目覚め
“人の行動は三つの根源からなる。欲望、情動、そして知識だ”
ギリシャの哲学者プラトン
幸運。
それが今の自分に合っているのか正確では無いのかも知れない。
あの日、先日からの不調を診てもらうために俺は雨の中、病院へ向かった。
腹痛と背中の痛み。
傘を差し、歩いているのも辛かったが、よくある疲れか仕事のストレスだろうと簡単に考えていた。
一時間以上待たされようやく受けた診察でほとほと疲れ切っていた。
そんな俺に医者が言った言葉は・・・。
「詳しい検査が必要です。恐らくですが癌の可能性が有ります」
目の前が真っ暗になった。
検査が必要?
癌の可能性?
医師の指示に従い、言われるがまま再検査の日程を決め、病院から自宅へ戻る途中に会社へ電話した。
「はぁ?検査?休みが続くの?困るなぁ。大体君はさぁ・・・」
電話の相手は五十代の部長。
わざわざこいつに関して説明する必要もない。只の小デブメガネだ。
電話の向こうで長々と文句を言い出し掛けていたのを黙って切った。
こんな奴に俺の時間を奪われて良い筈が無い。
そう思ったからだ。
(一体何故俺が癌にならなきゃいけない?何か悪いことしたか?三十を超えて、一人で慎ましく生きてきただけじゃないか。それがどうして?)
段々と強くなっていく雨風。遠くに聞こえる雷の音。
最悪な状況に最低な環境。
頭の中で悶々と後悔と苛立ちが募り何もかもが本当にどうでも良いと思えた。
・・・だが、それが良かったのかもしれない。
いっそ濡れてやれば良い。
そう思った俺は傘を高く放り投げた。
一瞬の出来事だった・・・。
俺の身体をとてつもない衝撃が貫き、視界が真っ白に変わり、次に目を開けるとそこはさっき迄居た病院だった。
顔に付けられたマスクと耳鳴りの様に聞こえる医者や看護師の声が響く。
「大丈夫ですか!」「聞こえますか!」
何度も何度も繰り返される安否確認。
やがて、その声も段々と遠くに消えて行った。
次に声が聞こえた時、うっすらと目を開けると透明のガラスケースが俺の身体を包んで居る様だった。
その周りを白衣を着た何人もの人達が忙しなく歩き回っている。
俺の目が開いたのに気付いたのか、側にいた一人が驚いた様子で周囲に声を掛けていた。
「起きました!脳波は!」
その声に誰かが遠くで
「正常値です!半覚醒状態かと思われます!身体再生も基準値を示しています!」
「前腕部と右下肢の再生速度は!」
「通常より約二倍の速度を示しています!」
「素晴らしい!」
再生?速度?こいつらは一体何を話しているんだ?
彼らの声を聴きながら寝たままの状態で目線を自分の身体に向けた。
・・・腕が見当たらなかった。
その事実に俺の意識は、また遠くへ飛んで行ってしまった。
意識がようやく戻ったのか、次に目が覚めた時には前回よりも脳が起きているような感覚に捉われた。
真っ先に無かった様に見えた腕を確認すると。
(在る!)
他の部分は?
(どこも欠けていない!)
良かった。
そう思ったが何か違和感を感じもう一度自分の身体を見てみると
何も着ていない!
驚いて起き上がり、周りを見て再び驚く事になった。
「・・・何だよ・・・これ」
辺りを見回すと草や木の根が広がって、まるで密林の様に見えた。
俺の寝ていた(寝かされていた?)場所は辛うじて草が届いていなかった。
ゆっくりと寝かされていた場所から立ち上がり、もう一度、周囲を見渡した。
・・・人の気配は無かった。
それどころか何十年、何百年も放置された場所に俺だけが寝かされていたのが直ぐに理解出来た。
理由は簡単だ。
俺の寝ていた場所の直ぐ脇の所に、途轍もない巨木が天井を突き破り見事に空を見せてくれていたから。
「よく死ななかったな俺」
いやいや、そうじゃない!
何を呑気な事を考えてるんだ!
どうするんだ?何が起きたんだ?ちゃんと状況を見ろ!
どうにか自分の頭を冷静にしようと大きく深呼吸をした。
空気が澄んでいる。
素直にそう感じた。
病院特有の匂いも無く、また都会のドブ臭さも排気ガスや人の気配が混じった嫌な臭いもしない。
俺は、もう一度ゆっくりと息を吸うと静かに身体に酸素が行き渡るのを感じてから吐き出した。
自然と頭が落ち着いたのか、自分の状況が落ち着いて考えられる様になった。
先ずは何も着ていないこの状態をどうにかしようと、先程迄、自分が寝ていた所に敷かれていた白っぽい布に手を掛けた。
その時、指先から電気の様な物が走り俺の身体、いや脳に奇妙な映像が映った。
逃げ惑う人々、俺の顔を覗き込む全身スーツ姿の奴。防護服の様な姿で洗濯?の様な事をしている人々?
咄嗟に布から手を離したが、恐る恐る触れ直して見ると何も見える事は無かった。
長い間眠っていたせいか?と自分を再び落ち着かせ、布を太古の人の様に着合わせ、手で千切った残りの布を足元に巻き付け靴代わりにすると心なしか気持ちだけで無く、身体も落ち着いた気がした。
先ずは周囲の確認が一番だよな。
そう考えた俺は、自分が寝かされていた部屋を改めて見直す事にした。
とはいえ、それはあっという間に終わった。
というのも、ほぼすべての場所が緑というか巨木を中心に森のような状態になっていたからだ。
(ここって、廃墟だよな)
もう一度、辺りを見回すがやはり、人の気配は無い。
フゥーっと、軽くため息をつき、俺自身が寝ていた場所に手を付いて持たれようとした。
再び電気ショックのような物が手から身体の中に走り、様々な映像が脳に直接送り込まれて来た。
先程、布に触れた時よりも遥かに多い情報量の映像だった。
おかげで分かった事が幾つかある。
どうやら、俺が寝ていた場所は研究所だったという事。
そして、その研究所は俺の為に作られた物だという事。
最後に世界は大きな戦争のような状態に突入したらしいという事。
そして、その映像の視点は俺が触れた植物の物だった。
にわかには信じられなかった・・・だが、俺には別段、動揺も無く、正直な所なるほど。といった心情だけが残った。
それよりも、この情報が読み取れる状態が何なのか。
これが幻覚なのかどうなのか、もしかすると俺はまだ眠っていて、夢を見ているのか?
そっちを確かめる方が大事だった。
とりあえず何かに触れてみる事だと考え、足元の雑草、苔、そして巨木に触れてみた。
結果としてみる事が出来たのは、緩やかにこの場所が自然な姿に変わっていく所と、まだ何も植物らしきものが無い崩壊し掛かった部屋の様子だった。
(これは、もしかして電気信号って奴か?)
若い頃にネットの情報で知った事だが、あらゆる生物、物質には目に見えない、触れても感じない程度の微弱な電気を帯びているという記事を読んだ事が在る。
その時は、都市伝説的な記事だと思った為に信じてはいなかったが・・・。
どうやら、その電気信号を通じて俺の脳に映像記憶として映し出されている。
そんな感じなのだと考えた。
(付喪神や八百万の神様って、こういう事だったのかもな・・・)
昔の日本人は、様々な物に命や神様が宿ると考えていたという話を不意に思い出したと同時に
(いや、電気信号が読み取れるってどういうことだよ?)
この位になって、ようやく自分の身体の異変というか異常に気付いた。
物の記憶が読み取れる事、何年か何十年か、若しくは何百年か経っているのに、どうして俺は死んでないんだ?
それに、俺は癌だった筈だよな?
そんなに年数が経っているなら、とっくに死んでいてもおかしくない筈だ。
「ちゃんと調べてみるか」
そう一人で呟き、先ずはこの研究所らしき処からだな。と決めて身体を伸ばすと、巨木の枝を一本だけ折り
「一応、持っていた方が良いだろ」
と誰に言うでもなく、木刀の様に振り回すと、巻き付けた腰布に差し、両手に布を巻き付け歩き出した。
「・・・今、生きてるだけで良かったのかな」
何も分からないがとにかく、そう思って行動することにした。
ぼちぼちと更新して参ります。
お楽しみの一つになれば幸いです。