リアゼル=シャロ
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「お兄ちゃん、こっちこっちー!」
「あはは、待てよロナー!」
この光景には見覚えがある。
これは……この記憶は、そう。
まだ父さんと母さんが生きていた頃の、七歳ぐらいの頃の記憶だ。
ティオ村から少し距離のある寂れた山村で生まれ育った俺は、両親や妹と仲睦まじく暮らしていた。
その日は確か、村から外れた所にあった小さな林で遊んでいた気がする。
両親や村人の目を盗んで。
駆けずり回るロナをただ追いかけるだけの、遊びともいえない児戯。
だけど楽しかった。
父さんがまだ生きていて、母さんも手の届く所に居て、ロナがまだ自然な笑顔を浮かべられていて。
そんな何気ない時間が俺にとって何よりも宝物だった。
ずっと続いて欲しい幸せだった、時間だった。
けれど世界は残酷だ。
家族と共に居たい、いつまでも笑いあっていたい。
その程度の幸せも世界は許してはくれなかった。
「お兄ちゃん……村が…………燃えてるよ? なんで……?」
後から聞いた話によると、山賊の襲撃があったんだそうだ。
幸か不幸か、俺達はたまたま外に出ていて助かったらしい。
「ッ!」
「お兄ちゃん、どこ行くの!? 置いてかないで、お兄ちゃん!」
俺は走った。
火の手が上がる村に妹を一人残し、両親の安否を確かめに。
だが遅かった。
遅かった、遅かった、何もかもが遅かったんだ。
辿り着いた時には父さんは殺され、母さんは村の女達と共に行方不明。
死体が見つかってない所からみて、恐らくは────
そんな経験をしたからか、俺は臆病になった。
多分、妹を第二の故郷となったティオ村に置いていったのも、怖かったからだと思う。
村が貧乏だから外へ稼ぎに行きたい。
孤児院の皆を少しでも楽をさせてやる為、外に出たい。
この気持ちに嘘は無い。
でもそれはただの建前でしかないのもまた事実だ。
俺はただ、逃げ出したかったんだ。
ロナから、家族から。
父さんの死に目を重ねてしまうロナから逃げたい一心でしかなかったんだ。
だから今でも帰る勇気が持てないでいるのだろう。
俺は……弱い。
どれだけ剣の腕を磨こうとも。
敵を、魔物を、人を斬る事にどれだけ慣れようとも心は弱いまま。
情けない、本当に。
結局、三年も共に死線を潜り抜けてきたサラーナヴェスベルク団から言い渡された追放処分も、俺はただいつものように逃げ────
カタン。
「…………ん」
何か近くで物音がしたような……。
「………………どこだ、ここ……」
目蓋を開くとそこは見知らぬ場所だった。
木造の天井に、女の子が好みそうな小動物のぬいぐるみや小物。
どれも見覚えもない物ばかり。
俺はどうしてこんな所で寝て……いや、そもそも。
「どうやって助かったんだ、俺は。 確か毒にやられて……」
と、ベッドに座り直した直後。
「ただいまー」
玄関口らしき扉が開き、見知らぬ女の子が入ってきた。
「……きゃっ! びっくりした! 起きてたんですね!」
もしかして彼女が俺を助けてくれたのだろうか。
女の子が持っている籠には、栄養価の高そうな野菜と薬瓶、包帯や湿布までもが入っているようだ。
「驚かせて悪い。 丁度今目が覚めて」
「い、いえ。 お気になさらないでください。 こちらこそ驚かせてごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。 気を遣わせてすまない。 それで君は一体……」
「あ、そうですよね。 起きたばっかりじゃ何もわかんないですよね。 では……こほん」
目の前までやって来た少女は、茶毛のショートカットを揺らしながらお辞儀をした後。
俺の目を淡い青色の瞳で真っ直ぐ見据えながら、満面の笑みでこう言った。
「わたしの名前は、リアゼル。 リアゼル=シャロ。 このシャロ村の村長をしています。 村の皆さんからリアと呼ばれてますので、旅人さんも良かったらシャロと呼んでくださいね。 これからよろしくお願いします、旅人さん」
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正直な所、こんな十七歳前後の女の子が村長だなんて信じられない。
幾らなんでも若すぎる。
成人しているならまだしも、こんな若い子が村を取り仕切るなんて本来であればあり得ない話だろう。
しかし、どうやら信じざるを得ないようだ。
「あの壁にかけてある肖像画ってもしかして、歴代の村長さんか?」
「よくわかりましたね、お兄さん。 右から順に私のお父さんで、次におじいちゃん。 その次がひいおじいちゃんで、そのまた次が──」
よくわかるも何も、額縁の下に何代目の村長かわかるよう彫られているからな。
わからない方がおかしな話だ。
「て事は、君の……」
「リアです」
「……リアゼルの……」
「リアですぅー」
「はぁ、わかった。 じゃあ、リア」
諦めて名前を呼ぶとリアはニコニコしながら、元気に「はい! なんでしょう!」と返事をしてきた。
見知らぬ男に愛称で呼ばせて何がそんなに嬉しいのだろうか。
ちょっと変わった子なのかもしれない。
「リアのお父さんはもう村長を退いているのか? 君が現村長なんだろう?」
「そう、ですね。 もうかれこれ二年前ぐらいでしょうか。 その頃から村長をやらせて貰ってます」
「そりゃまた随分若い頃からやらされているんだな、今も昔もまだ子供だろうに。 そういえばその父親は今何処にいるんだ? 助けてもらった礼をしたいんだが」
と尋ねると、リアは俯き……。
「お父さんは……もうこの世に居ません。 二年前、魔物に殺されましたから」
だからこんな若さで継ぐ事になったのか。
「……すまない、そうとは知らず思慮の欠けた質問をしてしまった。 この通りだ、許してくれ」
「い、いえ! お兄さんは知らなかったんですから無理もありません! なので頭を上げてください! もう昔の事なので私も気にしてませんから! ……え、えっと…………あっ、そうだ! お兄さんもスープ飲みますよね! 上手に出来たので是非飲んでみてください!」
リアはわざとらしく慌てて立ち上がると、キッチンへと向かい、器にスープを移していく。
良い香りだ。
この香りはもしやトメトとオニーオンを煮詰めたミネストローネだろうか。
まだ子供なのに大したもんだ。
と、リアの後ろ姿を妹に重ねて眺めていたら、唐突にこんな質問をしてきた。
「ところでお兄さんは……」
「ソーマだ。 ソーマ=イグベルト。 ソーマで良い」
「……ソーマさんは、どうしてあんな所で倒れていたんですか? もしや魔物に……?」
ああ、端から見たらそう映るのか。
実際には殺し合いをしたわけだが、俺以外は全員死んでる訳だから魔物の仕業と思って当然だ。
あんな道端で殺し合いをしてただなんて、こんな女の子が思い付かないだろう。
死体をまじまじと見たりも出来ないだろうし。
「ああ、実はそうなんだ。 不意打ちされてな、みんな殺された。 おまけに毒までもらっちまって、散々だったよ」
「だから毒を……間に合ってよかったです」
やっぱりこの子が助けてくれたのか。
であれば、礼を言わねばな。
「……リア、君のお陰で命拾いした。 ありがとう」
「あはは、助けたのは私だけじゃないですけどね。 友達の……っとと。 はい、どうぞ。 お待たせしました、ミネストローネですよ。 遠慮せず食べてくださいね」
友達……?
「あ……ああ、じゃあ遠慮なくいただきます。 んぐ……おっ、こりゃ旨いな。 疲れた身体に染み渡る味だ、癖になる」
「ふふ、お粗末さまです」
何やら気になる内容があった気がするが、今は飯の時間。
誰もが穏やかに過ごしたい時間にそんな話を持ち出すのは野暮というもの。
どうせこの村には暫く滞在するのだ。
また時期を見て訊いてみれば良いだろう、と俺はリアから差し出されたパンにミネストローネを染み込ませ、食事を楽しむ事にした。