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黒と彼らの関係性  作者: 各務 迥
黒とサザンカ
19/24

十五話:開幕前夜前夜

 矢岸にとって、それは至上の命題であり、そして何を置いても成し遂げるべき目的だった。


 苦節9年、左目を消失して以来、彼は只管に牙を研ぎ、根を張り巡らし、情報と言う情報をかき集め、そして力を蓄え続けた。その結果が叶え屋商会派出所副所長という立場である。

 4年前にこの立場を得た矢岸は今まで以上に力を蓄え、情報収集の為の手を広げた。より広く、より深く。様々な呪いに関する知識を吸収し、噂を分別し、真実を引き摺り出す。そのためには一切手段を選ぶことはない。


 当然彼への反発は並ではなかった。高が二十歳前後の外見をした、ただの人間の若造に我が物顔で振る舞われては良い気はしないだろう。

 この業界に足を踏み入れて1年もしない頃には媚び諂い他者にとりつく術を覚えていたが、所詮は付け焼刃。真の実力者には易々と見抜かれ、その傲慢さと能力故に付け焼刃が切れ味の鋭い刀となった今でも他方から警戒の対象とされ続けた。

 今もそれは変わらず、そして警戒対象と認識された相手は今もなお矢岸に反感を持ち続ける。振るっても意味を果たさぬ刀を振るい続ける事は無意味と切り捨てられ、自然、矢岸がその刃を内部に向かって使う事は無くなった。


 いや、恐らくそれだけではないのだろう。矢岸はかなり早い段階で自分の推測が現実であると決定づけていた。

 少なくとも矢岸は馬鹿ではなかった。自分の力量を量り間違えるような馬鹿では、決して。だからこそなおなお厄介ではあるのだが、しかし目的を何よりも重視している矢岸が、その目的と被さる事がない限り障害らしい障害として立ちふさがる事は在り得ないのだ。

 だと言うのに、彼を利用してのし上がろうとする者は、未だかつていた事はない。

 想像することは酷く容易い事だ。その想像の裏付けは予想と違わなかった事は、案外と簡単に把握できた。


 しかしその確認に意味はない。元より知っていた事を再確認しただけにすぎない。

 だから、これら一切の原因は確実に自分の背景が、自分が求めるものであることを矢岸は自覚していた。


 ―――だからこそ、俺は此処にいるんだ。


 矢岸は自分が出来る出来ない範囲をよく知っている。控えるべき時は控え、抑えるべきは抑える事を知っている。その感性が培われた理由と言うのが、彼の興味(或いは執着と言い換えてもいいのかもしれない)はただ一点に集約されていた為だと言うのだから、これは一体何の皮肉なのだろう。


 何故なら、彼の渇望こそ彼が弾かれる理由だったから。


 それは上層部にとって暗黙の事実。故に駒として扱われる事もなく、警戒の対象とされていた。

 しかしそれは矢岸にとっても端から分かり切った事ではあった。分かり切ったうえで、彼は此処を選んだ。警戒され飼い殺しにされ、それでも矢岸はこの道以外を歩く気は毛頭なかった。


 復讐の為と言ってもいい。だが、それだけだとも言えない。

 彼が目的を果たす行為そのものが、彼にとっての復讐と言えるのかもしれないのに。今の矢岸にはそれを〝復讐〟という単語一つで片付ける事がどうしても出来なかった。






 早朝。貫徹した後に一時間仮眠をとった矢岸は、座り慣れたデスクチェアに座っていた。


「…………」


 掠れる様な吐息とともに、全身を巡る倦怠感を馴染ませるように、皮張りのチェアに深々と身を沈める。


(チッ、あの糞共が)


 脳裏に描かれるのは彼が糞狐、野生熊と呼ぶ人物だ。矢岸と同じくこの派出所3トップに収まる副所長もんだいじどもである。


 ハンナ・ブースという少女に御退場していただいた後、矢岸が作り上げた檻の中で繰り広げられたのは、結果的には罵詈騒音と血潮飛び交う殴り合いだった。

 表記すれば即R-25以上認定必須の血みどろな泥仕合は、一時間を置いて一先ず終止符が打たれた。具体的に、初めに尾崎が「腹へった」「飽きた」と喚き出し、オシプの気が逸れたところですかさず矢岸が薙ぎ飛ばして気絶させ、気絶したオシプを蹴りまくって気を晴らした矢岸が仕事を再開する為結界を解いた―――思い返すと中々酷い。特に尾崎。

 一度蹴り飛ばしてすっきりしたものの、蹴り足りないというのが正直なところだ。それに、矢岸が二人から受けた傷が一晩中熱を持ってずきずきと痛んだ事も腹立たしい。


 あんな間抜けどもに、と思う反面やはり実戦向きとやり合うには実力不足が否めない。冷静に下した考察結果に舌を打つ。

 正直、戦いに関して天性の才を持つ者と実戦特化型の戦闘馬鹿相手に渡り合ったデスクワーカーが言う台詞ではないのだが、矢岸の理想は高い。というか高すぎる。こういうところが傲慢なのだろう。これが身の丈以上なら愚かと一笑出来るのだが、そうでないところが恐ろしいところでもある。


 さて、いらいらいらいらと鬱陶しいほど不機嫌を振り撒いている矢岸が現在手にしているのは、数日前に部下から知らされた情報を加えた書類である。重複した情報を読み解いてばらし、関連するいくつもの情報を纏めた走り書きを綴じたものを清書した、要点を絞ったそれは矢岸にとって重要な(或いは、世界規模で肝要な)齟齬を見出させた。


 その為に腹心であるパールに、とある依頼を利用してその齟齬を確認させに行かせたのだが―――


(………それがなんで、女子高生引っ張ってくる結果になったんだ)


 件の間座網末席に連なる少女を思い出し、頭痛がした。


 だが、同時に仕方がないと諦める。

 間座網とは、日本発祥の血族の名だ。間は魔に通じ、また狭間を意味する。狭間に座す網―――魔と魔ならざるモノの狭間で網となる、つまり周囲の魔を一身に引き受けるという役目いのうを持つ血族。その能力故に様々な怪異に巻き込まれるため、不遇の一族、不運の権化、贄の血などと謳われている。

 本来なら毒花の血という自衛を持つと聞くが、恐らくその血の薄さ故に自衛の為の機能を持たず、本当に不運な事に、どうやら怪異を呼ぶちからだけが継承されてしまったらしい。


 間座網の不運を呼ぶちから神力ほうりの域に入っているので、回避は困難を極め並みの術師では不可能に近い。いくら薄まっているとはいえ、そう易々と遠ざける事は難しいだろう。

 従って、パールを責める事自体がお門違いという事なのだが、そうは言っていられないのが世の中である。少なくとも最初の対処は間違えている。それもかなりマズイ方向で、だ。これが根を分けた遠い分家であったからまだ救いはあったが、これが本家に関わるものであった場合、相当拙い事になっていただろう。

 最悪、鏡波の介入も考えなければならなかった程に。


(まあ、その可能性は今のところは無視できる、か………)


 不幸中の幸いがあるのなら、正にそれだろう。あの少女を調べていた際に間座網の名を見た時、瞬時に心臓が掴まれたような寒気に襲われた。純粋に依頼の為ならともかく、私用で間座網とやり合うなど荷が重すぎるというものだ。

 本家どころか分家との関わりさえ殆ど無い少女であると知った時、矢岸は心底安堵した。


 ―――これ以上遅れを取るわけにはいかない。


 がりっ、皮膚が引き攣る様に痛む。

 爪を立てた左目の周りの皮膚が抉れて血が滲む。その痛みと引き攣れより、爪の間に異物があるという不快感が勝ってどうしようもなかった。


 ぎりぎりと引き絞った糸は撓む事を知らずに限界まで伸び続けた。

 これ以上堪え続ければ、糸は切れて手近なモノに手痛い痛みを与えるだろう。もしかすれば、血さえ流れるかもしれない。


 ―――十分に俺は待った。




 誰もいない室内で、岩戸を閉ざす音が響く。

 矢岸が誰にも知られず作った〝裏口〟は、閉じた途端に継ぎ目さえ無く存在を消した。






     ■■■■






 ハンナは悩んでいた。どうしよう、どうしたらいいのだろう。ぐるぐると思考が頭の中で廻っている。

 が、その実下手の考え休むに似たりであまり芳しい成果はない。それはそうだろう、なにせハンナは何に悩んでいるかさえはっきりと分かっていないのだから。


(なんなんだろう………)


 目下、ハンナの最大の悩みの権化を見やった。

 少女、である。それも異国情緒溢れる美少女だった。ふわふわとした淡い金色の髪に鼈甲のような瞳、真白い肌に映えるピンク色の頬が愛らしい、アイドルなど目ではない世界屈指と言われても頷く超絶美少女だった。

 髪と同じく淡い色合いの服は街中のショーウィンドウでも見かけそうな代物である筈だが、少女が纏っていると天使様の衣装に見えてくるから不思議である。美少女補正恐るべし。

 別に少女に捕まったという訳ではない。ハンナと少女の距離は目測で20メートル強、道路を挟んだ両端で、視線さえ交わっていない。


 ではなぜか。その理由は実に簡単だった。


 ―――あの子、人間じゃない、よね………?


 あんな美少女が街中を歩いていて視線の一つも寄越されていないという事実に気付いた時、猛烈な違和感と覚えのある既視感を感じた。

 集める筈のものが集まっていないという空白は、一度意識すると逸らすのが難しいほど意識しかいに入り込んでくる。そうなるともう駄目だ。好奇心が刺激され、むくむくと胸の内で広がってくるのを抑える事が出来ない。

 その末に、少女を観察していたのだが―――長年幻獣と戯れていた経験の賜物か、少女に違和感を覚えた。或いは、既視感を。

 その既視感は幻獣たちから来るものかと思ったのだが、どうにも違う気がする。


 ………まるで、かつて少女を見た事があるかのような。


 結果疑念が尽きるどころかむしろ解決せずに湧いてきた訳なのだが。

 全ての疑問は、あの少女は何者か―――それに集約されるのだろう。


(誰なんだろう………でも、一度見たら忘れないような………それ以上にインパクトのある人が一緒だった? いや、あの子以上にインパクトがあるって無理があるよ。じゃあ、)


 僅かに首を傾げて、自問する。


 ―――一体どこで見たんだろう。


 それが気になって仕方がなく、少女を目で追い続けていた。否、実際に少女の進む方向へと足を向けており、少女とハンナを同時に認識した者がいれば確実にハンナは追跡者として怪しまれただろう。

 しかし、他人から見ればハンナは正面を見ずに歩いている奇妙な子供としか認識されていない。


 もし、ハンナを追跡者と思う者がいるとすれば、それは、


「った、スミマセン!」

「大丈夫ですよ。失礼だけど、君、もしかしてハンナ・ブースちゃん?」

「―――え?」


 同じく、少女を認識できる者ぐらいなのだろう。






「ビックリしましたよ、まさかお兄ちゃんのガールフレンドにこんなところで会えるなんて!」

「ふふっ、私もびっくりだよ~。あ、日本ではガールフレンドって女友達っていうより女の恋人っていう意味で使われるから注意した方がいいよ?」

「そうなんですか、ありがとうございます、アゲハさん」


 にこにこにこにこ、花と蝶が二人の周囲に飛び交っていた。


 少女を追いかけている途中で高校からの兄の友達である女性と知り合うという奇縁に巡り合ったハンナは、ものの見事に少女を見失ってしまった。まあ元々気になっていた程度だし、と後ろ髪を引かれながらも切り替えた。今はそれより目の前の女性である。


 純朴そうな外見に穏和な雰囲気を持つ女性にいきなり本名を言い当てられた時は驚いたが、彼女の名前を聞いた途端、その驚きはさらなる驚きに塗り替えられる事となった。


 何度か、兄が愚痴の様に友人たちの話をしていた事がある。その中でよく出てきたのが、同級生の恋人たちの話だった。まるで鏡合わせにみせたちぐはぐな二人だよ、と良く分からない表現でその恋人同士を批評していたのが印象的だった(それに、当時兄の通っていた高校の隣の病院で医者として勤めていた姉も同意していたので、その通りだったのだろうけど)。

 その恋人の片割れと、まさかこんなところで出会う事となろうとは。


「それにしても、ホント良く分かりましたよね。私がお兄ちゃんの妹だって。あんまり似てないのに」

「何度か写真見せてもらったしね。最近会った時も、ケータイ見してもらったし。それに、鼻とか口元はよく似てるよ。輪郭はお姉さんそっくりだし」


 成程、ハンナは深々と頷いた。そして後日兄を呼びだして撮られた記憶の無い写真ごと携帯を圧し折ろうと心に決めた(兄の携帯は兄が愛してやまない幻獣や動物の写真で埋め尽くされている。ずぼらな兄の事なので、パソコンに転送などと言う真似はしていないのだろう。色んな汁まみれで突っ伏す兄が目に浮かぶ)。


「そういえば、何で前を見て歩いてなかったの?」

「、えっと」


 一瞬詰まる。馬鹿正直に、ものすごい美少女がいたんですけど他の誰にも見えてないみたいで気になって追いかけてみました―――アウト。色々危ない人の台詞だよ、と自分で突っ込みを入れる。

 その合間に心配げな声で、ぶつかったの私だったけど、もし酔っ払いや不良だったら危ないよ? と投げかけられる純粋な言葉がハンナのささやかな胸に沁みる。昼までの暴君とのやり取りとは雲泥だった。

 この人に嘘を、と思うだけでさらに言葉に詰まる。しかし、本当の事を言うのは不味すぎるだろう。


「………あの、私最近こっちに来たので、ちょっと物珍しくて………」


 なんとか理由を捻り出した。しかし、こんなつっかえつっかえで納得してくれるだろうか。ありふれた言い訳しか思い浮かばず、視線が合わせられない。視線がさっきから下に向きっぱなし、どころか顔もアゲハの方を向けていない。


 拙い。自分でも思うが拙すぎる。

 ああ怪しさ満点だよ、と内心は悲鳴塗れだ。


 ―――ええうんばれますよねこれ絶対!


 どうしよう! とハンナがパニックに陥る直前、天の声が響いた。


「成程、たしかハンナちゃんはイギリスの方にずっといたんだっけ?」

「え、あ、はいっ」


 ―――よかった納得してくれたあああ!


 実際、ありふれた理由であった事と、しどろもどろな様子が恥ずかしげなものに見えた為詰まったのが不自然に見えなかったからでもあるのだが、天然ハンナに知る由は無い。

 とにかく何とかなった、という達成感に満たされるも、しばらくして少しの罪悪感を抱いてしまう。結果的に騙す形になってしまったが、だからと言って事実を話すわけにはいかない。何せ見えない、感じない人には変人扱いされる事請負である。

 いや、あの兄の友人だから―――と思わない事もないが、万が一違った場合、累は兄にまで及ぶ為、迂闊に話せない事ではない。もうすでに手遅れかもしれないが(具体的に、出会って間もない頃辺りに)、とは考えないようにした。


 やっぱり、女の子の事気になるけど聞くわけにはいかないもんね、あはははは………。割り切っていようとする割に、結構引きずっていた。


「とくに今日出歩く予定が無いなら、もう帰った方がいいよ? わるーい人に捕まっちゃうかもしれないしね」


 ほら、もうこんな時間。おどけた様に見せられた携帯の時刻に、「ええっ!」とハンナの口から悲鳴が漏れた。全然自覚が無かった、もうこんな時間!?


「あわわ、スミマセン、今日は帰らせて頂きますっ」

「ううん、こっちこそ呼びとめてごめんね」


 また会おうね、とにっこりスマイルされ、思わずふにゃりとしてしまう。話には聞いていたが、なんだか落ち着ける雰囲気の人だと思う。鎮静作用というか、ラベンダーやカモミールのような人だ。アロマ的な意味で。

 その感想を素直に言うと、少し微妙な顔をされてしまった。


「それ、お姉さんが言ってた事?」

「え、はい」


 よく分かりましたね、という言葉は呑み込んだ。アゲハがやっぱり………と言わんばかりの表情だったからだ。

 失礼だったと謝ろうとする前に「ミヤと同じ事言われたらちょっと凹んだかも」という返しを受けて、ハンナは思わず嫌な顔をした。ミヤことハンナの兄は、幻獣や動物で表現する事が多い。それが可愛いものならともかく、誰も知らないような珍獣や奇天烈な生き物である事も度々で、それを思うと同列にされるのは良い気分ではない。しかも妙に的を射ているところがさらに面白くない。


 しばし見つめ合った後、ドローと言う事で無言のまま手が打たれた。


「ハンナちゃんの家ってどっち?」


 素直に場所を告げると、丁度いいやと微笑み返された。


「それじゃあ、家まで見送るよ。私が今から行くところ、その側を通ってくから」


 遠慮しないで、とやや強引に手を引かれ、ああ、お姉ちゃんってこういうものなのかな、と母の様な姉しか知らないハンナはぼんやりと思った。


 後日、それを知った彼女の実姉は深い傷を心に負ったという。






 それで終われば良かったのだが、呪われた血の因果か、はたまた単にハンナが不運だったのか。

 何の前触れもなく、どう考えても不運としか評せないタイミングで。

 二日後、彼女は最悪な場面に、アゲハとともに居合わせる事となる。



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