愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
みなさまのおかげで日間総合1位(2025.12.23)になりましたー!本当に応援&感想&誤字報告もありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡
「君を愛することはない」
静かな部屋にはっきりとした拒絶が響く。
夜闇のような漆黒の髪に鋭く冷たい水底のような深い蒼の双眸。にこりとも笑わない人離れした端正な顔立ち。
それら全てが、彼を取り巻く雰囲気を冷たいモノへと際立たせていた。
「だ、旦那さま」
先程書面を交わし正式に夫となったその人、クラヴィル・ヘイリス公爵は、
「何度でも言う。俺が君を愛することはない」
再度素っ気なく言い放った。
本日彼の妻となったばかりのステイシーはなんて事と大きな栗色の目を見開き口元を押さえる。
社交界で知らない人はいないだろうというくらい有名なクラヴィルだが、ステイシーが本人に会うのは彼女の人生において本日で二度目。
婚儀を済ませ、これから初夜を迎えるという今この瞬間での愛さない宣言なんて!
「旦那さまっ!」
クラヴィルが立ち去ろうとするより早く呼び止めたステイシーは、
「もう一回お願いします」
人差し指を立て鬼気迫った顔でもう一度と繰り返す。
「すまないが、君を愛することはない」
「もう一回! できたら今度は憎々しげに、この結婚は不本意だって感じを滲ませて」
「はっ?」
ステイシーからの思いがけない要望に素で聞き返したクラヴィルだったが、
「いえ、ですから何度でも言ってくださるのでしょう? もう一回"君を愛することはない"って言ってもらえます? あと何パターンか言い回し変えたバージョンも見たいです」
聞き違いではないどころか注文を上乗せしてきた。
「…………はっ?」
夫からの愛さない宣言に対し、絶望するでも泣くでも理由を問い詰めるでもなく、まさかのもう一回。
しかもこちらに向けられた栗色の大きな瞳はキラキラと輝き期待に満ちていて、ステイシーの手にはどこから取り出したのか分からないペンが握られている。
なんだこの状況は。
事態が飲み込めず固まるクラヴィルなど構う事なく。
「公爵ともあろう方がご自分の言葉に責任を取らないおつもりで? はい、もう一回っ!」
夜は短いのですよ、とステイシーは続きを促した。
**
「はぁ〜っ。最の高でございました、旦那さま」
ステイシーのアンコールに応え続けること数十回。
ようやく解放されたクラヴィルの目に映ったのは大層満足気な表情を浮かべた新妻の姿だった。
「結婚からの初夜という一大イベント前に容赦なく放たれる"愛さない宣言"! 人形のように感情を映さない冷たい瞳。非情な言葉を放つに相応しい傲慢さを孕んだ声音とそれでも読者の目を引きつける色香を纏った美貌っ! どれをとってもパーフェクト!! 完全解釈一致ですわぁ〜」
ステイシーの口から澱みなくツラツラと述べられる賛辞。全く誉められている気はしないが、とりあえず愛さない宣言をされた妻の反応でない事だけは確かである。
「……君は一体なんなんだ」
疲労半分呆れ半分と言った感じのクラヴィルの問いかけに走らせていたペンを止めたステイシーは、
「あら、旦那さまは愛する予定のない妻にご興味がお有り?」
悪戯っぽい笑みと共に問いかけを返した。
「愛する予定はなくとも、これから生活を共にしなくてはならない仲だ」
そう、クラヴィルが望もうが望むまいがこの生活は続くのだ。
何故ならこの婚姻は王命によって繋がれた縁だから。
彼、クラヴィルは騎士として名を馳せ、地位も財もおまけに美貌まで持っている。
そんなクラヴィルの妻の座を巡り、仁義なき戦いが繰り広げられた。
それこそ、冗談ではなく国を二分しかねない勢いで。
だというのにいつまでも伴侶を決めないクラヴィルにしびれを切らした国王陛下に命じられた強制的な婚姻。
それがステイシーとクラヴィルが結婚した経緯だった。
ちなみにステイシーが選ばれた理由は、彼女の生家であるエルネア伯爵家が、政治的に何の力も持っていない貧乏貴族だったからだ。
「そんなにご結婚されるのが嫌なのでしたら、下手に結婚の条件なんて出さずに国外にでもバックれたら良かったではないですか」
「まさか、あんな条件を満たす女性が見つかるとは思わなかったんだ」
そう言ってクラヴィルはため息をつく。
早く結婚しろ、という周りからの圧力と国に戻った途端鬱陶しく纏わりつくようになった令嬢達の視線にクラヴィルは辟易していた。
だからうっかり言ってしまったのだ。
「恋愛に興味がなく、放置されても文句を言わず、煩わせず、干渉せず、使用人を使わずに自分の事は自分でできて、必要時はパートナーとして公務を果たせるだけの教養を兼ね備えている相手となら結婚してもいい、でしたっけ? 要求がだいぶクズいですね! 旦那さま」
そう言ってあっけらかんと笑い飛ばすステイシーにクラヴィルは返す言葉もない。
伯父にあたる国王陛下の本気を舐めていた。
まさか本当にそんな条件を満たす女性を見つけてくるとは思っておらず、条件を満たす女性が存在した以上国王陛下と交わした約束を反故にはできなかった。
「心配しないでくださいな、旦那さま」
ステイシーはそう言って楽しげに、その大きな瞳にクラヴィルを映す。
「そのうちちゃんと旦那さまには旦那さまの運命の人が現れますよ。まぁ、この時点での旦那さまは余りのクズさ具合にコメント欄荒れ放題ですけど。そこはまぁ物語が面白くなるための前座といいますか、運命の人に出会ってから誰かのために成長していく旦那さまの懸命な姿に、最終的には読者も心を動かされて公式カップル応援してくれますし。何よりこの物語のラストはちゃんとハッピーエンドでしたから!」
うんうんと、満足げに語るステイシーに、
「一体なんの話だ?」
全くついていけないクラヴィル。
「こっちの話、ですね!」
だがクラヴィルの同意など一切求めていないステイシーはニコニコニコと笑うだけだけ。
より一層深くなった眉間の皺と不可解なモノを見つめる冷たい視線を浴びながら、
「だって一般読者です、なんて言っても意味不明でしょうし」
まるで堪える様子のないステイシー。
「まぁ、私から言えることがあるとすれば、"私はただの当て馬妻なので、別に愛してくれなくていいですよ。私も推してる旦那さまの物語をただ楽しみたいだけなので!" ってことくらいですかね」
とてもハキハキと元気にそう言ったステイシーはすくっと立ち上がると、
「確か離れを用意してくれてるんですよね。このままそっちに移りますわ。今日の分は十分摂取できましたし」
では期待していますわ、と言い残しステイシーはにこやかに部屋を後にした。
**
――数ヶ月前。
「コレは、正直詰んだわね」
伯爵家の危機的な財務状況を確認し、ステイシーは頭を抱える。
幼少期から貧乏貴族。だからステイシーは今まで色んなところで働き、技能を身につけてきた。
その一方で知識は身を助けるという伯爵家の方針に従って勉学も疎かにはしなかった。
そうして3年、学業に専念するためにステイシーが生家を離れている間に事件は起きた。
「すまない、ステイシー」
そう言って項垂れる父にかける言葉が見つけられない。
父が保証人になった昔馴染みに逃げられ、そのタイミングで冷害に見舞われ、領地の特産であるワインの原料となるブドウが壊滅的な状態になってしまった。
どうにもならない危機的な状況で伯爵領へと呼び戻されたステイシーに告げられたのは、
「本当にすまない、ステイシー。この方に嫁いでくれないか?」
突然の縁談だった。
「こうなっては仕方ありませんわ、お父様」
人が良いだけでは領地を治めることはできない。
上に立つモノとして、この責を取らなくては。
伯爵家とはいえ政治的な影響力皆無の貧乏貴族の娘。
政略結婚による高位貴族からの援助はほぼ見込めない。となれば、年の離れた方の後妻か箔をつけたい商人だろうか。
どんな人だろう、とドキドキしながらステイシーが姿絵を開けば、冷たい水底のような深い蒼の双眸と目が合った。
「!! この方はっ」
クラヴィル・ヘイリス公爵。
その瞬間、ステイシーは前世というモノを突如として思い出した。
自分は愛されない当て馬妻だ、と。
この物語においてステイシー・エルネアは脇役だった。
もっと言えば、クラヴィルが真実の愛に気づくためのただの比較対象。
愛のない白い結婚生活。
愛されないと宣告された上、夫に一切興味を持ってもらえず、まるで鳥籠の鳥のよう。
かと思えば愛に目覚めたとかほざくクズな夫に一方的に捨てられるのだ。
確かに何も知らずにそんな生活に突入すれば、少なからず、心を病んでしまうのかもしれないけれど。
「これは、チャンスだわ」
そう言って、ステイシーは形の良い唇で弧を描く。
これはあくまで政略結婚。
ステイシーは、お金のため。
クラヴィルは、体裁を取り繕うため。
お互いがお互いを利用しているだけなのだと、割り切ってしまえばなんと言う事は無い。
「お望み通り、愛したりしませんわ」
絵姿をパタンと閉じたステイシーはそうつぶやくと、クラヴィルとの結婚を決めた。
**
目が覚めて一番初めに入ってきたのは、見慣れない天井。
パチ、パチッと大きな栗色の目を瞬かせたステイシーは、あぁ結婚したんだったとぼんやり思い出す。
ゆっくりとした動作で身体を起こしたステイシーは、んーっと思いっきり伸びをする。
「はぁ、ふかふかのベッド最高っ! あー結婚してほんっと、よかった。とりあえずこれでお金の心配は要らないしね」
結婚式の疲れが吹っ飛ぶほど、よく眠れた。
いい朝だ、と満足気に起きたステイシーは部屋の中を探索する。
ほとんど使わない離れとは思えないほど調度品の質は良いし、日当たりもよく掃除も行き届いている部屋。
勝手にクローゼットを開ければ中にはお高そうな普段着用のドレスがいくつも揃えてあった。
「コレで嘆く意味がマジで分からないんだけど。愛されないだけで絶望するとか貴族令嬢のメンタル弱過ぎない?」
旦那さまATMとして優秀過ぎる、とステイシーは感謝の意を込めて本邸方向を拝んでおいた。
「さて、と。んじゃ、はじめますか」
ここにあるモノは好きにして良いと聞いている。
なら遠慮なく使わせてもらおう。
ステイシーは一番シンプルで動きやすそうな服を選ぶと自分で身なりを整えはじめた。
**
「おかえりなさいませ、旦那さま」
本邸に戻ったクラヴィルを迎えたのは年配の執事であるグレゴリー。
「ああ、今戻った。変わりないか?」
「特に大きな問題は起きておりません。ただ一つ、奥様が」
グレゴリーにそう言われてクラヴィルは結婚したんだったと思い出し、げんなりした表情を浮かべる。
結婚して早々、遠方への出陣命令がかかり、3週間ほど家を空けていた。
あまりの忙しさに、クラヴィルは自分が結婚した事はもちろん、あの衝撃的な一夜と強烈な妻の存在を綺麗さっぱり忘れていたのだが。
「なんだ、やはり自分のことを自分ですることはできないと? それとも離れは嫌だと駄々をこねているのか?」
はっと、嘲笑するクラヴィル。
この屋敷には、若い女性の使用人はいない。
外に出ればただでさえ鬱陶しいほどの視線を女から向けられるのだ。
屋敷に入れようものなら、何をされる分からない。
必然的にメイドは置けず、年配で通いの女性か男の使用人しかここにはいない。
だから結婚の条件に"自分の事は自分でできる事"と貴族令嬢なら難しいだろうなぁと思う事をあげたのに。
それができないと言うのなら契約違反であり離婚理由になるのでは? とクラヴィルが思ったところで。
「いえ、そちらは全然問題なく」
スパッとグレゴリーに一蹴された。
「料理にしろ、掃除にしろ、完璧で非常に助かっております。特に裁縫の技術は素晴らしく、このままぜひとも雇用したい位でございます」
「……はっ?」
公爵夫人を雇用とはどういうことだ? と疑問符いっぱいのクラヴィルの背中に。
「あら、グレゴリーに褒められるなんて光栄だわ。私としても、離婚したあかつきにはぜひ公爵家で雇用していただきたいわ」
給金高いし、と凛と響くような明るい声がした。
「おかえりなさいませ、旦那さま。お勤めお疲れ様でございました」
1つに結ばれたふわりと揺れるミルクティーのような優しい色味の髪と、栗色の勝気そうな大きな瞳。
目を引かれるほど、完璧なカーテシー。
所作だけ見れば、公爵夫人として申し分ないだろう。
メイド服を着ていなければ、だが。
「コレは、一体?」
どういう事だ? と驚いたようにクラヴィルは目を見開く。
「ああ、コレですか? 暇だったので」
可愛いでしょう、とメイド服を広げ、その場でくるりと1周してみせるステイシー。
「はっ?」
本当にステイシーが何を言っているのかわからない。
が、グレゴリーをはじめ誰一人突っ込まないところを見るに、これはすでに市民権を得た当たり前の光景なのだろう。
なんでこうなった、と説明しろとばかりのクラヴィルの無言の圧を受けて、
「いやぁー私も最初はお金のある生活最高すぎる! って思ったんですけどね? 紐ニート生活憧れてたし。なんですけど、私じっとしてる才能はなかったみたいです」
体がなまっちゃいまして、とステイシーは笑い飛ばす。
「離れは手入れされてて快適だし、公爵夫人としての予算も充分つけてもらってるんですが、女主人としての権限はもらってないじゃないですか。私の場合、旦那さまが指定した時以外、公爵夫人としての務めを必要としていないでしょ? なので屋敷のお仕事は、特にありませんし。かといっていただいた予算で勝手に事業始めるわけにもいかないし。そしたら後はもう、メイドやるしかないかなって」
というわけで、公爵家のメイドをしていますとステイシーは堂々と長台詞を言い切った。
さも当然とばかりのステイシーの態度に、なんでそうなると頭を抱えるクラヴィル。
「わざわざ働かなくても、不自由させてないつもりだが?」
「働かざるもの食うべからず、って知らないんですか?」
問いかけが問いかけで返ってきた。
「公爵夫人が働くなんて聞いた事もない」
深いため息をついたクラヴィルに、
「あら、それは聞き捨てなりませんね。貴族の妻のほとんどは"働いて"いますよ。ま、クズい旦那さまは"内助の功"なんて言葉知らないと思いますけど」
ステイシーはすぐさま反撃を開始する。
「旦那さまは貴族の妻が優雅に遊んで暮らしていると本気でお思いで? 女主人として屋敷を切り盛りしたり、社交に勤しみ夫にとって必要な情報を得たりしてくるからこそ家門が円滑に回るというのに」
やれやれ、と大袈裟な動作で肩を竦めるステイシー。
「ほとんどの夫人は自分が広告塔であることを自覚しています。だから着飾り、社交をし、特産品を売り込むんです。全て家門のため。でなければ、あんな堅っ苦しいマナーを身につけ、引き攣りそうな表情筋を酷使してまで笑ってませんわ」
はぁ、と大きくため息を吐いたステイシーは思いついたとばかりにパチンと楽しげに手を打つとコルセットを取り出し、
「旦那さま、後学のために一度締めてみます?」
私、少々腕に自信ありですよ! とにこにこにこにこと笑みを浮かべるステイシー。
だが、その目は全く笑っておらず、引く気が一切ない。
仮にも夫だというのに躊躇いなくクズ扱いしてくるのはやめろ、とか。
どっから出したそのコルセット、とか。
言いたい事はいっぱいあったけど。
「認識を改めるとしよう」
初夜で目を輝かせながら"愛する事はない"を何度もアンコールされた彼女の事を思い出し、クラヴィルはぐっと言葉を呑み込んだ。
「それだけですか?」
が、じとっとクラヴィルを見つめ返す栗色の瞳は許す様子はなく、コルセットも持ったまま。
「……バカにしたつもりはない。悪かった」
仕方なくクラヴィルは両手をあげ降参の意を示す。
「仕方ないですね。このくらいで勘弁してあげます」
クスッと笑ったステイシーはようやくコルセットを仕舞った。
「旦那さまはクズいですけど、素直なところは美点だと思いますよ」
ではメイドとして働く許可をいただけたという事で、と勝手に了承をもぎ取ったステイシーは、
「それではそろそろお食事にいたしましょうか。せっかくの料理が冷めてしまいます」
有無を言わさずクラヴィルを食堂に連行した。
**
「夜会、ですか?」
メイド服のままでいいから、と促され夕食の席に着いたステイシーに切り出されたのは夜会への同伴依頼だった。
騎士団長を務め、遠方に長期で出ることの多いクラヴィルはあまり社交の場には出ない。
大きな夜会では王族の警護に駆り出されることも常。
が、公爵であるが故に不可避イベントはいくつか存在する。
その一つが今回の夜会への招待らしかった。
「ああ、少々探る必要があってな」
「なるほど。拝命いたします」
素直に受けてくれたステイシーに驚くクラヴィル。
そんな彼を見て、
「初めから契約事項に入っていたではありませんか? 必要時はパートナーとして公務を果たす、って」
出ますよ、夜会。とステイシーはにこやかに笑う。
「そう、だが。仕事だし、会場では君を一人で放置することになる」
「なるほど。それも契約通りですね……ってどうしました?」
歯切れ悪く言い淀んだクラヴィルを見て、栗色の瞳が怪訝そうに尋ねる。
「いや、そんなにあっさり承諾されるとは思わなくて。初めての夜会でエスコートもしないのかクズが、くらい言われるかと」
「私の事なんだと思ってるんですか」
失礼な、と頬を膨らませたステイシーは、
「旦那さまのお仕事は尊いですよ。旦那さまが身体を張って守ってくれるから、この国は平和なんです。そこは、誇っていいところですよ」
ふわっと優しく笑い、クラヴィルを称賛する。
「それに、心配しなくても恋物語は勝手に始まりますよ。あなたが愛しい人に出会えば」
そしたら誰もクズ旦那なんて言わなくなりますとステイシーは食事のついでのようにそう言った。
「なんだ、その恋物語って」
「そうですねぇ。具体的には、真実の愛に目覚めた旦那さまがヒロインに骨抜きにされてスパダリ属性を発揮し、守ったり守られたりしながらヒロインに愛を乞います」
問われたステイシーはあっさりネタバレする。
が、彼女の不可解な予告はクラヴィルの眉間の皺を深くさせるだけ。
「なんだ、そのホラーな展開。笑えない冗談だな」
知りもしない誰かに恋をして、愛を乞うだと?
全く以て想像がつかない。
というか、クラヴィル的にホラーでしかない。
今までこの容姿で随分苦労し、女性関係でいい思い出など皆無だ。
愛する人?
そんな相手、これから先も現れない。
暗い思考に囚われかけたクラヴィルの耳に、
「ふふ、信じられませんか。初恋拗らせてじれじれですよ?」
凛と通る明るい声が届く。
「だから、心を揺さぶられる相手に出会ったら手放しちゃダメですよ。私の事は心置きなく切り捨てちゃっていいので」
顔を上げれば、栗色の瞳がふわりと笑った。
「あ、でも離婚する時は慰謝料多めにお願いします!」
それまできっちり当て馬しますから! と平常運転のステイシー。
「わぁ、コレすっごく美味しい! 今度レシピ教えてもーらおうっ」
そんなステイシーを見ながらクラヴィルは濃紺の瞳を瞬かせる。
会話の中身は新婚とは思えないほど、全く以て色気がないし。
妻になった彼女は、クラヴィルなんてそっちのけで夕食に夢中。
よく見せようなんて全く考えておらず、あむっと幸せそうに、かつ遠慮なく食べ続けている。
「どうしました、旦那さま。好き嫌いせず食べなきゃダメですよ。騎士は身体が資本でしょ」
「ああ」
促されたクラヴィルは食事を口に運ぶ。
「美味しいでしょ。私も下準備手伝ったんですよ」
「ああ、美味いな。さすがうちのシェフの料理だ」
「ふふ、まぁ本当の事なので良しとします」
そう言ったきり、ステイシーはまた自身の皿に舌鼓を打ちはじめる。
結婚が決まった時はただただ憂鬱で。
初夜の前は逃げ出したいくらい嫌だったのに。
女性と二人で食事をしているというのに、今は嫌悪を感じないどころか、久しぶりになんだか食事が美味しくて。
「さっきの話、善処する」
その事に驚きつつクラヴィルは少しだけ口元に笑みを浮かべ、そう返した。
「はいっ! それはぜひ」
お仕事頑張るぞ、と気合い十分のステイシー。
普通の気負わない会話。それがこんなに心地よいなんて。
ステイシーといると驚かされてばかりだ。
なんて思ったことは口に出さず、クラヴィルはワインと共に流し込んだ。
**
夜会。
それは様々な思惑が飛び交う、腹の探り合いの場。
この会場の何処かにクラヴィルのターゲットがいるのだろうとダンスを踊りながらステイシーはそんなことを考える。
「私はこちらの会場でお待ちしておりますね。ご武運を」
ダンス終了と共にお手本のように美しい礼をして、ステイシーはクラヴィルにそう声をかける。
が、一向に側を離れようとしないクラヴィル。
「? どうしました、旦那さま」
今日は仕事をしに来たのでは? と訝しむステイシーに、
「君はどこにいても変わらないな、と」
クラヴィルはくくっと喉を鳴らす。
いつもとは違う正装をしたクラヴィルをじっと見たステイシーは、
「えっと、ご期待に沿えず申し訳ありません。一応これでも着飾ったんですが」
地味で悪かったな、とステイシーは舌打ちしたいのを我慢する。
ドレスだって新調し自分に合うものを選んだし、メイクとヘアセットはプロに任せたので綺麗にしてもらえたと思っている。
とはいえ、そもそもクラヴィルは何もしなくても人外レベルで整った顔立ちをしている。
絶世の美丈夫とか生きた彫刻とか称される正装姿のクラヴィルと比べられても、と頬を膨らませたくなるステイシー。
「そうじゃなくて」
クラヴィルは慌てて否定する。
綺麗に夜会用のドレスを着こなし、ハイヒールで凛と立つ今のステイシーは誰が見ても上流階級の淑女だ。
ミルクティーのような優しい色味の髪は結いあげられ、それをまとめる髪飾りもよく彼女に似合っているし。
いつもとは違いしっかり施されたメイクも彼女の魅力を引き立てている。
見た目はすっかり見慣れてしまったメイド姿とは全く違うのに。
「物言いが変わらなくて、安心する」
と思って、とクラヴィルは苦笑する。
夜会にはあまりいい思い出はない。
妻を伴っているというのに、今でも嫌になるくらい鬱陶しい視線に絡めとられ不快で仕方ない。
そんなクラヴィルを見たステイシーはふむ、と頷き。
「ステイシー、です」
「は?」
「私の名前。君、じゃなくて」
妻の名前をお忘れで? とわざと呆れたような口調でそう言ったステイシーは、
「夫婦円満なら大抵の虫は払えます。それでも寄ってくるのはただのクズなので相手にしなくて良し」
ビシッと親指を立ててバッサリ言い切ったステイシーがただただカッコよくて。
「ははっ。その通りだな、ステイシー」
共に過ごした時間は短いがステイシーの言うことはほとんどどれも正しくて。
そんな逞しさを見習いたいとクラヴィルは自然と笑っていた。
「ふふ、元気が出たようで何より。いってらっしゃいませ、旦那さま」
「ああ、行ってくる」
いつも通り、仕事をするだけ。
随分と気が楽になったクラヴィルは軽い足取りで会場を後にした。
**
「さて、と。無事旦那さまをお仕事に送り出したし、"社交"と言う名の情報収集でもしましょうかね」
ステイシーは当て馬妻だ。
いつかクラヴィルに捨てられると分かってはいるが、小説はヒロイン視点で書かれていたためその"いつか"がいつなのか、ステイシーには正確な時期がわからない。
流石に結婚当初ではなかった気がするが、なんだったら早々にお譲りしても構わない。
「確か、彼女は貴族の庶子できょうだいから虐げられてるはず」
なんて王道設定、とステイシーがつぶやいたところで。
「やぁ、これはヘイリス公爵夫人ではないですか。結婚お披露目以来ですなぁ」
会場に一人でいるステイシーをめざとく見つけ、声をかけてきた相手がいた。
「あら、ガーランド伯爵。その節はお越し頂きありがとうございました」
武装した笑顔の下でステイシーはこっそりため息をつく。
本来、身分が高い者に目下の者から声をかけるのは失礼に当たる。
何の影響力もない、という理由だけで妻に選ばれた貧乏伯爵家の娘が調子に乗るな、と軽んじられているのだろう。
「あぁ、夫人は本日もお美しいですなぁ。さすが公爵家。一流の仕立て屋の仕事だと一目で分かる。皆公爵夫人の美しさに目を奪われておりますよ」
「まぁ、もったいないお言葉ですわ」
馬子にも衣装ってことだろうか? なんて捻りのないとステイシーは失笑して受け流す。
確かガーランド家の娘もクラヴィルに熱を上げており、野心家で娘に甘いガーランド伯爵はクラヴィル公爵家と縁を持ちたがっていたはず。
だとしてもわざわざ喧嘩を買ってやる必要はない。
どうせクラヴィルとは彼が運命の恋に落ちるまでの短い縁だ。
さっさと切り上げて何処かで大人しくクラヴィルの帰りでも待とうとステイシーが適当な相槌を打っていると。
「それにしても、エルネア伯爵家も災難でしたなぁ。王命とはいえ、娘を生贄に差し出さねばならぬなんて」
「それは、どういう?」
「おや。おやおやおや? 夫人はご存じないのですか? 閣下が婚約者に出された条件を」
ガーランド伯爵はニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。
「ああ、我々にはできませんなぁ。可愛い我が子に愛のない結婚の強要など」
反論せず沈黙しているステイシーに追い討ちをかけるようにそんな言葉が投げつけられた。
「私も聞いたことがありますよ。閣下の結婚相手への条件は、必要時パートナーとして公務を果たせる愛さなくて良い存在、だとか」
いつのまにか集まって来たガーランドの一派から向けられる悪意と好奇の視線がステイシーに容赦なく降り注ぐ。
「戦場での閣下の活躍は我らも聞き及んでおりますよ。冷酷に斬り捨てる様はまさに鬼神。いやはや、彼にはヒトの心というものがないのか」
「初めての夜会で置いてけぼりとは。苦労されますなぁ、閣下の奥方は」
一つの悪意はまるで水面に落とされた小石のように波紋となって瞬く間に広がっていく。
話を聞いているうちに沸々とした感情が胸の内に湧いてきた。
何も知らないくせに、と。
「なぁに、我々はいつでも夫人の味方ですよ。そうだ。夫人のお耳に入れておきたいことがあるんでした。是非あちらで」
「それはそれは、興味深いお話ですわね」
ステイシーはにこっと淑女の笑みを浮かべる。
「私少し退屈をしておりましたの。良ければあちらでカードゲームでもしながらお話しするのはいかがです?」
栗色の瞳は好奇心いっぱい、無邪気にはしゃぐ。
「それは楽しそうだ」
獲物がかかったとばかりに人の良い笑顔を浮かべたガーランド伯爵達はステイシーを伴ってテーブルへと移動した。
「タダでお話聞かせて頂くのもなんですし、せっかくですから"賭け"でもいたしましょうか?」
ステイシーはパラパラとカードを切りながらそう笑う。
「ほう、何を賭けられますか?」
「そうですねぇ。"クラヴィル・ヘイリス公爵の妻の座"なんてどうです?」
ご令嬢がお望みでは? と淡々とした口調でステイシーは賭け金を提示する。
「本気ですかな」
すっ、と目が細められコチラを値踏みするようにガーランド伯爵が尋ねる。
「ええ、勿論。ただし、同等のモノをおかけくださいな。ゲームはイーブンでないと。それとも、お逃げになります?」
パラパラとカードを捌く軽快な音と挑発するようなステイシーの大きな瞳。
カードゲームは紳士の嗜みのひとつ。
相手は碌碌社交界を知らない貧乏貴族の小娘。
それに、こちらには仲間もいる。
万に一つも負けるわけがない。
「いいでしょう。では、種目はポーカーで」
それぞれ賭け金が記された契約書を眺め、不備がないことを確認したステイシーは、
「じゃ、ゲームをはじめましょうか?」
にこやかにゲーム開始を告げた。
**
「こ、こんな……事がっ」
瞬殺だった。
ステイシーが圧倒的に不利だったはずなのに、場はいつの間にかステイシーに支配されていた。
「ふふ。では、お約束お守りくださいませね?」
ステイシーは契約書をくるりと丸め、にこやかに笑う。
「こ、こんなのイカサマだっ!」
ガーランド伯爵は負け惜しみのように叫んだが。
「あら、証拠は? まさかなんの確証もなくヘイリス公爵家を敵に回すおつもりで?」
微笑むステイシーからは先程までの柔らかな雰囲気は一切感じられず、ぞっとするほどの威圧に背筋が凍る。
そんなステイシーを見て彼らはたかが小娘と侮った相手が、とんでもない手練れであったのだとようやく認識した。
「ステイシー! やっと見つけた」
「あら、旦那さま。お仕事は終わられたのですか?」
「ああ、俺の方は問題なく。それよりも……だ」
仕事を終えたクラヴィルは、ステイシーが連れて行かれたと部下から報告を聞き、急いで彼女の元にやって来たのだが。
上機嫌なステイシーとテーブルの上のトランプと死んだ顔をした男達。
おそらく自分がそうされたように、彼らはステイシーによって完膚なきまでに叩きのめされたのだろう。
「妻の相手ご苦労だった。が、今後は発言に気をつけるといい。彼女は俺でも手を焼く、魅力的な女性だからな」
次はない、と身も凍るような声音でクラヴィルはガーランド伯爵に釘を刺すと、
「いくぞ」
呆然とする彼らを残し、ステイシーの手を取って優雅に会場を後にした。
**
「さすがにロイヤルストレートフラッシュはやり過ぎだろ」
先程のカードを思い出し、くくっとクラヴィルは楽しげに喉を鳴らす。
65万回に1回出る確率の手だ。どう考えても偶然ではない。
ステイシーはイカサマの心得まであるらしい。
「感情任せなんて、君らしくないな」
「少々、腹が立ちましたので」
少々どころではなさそうなステイシーの様子にクラヴィルは立ち止まりじっと栗色の瞳を覗く。
全てを見透かしそうな濃紺の瞳の問いに耐えかねたステイシーは、
「だって! 旦那さまはちゃんとエルネア家に援助してくださいました!! 離れだってすごく快適だし、洋服もふかふかのベッドも食事だって、全部全部必要なものは揃えて頂いてますっ!!」
腹が立った中身を叫ぶ。
震える唇から紡がれる言葉は乱暴で、確かに怒っているのに、大きな瞳からは今にも涙が溢れ落ちそうだ。
「今日だって本当は女性が苦手なのに、会場までエスコートしてくれました」
「気づいてたのか」
「手、震えてます。今も」
クラヴィルから手を離したステイシーはゴシゴシと雑に涙を拭う。
「あー腹立つ! なんっにも知らないくせにっ!!」
とても淑女らしくない動作。
だが、すごくステイシーらしいとクラヴィルは思う。
「関係ない人間はすっこんでろ、です。旦那さまの事、クズだダメだと罵っていいのは結婚した私だけですよ、これから先、ずっと!!」
何も知らない人にクラヴィルを貶められたくない、とステイシーは憤る。
荒らされるのはコメント欄だけで充分だ。
「……そっか」
どうやらステイシーは自分のために戦ってくれたらしい、とクラヴィルは察する。
クズい、分かってないと普段散々ダメ出しされているのに。
どうして彼女の言葉はこうも自分に響くのか。
『心を揺さぶられる相手に出会ったら手放しちゃダメですよ』
ああ、コレか。とクラヴィルは急に腑に落ちる。
そして、ステイシーが言うことは大体正しいと今のクラヴィルは知っている。
「なるほど、恋物語は長期戦だな」
愛さない宣言をしてしまったし、ステイシーはそれを喜んでいる。
状況は既に最悪だ。
「え? もう出会ったんですか?」
出会いイベント見逃したんだけど!? と涙が引っ込んだステイシーに、
「まぁ、先は長いから」
と明日からの関係を思って、静かに微笑むクラヴィル。
「ステイシーは俺の恋物語とやらを楽しみたいんだろ。なら一番近くで鑑賞していればいい」
「まぁ、そのつもりですけど……?」
なんだか、クラヴィルの雰囲気が変わったような? とステイシーは首を傾げたが。
当て馬妻という名のただの読者だし、まっいっか。
と微かな変化を見逃したステイシーが、不敵に笑うクラヴィルの宣戦布告に絡め取られるのはもう少し先の未来の話。
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⭐︎感想全部お返事できてなくてすみません(´;ω;`)
全部大切に読ませて頂いております♪ありがとうございます。




