八上先生とコーヒー
「よく来たね」
「……脅されてますから」
「そこに座って、コーヒーでも入れよう」
無視してやろうかとも思ったが
「……ありがとうございます」
と言った。
脅迫罪すれすれの男だろうと、礼を欠くことはしたくない。
「砂糖とミルクは?」
「なくて大丈夫です」
「大人だね」
「ブラックコーヒー飲むくらいで、大人になれたら苦労しませんよ」
「たしかにそうだね」
漂ってくるコーヒーの香りは、とても良い香りでなんだか落ち着いた。
こんな男の入れたコーヒーで落ち着きたくないのに、それでもなんだか落ち着いた。
「はい。どうぞ」
八上先生が持ってきたコーヒーは、取手の付いたビーカーに入っていた。
「なんですか、これ?」
「こういう商品なんだよ。理科準備室でコーヒーを飲むなら最適だと思って」
「……へー」
なるべく表情筋を殺し、興味無さ気に振る舞うが、こういう変わった雑貨が私は好きだ。
こんな商品知らなかった。どこで売っているんだろう。調べて買いにいかないと。
そう思っていると
「一つ余分に買ったから、よかったらいるかい?」
見透かされたようで腹立つが、正直欲しい。
でも八上先生に借りを作ると、後々面倒くさそうだ。
どうするか、悩んでいると
「借りを作りたくないなら、慰謝料だと思えばいい。佐々木は今脅されて、ここにいるんだから」
「え……」
この男はテレパシーでも使えるのか。
「それに彼氏という生き物は、自分がプレゼントした物で彼女が喜んでくれたら、それだけで嬉しいんだよ。だから遠慮しないで」
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして」
このプレゼントを貰って嬉しく感じるのは、デザインが私の好みだからだ。
それ以外に、理由なんてない。
「冷める前にどうぞ」
八上先生に促され、コーヒーを一口飲むと普段市販の缶コーヒーか、インスタントコーヒーしか飲まない私にも、良い物だと分かるくらい美味しかった。
こんな良い物、私なんかに飲ませたらもったいないだろう。
そんなことを言うと、またキザなセリフを吐くのだろうから、なにも言わないけれど。
「とても美味しいです」
八上先生の方を見て、伝えると。
コーヒーの中に、角砂糖を八個入れていた。
「なにしてるんですか!?」
あまりの衝撃に、声を張り上げた。
「びっくりした。あまり大声出さないで」
「びっくりしたのはこっちです。死にたいんですか?」
「まだ死にたくはないかな。でも問題ないよ。果汁100%ジュースは、角砂糖12〜15個分相当らしいからね。それに比べれば、むしろ健康的だ」
「だからって、そういう問題じゃないでしょう」
「大丈夫。人間案外、丈夫なんだよ」
「もう、勝手にしてください」
溜息混じりに言うと、八上先生は飲み進めた。
この調子じゃ、将来糖尿病だろう。
八上先生の将来なんて、私には関係ないけれど。
「そういえば現代文の教師が、理科準備室使って大丈夫なんですか?」
「使われていない部屋は、有効活用しないともったいないだろう?どうせ旧校舎なんて、滅多に誰も来ないしね」
「……まぁいいならいいんですけど」
「そろそろ時間だね」
「30分って意外とあっという間ですね」
「楽しい時間は、あっという間と言うからね」
「失礼します」
急いで立ち上がる私を見て、八上先生は楽し気に笑い
「また来週」
と言った。
私も「また来週」
と答えた。
教室の扉を閉め、しばらく歩くとふと思った。
明日も明後日も来週の月曜日も火曜日も、私は八上先生に会う。
担任だから当然だけど。
それなのに先生は、また来週と言う。
だからなんだと言ってしまえば、それまでの話だけど、そんなことがしばらく頭を離れなかった。