黒と彼らの関係性~サザンカの語る黒~
なんなんだったんだ。苛立ちを紛らわすために息を吐く。眉間に、くっきりと皺が寄っていると確信を持てるほど力を込めた。
先ほど尋ねられた質問を反復する。
―――黒とあなたの関係って、なんなんですか?
女の問いに答えようとした瞬間、女に纏わりついていた男が横から入り込んできて、俺の機嫌は一気に降下した。
恐らく、男は何も聞かない方が良い、と判断したのだろう。
ある意味賢明と言えた。普段の俺ならば、真っ当な解など与えるはずがない。ただ、その時だけは素直に答えてやろうと思っていたので只の藪蛇だったが。
関係。関係性、ね。
もしそれを、≪破滅の黒≫と俺との関係を語るなら(ある程度の事を知っていようがいまいが)、最初に断言しておくべきものがあった。
俺にとって、奴は憎むべき相手なのだ。
感情論抜きの立場はあいつらの知っている通りだった。それを鑑みれば、世間一般と言うモノに当て嵌めればこれは異常な事なのだろう。
だが、少しでも奴について知っている者が、奴に微塵でも関わった者がこの言葉を聞けば、その評価は一転する筈だ。
ああ、成程、と。
……思えば昔から奴はそういう性格だった。ふつふつと腹の底で何かが蠢く。誰から恨まれても可笑しくない。恐らく親から子から伴侶から友から隣人から仲間から部下から、どれだけ親密な関係であれ、恨まれていても納得されるような人格の持ち主だった。奴は。
これだけ聞けば最低の最低、外道下種下劣と言っていい人物であると想像するのだろう。しかし意外な事に、奴は愚か極まりない人物ではあったが、非道と切り捨てる事の出来ない人柄でもあった。
アレはある種の人情家とも言うべきなのかもしれない。事実、アレを慕っている奴らにすれば、敬愛と尊敬を以って接するべきなのだろう。
その代表例を思い浮かべてげんなりとした。あの女は神でも崇めているつもりか。……笑えんな。全く。
兎角、苛烈な性質ではあったのだと思う。そして他者にのめり込み過ぎる。いや、あるいは自分に対して淡泊だったのか。知る気などこれからもないし、今となっては知る術などないのだが。
奴を知る者なら等しくこういうだろう。
黒に常識など通用しない、と。
それは黒に関わった者の共通の認識だ。
少なくとも、敵も味方も関係ない、などと武器を携え容赦なく叩き潰しながら戦場のど真ん中で叫ぶ阿呆は空前絶後だったに違いない。少なくとも、迷いなく自分に真っ直ぐに実行する阿呆は過去現在未来を通して奴一人だけだったに決まっている。他にそんな阿呆が何人もいるのならこの世はとうに崩壊しているに決まっている。何せ、敵であろうと助け、味方であろうと気に入らなければ叩きのめすという無茶ぶりを平素でやるのだ。勢力云々以前に組織には最悪と言える。
殺されようとする事に欠片も意識を向けず、ひたすら自分が知りたい事だけに目を向け続ける。そのためなら自身が許容する限りどんな手段も厭わない。どれほど傷つき傷付け迷惑を掛けようが恨まれようが、ただ突っ走る、正しく災厄と呼ぶに相応しい最凶にして最狂の阿呆。
或いは、子供だったのかもしれない。誰よりも夢を見続けた、恐ろしく性質の悪い子供であったのだろうか。納得してしまうあたり、本当に如何ともしがたい奴なのだと実感する。関係性がある事自体、嘆かわしく思えてきた。
なんにせよ、奴は、実力も、行動も、性格も、精神も、立場さえも規格外だった。奴に言わせれば、俺の方が問題外だそうだが。すぐさま問題外と言うのは弱いという事か、と詰め寄った。本人は褒めているつもりだったようだが、それこそ問題外だろう。もう少し語彙のセンスを磨いてこい。
昔、恐らくはああいうのを最強と評すのかもしれない、と薄ぼんやりと思った事があった。あれほど情けなく、下らなく、そして他人頼みな『最強』など笑い草だな、とも思ったが。
―――だからか。
俺はずっと、不変なんだと、思っていたんだ。黒を憎み続ける日々が続くのだと。
憎むには相当の労力が必要となる。常に燃料を炎に投げ込み続けなければいけない。時間が経てばどんな感情も摩耗していく。常に同じ感情を強く抱き続けるには、常にその感情を新しく発生させ続けなければならない。少なくとも、俺にとっては。
だから、関わり続けている者でなければ、一生憎み続ける事など出来はしないのだ。死人を憎み続ける事が出来ないように。強烈な憎悪を、抱き続けられないように。
だから俺は、ずっと黒が生き続けるものなのだと思っていた。少なくとも、俺の一生の間で死ぬことはないのだろう………そんな風に、無根拠に信じていた。
「人は死ぬものだよ」
そう言い続けてきたのは、他でもない黒であったというのに、だ。
―――黒が死んだ、という訃報は、世界に知れ渡る少し前に俺の下に届いた。
その時には全てが終わっていた。
黒が成した事、成したかった事、成せなかった事。それらと同じように横たわる亡骸を見て、あの日確かに絶望が胸を覆ったのだ。
奴は、間違いなく全てを承知していたのだろう。それでも、黒は始まりから終わりまで謝罪を口にする事はなかったそうだ。それはある意味で救いであり、そして絶望だった。………どれだけ周囲が悲しんで、苦しんで。それでも一片の後悔もない。そういう事だったのだろう。
裏切られた、と思った者もいたのかもしれない。そこには何故、という言葉が渦巻いていた。黒の顔に浮かんでいた微笑みは、全くの逆効果でしかなかった。
……その時、俺が思ったのは、恐らくそこにいる全員とは違う事だったのだろう。
そしてそれは、俺と黒にまつわる全ての間に決定的な溝を穿った。
一つだけ、ずっと思っていた事があった。
なんとなく機会を逸して、そして今も掴めないままの疑問だ。
とても些細なことではあるが、この疑問が溶ける時、俺と黒との間に穿たれた楔も熔ける事が出来るのではないか………そんな思いが胸の内に燻っている。勿論、その事を知っているのは俺だけであり、そしてその疑問を俺が口にする気がない以上、この疑問は永遠に溶けて消える事はないだろう。
俺にとって黒は憎む相手だ。
それでも、黒がいなければこれは単なる一人相撲でしかない。黒を真正面から見る事の出来ない今、この憎しみは何時までこの胸を焼き続ける事が出来るのだろう。俺は、それが恐ろしくてたまらなかった。
時々思うのだ。
―――俺は、アンタにこの疑問を解いてほしいんだ。
そうすれば、きっと―――と。
益体のない夢想を、俺は捨て去る事が出来ないでいる。
不毛な追憶は、ただそれだけを俺に告げただけだった。