間が省けたではないか」


 頭の中で理性というものがキレた。それに伴い湧き上がる人が持つには重く狂いそうになる力が凛火に流れ込む。狂いそうになる自分を根性で抑えこみ、ただ前方のシュキに向けて力を放った。


 シュキの足元から火柱が勢いよく噴出す。


「おのれ、貴様!!」


 不意を突かれた形で放たれた火柱がシュキの腕を焼く。避け損ねた代償に右腕が見るも無残な状態に変わる。


 凛火の髪と瞳が炎のように紅く輝きだした。


「私の息子が泣いている、この内から溢れ出る怒りが炎となってお前を襲う」


 炎のように紅い瞳が、血のように赤い瞳と交わる。


「馬鹿な、人神の子と呼応せず自らだけで神力を引っ張ってきたというのか…火野内家歴代巫女の中で、そんな事が出来る者など居なかったはず。まさか、乃神め、こやつを母親として選んだ理由はこの特殊性故か」


 紅に輝く凛火の姿にシュキを始め、璃雨とヒノも驚き声を失くした。


「白き炎、刃と成りて、敵を貫き、浄化を持って退けよ」


 凛火の手に白き炎が灯る。凛火の言葉通り、燃え盛るその炎は刃が付いた鋭い槍のような形状に変わった。


「消え去れ、息子を泣かした元凶よ」


 槍と化した炎はその手から目にも留まらぬ速さで飛び出してシュキに迫る。


 ところがシュキは口元に手を当て何かを唱えた。するとシュキの眼前で水柱が噴き出す。槍は勢いよくその水柱に飛び込み消滅した。


「よもや、この時点で私にこの力を使わせるとは恐れ入ったわ」


 シュキが手を横に振ると地面から勢いよく噴出していた水柱が瞬時に止まる。


「されどここまでだ、見よ、貴様の大切な者達を」


 ヒノと璃雨が入れられている檻が縮み始めた。凛火が炎を出そうとすると縮まる速度が上がり始めて手が出せない。


 その様にシュキはケラケラと笑いだした。


「門呪達は少しずつ縮み、中に居る者達は死を迎える。攻撃を加えれば瞬時に縮み、同じく死を迎える」


 打つ手なしといった状態に流石の凛火も苦悶の表情を浮かべる。


「ヒノや私にならまだしも関係の無い璃雨まで危険にさらすか!?」


 言われて、シュキは背筋が凍るような笑みを零した。


「貴様に選ばせてやろう、血の繋がった我が子を選べば、頭の悪い少年が死ぬ」


「てめ、俺様は頭が良い方だ、たぶん!!」


「頭の悪い少年を選べば、我が子が死ぬ。どちらかしか助けられない。さあ、どうする?」


「凛ママ」


 心を弄び、同じ想いをさせる。老人の言葉の意味を理解した。


 凛火は檻の中で怯える我が子と抜け出そうと半泣きで格子を蹴る璃雨を交互に見つめ、髪と瞳を黒に戻した。


「何のつもりか?」


 凛火は膝をついてゆっくりと地面に頭を擦りつけ土下座した。


 笑っていたシュキが一転、不機嫌な表情に変わる。


「あの時とは違いあなたには言葉が伝わる、その選択肢の中に私を入れてくれ」


「そして貴様を殺せと言うか、死んでは助けられたかどうか分かるまい?」


「あなたは試練を与える者だ、私が死んでも試練が失敗と見なされるはず、役目を終えたのだから二人の命には手を出さない。これはあくまで私の予想だが、気高き女性のあなたなら望みを叶えてくれるはずだ」


 真っ直ぐな視線でシュキを見上げると、再び地面に頭をつけた。


 永遠にも似た、静寂の時間がその場を貫いた。凛火とシュキの言葉の交わし合いに、ヒノも璃雨も言葉が出せないでいた。


「……そなたも同じか」


 虫が囁く程の小さな声で呟いたシュキの言葉を凛火は確かに聞く。


 シュキは凛火の前まで歩み寄るとその白い足で顔をすくい上げた。


 無表情のシュキと視線が交わる。


「良かろう、貴様の死を持ってこの試練を終了とする。以降は我も手を出さん、最後に檻で泣く者達に言う事はあるかの?」


 その言葉を受けて凛火は視線を二人に向ける。


「私はあの時もこの選択をしたかった」


 泣き出しそうな二人に心のそこから思っていたことを告げた。


「残念だ、最初に会った時の貴様なら選択も出来ず、心を壊していただろうに」


 シュキの魔手が首筋に伸びる。凛火は瞳を閉じて覚悟を決めた。ところが……。


 それ以降、自身に何も起きない事を不思議に思い、瞳を開けると先ほどとは代わって恐怖で顔を歪めるシュキの姿があった。


 そして、その背後には髪と瞳を紅く輝かせたヒノと呆気に取られて声も出せない璃雨が立っていた。


「凛ママをいじめる奴を許さない、凛ママの心を弄ぶ奴を許さない、凛ママを悲しませる奴を許さないから、お前を許さない!!」


 天に向け手を掲げると白き炎の槍が霧に包まれた上空に数え切れないほど出現する。その矛先すべてが標的を舐るようにシュキに向けられていた。


 黒き靄の塊――門呪が地面から這い出ると即座に上空から降り注ぐ槍が浄化する。


「無駄だよ、檻の門呪達が消えたんだ、頭の悪そうなお前でも分かるでしょ」


 神が放つような威圧を悠然とシュキに向け、絶対者のように笑みを浮かべる。シュキの放つ重圧など足元にも及ばない存在感がヒノから発せられている。人と神の間に挟まれた子、今は神の部分が表に出ているのだ。


「わ、我は試練を与える者、しょ、消滅させる事は叶わぬぞ」


 この場では既に小物と化したシュキが苦し紛れに言うも、ヒノは容赦なく切り捨てる。


「凛ママが言っていたよね、試練なんて関係ない、僕も同感だよ。試してみればいい」


 神の裁定は下された。


「これにて試練は終了とする」


 シュキはそう言い残すと水柱を発生させ己の姿を消した。


 上空を漂う炎の槍はシュキの存在を感知しているのか、すべての矛先がその場所に向けられ、勢いよく飛び出した。


 直後、この世の者とは思えないほどの断末魔が町中に響き渡った。


 ヒノは呆気に取られて声も出ない凛火の胸に飛び込むと顔をうずめた。全身で感じるヒノの震える体、凛火は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げさせた。


「凛ママが死んだらって考えたら怖かった、死なせたくないと思ったら力が出た、でも、あんな力を使って平気だなんて、僕は普通の子じゃない」


 凛火は嗚咽を漏らしながら訴えるヒノの背中を優しく摩る。


「凛ママ達とは違う……それが悲しくて辛くて涙が止まらないよ」


 凛火はヒノを抱きかかえると立ち上がった。


「さあ、一緒に家へ帰ろう」


「でも、僕の力が、それに病気も」


 紡ぎ出される否定的な言葉を人差し指で止める。


「駄目なお母さんだ、我が子を悲しませるような言葉を吐いて泣かせて、倒れて心配させて」


 ヒノの瞳に溜まった涙を指で拭う。


「そんな私をヒノは嫌いになってお母さんと認めてくれないよな?」


 凛火の問いに力いっぱい首を横に振るう。


「僕のお母さんは凛ママだけだよ!!」


「じゃあ、ヒノは私の息子だよ。凄い力を持っても、人とは違っても、だ。何故なら私はお前だけの母親だからな!!」


 ヒノは思いっきりの笑顔を見せて凛ママ大好きと叫んだ。


 負けまいと凛火はヒノが大好きだと叫べば、今まで達観していた璃雨も何故か、凛火とヒノが大好きだぜ、と叫んだ。


「いや、何かこの場にいるから言いたい気分になって」


「そいうや、何でお前がここにいる?」


「兄貴から凛火が入院したって聞いて、学校終わりに見舞いに行こうと歩いていたらヒノと出会って、公園で休んでたらS属性がてんこ盛りでほぼ裸の姉ちゃんに襲われて、ちょっとドキドキして鼻血が出そうになってたら凛火が来て、ヒノの母親が凛火でびっくり?」


「そうだ、私の息子だ」


 衝撃的な真実に肩に背負っていたランドセルを落とすとその場で固まった。


「あ、秘密だったな」


「凛ママ、璃雨兄ちゃんの事を知ってるの?」


「生まれた時から知ってるな、なんせこいつは」


 霧は完全に消えて結界の役割が無くなったのか、霧雨が凛火の元に走って来た。


「良かった、無事だったんだね。あれ、どうして璃雨が一緒にいるんだ」


「霧雨の弟だからな」


 水好璃雨、兄の霧雨が婿養子として火野中家に嫁ぐと決まった日から神主となるべく定められた弟で、凛火も赤ん坊の頃から何かと世話を焼いていた。そのせいか、凛火によく懐いている。


 四、五歳の時は遠縁となったがそれを過ぎると元に戻った、というか、異常に馴れ馴れしくなって隙あれば一緒に風呂に入ろうとする。霧雨とは違い、馬鹿で不真面目で、小学生なのにエロさを確立させているが凛火は実の弟のように可愛がっている。


 事後処理や警察への説明を麻炎に任せ、凛火とヒノが病室に戻ると、祥子が看護師に怒られている光景出くわした。思わず、扉を閉めようとして、祥子がそれを許すはずもなく一緒になって怒られた。消えた凛火の代わりをしていたらしのだが、お腹が空いてこっそり病室を出ようとしたところを回診にきた看護師と医者に見つかったらしい。それまでは声色を変えて難なく騙せていたというのだから祥子のポテンシャルに驚かされる。


 当然、凛火が元気だったので強制的に退院させられ、まあ、そのつもりだったので手間が省けたが、はれて家に帰る事となった。


 祥子達と別れ、タクシーで家に帰る間、凛火は果炎に過去の出来事を話し始めた、その間、ヒノが手を握ってくれた事もあって、ありのまま話す事が出来た。


 すべてを話し終え、家に付くとやはりショックだったのか果炎は無言で部屋に籠ってしまう。果炎を思うと悪い事をしたと思う凛火だが、話す事によって心に溜まった重荷を少し下ろせて軽くなったことで余裕が出来る。

事後処理のすべて終えて帰って来た麻炎と家で待っていてくれた流火にも話をする。二人は聞き終えてもいつも通りに接してくれて凛火にはそれが嬉しかった。


 屋根が抜けていた凛火の部屋が修復されてその日から凛火の部屋で眠ることとなった。


 流火が子供用の布団を買ってきてくれていて、部屋に二組の布団を引くと床に付いたのだが、ヒノは一緒に寝たいと駄々をこねだして、赤ん坊の時のように一緒の布団で寝る事になった。


 一緒の布団に入るとヒノはすぐに眠ってしまったが凛火は中々寝付けなかった。祥子達と別れる際、璃雨が言って来た言葉が今になって気になってしまったからだ。


 璃雨は凛火だけに聞こえるように耳元で言った。


――凛火の過去は知らないけど、あの時の選択は間違っていると思うぞ、俺様は馬鹿じゃないが、どう間違っているか分からねぇから言葉に出来ねぇけど、俺様は馬鹿じゃないから間違ってはいると思うぞ。もう一度言う、俺様は馬鹿じゃねぇ。


 確かにそう言った。すぐに霧雨が凛火から引き離して実の弟に対して嫉妬交じりの説教を始めたから心の隅に留めて置く程度だったのだが静寂によって再び顔を出した。


 あの時の選択とはシュキに自分を殺してくれと頼んだ時だろうと辺りをつけて考える。


 どちらも助けたいならあの場ではそう言うしかなかった、間違っているとは思っていない。ヒノの力で助かったのは想定外の出来事だ、けれど、璃雨の言葉は確かに心に引っかかると同時に美代の最後の笑顔が頭から離れない。


「なんで美代ちゃんが出てくる?」


 その問いに答えてくれる者はいない。


 考えても、考えても答えが出ない苛立ちに深いため息をついた。 堂々巡りが続くと判断して凛火は無理してでも眠る事にした。













 虫も眠る深夜、眩い歓楽街から少し離れた暗きビル群の狭間に息も絶え絶えなシュキの姿があった。本来帰るべき場所にヒノにやられた深手のせいで帰れない状態だった。おぼつかない足は暗い闇へ逃げ込もうとしていた、そんなシュキに気配を感じさせる。


「何奴、姿を見せよ」


 カツ、カツ、トン。シュキの背後から聞こえる足音。傷ついた体を起こし振り向くとそこには杖をついた老人が立っていた。


「人の分際で我の前に姿をさらすか、いい度胸だ」


「ほほ、試練を与える者、シュキ。お美しい体に随分と痛い想いをされたようですな?」


「人が我を憐れむか。立場を弁えよ、老い先短い人生を今終わらせるか?」

 傷を負っているとはいえ並の人間では恐怖するほど睨みと圧力が老人を襲う。


「ほほ、それは出来ますまい、あなたは古の契約によって人には手出しが出来ない決まり、禁を犯せば役目をはく奪され、その身は消滅する」


 圧力もどこ吹く風、平然と老人は言ってのけた。


「何者だ? 古の契約、それも、我々側の契約を知っているとは人に過ぎたる知識力だ」


「何故あのような試練をあの二人に与えたのですかな、その理由を教えてくださったら私も教えて差し上げましょう」


 シュキは考えるそぶりも見せず答える。


「試練に理由など無い、始まりこそが試練であり終わりこそが神へと至る。そこに我の意思など反映させん。すべてはあの二人の為」


「人神の子と人の子を秤に賭けるような言い回し、無知な彼女は自らの命を差し出した。ですが、彼女が人神の子を選べばその時点であなたは終了するしかない、人に手出しは出来ませんからね」


 髭を撫でながら老人は確信を込めて言った。


シュキの表情が不機嫌そうに歪む。


「何が言いたい?」


「力を持って試練を与えるならまだしも姑息な手に見えてしまう、それ即ち、あなたの思惑が絡んでいる事に相違ないでしょう、目的は人神の子を――」


 最後の言葉が発せられる前に老人の足元から水柱が噴き出した。老人の帽子がその風圧で飛ばされる。それでも老人は驚くことなく髭を撫で続け余裕の表情を浮かべていた。


「いくら我が人に手出し出来ぬとはいえ、過ぎたる発言は許さん」


 殺気混じりの威嚇に老人も撫でる手を止める。


「ほほ、これは失礼を。いや、歳が居も無く少し熱くなってしまいましたな。それでは、私は退散いたしましょう。傷が早く完治する事を草葉の陰からお祈りいたしておりますよ」


 老人は飛ばされた帽子を拾い上げると深々と被りシュキに背を向けて歩き出した。


「そうだ、あなたに一つ指摘したいのですが、よろしいか?」


 シュキはその問いに無言で答えた。発言を許すと解釈した老人は口を開いた。


「歴代の母親が成せなかったあの力を凛火殿が発現するから選ばれた訳ではない、あれは乃神にとっても予測外だったのですよ」


 その場に佇み、シュキは無言を貫く。続けろと解釈した老人は言う。


「凛火殿は数多の因果が絡んでいるのです、その因果こそが乃神を選ばした。あなたと同じように乃神にも乃神なりの考えがあるのです」


 言い終えると今度こそ老人は路地裏から去って行った。


 シュキの脳裏にノイズのような衝撃が走る。


「乃神よ、何故、こんなにも早く――我はお前を恨む」


 自らの両肩を力強く握りしめ震える唇が言葉を紡ぐと、闇に溶け込むよう姿を消した。


 その場に残るは先ほど上がった水柱が涙のように滴り落ちる様だった。


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