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黒と彼らの関係性  作者: 各務 迥
黒とサザンカ
17/24

十四話:開幕前夜



 その時、庵夜はひたすらに後悔していた。


 普段、橘にちょっかいを出してはどつきまわされながらも不屈の精神で楽しんでいたのだが、その精神の根幹を折られそうな危機に直面していた(しかし後日、その不屈の精神は彼の主の「あれ、庵夜ってMだったけ?」の一言により圧し折られる事となる)。


「ええ、それでですね………」

「そうですか、それでは………」


(ほんっと空気ギスギスだなぁおいっ!)


 お前接客能力ゼロだったんじゃなかったのか、坊。

 あり得ない光景に、庵夜は背筋がぞぞぞっ、と虫が這いずりまわるような悪寒に震えた。幼少から彼を知る身としては、例え上辺だけでも異常すぎるほどの異常事態である。

 傍目から見れば穏やかな商談の途中にしか見えないだろう。にこにこにこにこと橘と依頼人の男が笑いながら話している。………だと言うのに、なんだこの殺伐とした空気、思わずげんなりとする。まるで鍔迫り合いをしているような緊迫感が、和やかな風景の皮一枚下で繰り広げられていた。

 隙を見せれば切り捨てる気満々のこの空気、商談と言うのはこうも居心地の悪いものだったろうか。


「それにしても、少々聞いていた印象とは違いますね」


 にこにこにこにこ。もうここまで来ると胡散クセェよ、金髪碧眼の男に対して庵夜は毒づいた。

 そこでハッと身構える。普段ならここで、橘が見透かしたように捩じり込むような蹴りが足の甲を踏み貫きにくる………筈なのだが。


(………ん?)


 随分と警戒しているのだな、と目を側める。これは鍔迫り合いと言うよりは、喉笛を噛み切る間合いと隙を量り窺い合っている状態か。気を抜いたら斬られるというより、僅かな綻びでさえ噛み殺す気満々のようである。随分と積極的な害意だなぁ、と庵夜は橘の成長を噛み締めた。


「ほう、どのようなお話を聞いていたんですか?」

「いえ、ここはどんな依頼も100%解決してくれる場所だと聞いたものでして。最初にあのような前置きをされるとは思ってもいませんでした」


 確かに、と庵夜は思った。あのように『依頼受けなくとも文句言うなよ』と予防線を張っておくのは珍しい。むしろ此処に来る依頼は大半が橘の好みである筈だ。実際、今回の依頼も彼好みだと思えた。

 それに無反応だとは………。


(―――ん?)


 ひくり、庵夜の〝嗅覚〟が懐かしい匂いを嗅ぎあてた。しかし、『懐かしい』という表現に引っ掛かりを覚える。この種類の匂いに対して懐かしいなどと思うなど、と首をひねる。この類の匂いならば、懐古の念を抱くより先にいつどこで嗅いだのかを思い出す筈だ。

 しかし、風化した写真を眺めるかの如く、記憶の焦点がとんと合わない。それどころか心当たりすらない。

 そんな庵夜をほっぽり出し、状況はつつがなく進行していった。


「それでは、一応の目途として一週間の期間を設けさせていただいても良いでしょうか?」

「分かりました。それではお願いします」

「ええ」


 にこにこにこにこ。にこやかに商談は終始した。気味が悪いのも首尾一貫していると晴れ晴れしい気持ちに―――



「いやならねえよ」

「あ?」

「いえナンデモアリマセン」


 依頼人が帰った途端にコレである。

 偽りでも良い。頼むからもう少し俺に愛をくれ。

 直後、足元に猛烈な蹴りが襲い、バランスが崩れた直後脳天に鮮やかな踵落としが決まった。容赦無い一撃に涙とともに崩れ落ちる。


「下らねえ事言ってんじゃねえ。確りと付けたんだろうな」

「間違いねえよ。悪魔使いでも現代の奴らはヘボばっかりだからな。エクソシストでも見れねえ奴も少なくねえぐらいだ」

「そのヘボにしてやられたのはどこのどいつだ………?」

「ぎゃー、ぐりぐりすんな! 知っての通りだが俺にSMの趣味はねえぞっ!?」


 痛くないけど痛てぇ、などと事情の知らぬ方々には訳のわからない愚痴を零した。

 本当に如何して妙なところだけはよく似ているんだと呆れ半分感心半分で思う。これは血せいなのだろうか―――とまで思って沈んだ。嫌だ、この凶悪性が遺伝など、本当に嫌過ぎる! と四つん這いになって絶望する。


「何時までそうしてる気だ。働け」

「いやだって、坊本当に母親似だよなって思ったら誰だって絶望するだろげふおっ!」


 踵落としが同じ個所にピンポイントで落ちた。


「手前と漫才やってる気はねえんよ、さっさとしろ!」

「あ、そういう風に見えるんだやっp―――ごめんなさい、だから踵落としは止めろって!?」


 数分後、唸り声を上げながら蹲る非常に情けない姿の庵夜と、事務所奥で支度を済ませた橘の姿があった。

 何度も蹴りが穿った個所が異様に熱を持ち、何やら煙でも出ているのではないかと心配になる。一度全身放火の末に毛刈り祭りに放り込まれるという憂き目に会って以来、身体に熱が籠るのに対して傷心が疼くようになってしまった故だ。

 記憶の洞に閉じ込めてあった人影を捉えてしまい、呪いを吐きだした。


(くそう、あの3バカトリオめ―――)


「あ、思い出した」

「………何をだ?」

「いやあ、あの依頼人に知ってる匂いが着いてたんだが………昔、蒼葩が会ってた奴の匂いだったんだ」


 道理で懐かしいわけだ、と一人納得する。懐かしさを感じる要素がアレらにあるのかは謎だが。

 しみじみと20年だか30年だか前を思い返す。


「自重って素晴らしい言葉だよなあ………」

「…………」


 何も言わず、橘は庵夜から視線を外した。

 どことなく後ろめたく思えたのは、恐らくきっと多分気のせいなのだろう。


「一応聞くが、本人ではないんだな?」

「それだけは無いな。本人だったら今頃、ここら一帯が血の海だぞ? ほら、昔見ただろ。蒼葩が珍しく写真ネガごと持ち帰った時があったじゃねえか。それに映ってた一人だよ。今も生きてるんなら―――もう40半ばじゃねえのか?」

「人間だったのか」


 ―――人間以外じゃなかったのか。

 いや、確かに蒼葩相手に友人などという関係を築ける時点で人間離れしているか、よほどの不運、はたまた奇運凶運と言わざるを得ないが。決してフォローではない(そしてフォローのつもりは毛先ほどない)台詞を胸中で呟いた庵夜も相当に酷い。


 相手を慮ったのか言い換えたのであろうその言葉に、一拍置いて庵夜は答えた。


「いや、奴だけは人の枠からズレてたが、それ以外は普通の人間だったな。他の奴も唯の人間だったし」


 庵夜の言う『唯の』の基準が一般常識と大幅にかけ離れている事には触れず、橘はしばし思案した。


「………おい、レナから連絡は来たか?」

「ん? さっき来たが」

「それを先に言え!」


 があんっ! 鐘でも衝いたかのような良い音が事務所に木霊した。

 血溜まりの音は、しなかった。






     ■■■■






 くう、控え目ながらも情けない音が鳴った。どれほどの苦悩を抱えていても、生きている限り生理現象には逆らえない。逆説的に、今自分は生きているのだと―――ここは現実なのだと実感させられた。

 もふりとクッションに顔を埋める。同室にあったソファーに膝を立てて座り込み、クッションを抱え込んだ体勢のまま、架谷はじっとしていた。


 ―――橘をどう思ってるのかなぁと。


 赴夜の問いかけが、実体のない声が過去から聞こえてくる。恐らくは、あの時点―――いや、もっとずっと前に気付いていたのだろう。

 橘が、架谷に、何をしたのか、何をしているのかを。


 初めて会った日の事を思い出す。確かアルバイトを始めて日が浅い頃だった筈だ。いきなり現れた黒尽くめに、すわ何事かと慌てたものだった。次に現れた時は一週間後で、前とは違ってファッショナブルな印象になっており、名乗られるまで誰だか分らなかったが。

 橘の隙を狙うようにやってきたのは最初だけで、その後は猫のようにするりと立ち去る橘とは見事に入れ違いの日々だった。

 五度目、もしくは六度目の時だっただろうか。「今日もかぁ………」と肩を落とす様を見て、橘の言い付けを破って声をかけた事が交友の始まりだったと思う。その時赴夜が一瞬見せた、酷く狼狽した顔が印象的だった。


 数日後、どこから聞き及んだのか、所長にたっぷりじっくりとお咎めを受けた。ひどいドSという心の叫びは、口に出していないのに何故かモロバレだった。

 その翌日にやってきた赴夜に「大変だったなぁ」という慰めをもらった時には………もう、なんというか、コメントしようがなかった。


 始終人を喰ったような物言いをし、感情の読めぬ振る舞いばかりをしていたように記憶している。

 不快、とはまた違った。

 人物像が掴みにくく奇奇怪怪な人ではあったが、最初に見た、深く関われば深い場所へと引き摺り込まれるような、遠ざけておきたいと思わせる〝何か〟を、それ以来見ていないからかもしれない。


「なんで、あんな事わざわざ聞いたのかな」


 ―――単刀直入に言うと、好き?


 あの時の赴夜は誠実な眼差しだったと断言できる。だからこそ、後の台詞に腹立たしくも思ったのだが。

 あの時言った言葉に嘘はない。その気持ちも、偽りないものだ。


 ―――人の精神に影響する魔術

 ―――辞めさせないためにした


 昨日までなら断言できた言葉は、決して喉を通る事を許さない。

 背を丸め、クッションを抱き潰すように胸に押しつけた。


「………?」


 軽いノック音が聞こえた。しかしそれだけで、人の声が全くしない。

 誰だろうか、首を傾げた。少なくとも峪梨ならば声ぐらいは掛けるだろう。そしてそのまま何の了承もなく入ってくるだろう。


「どちら様ですか?」

「………ハミルだが。開けてもいいか?」

「あ、ちょっと待ってください!」


 クッションを投げて軽く身だしなみをチェック、失礼がない状態だと確認を終え、素早くドアを開けた。確かに恐い人だが、しかしこの事務所の所長、つまりこの部屋の主。失態を犯せばどうなるか分かったものではない。………ここら辺の思考回路は完全に橘に毒されていた。本人は全く気付いていないが。


「あの、何かご用でしょうか?」

「まあね。ちょっとあっちの部屋に来てくれる? いきなり密室で二人っきりというのも嫌だろう?」


 その話し方はどことなく橘を連想させた。相手に選択肢を与えているようで、その実都合の良いように絞ってくる辺りなどが。


「まあ、あっちの部屋に行っても女性は君一人だから、君としてはあまり変わらないかもしれんがな」


 気遣う台詞に意外に思う。そこで二人きり寄りはましだろう、と前向きな台詞で無いところは何となしに納得できるものだったが。

 ふとハミルの台詞に引っ掛かりを覚え、架谷は首を傾げた。


「あれ、かすみちゃんは………」

「峪梨くんは今所用だ」


 所用。と言う事は、彼女は今ここにはいないのだろうか。いないのだろう。でなければ『女性は君一人』などとは言わない筈だ。

 ………何故だろう、架谷は背筋に汗が一筋伝ったのを感じた。部屋は暑くなく、むしろ冷房が効き過ぎている程だと言うのに。


「あの、具体的に、私に一体何のご用でしょうか」

「君に会ってほしい人がいてね」


 ハミルの目は軽く伏せられ、その目には感情が窺えない。

 だが何故か、最初に見た鉄面皮であるにも関わらず、架谷はハミルが笑っているのだと確信できた。脳裏に焼きついた、あの陰湿な笑みと重なダブる。


「………どうして私が?」

「それは、会ってからのお楽しみといこう」


 からかうような笑みを含んだ台詞に、さり気なく差し出された手に、無意識に怯える。

 この人物と橘はよく似ているというのが架谷の第一印象だった。それは今なお変わっておらず、むしろますます強くなるばかりであった。

 しかしと思う。私はこんな風に所長に怯えるのだろうか。

 こちらが幾ら愚痴を言おうが嫌がろうが、結局は綺麗に転がしてくれる橘の掌と同じだと。それでもどこか安心していられる橘の掌と同じだと思っている筈なのに、架谷は無意識に怯えた。

 何が違うのだろう。無意識の問いが遠くから胸の裏に触れる。しかしそれは意識の舞台に上る前に、乳白色の濃霧の幕越しのように輪郭がつかめないまま遠ざけられた。怯えに背を押されるように、ハミルの手を取る。



 ―――橘さん。



「安心するといい。すぐに会える」


 ハミルはそう言って、鉄面皮を笑みに変えて見せた。

 その笑みを見た瞬間。架谷の何かが決定的に凍りつく。

 しかし、逃げる事も拒絶する事も、離れる事も出来なかった。それは抵抗する意思を奪われたからではない。

 純粋に、タイミングの問題だった。


「おや、このお嬢さんが、ですか?」


 聞き覚えのない声に、ふ、と視線を彷徨わせた。

 最初に目についたのは青色。その次に黒。視線を僅かばかり上へと移動させれば、欧州辺りの血が入っていそうな彫の深い男性の顔があった。焦点が一瞬崩れ、そこに立っているのが牧師風の大男だとようやく認識した。


「初めまして。私の名は――――と申します」


 聞き慣れない単語に、一瞬聞き返しそうになった。しかし何と聞き返すべきか。流石に聞き取れなかったのでもう一度、などと素直に言うには失礼すぎる。他は完璧であったため、唯一日本語とアクセントが異なる名前の部分がより浮き彫りになってしまったのもまた聞き取りづらくなった原因だろう。が、当然そこに文句を付けるわけにもいかなかった。


「少々発音し辛いでしょう? ジャパニーズの知り合いからはよくブソッティ、もしくはリカルドと呼ばれています。もうそちらの方が聞き慣れ過ぎてしまいましてね。私の事はどうかそのようにお呼びください」

「はあ………」


 柔らかに微笑んだ大男、リカルドを不躾にならない程度に眺めてみる。恰好もそうだが、胸から下げられたクルスも本場仕立てか(という表現は可笑しい、かな?)、アクセサリーとは一風違った趣がある。少なくとも洒落っ気で付けているようには到底見えない。

 長身ではあるが、頬がこけ、身体つきも痩せているように見えた。表情も始終穏やかで、ハミルと会話した後では月とスッポン並みの格差を感じる。危険人物、という看板を持たない男性が希少価値てんねんきねんぶつ並みの存在に思えてきた程で、これだけで架谷の摩耗具合も良く分かろう。


 しかし、何となく。架谷は、あまりこの牧師に近づきたくないようにも思えた。


「ブソッティさん。私に一体どのような御用が御有りなんでしょう?」

「いえ、話は単純です。私自ら出向けたのなら十分だったのでしょうが、そうもいかなくなりましてね」


 リカルドはにっこりと、聖職者然とした穏やかな微笑みを浮かべたまま、言った。





「なので、ここは一つ。貴女に餌になって頂こうと思いましてね」



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