#04 予期せぬ集結です
春乃は黒髪少女に付いていくことにした。
改札へ向かう少女の背中を追いかける。
「──ちょわあっ!?」
改札機まであと数メートルというところで、ふと何かを思い出したように少女は足を止めた。
二人の身体がぶつかる。
奇しくも背中から抱き着くような形だった。
「ご、ごめんなさい!」
あまりの慌てように特徴的な語尾を付け忘れてしまう。春乃は少女に頭を下げて謝罪した。
「ん」
春乃の顔をまじまじと見つめる黒髪少女。
吸い込まれそうな瞳が春乃の全貌をとらえる。
「ん」
少女はそれ以上何も言わなかった。
その一文字にどんな感情を凝縮したのだろう。
「ん!」
春乃の手を取って、少女が歩きだした。その力は凄まじく、春乃の力では抵抗すらままならない。駅員室に連れていかれるんじゃないかと戦慄したが、連れられた先は券売機の前だった。
どゆこと?
「んー」
少女は日比谷線の路線図を指差して、春乃にチラリと目配せした。
わけも分からないまま、とりあえず春乃は頷く。すると少女はニコッと微笑み──入谷、仲御徒町、三ノ輪、秋葉原、と上野駅から近い順に駅の名称を指でなぞっていく。その指先が“中目黒”の文字に重なると。
「あっ」
春乃が無意識に声を漏らした。
そう。自分は中目黒に向かいたいのだ。
だけど、そこへ行く手立てがなくて困っている。
「ん?」
少女がピタリと指を止めた。
あなたは中目黒に行きたいの?
彼女の澄んだ瞳がそう訊ねている気がした。
「そうっす。ハル、そこに行きたくって……」
消え入るような声で肯定するのは罪悪感があるからだ。彼女を無賃乗車に利用したこと。本当に申し訳ないと思っている。少女は券売機で中目黒までの片道切符を購入するとそれを春乃に渡した。
「えっ?」
「ん」
「く、くれるんすか?」
「ん」
さすがに受け取れないっすよと春乃は申し出を断るが、有無を言わさず少女が切符を押し付けてくるのでしぶしぶ受け取った。
(なんでハルなんかに……)
未遂とはいえ無賃乗車のために彼女を利用した自分は、軽蔑されて然るべきなのに。
(ハルは最低っす……)
おのれの浅はかさに嫌気がさす。
醜い自分を変えたくてあの家を出たのに……。
これじゃ前と何も変わらないじゃないか。
***
行き先が一致していたので二人はしばらく行動を共にすることにした。
「…」
「…」
自分を助けてくれた少女は何も言わず隣に座っている。会話を試みたいが、犯罪に巻き込もうとした手前、こちらから話しかけるのは図々しい気がした。
でも、お礼ぐらいは言っておかなきゃだめっすよね、人として……。
「えっと、その、さっきは、ありがとうございました、っす! 感謝で、とにかくありがとうの気持ちで、胸の中がいっぱいいっぱいで、今にも爆発しそうっす。本っ当に助かったすよ!」
「ん」
「おねーさんは、ハルの女神様っすね! 慈愛の女神サマっす。こんな神サマがいるなら、いっそ改宗しちゃおっかな〜な~んて。あ、そうだ。お名前はなんて言うんすか?」
「ん…」
少女が取り出したのは中学校の学生証。
空井冬花。それが少女の名前だった。
12月生まれの15歳。春乃と同じ年齢だ。
今年の春から高校に進学するんだろうか。
羨ましいっすね、と春乃は独りごちた。
「ハルは、春乃っすよ。正式個体名称は、望月春乃。好きな食べ物は脂っこいもの全般。おうどんの上に天かすをぶっかけるとき、ハルは至上の喜びを感じるっす。ああ、この瞬間のために生きてるんだな~って、いつも思うっす!」
「んー」
「"ふゆっち"は、なにか好きな物とかあるっすか? 自分にはこれさえあれば生きていけるな~とか、これがあるだけでも幸せだな~とか、そういうのってないすか?」
ふゆっちとは今この瞬間に春乃がつけた冬花の愛称である。冬花が同い年と知ったせいか遠慮がなくなったようだ。罪悪感もどこかへ吹っ飛んだらしい。
春乃の距離感に戸惑いながらも冬花はその愛称を受け入れることにした。わずかに頬が緩むのはそれを嬉しく思っているからだろうか。
「ん!」
座席上部に設置されている広告モニターを指さす冬花。
モニターには来月から始まる新ドラマの映像広告が流れていた。『死んだ妻には実は隠し子がいて、その娘と同居することになる』という内容のドラマだ。
ドラマの主人公役を務めるのは人気俳優の春夏冬恋司。娘役を演じるのは春乃や冬花と同年の新人女優──柊杏奈。
ベテラン俳優と新人女優の共演に世間の注目度は高い。
「……ふゆっちは、あの俳優さんのファンなんすか?」
「ん!」
食い気味にうなづく冬花。
「そ、そっすか。まあ、カッコいいっすもんね」
その人気俳優が自分の元父親だとは春乃の口からは明かせない。自慢したい気持ちは無くもないが、軽率な発言で彼に迷惑はかけたくない。そう思っていたのだが。
「でも、実際会ってみたら幻滅するっすよ。すっごい自己中だし、めっちゃ偏屈だし、えげつないくらい頑固だし。でも……」
まったくの無意識だった。
それが失言だと春乃が自覚するのに数秒を要した。
「あっ、いや、なんでもないっす! 今のは忘れて!」
冬花の目には激しく動揺する春乃の姿が映ったことだろう。
やがて目的の駅に到着した。
二人は車両を降りて中目黒駅を出る。
「お世話になりましたっす! じゃあ、ハルはこれで!」
冬花に別れを告げて春乃はその場を去る。
(また会えるかな)
名残惜しくなって後ろを振り返ってみる。
背後には空井冬花がいた。
「……もしかして、ふゆっちの行先もこっちの方っすか?」
「ん」首肯する冬花。
「……こんな偶然あるんすね?」
「ん〜」
「……実はお隣さんだったりして?」
そんなわけないかー! と春乃は笑った。
***
「実を言うと、この物件の買い手は他にもいる」
「なんですとぉぉぉぉっ!?」
両手を上げて、大げさに驚く夏美。
見た目だけでなく言動まで子供っぽい。
黙ってればそこそこ美人なのに。勿体ないな。
「嘘でしょ……性悪おじさん付きの地雷物件を……?」
「私のこと幽霊か何かだと思ってるのか」
嫌われたものだな。
「ちなみにそいつとはすでに契約を済ませてるんだ。残念だが、お前をうちに泊めてやることはできない。本当に残念だ」
そいつとは冬花のことである。
預かるのはあいつだけで充分だ。
「……ふーん。私じゃなくて、その人を選ぶんだ? 元娘の私を差し置いて、どこぞの馬の骨とよろしくやるんだ? 路頭に迷う娘をそのまま放ったらかしにして、その、招き入れた"とうか"って女の人とイチャイチャちゅっちゅするんだ? そーゆーことなんだー?」
イチャイチャちゅっちゅって何だ?
「ここには泊めてやれんが、代わりにマンションに住まわせてやる。生活費も送ろう。月50万もあれば充分だろ? それで手打ちにしようじゃないか」
こんな破格の条件を断るやつはいまい……と、高を括っていると夏美は不満げな顔を浮かべた。
「私のこと嫌い?」
どういう意味の質問だそれ。
話の流れが読めないぞ……。
あざとく潤んだ夏美の目がうるうる輝いている。真面目に考えると頭痛がしてくるので、頭を掻きながらいい加減に答えた。
「嫌いじゃない。好きでもないが」
「なにそれ……」
「でも大事な娘だと思ってる」
知らんけど。
夏美の機嫌を取るつもりでそう言ってみたが、実際どう思っているのか自分でもよく分からない。少なくとも嫌いではないと思う。あまり関わりたくないとかそんなレベルだ。
「……いいね。大事な娘、って響き。けっこー好きかも」
夏美が唇の両端を僅かにきゅっと上げた。
彼女にしてはめずらしく反応が控えめだ。
さて、どうしたものか。
合理的に考えれば拒絶すべきだ。
あくまで自分は芸能人。マスコミの目がある。
背負うリスクは少ないに越したことはない。
ならば答えは一つしかない。
のどかな住宅街の空気が流れる。
暖かい春の陽光がまぶしくて、頬を撫でる風は妙に冷たい。
──よし、断ろう。
***
こんな偶然あるんすかね?
隣を歩く冬花を見て春乃は思った。
(ここを右に曲がって──)
青い屋根が特徴的な家の前を右折。
冬花もそれに追従する。
(あのコンビニを左に行って──)
近くて便利な某コンビニの前を左折。
冬花もそれに追従する。
(この郵便ポストの前を直進して──)
真っ赤な郵便ポストの前を横切る。
やはり冬花もそれに追従。
こんなことってある!?
「ふゆっちのパパとママはどんな仕事してるんすか? ここに住んでるってことはお金持ちってことっすもんね」
興味本位で訊いてみた。
「んー…んー…」
冬花が気まずそうに視線を泳がせる。
教えたくない、ということだろうか。
「ん」
あなたの両親はどうなのかと尋ねるように冬花が見つめる。春乃は黙り込んだ。教えられない。それだけは。
冬花はそれ以上追求してこなかった。
『──私のこと嫌い?』
目的地の一軒家を前にすると少女の声が聞こえてきた。
その軒先には二つの人影。なにやら話をしている。
『嫌いじゃない。好きでもないが』
『なにそれ……』
秋山慎司と日高夏美だ。
冬花と春乃は二人のやりとりを食い入るように観察する。
『でも、大事な娘だと思っている』
めんどくさそうに慎司が言う。その一言が冬花を突き動かした。颯爽と飛び出して、冬花は二人の前に躍り出る。彼女の後ろを追いかけた春乃もその姿を晒した。
「ん!」
今ここに三人の少女が対面する。
冬花を見るなり夏美が不満げに目を細めた。
羨望の視線の先には、ふくよかな双丘。
「やっぱり、パパは巨乳派なんだね?」
ため息をつく夏美。
「あなたが、とうかちゃんでいいんだよね?」
夏美と冬花、二人の視線がかち合った。
春乃は怪訝な顔で慎司に尋ねる。
「オジサン、これはどういうことっすか?」
「俺にも分からん。……てかなんでお前もいんの」
夢なら覚めてくれ、と慎司は思った。




