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3日前。
太陽は沈みかけていた。
電灯などないぼくんちの周りは夜が早いのだ。
もともと体育会系ではない僕が1時間もかけて、意識のない彼女を僕の家までおぶってきたのは体力への挑戦に近かった。
何とか僕は鍵のかけられたこともない裏口のガラス戸を引いて、彼女を僕の家に入れた。
「はぁ~~~~~~~~~。重かった」
女性に禁句な言葉も大声で言えてしまえるぐらい体力の限界ぎりぎりだった。
「さて…」
どうしようか…
ぼくんちは携帯は圏外なので持ってもいない。
パソコンもないが、かろうじて滅多に鳴らない固定電話があった。
救急車を呼べば、それは彼女の『警察には行かないで』との願いを聞き入れたことになるが、それは屁理屈だ。
救急車を呼べば、彼女の警察には知られたくないという願いは叶わないだろう。
だが、医者の知識のない僕は彼女が怪我しているか見当もつかない。
ただ彼女の体は冷え切っているのは確かだった。
「ま、ま、と、とりあえずは…」
女性の服を脱がせるのが得意ではない僕は、頭の中で言い訳をしながら、何とか彼女の濡れた服を脱がせ、体を拭いて、僕の服を着せ、僕のベッドに寝かせた。
そこで僕のなけなしの体力はついに限界を迎え、警察とか救急車とか呼ぶかどうかの問題も中途半端に、そのまま床に突っ伏して寝てしまった。
「おはよ」
聞きなれない女性の声で目を覚ました。
声の主は僕のトレーナーとスウェットパンツをはいて、両手にはマグカップを持っていた。
足も引きずっている様子もないし、顔色もいい。
僕に彼女にかけたはずの毛布がかかっていた。
「賞味期限切れのホットミルクだけど」
そう言って、僕にカップを一つ渡してくれた。
「悪かったね。でも、2~3日平気だろ」
そう言って僕はホットミルクをすすった。
彼女は擦り切れた中古のソファに座って、同じく賞味期限切れのホットミルクをすすった。
沈黙の中に2人のミルクをすする音が響いた。
ホットミルクは喉を温め、胃に入り込み、ゆっくりと僕の体を温めてくれた。
カップの中をじっと見ていた彼女はゆっくりと顔をあげた。
「ここの家って、一人暮らしだよね?」
僕は頷いた。
一人暮らしの男の家に女子を泊めたのはまずかったかな。
「テレビないんだね。パソコンも。それに、時計もない…」
「必要ないからね」
「おじさんって画家?あっちの部屋に書きかけの絵があったけど…」
「おじさんって言うな。お兄さんと呼べ」
彼女と一周りの差はありそうな気がするが、僕はかろうじて20代だ。
「わかったよ。お兄さん。なら、私は妹ね」
「はぁ~?そう言う意味じゃなくて…」
「お兄さん。きっと私たちは生き別れの兄弟だよ」
「はぁ~?だから、どうしてそうなるんだよ。そんなわけないだろ」
「どうして?どうしてそんなことが言い切れるの?あなたは自分の母親や父親の過去を100%知っているっていい切れる?」
突然の強い口調に、僕は言葉に詰まった。
そんなわけがない。偶然、森で出会った少女が自分の妹のはずがない。
だが、100%ではない。
「…そうだな。わかったよ」
僕は溜息をついてカップをテーブルに置いた。
「今から君の服を洗うよ。その服が乾いたら町にある駅まで車で送ってあげるから後は自分で帰るんだ。妹よ。わかったか?」
「あっそ。わかったわ。町に行ったら、警察に駆け込んで、あんたが私に変なことをしたって言うからね」
「はぁ~?な、なにを言いたすんだ?言っておくが、僕は何もしていない…」
昨日の彼女の裸体が目に浮かんだ。
そして、僕の心臓がビビりだし、ドンドンと僕を叩き始める。
どう考えても僕は悪いことをしていない。
感謝されてもいいはずだ。
なのに、どうしてそんな脅しを受けるんだ!
「だいたい君の方こそ警察に行きたくないって…!」
「そんなこと言ったかな?」
悪魔は微笑んだ。
「町には一人で行ってね。それで、私の服と布団を買ってきてね。もちろん下着もね。お兄ちゃん」
「あのなぁ。本当に変なことするぞっ」
「いいよ。別に…」
悪魔は少し悲しそうに目をそらした。
悪魔のくせにそんな目をしないでほしい。
きっと、僕が普通の暮らしで、まともな神経をしていたなら、きっとこんな無茶な要求を聞かなかったかもしれない。
「妹になんか手を出すか。ばか」
僕はそう言って、人差し指で妹のおでこをはじいた。
妹は少し驚いたように僕を見つめた。
「…で、妹よ。名前ぐらい教えてくれよな。僕は甲斐正人」
しばらく間をおいて、妹は小さな声で「…ナミ、カ」と呟いた。
その名前が本当かどうかは分からない。
ただ言えるのは、3日前に警察には言えない事情を抱えた生き別れの妹が僕にできたってことだけだ。