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僕とマキは二人で寒い森を歩きだした。
森の中のざわめきは昨日よりもさらに大きくなっている。
僕の後に続いていたマキがぽつりとつぶやいた。
「この森には川があるの」
「知っているよ。散歩コースではないけどね」
「その川の上流にはダムがあるの」
「そこまで行ったことはないけどね…。何が言いたいの」
マキの様子は明らかにおかしい。
「昨日ね…、急な仕事で画廊に寄った時にね。お客様に聞いたの。
そのダムで発砲事件があったんだって。
犯人は女子高生で…、その女子高生は、麻薬の密売にも絡んでいたの…」
僕は立ち止った。
「その女子高生が、ナミカだと…?」
マキの目がおびえていた。
僕はよほど怖い顔をしたに違いない。
ゆっくりとマキは言葉を選んで言った。
「その女子高生はまだ見つかっていない。ちょうどナミカちゃんが来た日に事件は起きている。
ねぇ。本当に腹違いの妹なの?ナミカちゃんは…」
発砲事件?麻薬の密売?
「まさか…」
でも、だから、森が騒がしいのか。
ナミカを探して警察が徐々に下流に捜索範囲を広げているのか?
僕の心臓が僕を叩きだし、僕の足は来た道を走りだした。
何も言わず、走り出した僕の後ろからマキも僕の後を追うように走り始めた。
「え?どうしたの?」
走りながらマキは僕に聞いた。
「家に戻る。ナミカがマキの様子が変な事にきっと気づいたはずだ」
「え?気づいているようには見えなかった。大丈夫だよ」
僕の後を追いながら、マキは叫ぶ。
ナミカにとってテレビもパソコンも来る人もいない僕の家はちょうどよい隠れ家だった。
だけど、いつか終わりが来ることを知っていた。
じっと僕やマキの様子を観察していたに違いない。
僕ではなく、散歩を嫌がっていたマキが僕たちを散歩に誘った意図を察したに決まっている。
そして、ナミカが散歩を断った時のマキの返事、『そうよね』の後に続くマキが心にしまったセリフ。
それは、『外には警察がいるかもしれないのにね』。
ナミカにはきっと聞こえたはずだ。
「僕とナミカは同じなんだ」
走りながら、僕は独り言のように言った。
僕とナミカは罪を背負っていた。
そんな意味で似ていた。
似たもの兄妹。
「同じ人殺しだ」
「違う!」
大きなマキの言葉が森に響いた。
しばらく静かになった。
走りながらマキは何を考えていたのだろうか。
「そうね…、きっと何かわけが…、あぁ、どうしよう…」
マキのそんな独り言が少し続き、後は息遣いのみが聞こえた。
家に戻ると僕とマキはすぐにナミカを探した。
僕の狭い家に誰もいないことを確かめることに時間はかからなかった。
一週間、散歩のためにすら家を出ようとしなかったナミカが家の中から消えた。
「どうしよう…。私のせいだ」
両手で顔を覆ってマキが泣きだした。
「探そう。1時間も過ぎていない。そう遠くは行けないはずだ」
泣きながらマキが頷いた。
この家には自転車はない。
軽トラはあるが、それは庭にある。
ナミカには歩くしか移動手段はない。
「私は車で道路を探す」
「僕は森を探すよ」
「森に入るわけがないわ。やっぱり、警察にお願いしましょう」
「だめだ」
「森に入ったのなら、早く見つけないと遭難するわ。今は彼女の命の方が大切よ」
「頼むから、夜まで待ってくれ」
「あなたまで遭難するわ」
「でも、探しに行くよ」
もしかしたらナミカは、僕に手を伸ばし助けを求めていたのかもしれない。
ずっと、伸ばした手を掴んでほしかったのかもしれない。
景子が伸ばした手を掴めなかった僕に、再び差し伸ばされた手のひら。
警察より早く見つけなければ…、
僕がナミカの手をつかまなければ。