デスマからの異世界召喚
終わらないデスマの最中、意識が途切れたシステムエンジニアの鈴木。次に目覚めると、自らを女神と名乗る美女の前にいた。「この世界、バグが多くて…。修正をお願いします!」
チ、チ、チ、とサーバー冷却ファンの音が、まるで時限爆弾のタイマーのように静まり返ったオフィスに響いていた。システムエンジニアの鈴木拓也は、エナジードリンクの空き缶が林立するデスクで、もはや何度目か分からないコンパイル画面を睨みつけていた。プロジェクトの納期は48時間後。しかし、目の前のソースコードには、叩いても叩いても湧き出てくるモグラのようなバグが巣食っている。
「…終わらない」
誰に言うでもなく呟いた言葉が、乾いた空気に溶けて消える。同僚たちはとうの昔にデスクに突っ伏して屍と化している。まさにデスマーチ。これがIT業界の現実だ。朦朧とする意識の中、鈴木は最後の気力を振り絞ってキーボードに指を伸ばす。しかし、彼の指先がエンターキーに触れることはなかった。ふっと意識が遠のき、まるで電源が落ちるPCのように、彼の思考は完全にシャットダウンした。
次に意識が覚醒した時、鈴木はまばゆい光の中にいた。いや、光そのもので構成されたような、真っ白で無限とも思える空間に漂っていた。そして目の前には、人間ではありえないほどの完璧な美貌を持つ、黄金の髪の女性が微笑みながら彼を見下ろしていた。
「はじめまして、鈴木拓也さん。私はこの世界を創造した女神イシュワールと申します」
女神。その単語に、鈴木の疲弊しきった脳は「ああ、ついに俺も幻覚を見るようになったか」と冷静に自己分析した。しかし、女神は彼の心中を見透かしたように、くすりと笑う。
「幻覚ではありませんよ。あなたはこちらの世界に『召喚』されたのです。単刀直入に言います。私の作ったこの世界、ちょっとバグが多くて…。リリースしたはいいものの、仕様外の挙動が多発して、もう手が付けられない状態でして」
バグ。仕様外の挙動。リリース。その言葉を聞いた瞬間、鈴木のSEとしての魂がわずかに反応した。
「つきましては、システムエンジニアとして豊富なデバッグ経験をお持ちのあなたに、この世界の修正をお願いしたいのです!」
女神はウインクしながら、そう言った。まるで無茶な仕様変更を告げるクライアントのような軽いノリで。唖然とする鈴木をよそに、女神は彼の体にすっと指を触れる。
「もちろん、ただでとは言いません。あなたには、この世界を修正するための特別な権限を付与します。その名も【デバッグ・コンソール】!」
その瞬間、鈴木の視界の端に、彼が見慣れたコマンドプロンプトのような黒いウィンドウが半透明で表示された。カーソルが点滅している。それは、彼が前世で来る日も来る日も睨みつけてきた、忌まわしくも愛おしいインターフェースだった。
「そのコンソールを使えば、この世界の様々な事象や法則にアクセスし、パラメータを書き換えることができます。いわば、世界の管理者権限ですね。それでは、健闘を祈ります!」
女神の言葉が終わると、鈴木の体は再び光に包まれ、次の瞬間、彼は石畳の上に立っていた。中世ヨーロッパのような街並み。行き交う人々の奇妙な服装。ここは間違いなく、彼が知る世界ではない。そして、視界の端には、あの黒いウィンドウが静かに表示され続けている。
「デバッグ…ね」
鈴木はため息をついた。死んだと思ったら、異世界でまで仕事をさせられるとは。しかし、彼の顔には不思議と絶望の色はなかった。むしろ、その口元には、かすかな笑みさえ浮かんでいた。目の前に広がる未知の世界は、彼にとって巨大で未完成な、最高の「開発環境」に見えたのかもしれない。SEの血が、騒ぎ始めていた。