八上先生と凪くん
別に楽しみにしているから、早く感じるとかではないけれど。
思っていた通り、一週間はあっという間だった。
「いらっしゃい」
「どうも」
「コーヒー入れるから座っ……」
八上先生が言い切る前に扉が勢いよく開いた。
「朱里ちゃん!!なんで変人八上なんかと一緒にいるの!?」
「……………佐々木のストーカーかい?」
「いえ。幼馴染で……親友です」
「へえー」
なにを考えているのかよくわからない表情で、八上先生は言った。
「し、親友……」
と嬉しそうな表情で呟く男子生徒、綾野凪は私と八上先生の間に入り、八上先生を睨んだ。
「どうした、綾野。飼い主取られたペットみたいな顔して」
「うるさい!!なんだその例え!!お前ほんとむかつく!!」
「教師に向かってお前はないだろう。八上先生だ。ほら、呼んでごらん」
「誰が呼ぶか!!変人八上!!行こう。朱里ちゃん」
凪くんに手を引かれ、歩き出す。
こうなった凪くんは止められないし、ひとまず着いて行こう。
凪くんは部活を抜け出して来ているだろうから、部活に戻ったら私もここに戻ればいい。
「彼氏の俺ですら手を繋いだことないのに、気安く繋いだらダメじゃないか」
「は!?彼氏!?」
この人は本当になにを考えているんだ。
わざわざそんなことを言っても、なんのメリットもないじゃないか。
「朱里ちゃん。嘘だよね!?こんな変人と付き合う訳ないよね!?」
「八上先生、タチの悪い冗談は……」
とりあえず、ごまかしておこう。
「佐々木。あのことばらされたいの?」
「朱里ちゃんのこと脅してるのか!?脅して生徒に交際迫るなんてエロ漫画の読みすぎなんだよ!!」
「読んでいないよ、そんなもの。俺は佐々木以外に興味ないからね。綾野の方こそ読んでいるから、そういう発想になるんじゃないか?」
「な!?違うからね!!朱里ちゃん。部活の奴らに無理矢理見せられたことはあるけど、それ以外では読まないし!!朱里ちゃんのことそういう目で見たこともないから安心して!!」
「そういう目で見たことないなら、佐々木が誰と交際しても関係ないだろう」
「お前生徒をそんな目で見てるのか!?最低だな!!このケダモノ!!」
「当たり前だ。交際相手をそういう目で見ない男なんているはずないんだろう」
「クズ!!ゴミ!!おたんこなす!!安心して朱里ちゃん。こんなこともあろうかと、今までの会話全部録音してるから。理事長に聞いてもらってこんなクズ野郎今すぐクビにしてもらおう」
さすが凪くん準備がいい。
でも
「その間に佐々木の秘密、ネットにばら撒けるけど、どうする?」
八上先生の性格の悪さには勝てない。
「外道!!クズ!!サイコパス!!」
「それに俺、この学校の理事長の息子だから、多分揉み消されると思うよ」
「はあ!?そんなの初耳なんだけど!!」
私も初耳だ。
「理事長の息子です。なんて言う教師、嫌だろ?」
それはまぁたしかに。
「…………もういい。なんでもするから、朱里ちゃんの秘密を誰にも言わないって約束しろ」
「…………なんでもねぇ。校庭で全裸で逆立ち100周って言われたらやるの?」
小学生か。
「やってやるよ」
「いや、待って。冗談。脱がないで脱がないで」
服に手をかけだした、凪くんを八上先生が止める。
凪くんなら本当にやりかねない。
凪くんは私を小さい頃から、守らないとって思ってるから。
それに私は甘えてしまっていたから。
もう大丈夫だよ。凪くん。
私、凪くんに守ってもらわなくても、ちゃんと生きていけるよ。
「凪くん。私ね、メイド喫茶でバイトしてるの」
「なーんてな。全部嘘だ」
私の告白をかき消すように、八上先生が言った。
「「は??」」
私と凪くんは同時に八上先生を見た。
「さすがに生徒と付き合う程、倫理観終わってないよ。今日は5月1日だからな。少し遅めのエイプリルフールだ。いや、メイフールか?あはははははは」
八上先生が壊れた。
「八上先生、大丈夫です」
凪くんにメイド喫茶でバイトしてることを伝えたのは、ちゃんと自分の意思だ。
いつかは伝えないといけないことだった。
むしろ、今伝えられて良かったのかもしれない。
「凪くん。八上先生と付き合ってるのも、メイド喫茶でバイトしてるのも全部本当。
付き合ってるって言っても、週に一度30分話してるだけだから安心して」
「……メイド喫茶って、なんでそんな卑猥な店でバイトを」
「卑猥ってお前……風俗じゃないんだから」
「ふ、風俗ってお前!?朱里ちゃんの前でそんな卑猥な言葉口に出すな!!」
こうなるから言いたくなかったんだ。
「そんなにお金に困ってるなら、俺もバイトして無利子で貸すよ!!」
「いや、うちの学校バイト禁止だから。それに部活でそんな暇ないだろ?」
「それはそうだけど……」
とんでもないことを言い出した、凪くんを八上先生がさとす。
本当は私がしないといけないことなのに、なにを言っても凪くんを納得させられる気がしない。
そんな言い訳をするから、いつまで経ってもダメなんだ。
頭では分かっていても、心も体もついて来てくれない。
「メイド喫茶は握手も原則禁止だから、安心しろ」
「だけど……」
八上先生は溜息を吐き
「佐々木、次の出勤いつだ?」
と聞いてきた。
嫌な予感がする。
「……土曜日の10時からです」
「綾野、予定は?」
「…………ないけど」
「決まりだな。綾野、俺とメイド喫茶デートするぞ」
「はあ!?男同士でデートとか言うなよ!気持ち悪い!!」
「まぁ、呼び方はなんでもいい。とにかく行くぞ」
「断る!!誰がお前なんかと……行くにしても一人で行く!!」
「佐々木のメイド写真、ネットにばら撒くぞ」
「卑怯!!カス!!クソ野郎!!」
仮に凪くんが来なくても、本当にばら撒いたりしないだろう。
理由を聞かれても上手く答えられないけど、確信できる。
多分私が毎週水曜日に来なくなっても、ばら撒いたりしない。
それでも内緒にしてもらってる以上は来よう。
ある種のお礼だ。
それ以外に理由なんてないけど。
「嫌なら来いよ。場所は後で佐々木に教えてもらえ」
「わかったよ。行けばいいんだろ!!行けば!!安心してね。朱里ちゃん。なにをしてでも俺がこのクソ教師をクビにさせるから」
そこまでは望んでないよ。
と言おうとした時には、居なくなっていた。
「佐々木、悪かった。思春期みたいに嫉妬して佐々木に秘密を話させて。本当にごめん」
謝罪する姿は誠実そのもので、普段の八上先生とは正反対だった。
やっぱり、いざという時はちゃんとしてる人なんだ。
分かってはいたけど、いざ目の当たりにすると安心する。
「嫉妬ってなににです?」
八上先生には友達がいないから、仲の良い私たちを見て嫉妬したのだろうか。
「いや、その、手を……」
八上先生が耳まで真っ赤だ。
珍しい。からかいたくなる。
「て?」
少し笑いながら、聞き返すと。
「そんなことより、疲れただろう。そろそろ時間だし、今日はもう帰っていいよ」
残念。いつもの八上先生に戻ってしまった。
「毎週水曜日、放課後の30分この部屋で話す約束です。ほとんど八上先生と凪くんが話してたので、約束を守ったことになりません。だからいます」
「本当、律儀だね」
八上先生は笑いながら言った。
それに八上先生が嫉妬したものも気になる。
さっきから考えているが分からない。
頃合いを見て、もう一度聞いてみよう。
「佐々木、シュレーディンガーの猫についてどう思う?」
「また変わった話ですね」
「嫌かい?」
「いえ、少し好きです」
嘘だ。本当は大好きだ。
シュレーディンガーの猫の話を父から始めて聞いた時、わくわくした。
こんな話、また誰かと真剣にできると思ってなかったから嬉しい。
こんな時間も案外悪くないのかもしれない。
そう思えた。