八上先生と脅迫
「メイド喫茶でバイトしていることがばらされたくないなら、俺と付き合ってね」
私は今、この変人教師 八上一季に脅されている。
ことの発端は昨日
「おかえりなさいませ、ご主人様」
いつも通り接客していると、担任の八上先生が現れた。
まずい。いやでも八上先生だって、メイド喫茶に来てることがばれたら困るばず。
八上先生は顔はイケメン俳優並みにいいのだが、言動が独特すぎるせいで変人八上と呼ばれている。
そんな人がメイド喫茶に来ていることがバレたら、教師生命が終わるはずだ。
お互い秘密にすることを提案したら、なんとかなるんじゃ。
そんな私の考えを知ってか知らずか、八上先生は怪しげな笑みを浮かべていた。
約5分後、私が八上先生の前を通ったとき
「すみません。注文いいですか」
と声をかけてきた。
どうしてこの男は教え子にメイド喫茶に来ているところを見られて、こんなに平然としていられるのだろう。
倫理観が死んでいるのだろうか。
「ただ今参ります」
と言ったところで、このメイド喫茶が猫をモチーフにした店であることを思い出す。
慌てて
「にゃ」
と付け足した。
八上先生は肩を震わせて笑った。
顔面ストレートをくらわせてやりたくなったが、賃金が発生している以上そういう訳にもいかない。
「愛のニャンニャンオムライスとチェキを一枚」
恥ずかし気もなく、真顔で注文する八上先生の姿はある意味勇者だった。
「かしこまりました…………にゃ」
八上先生はまた肩を震わせて笑った。
「そういえば名前はなんていうの?」
「ゆかニャンです」
メイド喫茶で使っている偽名で答えた。
本名は佐々木朱里だ。
「間違えて呼ばないよう、気をつけないとね」
この男は、人をいらつかせる天才なのだろうか。
「お待たせいたしました……にゃ」
「わー、美味しそう」
「美味しくなるおまじないをかけさせていただきますにゃ」
こうなったらヤケだ。
完璧に接客して、さっさと帰ってもらおう。
「じゃあ俺も一緒に」
「「美味しくなーれ、もえもえきゅーん」」
なんなんだこの地獄の時間は
「猫ちゃん描いて、もらえるんですよね?」
私の美術の成績が1なのを知っているくせに。
とはいえ、私も5ヶ月間、この店で猫を描き続けてきた。
流石に猫と認識できる程度の物は描けるはず。
それに絵を描くのは、嫌いじゃない。
「はい。心を込めて描かせていただきますにゃ」
約10分間かけて描いた猫は、つぶらな瞳が愛らしく、顔を埋めたくなる程ふさふさな毛並みで、ぷにぷにした肉球まで再現され、自分でいうのもなんだがよく描けていると思う。
「うん……とても芸術的でいいと思うよ……うん」
八上先生もこう言っているし
「ごゆっくりおつくろぎくださいにゃ」
内心ではさっさと帰れと思いながら、真逆の言葉を口にする。
「ありがとう」
と八上先生は、爽やかな笑顔で言った。
顔だけはタイプだから、余計に腹が立つ。
約15分後、私が再び八上先生の前を通らないといけないタイミングで
「すみません。チェキをお願いします」
と声をかけてきた。
「かしこまりましたにゃ。誰と一緒に」
「もちろん。ゆかにゃんと」
まずい。メイドをしている証拠写真になってしまう。
いっそこの店から逃亡して……そんなことをしたら即クビになる。
どうにか、どうにかしないと。
しかしどれだけ考えても、解決策は見つからなかった。
「………………かしこまりましたにゃ」
そう言うしかなかった。
「ポーズはどうしますかー?」
撮影してくれる店員が聞いた。
「これで」
八上先生はそう言って、ハートマークの半分を作った。
グッドポーズでもしてやろうかと思ったが、やはりそういう訳にもいかない。
大人しくハートマークのもう半分を作って、撮影された。
「ありがとうございます。家宝にしますね」
未来のお子さんのために、やめて差し上げろと思ったが
「ありがとうございますにゃ」
と苦笑いを浮かべて言った。
「また来るね」
「に」
二度と来るなと言いかけて、なんとか堪えた。
そんなことを仮にも客に言えば、即クビだろうから。
「に?」
楽し気に聞きかえしてくる、八上先生に殺意を覚えながら
「にぼしを用意して、お待ちしてます」
訳の分からないことを口走っていた。
「…………猫だから?」
「……猫だから」
「それは楽しみだな」
そう言って八上先生は、子どものような無邪気な笑みを浮かべた。
ずっとそんなふうに笑っていたら、ここまで腹も立たないのに。
「明日、旧校舎の理科準備室に来てね」
八上先生は、爆弾発言を残して去っていった。
これが昨日の話
そして
「今日から彼氏彼女だね。いやー、なんだかドキドキするね」
これが今日の話
「勝手に話を進めないで、もらえますか?」
「じゃあ、学校にばらす?」
「……それは困ります」
うちの高校はバイト禁止だから、よくて停学。
バイト先がメイド喫茶と知れたら、最悪退学かもしれない。
そんなことになったら、母に殺される。
かと言って、こんな要求を呑むのも。
なにか打開策はないか考えていると。
「同意があるまで、キスどころか手も繋がない」
「え………」
「プラトニックな交際をしよう」
少し迷って
「まぁ、それなら」
と答えた。
どうせ拒否権などないのだろうし。
「ありがとう」
手すら繋がない関係を恋人と呼んでいいのかは疑問だけど、そんなことを言うと面倒くさいことになるのは、目に見えているから黙っておこう。
「勉強とバイトで忙しいので、あまり高頻度では会えませんが」
八上先生に会いたくないために吐いた嘘という訳ではない。
母は成績の低下に敏感だし、将来のためになるべく貯金しておきたい。
「二人の時間は週に一回、30分だけで構わない」
「え……」
「恋人が別れる一番の理由は飽きだと思うんだ。どれだけ好きなキャラクターをスマホの壁紙にしても、一月も経てば飽きるだろう?
男女交際も同じだと思うんだよ。何事も適度じゃないと」
「……たしかに。それなら負担も少なくていいですね」
「決まりだ。今日が水曜日だから、毎週水曜日放課後の30分この部屋で話そう」
「……はい」
「じゃあ、また来週」
「また来週」
八上先生は手を振って、私を見送った。
男女交際ってこんなだっけ。
もっとなんかこう。うまく言語化できないけれど、少なくともここまで淡白ではないんじゃないか。
いや、いいじゃないか。
恋愛にうつつを抜かす程、暇じゃないんだから。
でもなんかこうすっきりしない。
こんな気持ち、寝て起きれば忘れる。
そう思ったけれど、次の水曜日がくるまで消えることはなかった。