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すきとおるし2


 八月も半ばを過ぎたというのに、夏の真っただ中である東京は、ただひたすらに暑い。


 涼しいビジネスホテルの一室で仕上げた化粧は一瞬で溶け始め、汗で濡れた首筋に、結んだ髪の毛先が張り付いた。

 おまけに真っ黒なワンピースの首元のタグがチクチクして気になる。そういえばちょうど一年前に着たときも気になっていて、切らなければと思っていた。


 目的の駅に着いたらトイレを探してワンピースを脱ぎタグを引きちぎるか、それとも数時間我慢するか。

 悩んだけれど、約束の時間もある。タグを引きちぎったことで糸がほつれたり破れたりすることもあるかもしれない、と。結局我慢することにした。



 人波に逆らわず、改札を出て真っ直ぐに歩いていると、視界の隅に、見覚えのある人物が映った気がした。


 けれどここは東京だ。地元から新幹線に乗って二時間もかかる場所に、知り合いがいるはずもない。

 気にすることなく歩き続けていると、視界の隅の人物は、寄りかかっていた柱から弾みをつけて背中を離し、こちらに向かって歩き出す。


 それでもわたしは真っ直ぐに歩き続けていたので、景色は流れ、すぐにその人物が視界から消えた。と、思ったのに。


「おい、目ぇ合っただろ、無視すんな」


 突然肩を掴まれ、驚いて内臓が口から飛び出しそうになった。

 うっかり内臓をぶちまけてしまわないよう慌てて口をぎゅうっと閉じ、肩を掴んだ人物を見上げる。


 驚いたのは、肩を掴まれたからだけじゃない。それをしたのが、今日は会えないと思っていた見知った人物だったからでもある。


「おい、無視すんな」


 わたしが口をぎゅうっと閉じたのを、怒っているからだと判断したのだろうか。彼――ゆんは眉根を寄せながらわたしの肩を解放し、ひどく不機嫌な様子でわたしを見下ろしていた。


 切れ長の奥二重の目元は、笑うとすっと細くなり、わりと可愛らしくなるのだけれど、こうして不機嫌な表情をしていると、とてつもなく人相が悪い。

 ワイシャツの第二ボタンまで外し、黒いネクタイを胸ポケットに入れ、腕まくりをし、黒の上着を小脇に抱えるという気崩し方をしているせいで、余計に悪く見えている気もする。



「なんでいるの?」


 どうにか心臓を落ち着かせてから返答するけれど、それは彼が求めていたものではなかったらしい。さらに不機嫌になって「いたら悪いのかよ」を顔をしかめた。


「悪い悪くないじゃなくて、今日は来ないって言ってたから」

「休み取ったんだ」

「ふたりは来ないよ」

「知ってる。連絡来た」

「そう……」


 ふたりきりであることに気まずさを感じてしまうのは、一週間ほど前に電話で口論をしたからだろう。


『行けるって言ったのに』

『仕事なんだから仕方ないだろ』

『そういう調整をしてもらうために、三ヶ月も前から日時の打診をしてたのに』

『行けるかどうかは直前にならないと分からないとも言ったぞ』

『で、無理なのね』

『ああ、今年は無理だ。もしかしたら夕方に一瞬合流できるかもしれないけど』

『いい。来なくていい』

『なんだよ、その言い方は』

『三ヶ月も前から打診して無理なら、もう無理でしょ。だから来なくていい。仕事なら仕方ない』

『ああそうかよ。なら今年は行かねぇから、みんなによろしく伝えといてくれ』

『どうかな……』

『そのくらいの伝言はしろよ、ガキじゃねぇんだから』

『じゃあね、仕事がんばって。お疲れさま』

『おい、イチ! 返事くらいしろ!』


 これが、わたしたちが先週繰り広げた口論だ。


 それから何度か電話が鳴り、『出ろよバカ』というメッセージが届いたけれど、返事をしないまま、今日になってしまった。


 無視し続けたのは、もう口論をしたくなかったからであり、伝言を頼まれたところで誰も来ないという事実を知られたくなかったからだ。

 けれど彼だってみんなと連絡を取れるのだから、今年はわたし一人だということはすぐにばれてしまっただろう。



 本当は、四人で来るはずだった。去年も一昨年も四人だった。


 ただし去年はわたし以外の三人は日帰りで、滞在数時間で慌ただしく解散となった。

 だから今年は三ヶ月前に日時の連絡を入れ、三人からの返答を待った。


 それから二ヶ月、反応はなく、結局一ヶ月前になって、ふたりから「休みが取れなかった」と連絡が入った。

 唯一保留だった彼は、一週間前になって、仕事を理由に不参加を決め、そして口論になった。


 本当は、四人で来たかった。今年もまた。

 だから三ヶ月前から日時の候補を伝えて、みんなの希望を聞いて、調整するつもりでいたのに。いつまで経っても連絡はなく、仕方なくわたしの都合で日時を決め、ホテルや新幹線の予約もした。


 特別だったからだ。毎年四人で集まることを、ずっと続けていきたかった。


 でも三人は違った。わたしほど、この集まりを特別に思っていなかったのだ。

 この温度差もまた、違和感のひとつだろう。


 気まずさですっと顔を背けると、彼はわたしの頭をがっしりと掴み、正面を向かせながら「行くぞ」と。まるで何事もなかったかのように促した。

 そして、思いがけない同行者と共に、炎天下へ足を踏み出したのだった。




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