読書
「何してんの?」
トキオは公園のベンチに座るミツを見かけて声をかけた。両手で何かを持っていて、それを覗き込むように見ている。
「ああ、トキオか」
それだけ言って、ミツはまたその、妙な物体に目を戻した。二枚のタブレットを持っているのかと思ったが、その間にも、薄い四角い形状のものがいくつも重なっている。
「それ、もしかして、本、ていうやつか?」
以前、歴史の講習で見た記憶が蘇った。大昔の人々が文字や絵を記録した媒体、確かそんなものだ。
「ああ」
ミツは今度は顔も上げずにそれだけ言った。トキオは回りこんでミツの後ろからその”本”を覗き込んだ。薄く、四角い形状のものにびっしりと文字が記されている。四角い形状のものは、確か、紙、といったはずだ。
トキオも何となくその文字を追って見ると、どうやら、何かの情景を文字、文章で表現しているように思われた。
「何が書いてあるんだ? それ」
文字を追うのに疲れたトキオがミツに訊ねた。
「物語だよ。古代の人が想像して書いたもの。小説とも言うんだっけ」
「しょうせつ?」
知らない単語が出てきた。トキオはデータリンクしてデータを検索した。年寄りみたいだとよくからかわれたが、癖で人差し指をこめかみに当ててしまう。
思考の補助と外部の情報ネットワークへのリンクをするには、こめかみの辺りに薄い小さなデバイスを装着するタイプと、体内に埋め込む方法があったが、生まれる前にDNA操作で健康に成長する今の人々は、身体に異物を埋め込むような行為を嫌う傾向があって、髪の毛に紛れるようなデバイスを使用する人が多かった。
デバイスには、さまざまなツールをセットすることで思考の補助としたり、情報の解析に充てることが出来るようになっていた。
『小説:想像による虚構の物語。散文によって書かれた文学の一種』『散文:リズムやアクセントなどの形式を持たない通常の文章』
――文字だけで物語を表現すると言うこと?
「文字の情報から、人物とか、背景の映像を自分で想像するのか? なんでそんな面倒くさいことをするんだ?」
「昔の人は、長い間、簡単に映像を作れなかったらしいから、文字だけで表現する方法が発達したんだろうな。文字で表現された本を読む行為を読書って言ったらしいよ」
「いや、昔の人はいいから、何でミツがそんなことをしてるかってことだよ」
「ああ、リリにこの本を借りたんだ。それで、読んでる」
リリ、というのは、ミツが好きな女の子で、涼しげな鳶色の目と、長い黒髪が印象的だった。髪も目の色も好きに変えられるのに、リリはトキオが知る限りずっと長い黒髪のままだった。長い黒髪というのが、ミツのフェティッシュなんだろう。
「リリが、ね」
ファッションは殆ど変化の無いリリだったが、趣味の方は定期的に変化した。前は、確か、文字を描く、そんな芸術活動をしている友人ができて、カリグラフィーだとかいう、これも昔の人々の芸術を模倣したりしていた。その文字から、今度は文章に移ったんだろう。小説なんて、古代の遺物に興味を持つなんて。
今では、自分で空想するだけで、それを映像作品として製作出来るようなシステムもあった。絵を描いたり、文章に凝ったりなどする必要も無く、心の赴くままに創造できる。その代り、個々の想像力の差というものがよりはっきりとすることとなった。
鑑賞する側も、様々なツールが出来たことで、哲学的だとか難解だと言われるようなものでも理解されやすくなった。難解である、ということ自体で評価されていたようなものは、価値が変化したりもした。
こういったことから、今は、もう、文章のみで表現された物語を、目で読んで理解するといった行為は、文化や歴史の研究者か、極一部の好事家だけの趣味となっていた。今では、文章と言うのはメッセージのような伝達手段か論文のような情報として使われることばかりだった。
「小説を読むには、ある程度訓練を行わないと、文字だけの情報をストーリーとして処理できなかったらしいけど、そんな訓練、いつしたんだ?」
リンク先の情報を確認しながらトキオが言う。
「訓練なんて、そんな面倒なことしないよ。ツールをセットして読めるようにしただけ」
「小説を読めるようになるツールなんてあるのか?」
「リリに教えてもらった」
研究などのために、古代の書物などを実際に読む必要がある人のために、読書ツールが開発されていて、それを使用すれば、誰でも本を、小説を読みこなすことが出来るようになっていた。
実際に色々と本を読んで、研鑽を深める、などということは、読書に限らずよっぽどのもの好きでも無ければ行わなかった。
「面白いか?」
「んー、映像を思い浮かべるくらいなら、ビデオグラムの方が良いんじゃないかな。ストーリーも決まってるし。表現が曖昧だったり、不正確なところは自分で補わないといけないし」
「じゃあ、なんでツールまで使って本なんて読んでるんだ?」
「ツールを使えば、誰が読んでも同じ様に解釈できるからね。リリと同じことを想像して感じることができるんだ」
個人的な嗜好や思考は、よほど社会に不適合でもなければ尊重されるべきものだが、そうしてまでリリに固執するミツのことはトキオには理解できなかった。そのうち、金髪のショートカットが似合うとか、リリに言ってみようか、そんな意地悪なことを思った。
「トキオ、ミツ。なにしてるの?」
女の子の声。トキオのガールフレンド、ユミがにこやかな顔で話しかけている。その後ろにリリ。
「読書だって。リリが始めたんだって?」
トキオがリリに話しかける。
「ああ。先週まではやってたわ。今は、陶芸をしてるの」
「とうげい?」
「土から器を作って、焼いて完成させるの」
トキオはデータリンクであらましを理解した。
「リリ、この本は?」
ミツがちょっと困惑したような顔でリリを見ている。
「本には飽きちゃったから、ミツにあげる」
リリはそう言って、先に歩いて行く。ユミは、じゃあ、また後で、とトキオに言ってリリに並んで歩いて行った。
「ちょっとまって」
ミツが立ち上がって、リリを呼んだ。リリはちらっと振り返ったが立ち止まらずに歩いて行く。ユミが笑ってこちらを見ている。
「これ、トキオにやるよ」
ミツが本をトキオに渡すと、走ってリリを追いかけた。
「え、ちょっと」
本を渡されたトキオは、困惑して走っていったミツを呼び止めたが、ミツはそのまま行ってしまった。一人残されたトキオは、渡された本をぱらぱらとめくったが、ツールの無いトキオには、ただの、文字の羅列と変わらなかった。文章を読んで行けば想像は出来るが、それを続けながら情景や人物を想像するというのは苦痛でしかなかった。
本の背表紙に付いているタグを触ると、素材と処理方法がデータリンクで知ることが出来た。ダストボックスに放り込んでも問題なく処理できるもののようだ。
トキオは、手近のダストボックスに本を放り込むと、ユミとの予定をチェックしながら公園から外へ出た。




