閑話:諦観ではなく、肯定で
役者は揃い、舞台は整った。あとは幕を上げるだけ。
喜劇になるか悲劇になるか、それは即興劇を舞う彼ら次第。
或いは、舞台裏の物語が全てを定めるか―――それはきっと運次第。
「どうした、蒼葩」
ぼんやりと、天井手前にある顔を眺める。目、髪、肌、仕草。外見と内面から得られた情報を脳が統合し、該当人物を弾き出した。この間、コンマ1秒の十分の一未満。
「……むかしのゆめ、を、みてた」
遠い、遠い昔の話。私が4年前の結末を選んだ始まりであり、最後の選択をした、この世界とは違う、別の場所で起こった懐かしくも愛おしい物語。そして、一族と明確に縁を絶った、暖かいだけでは決してない、物語。
―――ああ、だからか。
どうしてあんな懐かしい夢を見たのだろうかと思ったが、どうやら最後の項目に引っ掛かっていたらしい。
かつて自分で切り捨てた、肉親というモノ。そして、同時に手に入れた繋がりというモノ。
どちらも同じ枠組みでありながら、自分にとっては絶対的且つ明確な差異を持つ、両者。あの時掴み取ったのは後者で、切り捨てたのは前者だった。いまでは幾分かマシになったとはいえ、自分が血のつながりを厭うたという事実は変わらない。そして、かつての所業も、何もかも。
「……やっぱり似てるなぁ」
囚われていたのは血のつながった身内で、それでも掴み取った者は結局血のつながりのない他人だったもんなぁ。
かつての旅で、自分と似ていると評してやった男を思い出す。そして、自分が初めて愛したあの子に良く似た少女も。はてさて、彼らは結局どんな結末を迎えたのか。彼らの死にざまも知らず墓の在り処も知ろうとしなかった為に終ぞ分かる事はなかったが。しかしそれで良かったとも、―――それで良かったのだと思う。知れば、囚われる事は歴然だったから。
こうやってつらつらと関係はあるが本題とずれた事に思考を走らせるのは自分の悪癖であるとは理解していた。しかし、寄り道のない思考回路など必要な時に在ればいいのであって、脳を解し記憶を洗うのは良い事だと思っているので止める気はない。人生を豊かにする、きっと手法の一つだろう。
「なぁに自分の世界に浸ってんだ」
「あいた」
額に手刀を叩きこまれ、気の抜けた声を出す。痛みとしての信号が脳にダイレクトに届いて鬱陶しい、気がした。蜂蜜酒を飲んでもいないのに目覚めが悪いのは珍しいと自己判断するが、しかしこれは寝ぼけているのかいないのか。自分事ではあるが、よく判断が付けづらい。
「また下らない事考えてたのか」
「まるで私の考える事など十全が下らないと言う事だな」
捻くれた台詞に一物抱えた様な笑みで答えれば、ものすごい顔をされた。酷いものである。
「お前は本当にアホだな、考えなし」
「その呼び名固定なんだな、やっぱり」
ある時から言われ続けた呼び名に対して意見すれば、混ぜっ返すなと再び手刀が入る。鋭い。しかし本音でもあるのだから大目に見て欲しい。と思えば、それを許せば話が逸れまくって着地点見失うだろうと返される。確かに真実だが、だからと言ってそんな盛大に眉根を寄せた顰め面はどうかと思わないでもない、一般的の範疇で考えて。
全く。何時からこんなにも可愛気とやらを失ってしまったのか。
いや、今も十分可愛いと思うが。親の欲目としては。などと思えば、
「誰が親だ」
三度の手刀がすかさず入る。育ての親だろう、と言えば、はん、と鼻で笑われた。本当、どこで育て方を間違えたのか。
「そんな事、欠片も思ってねえだろ、お師匠様」
皮肉気に言い放たれた台詞を、しかし否定しておく気にはならなかった。その言葉を否定する意味がない事を良く理解していたがために。………相手の言葉が、紛う事なき真実であると理解しているがために。
「確かに。私はきっと、自分を〝親〟思えな、」
台詞を強制的に止まらせたまま、その手の持ち主が間髪入れず、
「いいから」
「…………」
「悪かった」
―――本当に、この子は。
とん、と口を塞ぐ手を指でそっと叩く。素直に外され手に触れたまま、にっこりと笑ってみせた。
「本当に可愛いなぁ、イザナギは」
ごっ! 正拳突きが顔面直下で落ちてきた。
容赦無い一撃であった。我が弟子ながら良い拳をしている。
「あ、何避けないんだよ」
不思議そうに問われた。理不尽と言うモノではないだろうか。
「これ、普通私が何をするんだと言うべき場面ではないのか?」
「避けれただろ」
「拘束されているのに?」
「避けれただろ」
「まあ」
言葉尻を濁すのは癖である。御容赦願いたい、だからそんなに睨まないで欲しいなあ、などと思う。
思っても、私の周囲には私の事をよく知っている方ばかりなので、こちらの都合など知った事ではないとばかりに掴みかかってくるのだが。全く、本当に威勢が良いというか、若いと言うべきか。
「何考えてるんだ?」
「こういう役目って、恋人とか伴侶じゃないのかなぁと」
「ぶぼッ!!!」
盛大に吹いた。唾が容赦なく顔面に飛んでくる。掛かるのはなんとなく嫌だったので、飛沫を残らず払う。うん、口内なんて菌塗れなのだから唾も同様で、だからとても正しい反応だろう。
「お、おま、何気持ち悪い事………!」
「やっぱり? まあ、皇冴はこんな事しないんだろうけどねぇ。ああ、この状況を観客に楽しんでもらえるようはからえないとは大変遺憾。皇冴以外に恋愛感情抱けないんだよなぁ。友愛以外は精々父性や母性が限度なんだよ、すまない」
「観客ってなんだよ!? ていうかそれ以上なんざ気持ち悪いから結構だ!! 惚気るなら惚気るで余計な装飾付けんな!!」
「言うなぁ、弟子一号」
なんだその呼び名、と愚痴愚痴と零すのを眺めて枕代わりにしていた腕を僅かに浮かした。
この子がこんな態度でありながら、それでもどうして私の傍にいるのかといえばそれは簡単な話で、私が周囲を出し抜いて≪叶え屋商会≫に出向いた為である。すぐさま察知したネイと弟子一号ことイザナギにサクッと回収されてしまったが。
恐らく今頃あちらは騒然となっている事だろう。レオがさっさと鎮めている筈ではあるが。………しかし、それでも、
―――時間稼ぎにもならないだろうしなぁ。
「いやあ、この〝拘束着〟外してくれないか?」
「断る。外したらアンタまたどっか行くだろ」
容赦も迷いもなく要求を蹴っ飛ばされてしまった。
そう、現在進行形で私は拘束着に身を包んでいるのである。ネイと弟子にひっ捕らえられ連行された先には、良い笑顔をした揚羽が待ち構えていた。その手には、とても見覚えのあるこの拘束着。
あっという間に装着させられ寝転ばされた無抵抗の私に、彼らは「これ以上余計な事をしないように」と厳重に言い渡した後、イザナギを残し、それぞれ私が発端となったいざこざの対処に向かった、という訳である。
全員から「同じ案件でないあたり主(師匠)らしい」というコメントを貰った訳なのだがこれは褒められているのか貶されているのか呆れられているのかそれとも全部か。私としては最後であると睨んでいるのだが。
「それでどう思う、弟子一号」
「大正解だよ何マジで下らねえ事考えてんだアンタは!!」
「いやあ、案外大事だぞ? ―――特に、私の様な類には、な」
そして、
「すまないな」
「―――がっ………、」
一瞬で、僅かに出来たその隙間に関節を外した腕を押し込み。撓んだ革、その留め具を指先で跳ね上げ。そのまま拘束着を振り払い、地面から跳ね起きる為に身体を地面に叩き付け。その衝撃ですぐさま腕の関節を強引にはめる。間髪入れず、腕を突き出し、骨と筋肉を縫うように臓腑の隙間、横隔膜へ衝撃が伝わるよう掌底を打ち込んだ。
この間、1秒37。ああ鈍ったなぁ。
「こ、の」
「おっと」
拘束着の革をイザナギの身体に巻き付け、彼の動きを制限させる。そこから先は、もう私の独壇場だった。話しかけながらも、抵抗の暇を与えず締め上げ拘束着を着せていく。
「幾ら改造してあっても封印具自体は弄れなかっただろう? 製作者が保証するが、イザナギ、君では到底これを破るのは不可能だよ」
「て、めぇ、………!!」
「そう睨むな。そうそう、物理的にも破れないよう封術重ねがけしておくから。定期連絡さっき入れてたし、しばらくは大丈夫だろうな。うん」
「むーむー!!」
「心配をかけてすまなくは思う。けれどな、これは譲れないんだよ。何せ関わっている者の殆どが私と縁を持つ者だ。発端となった身としても、そして友人としても放っておくのは無理なんだ」
だからこそ、こいつらは全力で止めに入ったのだろうが。
「無理はしないよ」
「…………」
「あはは、嘘つきって目が言ってるぞ?」
過去を思えばそれも当然か。確かに、私ほど他者を裏切り続けた者はそういないだろう。………どれだけ後悔しても、これだけは本当にどうしようもなかったのだから呆れかえるが至極当然。
「て、こら傷が付くだろう」
どうにか猿轡だけでも取ろうと床に顔を擦りつけるのを見て、手を緩衝材代わりに差し込む。途端強い力で噛みつかれた。当然だが、余程怒っているらしい。
「これは取るから、それは止めなさい。傷が残ったりしたら私が嫌だ」
しゅるり。あっさりと取り外すと、きっ、とイザナギが睨み殺さんばかりの形相を向けてきた。そして予想道理の説教が始まる。
「の、アンタは! 本ッ当に! ネイさんに頼んであの施設潰すの直接やったくせに、まだわがまま言う気か!」
「我儘といえばまあ」
「それに!」
え、発言権はない感じなのか、コレ。
「アンタの馬鹿さ加減にはうんざりする! なんでそう毎回自分が痛い目見る方法率先するんだ!? そうすりゃ他の奴が傷つかないって、本気で馬鹿だろ考えなし! 最小限って、普通なら死んでる怪我やいらん悪名ひょいひょい背負い込みやがって、だいたい、むぐぅーーーっ!!!」
「落ち着け」
物凄く怒られた。なんかもう項垂れたいぐらい怒られた。原因に心当たりがあり過ぎてとっても済まない気分になった。
「大丈夫だよ。剣を交える様な事にはならないから」
それだけは確かだ。交える為の剣がないともいうが、それを言えば今の百倍量で怒鳴られるのが目に見えていたので付け加える事はないが。
恐らくは、何を言っても意味を成さないだろう。それだけ彼らの信頼を裏切ってきたのだから。だから、
「悪いな」
かくり、と力無く項垂れた彼の旋毛越しに、静かに謝った。
怒気で血圧が上昇していたからか、薬の周りが良かったらしい。予想よりも早く寝入ってしまったイザナギをそっと横たえる。
後で説教地獄だなあと思うが、(どうでも好くないが)それより優先すべき事がある。
だって、あの子を泣かせてしまう原因は、私になってしまう。それは嫌だった。それは本当に嫌だった。それは、あの時だけで充分過ぎた(、苦痛だ)。
そんな我儘のために、(そのために傷付ける全てを、いつものように抱きしめて、)
私は再び、客席から舞台裏へと乗り上げた。
私にとて、懲り懲りという感覚は存在するのだ(そのために他の全てを泣かせるのかと、私が嘲った声に、諦観ではなく肯定を返して)。