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#02 専属マネージャーです


 都内某所の隠れ家的な喫茶店──私の行きつけの店である。


 いや『だった』が正しいか。テレビで取り上げられてからは客足が増え今や大盛況──人目を忍んでのんびりコーヒーを嗜みたい私は店に足を運びづらくなっていた。とはいえ、店主の入れるコーヒーの味が格別であることに変わりはない。ああ、美味い。美味いのだが──。

 

(うるさいな……)


 にわか客どもの声が耳をつんざいて非常に不快だ。苛立ちごと飲み込むつもりでコーヒーを流し込む。飲み終えると下にずらしていたマスクをさっと元の位置に修正。サングラスもずり落ちそうだったのでこれも上に押し上げる。


 私がマスクとサングラスで素顔を隠すのには理由がある。


 私は芸能プロダクション『SeaSon(シーズン)』に所属する俳優である。芸名は『春夏冬恋司(あきないれんじ)』。ゴールデンタイムに放映されるドラマやバラエティーに引っ張りだこの人気タレントである。とくに若い女性の支持を集めており熱狂的なファンが多い。

 

「──ごちそうさまでした」


 私の正面に座る女が、店の名物である超特大デラックスパフェを完食すると、口元についた生クリームをテーブルナプキンで拭った。そして疑問形ながらも確信めいたような口ぶりで私にたずねる。


「また離婚しましたね?」


 彼女の名前は藤村香織(ふじむらかおり)

 私の専属マネージャーである。


「さあなんのことやら」

「隠し事なんて通用しませんよ。何年一緒にやってきたと思ってるんですか?」


 意志の強さをうかがわせる切れ長の目に捕捉される。

 しばらっくれても無駄ですよ、と言わんばかりだ。


「これで何回目ですか」

「きみの年齢の十の位イコールX回ってところだよ」

「ズバリ2回ですね」

「不正解。3回だ。ところで30歳の誕生日おめでとう……たしか一昨日だったよな?」

「……」

「そんなに睨んだら小皺が増えるぞ?」


 あえて歳を強調したのは私なりのユーモア。香織が自身の年齢に対してコンプレックスを抱いていることを知った上での当てこすりである。苛立ちを込めた口調で香織が言う。


「私以外にそんな口きいてたら嫌われますよ」

「ご忠告感謝する。もう手遅れだけどね」


 もうとっくに嫌われてるからな。


「……本題に戻りますが、そんな頻繁に結婚離婚を繰り返されると困るんですよ。この事実が公になれば、秋山さんの人気は失墜し、うちの事務所も信用を失いかねません。いやべつに結婚するなと言ってるんじゃありません。ですが相手選びには慎重になっていただきたいんです」


 著名人が結婚をひた隠しにするのはそれが人気の低下に繋がるからだ。女性ファンが多い私とその所属事務所はこの件についてより慎重にならざるをえなかった。


「その心配は無用だ」

「それはどういう……」

「もう結婚しない」

「はい?」

「ようやく自覚したんだ。家庭をもつべきじゃないとね。いっそ死ぬまで独身を貫こうと思ってる」


 私はわざとらしく流し目をくれた。


「まあ、きみとならべつに結婚しても構わないがな」

「……あら、今度は私をターゲットにするつもりですか?」

「気心が知れた女性はきみぐらいなものだしな」

「もう、からかわないでくださいよ」

「これでもけっこう本気だぞ」

「……私、秋山さんのことなんて何とも思ってませんから!」


 あれはたしか三年前のクリスマスのこと。


 香織が私の専属マネージャーになってまだ日の浅い頃だ。

 クリスマス・イブのわずかな撮影の合間のこと。

 私は彼女に告白された。


 が、当時の私には配偶者が居たため、交際の申込みは断った。

 マネージャーという立場にありながらタレントに交際を迫るのはご法度。その禁忌を犯したものは事務所の規定に基づいて解雇される。だが私は彼女を不問に処した。情が湧いたからではない。このまま自分の手元に置いた方がいじりがいがあって“面白そう”だと思ったからだ。


「──やれやれ、残念。フラれてしまったな」


 私は大げさに肩をすくめた。


「ご愁傷さまです」

「ところで」

「はい」

「顔、赤くなってるぞ?」

「あっ……」


 香織の表情には押し殺したはずの感情が溢れていた。

 何とも思ってませんというのは噓だったのかな?


「秋山さん」

「どうした?」

「歯ぁ食いしばってください」


 ぐああああああああっ!


 香織はヒールの尖った先端で私の足を踏み潰した。

 右足に走る激痛。苦悶の脂汗が伝う。なんて女だ。

 ちょっと……からかっただけじゃないか……。


「ううっ……」


 周囲に気づかれないよう声を殺して涙を堪える。


「ざまあみろ」


    ***


 四年前。私は結婚相手を探すことにした。

 結婚願望が芽生えたからではない。


 私には愛という感情が分からなかった。異性に対して特別な愛情を寄せること、大事なものとして慕う心──それらに相当する感情だということは頭では理解していたし、演技として表現することもできた。


 けれど実感はまるでなかった。ゆえに知りたかったのだ、その感情を。当時、ホームドラマの父親役に抜擢されたこともあって、役を掴むために実際に家庭をつくってみようと私は思い立った。


 子供も欲しかった。だが子作りから始めるのも面倒なので、結婚相手は子持ちのシングルマザーに決めた。


 婚活を始めて二ヶ月、酒場で出会った女性と結婚。デート、セ○クス、プロポーズ。結婚までに至る一連の過程に愛があったかといえば嘘になる。


 無論、その後の生活が上手くいくはずもなく、妻の不倫が決め手となり短い家族生活は幕を閉じた。以後これと似た流れを私は二度繰り返すことになる……。


 ようするに私は三人の女性と結婚し、全員に不倫されてきたわけだ。だが不倫した妻たちのことを責め立てることはなかった。莫大な口止め料を彼女たちに手渡してあっさり縁を切った。


 妻に裏切られた悲しみ。

 不倫相手への憎しみ。

 いづれも感じなかったと思う。

 今となってはどうでもいい話だ。


 ヴヴヴヴヴ……。


 懐に入れたスマホのバイブが鳴る。

 液晶に映った名前は、空井烈華(そらいれっか)

 私の歴代嫁のうちの一人であり、最初に結婚した女性だ。


 香織に断りを入れてから、店の外に出る。


(金の無心か……?)


 烈華と離婚してもう二年余りの月日が経っている。その間も『金を寄こせ』と事あるごとに彼女は電話を寄こしてきたが、直接会うことはなかった。もちろんその娘とも。


「627万4800円。いつになったら返すつもりだ?」

『おいおい、勘違いするな。今日は金の話がしたくて電話したんじゃない。大事な話があるんだ』

「珍しいじゃないか。用件は?」


 男勝りな口調と相変わらずの図々しさが、電話越しに伝わってくる。空井烈華ほど苛烈で、自由奔放に振る舞う人間を私は他に知らない。


「仕事中だから手短に済ませてくれ」

『あれが、冬花(とうか)が都内の高校に進学するそうだ』


 冬花とはこの勝ち気な女の一人娘であり、私からすれば烈華の(元)連れ子ということになる。


『ところで、オマエの住居はまだ中目黒にあるか?』

「……? ああ……」

『高校を卒業するまで、オマエの家であれを預かってもらいたい。いや預かれ。決定事項だ。しっかり面倒みろ』


 何を言ってるんだこの女は?


「ふざけるな。そっちでなんとかしろ。仕事で忙しいんだ」

『無理だね。なにしろアタシには、愛人と世界一周クルーズに行く予定があるからな。加えて仕事も立て込んでいる。あれの世話をする暇はない』


 自分本位なところは以前とちっとも変わっていない。


「母親が聞いて呆れるな」

『そういうオマエも元はといえ父親じゃないか』

「……しょせん元だ」

『冷たい奴だな』

「あんたにだけは言われたくないな。子守りが必要なら他の男に頼めよ。()()()()()()()()()()()()

『……私の頼みを断る気か』


 ナイフで首筋をなぞられるような悪寒を感じてビクリとする。この女に弱みを握られていることを思い出した。


 私の結婚・離婚を知るものは、当事者である空井烈華そらいれっか望月信乃もちづきしの日高美樹ひだかみきの三人と、彼女たちの娘、あとは限られたごく一部の者だけ。


 この事実が白日の下に晒されたとき、私と私の所属する事務所は大打撃を被る。それだけは避ける必要があった。念の為に口止め料は支払ったが、何かの弾みで口を滑らせないとも限らない。


 それにしても、と烈華が続ける。


『あれは本当につまらない女だ。あれでアタシと血が繋がってるのだから、不思議だよ。この股から這い出てきた生命体とはとても思えない』


 娘のことをあれだの生命体だのと呼び捨てるこの女は、母親には向かない人種だと改めて思った。


「本人は、冬花は承諾してるのか?」

()()()()()()

「どういう意味だそれ……」

『切るぞ』

「っ、おい!」

次回、ヒロイン(3人)登場します。

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