すきとおるし4
目的地――閑静な住宅街にある、青い屋根の一軒家の呼び鈴を鳴らすと、すぐに玄関扉が開いて、満面の笑みの女性が顔を出した。
ショートカットがよく似合う、爽やかで健康的な印象の女性だ。
「縁ちゃん、優輔くん、遠いところをありがとう。さ、入って」
「ご無沙汰してます、初美さん」
この家の住人女性――初美さんに丁寧に頭を下げ、彼女の後に続く。
じりじりと肌を焼き付けた太陽からようやく解放され、ほっと息を吐いた。
玄関を入ってすぐ左手にある和室に、初美さんは「次郎、縁ちゃんと優輔くんが来てくれたよ」と明るい声で言いながら入って行く。
わたしたちもそれに続き、そして一年ぶりに、友人の顔を見た。
爽やかな短髪に、一重まぶたの目。右の口角を持ち上げて笑う青年。友人は去年、一昨年と全く同じ、少し癖のある笑顔で、わたしたちを迎えた。
「来たよ、花織……」
そう呟いて、仏前に座る。やっぱり笑顔の遺影はいい。暗い気分を和らげてくれる。
たとえそれが、全く見覚えのない人物のものだったとしても。
わたしたちは三年前、インターネット上で知り合った。
ゆん、花織、きんぎょ、ジョン・スミス、そしてイチ。
全員がそれぞれハンドルネームを呼び合い、本名も顔も知らない。年齢も職業も住んでいる場所もまるで違う。
ただゆんが趣味で行っていた、視聴者なんてほとんどいないゲームの生配信で偶然集まり、一緒にオンラインゲームをしたり、ボイスチャットで雑談をしたりして仲良くなった、普通に暮らしていたら絶対に知り合わなかったであろう人たちだ。
ゆんは同い年の男性で、一番気が合った。同世代だからというわけでもないどんな話をしても盛り上がったし、同時によく口論もした。
花織はいつもそれを止める役で、同い年の優しい男性だった。名前と、ゲーム上で可憐な妖精のようなアバターを使っていたから、てっきり女性だと思っていた。だからボイスチャットからテノールの声が聞こえてきたときは驚いた。
きんぎょは五人の中で最年少の女の子だったけれど、一番の毒舌家でもあった。どんなことでもはっきり言ってくれる、気持ちの良い子だ。わたしたち同級生三人衆は毒を吐かれつつも、彼女を妹のように可愛がった。
ジョン・スミスは、可愛らしい声とのんびりした口調の女の子だった。オンラインゲームを始めるときに名前を付けなくてはならず、でも何も思いつかなかったので、ぱっと思いついた名前にしたそうだ。こだわりもないと言うから、スミスの「ス」を取って「スーちゃん」と呼ぶことにした。
そしてわたしが、イチ。名字から取っただけの簡単なハンドルネームだったけれど、毎日呼ばれる度に馴染み、私生活でも誰かがどこかで数字の「一」を口にすると、思わず返事をしそうになる。
わたしたちは毎晩、誰が言い出すでもなく集まり、ゲームや雑談をし、心から笑って過ごしていたから、年齢や住んでいる場所なんて関係ない、と。本名を知らなくてもいい、と。思っていた。
ずっとこの日々が続くとも思っていたし、そう願ってもいた、けれど……。
多くの時間を共有してきたせいで、親しさは徐々に形を変え、いつしか、ただ話すだけでは満足できなくなってしまったのだ。
三年前の、七月の終わりのことだった。
その日はゆんもきんぎょもスーちゃんも不在で、花織とわたしのふたりで話し始めた。
花織はやけに楽しそうに話していたけれど、唐突に「イチに会いたい」と切り出した。
いつかはみんなと会ってみたいなと思っていたし、前にスーちゃんとそういう話をしていた。だからわたしは、スーちゃんと一緒に挙げ連ねた行き先候補地を花織に伝えた。遊園地、動物園、海、キャンプ、カラオケ、ちょっと遠出して沖縄……。
でも花織はそういう意味で言ったわけではないらしい。
少しの沈黙のあと、ヘッドセットの奥から、くすぐったくなるような囁き声で「イチとふたりで会いたい。俺、前からイチのことが好きだったんだ。だから、ふたりで会いたい」と。花織は言った。
予想なんて全くしていなかった突然の告白に、わたしは焦り、戸惑い、そして罪悪感と共に、返事を先延ばしにした。花織は「いいよ」と言って笑った。「ああ、言っちゃった、緊張したぁ」とも言った。
花織のことは好きだ。でもそれは友人としての好きであって、今まで一度も男として見たことはない。
それ以前に、わたしには好きな相手がいた。わたしはゆんが好きだったのだ。人としても、異性としても。
罪悪感の正体はこれだ。思いがけない告白の瞬間、わたしの脳裏をよぎったのは、わたしに気持ちを伝えてくれた花織の様子ではなく、悪態ばかり吐くゆんの様子だったのだ。
それなら花織の告白はすぐにはっきり断るべきだった。けれど思いがけない告白と、浮かんだゆんの様子で、すっかり思考が停止してしまったわたしは、「ごめんね」の一言が言えなかった。
次に話すときにちゃんと伝えよう。そう決めていたのに、花織はそれ以来集まりに顔を出さなかった。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎる頃。ようやく彼がボイスチャットルームに合流し、ずっと心配でそわそわしていたわたしたちは、歓声と共に彼を迎えた。
でも、スピーカーとマイクのミュートが解除されたあと、聞こえてきたのは女性の声だった。
「初めまして、次郎の姉の初美といいます」
そこでわたしたちは、花織の本名を知った。
「次郎と仲良くしてくれてありがとう。次郎は一ヶ月前、事故で亡くなりました」
そしてわたしたちは、花織の死を知った。
友人が死んだ。もう二度と話すことができない。ゆんと口論になっても、止めてくれる人はいない。
それなのになぜだろう。どうして「死」がこんなに遠く感じるのだろう。花織が死んだと実感できない。何も感じない。涙も出ない。お悔やみの言葉さえ浮かばず、ただひたすらに口をつぐんだ。
実際に遺影を見たりお墓参りに行ったら悲しい気持ちになるかもしれない。だから三人に、お墓参りに行こうと提案したのだ。
初対面はそれから一ヶ月後の、暑い日だった。
みんなその暑さにやられてぐったりしていて、花織の実家で初美さんから、生前の花織の様子を聞いているときは、慣れない正座で足がやられた。
きんぎょは新しいパンプスで靴擦れを起こし、スーちゃんは日焼けで真っ赤になった肌を気にしていた。
ゆんは黒い上着のせいで尋常じゃないくらい汗をかき、わたしは喪服のタグがチクチクして気になっていた。
何より一番の問題は、実際に遺影を見てもお墓参りをしても、花織の死を実感できなかったということだ。
これはまずい。あっち関係がご無沙汰なばかりに、不感症になってしまったのではないかと不安になって、地元に帰るとすぐに、アダルトサイトに登録して、アダルトビデオを数本購入した。
適当に選んだセール品だったけれど、どれもちゃんと興奮した。良かった、そういう感情はまだ残っているみたいだ。
花織がいなくなってから、みんなの集まりが目に見えて悪くなった。
たまに思い出したように一人二人がボイスチャットルームに顔を出し、小一時間ほど近況を報告し合う。ただそれだけ。わたしは毎晩、誰か来ないかとパソコンの画面を見つめて過ごし、みるみるうちに睡眠時間が減ってしまったから、いつしかパソコンを開くのをやめた。
花織の死はまだ実感できないというのに、状況は変わってしまった。いや、知り合う前に戻ったと言ったほうが正しいのかもしれない。
最初に会ったときにプライベートの連絡先を交換していたので、夏が近付く頃に三人と連絡を取り、一周忌にも集まってお墓参りに行ったけれど、やっぱり何も感じなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。散々考えたけれど、毎晩疲れていつの間にか眠ってしまって、そのうち考えることもやめてしまった。




