月に負け犬
「あ~、楽しかった~!」
「本当、久し振りでしたね。二人で生放送なんて」
「うん!呼んでくれて、有り難う!」
「こちらこそ、助かりましたよ」
今日は、俺が最近、パーソナリティを務め始めた、インターネット生放送ラジオの、4回目の放送日。
昔馴染みの先輩、兼、親友の望月さんが、番組にゲストに来てくれた。
放送は、大好評の内に終わり、俺と彼は、
スタジオから駅迄の帰り道を、二人で歩いていた。
夜空には、まん丸から幾分、欠けた月が、ぽっかりと浮かんでいる。
「リスナーからの反響、凄かったですね」
「凄ぇ速さで、コメント流れてたもんな~!」
「『Radio Moon』関連のコメントも、多かったですね」
「ね~。懐かしいなぁ」
「若気の至りですね」
『Radio Moon』は、昔、俺と望月さんが、二人でパーソナリティを担当した、女性向けのラジオ番組だ。
スポンサー会社の倒産で、二年で打ち切りになったけど、十年以上経った今も、復活を望むファンの声は多い。
「『Radio Moon』のお蔭で、俺等、未だに、カップル扱いだもんなぁ。
いつぞやの、LINEライブなんか、リスナー皆で、キスしろとかさぁ」
「あったね~」
「いい年した、おじさん二人がキスって、可笑しいだろ!」
別のおじさんから、首筋に、でっかいキスマークを貰うのは、可笑しくないのか、と、
喉元迄、出そうになった言葉を、すんでの所で、飲み込む。
「『Radio Moon』は、スポンサーが、BLCDの大手だったし。
俺等にも、BLっぽく、匂わす様に振る舞えって、台本にディレクションが、あったもんな。
俺、そっち方向じゃ、ねぇのにさ~」
「でも、BLが好きなファンが居るからこそ、BLCDの仕事が貰えますし」
「そうなんだよな。
いや~、人の趣味嗜好って、奥が深いわ~」
「アンタの、眼鏡好きみたいなモンでしょ」
そう言うと、彼は、成る程、と、妙に納得してみせた。
「コメントに、『ひろくん、ゆうくんで、呼び合って』って、有りましたね」
「流石に、無いだろ~?
俺、もう、41の、おじさんだよ?」
「呼び始めた時点で、アラサーだったんだから、今更ですよ」
「そう?じゃあ、久々に、呼んでみるかい?」
「ひ~ろくんっ!♡」
「うわぁ、改めて呼ばれると、小っ恥ずかしいな~!」
「ずっと呼んでたでしょ。何なら、プライベートでも」
「だね~。いやぁ、若かったなぁ」
彼は、照れ隠しに、にゃはは、と、顔をくしゃくしゃにして笑った。
俺が好きな、彼の顔の一つだ。
彼との付き合いは、もう、13年になる。
タレントに成り立てで、右も左も分からなかった頃、
手取り足取り、親身になって、俺を導いてくれた。
俺より5つも年上なのに、危なっかしくて、天然で、放っておけない人だけど、
そんな所も引っ括めて、俺は、彼を慕っていた。
卵から孵ったばかりの雛鳥が、親鳥に懐くみたいに。
「ゆうくん?」
若干、皺が寄ったけれど、彼は、あの日の儘の笑顔で、俺を振り返る。
「久し振りに呼ばれると、照れますね」
「何だよ、お前が言い出したんだろ?」
「そうだけど」
こんな、兄弟みたいな、やり取りも、ずっと変わらない。
変わったのは、俺と彼を取り巻く、環境だけだ。
「奥さんとは、上手く行ってるのかい?」
一昨年の梅雨の時期、俺は、同業の女性と、入籍した。
彼女を愛しているし、周りも、祝福してくれた。
勿論、彼も。
「……お蔭様で」
「そっか!なら、良かった!」
彼は、ふにゃっと、安堵の表情を見せる。
「…………」
俺は、何とも言えない気持ちになる。
彼だって、独り身な訳じゃ無い。
世間には公表していないけれど、付き合いの長い俺は、彼の事情も知っている。
「……ひろくんの方は?」
「ん?相変わらず、楽しくやってるよ」
彼は、幸せそうに笑う。
昨今、世間では、セクシャルマイノリティに因り、
LGBTのジェンダー平等が叫ばれ、
世界各国でも、同性婚を認める国が増えている。
令和の世になっても、ホモだ、腐女子だ、野獣先輩だ、と偏見を持たれる、
我が国の、セクシャリティの認識は、
残念乍ら、諸外国に遅れていると、言わざるを得ない。
と言うよりも、古来より、日本では、男色は、そんなに珍しいものじゃ無かった。
寺院の稚児、武士の衆道、江戸の陰間、悪左府の「台記」……と、挙げ出したら、切りが無い。
現在の様に、異性愛が主流となったのは、
精々、西洋から入って来た価値観が広まった、明治の開国以降の事だ。
ふと、思う。
もし、同性愛が、巷間に流布していて、
男同士でも、白い目で見られない世の中だったら、って。
そうしたら、今頃、俺達の関係は、どうなっていただろうか?
そうしたら、この人は、俺のものに、なってくれていたんだろうか?
「ほら、見て見て!月が綺麗だよ!ゆうくん」
彼は、夜空の月を見上げて、無邪気に笑う。
「I love you」を、「月が綺麗だ」と、初めに訳したのは、漱石だったか。
目の前の彼は、きっと、純粋に、月の美しさを愛でているんだろう。
その言葉に、裏が無い事なんて、分かってる。
分かってる、けど。
「……ひろくんと、見る月だから、綺麗なんだよ」
俺は、月を掴む様に、暗い空に向かい、手を伸ばす。
俺が、ずっと欲しかったもの。
今なら。
もしかしたら。
「? 月は、誰と見ても、綺麗だよ。
何なら、皆で、お月見したら、楽しいだろうなぁ~!」
彼は、屈託無く、ころころと笑う。
「…………」
……今なら。
今なら、もしかしたら、手が届くかも、って、
思ったんだけど。
「…………手が届かないから、綺麗なんですね。
望月さん」
「…………?」
俺は、月に向かって伸ばした右手を、
ゆっくりと、下ろした。