表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手のひら  作者: 山田木理
4/17

今日の森は少し騒がしかった。

ナミカと出会ってからなかなか散歩に行けなかった。

今日は4日ぶりの散歩だ。

僕は森を見上げた。

今日は何かが違った。

遠いどこかでざわざわとざわめいているような気がする。

森が響いている。

人の気配を感じて森が響いているような気がする。

僕は散歩を切り上げ、家に帰ることにした。



家に戻るとマキの車が見えた。

マキはいつも自宅のある街から3時間以上かけて予告もなく来る。

それは不定期で月に1回のこともあれば、毎週来ることもある。

でも、2日続けては珍しい。

マキがコーヒーも飲まずに帰ったのは昨日のことだ。

僕はマキの車の横をすり抜け、ガラス戸を開こうとした。

僕の家には、一応玄関があるが、庭に面した大きなガラス戸がいつの間にか玄関の役割をはたしている。散歩コースからは玄関まで回るより便利なのだ。

「売れたわよ!」

ムッとして帰った昨日のことなどすっかり忘れたようにマキが満面の笑みでガラス戸を開きながら叫んだ。

「売れたって。何が?」

「お兄さんの絵だって」

答えたのはナミカだった。

続けてマキが興奮していった。

「5年目快挙!」

「5年も売り続けてようやく売れた絵のお値段は?」

ナミカが余計な質問をした。

「別に僕は売るために絵を描いているんじゃないからいくらでもいいんだよ」

と言いつつ、気になる僕にマキがピースをする。

「2百円?」

余計なことを言うナミカに突っ込みをいれ、僕は冷静に答えた。

「額縁の代金より安いだろ。2万円ってところだろう?」

「2千円」

マキはピースしたまま答える。

ガクリとうなだれる僕にマキが不満そうに言った。

「あのねぇ~。2千円でも甲斐の絵を欲しいって言った人がいるんだよ」

「そうだ。そうだ。あんなの2百円でも高いのに」

ナミカが余計なことを付け加えた。

「まぁ…。とにかく来週の土曜日空けといてよね。納品をするからちゃんとお客様に挨拶するんだからね。って、いつも甲斐の予定は空いてるか」

「やだよぉ~。僕がそんなの苦手なの知ってるよね。代わりに挨拶しておいて」

「駄目だよ。いつまで森の中に籠っているつもり?そろそろ外に出ないと…。貯金だってそろそろ無くなるでしょう?」

なるほど。彼女の目的は挨拶と言うより僕を社会に戻すことだろう。

森の中に住んでいる僕が外に出ることは滅多になく、せいぜい食料を買いに車で1時間かけて一番近くの町のスーパーに行くのが関の山だった。

「いいよ。僕は…」

僕はマキを微妙に見上げ、溜息をついた。

「よくない…」

それっきりマキは黙ってしまった。

本当に僕はどうでもよかった。

確かに遺産と言っても一生暮らせるだけの財産はなかった。

この家は森の中にあり、ここから町まで車で1時間以上かかる。

しかし、その小さな町で仕事を見つけることは不可能に近い。

こんなところに家を建てたのは誰だか知らないが、本当に不便なところだ。

近くにスキー場があるわけでもなく、観光地があるわけでもない。

ここに一生住むのは不可能だった。

「私。好きだよ。お兄ちゃんが描いた絵」

沈黙を破ったのはナミカだった。

「綺麗だと思う」

「2百円でも高いって言ったのはお前だろう?」

僕は冗談交じりに笑ったけれど、ナミカは笑ってなかった。

「だって、あれは1枚だけ買っても駄目だから…」

「どういう意味?」

意外そうにマキは聞いた。

僕の絵は単純な風景画だ。

森の木々を描いている。

季節ごとに見せる森の表情を描いている。

「一枚だけ見ても本当の森がわからないけど、何枚か見ていると徐々に森にもいろんな顔があるんだなぁ~って気がつくんだよね…。うまく言えないけど」

僕にはナミカという人間が理解できなかった。

明るくてお調子者のようにも見えるし、静かな大人しい人間にも見える。

女子高生のようにも見えるし、二十歳すぎたしっかり者にも見える。

どれも不自然で作っているようにも見えるし、本気のようにも見える。

今のナミカも演技に見えるし、本音を言っているようにも見える。

マキが静かに頷いた。

「そうだね。確かに甲斐の絵は1枚じゃ単純な風景画だけど何枚も見ていると森の表情が伝わってくるような気がする。連作絵画のような感じかもしれない」

「1枚じゃ価値無いみたいだな。じゃあ、抱き合わせてもっと高値で売ろうか?」

何とかこの空気を変えようとした冗談にマキは僕を睨みつけた。

僕はそのきつい目に耐えられず、目をそらした。

「わかったわ」

マキはそう言うとガラス戸から出て行った。

「マキさん。お兄ちゃんのこと心配していたよ」

僕がいない間に何を話していたのやら…

ナミカが僕を非難じみた顔で見る。

「知っているよ。ずっと僕は彼女に心配しかかけていないからね」

そろそろ聞こえるはずの車のエンジン音が聞こえない。

代わりに裏口のガラス戸を叩く音がして僕らは振り返った。

ガラスの向こうにマキが布団を抱えて立っていた。


どうやら、居候がまた一人増えたらしい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ