そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.2 < chapter.10 >
夜の闇に抱かれ、世界はしんと静まり返っていた。
かつては人でごった返していた東京駅も、夜遅くまで煌々と明かりが灯っていたオフィスも、仕事帰りのサラリーマンでにぎわっていた銀座や新橋も、もうこの世界には存在しない。
二十年前、すべての男性が脳機能に障害を負い、単純作業以外の労働に従事できなくなった。労働人口が激減し、女性たちは社会基盤の維持だけで手一杯。その上、新たな働き手となる子供が自然に生まれることもなくなってしまった。遺伝情報を書き換えたイサナたちが生まれるまでの七年間で、日本国内の分娩数は千件に満たない。いずれも夫の精子を用いた人工授精だったが、後遺症を負った男性の精子では、健康な子供が生まれる確率は極めて低かった。
空白の七年。それから生まれた、待望の次世代。けれどもその存在は、国連から真っ向否定された。
幾度となく話し合いの場が設けられ、日本は科学的な見地から、新世代たちが『人間以外の何者でもないこと』を根気強く証明し続けた。だが、宗教の壁を超えることはできなかった。最高指導者を失って七年で、各国の宗教と思想は恐ろしく偏った方向に進化を遂げていたからだ。
すべてのワクチン接種を否定した国、男性の人権を全廃した国、カーストに似た身分制度を新たに制定した国、科学的な教育をやめて聖書だけを教科書と定めた国――そのほかにも、事実上の鎖国を行った国は数知れず。世界は思想と制度の両面で、中世以前の封建制へと突き進んでいた。
その中でも特に大きな変化は、建前上存在した『人種差別反対』のスローガンが消えてしまったことだった。日本以外で従来の『国』の形を維持できたのは白人系の国ばかり。唯一の黄色人種が何を意見したところで、なにひとつ聞き入れられないのである。
国連加盟国と袂を分かち、再び『新世代型人類』を産み始めるまでに五年。
その存在が明るみに出て、機械兵による攻撃が始まったのが二年前。
当時、イサナたちの弟、妹たちは、一番年かさの子でも六歳だった。まだ戦える年ではない。
では大人たちはというと、二十代、三十代の女性たちはほぼ全員が『貴重な母胎』なのだ。出産可能な女性たちは人類存続の最後の望みである。人工子宮の技術が確立されていない以上、戦地投入し、失うことはできない。
出産適齢期を過ぎた女性で戦闘部隊を編成することも考えられたが、体力的に無理がある。
戦える人間は、第一世代の子供だけ。
イサナたちは、そんな絶望的な状況で戦い続けていた。
慣れない武器を手に訓練を受け、仲間が死んでも、身体の一部を失っても、それでも戦い続けてきた。だが、それもここまでだ。自衛隊を維持できなかったこの国に、大型機械兵に対抗できる武器はない。
「……皆、覚悟はできているな?」
一斉に頷く少女たち。
イサナの声にも、少女たちの目にも、生に対する執着は窺えない。彼女らがここで死ぬつもりであることは、初対面のロドニーたちにも痛いほど分かった。
空から降り注ぐ無数の鉄球。ダンゴムシのように体を丸めたそれらは、着地と同時に見る間に展開、大型機械兵として少女らの前に立ちはだかる。
武器を構える少女たち。ロドニーは、そんな少女らと機械兵との間に割って入る。
「危険だ! 下がれ!」
イサナの言葉に一瞬だけ耳を動かすが、ロドニーに退く気は無い。
大型機械兵はロドニーを見て、しばし動きを止める。
「ママ! さっきのとは別の男がいる!」
「ねえ、三人もいるよ!? どういうこと!?」
「こいつは殺すの!? 捕まえるの!?」
「どうしたらいい、ママ!」
操縦者たちの声はこちらには届いていない。けれども、予期せぬ人間とのエンカウントに対応を決めかねていることは予想できた。
先制攻撃を仕掛けるなら、今しかない。
「よぉ、不細工野郎ども。また女ぶん殴りに来やがったのか?」
自然な動作で一歩を踏み出し、平然と歩み寄る。
ロドニーの両掌は大きく広げられ、肩より上に挙げられている。万国共通、攻撃の意思が無いことを示すボディーランゲージである。着衣は薄っぺらなTシャツとオーバーオール。武器らしきものは何一つ装備していない。誰だって、この状況で攻撃を仕掛けてくることはないと思うだろう。
だが、それは魔法が存在しない世界の常識だ。
ロドニーの魔法はすでに発動している。それも、敵が人間や魔獣であれば、既に影響が出ているであろう『濃度』で。
そうとは知らない『ママ』たちは、操縦者たちに無茶な命令を下していた。
「男は生け捕りになさい。それと、私が良いと言うまで、『ニセ人間』への攻撃は待ちなさい。彼らが丸腰で出てきたということは、何らかの交渉を望んでいる可能性があります」
「了解、ママ」
操縦者たちはロドニーに対して、何の警戒もしていない。だから彼らは、命令を遂行しようと、ごく普通に機械兵を操作して――。
その瞬間、先頭の機械兵が爆発した。
「なっ……!?」
「攻撃!? どこから!?」
「クソ! ニセ人間め! 騙しやがったな!」
少女らに向けて機銃を撃つ機械兵。しかし、その攻撃で大打撃を負ったのは彼ら自身だった。
次々に巻き起こる爆発。このとき機械兵の周囲の空気は、《絶空高気圧》という魔法によって気圧が非常に高い状態に設定されていた。その数値は、最も高いところで約3MPh。これは窒素が液化する臨界点に迫るものである。操縦者は周囲に超高密度の大気、すなわち『可燃物』があることを知らず、機械を動かし、火花を生じさせてしまったというわけだ。
この直前、ナイルはロドニーの隣に歩み出て、少女たちを庇うように《防御結界》を構築している。
そして同時に、ダージリンも動き出していた。
「お嬢さん方に銃口を向けるとは、許しがたい暴挙ですね……」
彼が機械兵の一体を指差すと、その機体に向けて、何か小さなものが大量に向かっていった。
それは皇居前広場に生えている、何の変哲もない芝である。芝はダージリンを守護する神、グリーンマンの魔力を受け、ピョンピョンと地面から抜け出し、根を足のように、葉を腕のように動かして駆けてゆく。
数千にも及ぶ、緑の小人の総攻撃。
芝は機械兵のカメラ、関節、給排気口を集中的に狙い、隙間という隙間に取りつき、入り込む。そして狙い討ちされた一機は、あっという間に機能停止に追い込まれた。
あまりにも『ありえない攻撃』であるため、何が起こっているのか、地球人にはまるで理解できていない。
阿呆のように立ち尽くすイサナたちに、ダージリンは優しく微笑みかける。
「私共が参りましたからには、もう大丈夫ですよ、お嬢さん方。明日、この夜が明けるころには、世界の国々は、貴女方にかまけている余裕など無くしていることでしょう」
「あの、それは、いったいどういう……」
「今、私の大切なサイト坊ちゃまが、日本国所有の人工衛星以外の、すべての浮遊物体を撃墜しておいでです」
「撃墜……?」
「ええ。このバトロイドとやらを操作するには、人工衛星経由でデータを送らねばなりません。ですから、そのシステムを破壊しに向かわれました。そろそろ、最初の流れ星が見られるかもしれませんね」
「そんなことが可能なのか? 衛星を攻撃なんて、どうやって……」
「ああ、ほら。さっそく綺麗な流星が」
「え?」
ダージリンが指し示すほうを見て、イサナたちは言葉を失った。
明るい光の尾を引いて、真っ赤な火球が墜ちてゆく。
次々に降り注ぐ光の雨。それらの大半は大気圏で燃え尽きるよう、可能な限り浅い角度で墜とされていた。
ダージリンの耳には、それを指示するベイカーの声もしっかり届いている。それはオオカミナオシの『器』のロドニーも同様である。あいにくナイルには聞こえていないが、必要な連絡はロドニー経由で伝えれば済む話だ。背中に庇う少女らの安全だけを気にかけていれば良いのだから、ナイルにとっては『楽な仕事』である。
ダージリンは攻撃を続けながら、優雅に一礼して見せた。
「それでは、お嬢さん方。私はロドニー様と共に大型を仕留めます。小型の相手はお任せいたしますね」
「小型? ……あ!」
ありったけの兵力を投入してきたのだろう。夜の闇を切り裂くように、身体を丸めた機械兵が落ちてきた。黒光りする鉄球は見る間に展開され、数千規模の軍勢と化す。
こちらに向けて進軍を開始する機械兵。
イサナは全隊に向けて通信を行う。
「朱雀隊! 青龍隊! 鳳凰隊! この光の壁からは絶対に出るな! この壁の後ろから攻撃するんだ!」
異論も反論も出てこなかった。
それを言うだけの時間的猶予がなかったせいもあるだろう。だがこの場合は、ナイルの攻撃に目を奪われていたから、という理由が大きいかもしれない。
ナイルはおもむろにトランプを取り出すと、カードの束を空中に放った。
優雅に宙を舞う無数の紙片。と、その一枚一枚が戦闘用ゴーレムに変化し、次々に駆け出していく。
数千を超える軍勢に挑む、わずか五十二体のゴーレム兵。数だけで見れば圧倒的不利に思えるが、ナイルのゴーレムが『ただのゴーレム』であるはずがない。
クラブのゴーレムたちが盾を構えて突進。機械兵の進軍を体で止める。
次いでスペードのゴーレムがクラブの背を駆け上り、敵を頭上から強襲。機械兵にとって、『頭上からの攻撃』というものは経験がない。あるとすれば高層階からの狙撃に限られるし、対戦車砲クラスの武器でなければ、機能停止に至る損傷を与えられることはない。
それがどうした。
これは何だ。
前衛を飛び越えて、真上から突撃してきたぞ!?
操縦者たちは混乱の極みにあった。
「この機械兵は何だ!? 日本も機械兵を開発していたのか!」
「チッ! ニセ人間は囮か!」
「こんな兵器を隠してやがるなんて……!」
「でも、どこから!? 何もないところから出てこなかったか!?」
「知るかよ! クソ! 何だこいつら! 機動力が……っ!」
ゴーレムの動作性は術者の技能やセンスに大きく左右される。実戦経験がなければ上手く立ち回れないし、術者本人が武術の達人でもゴーレムの操作が上手いとは限らない。その上、多数のゴーレムを同時に操作し、効率的に動かすには、指揮官として戦場全体を見渡せる『視野の広さ』も要求される。程よくバランスの取れたゴーレムマスターは本当に希少な存在なのである。
ナイルは間違いなく、その希少な人間の一人だった。
進軍を止め、敵陣内部に『斬り込み部隊』を投入。派手に攪乱して心理的負荷を与えたのち、次なる攻撃が開始される。
ダイヤのゴーレムたちによる、敵後方部隊への魔導砲斉射だ。
前は斬り込み部隊によって蹴散らされ、後ろは飛び道具を見舞われている。ならば、間に挟まれた兵たちはどうするか。退けば自分たちにも弾が当たるのだから、前か横に動くしかない。が、前には機動力・攻撃力ともに非常に優れた敵兵がいる。ここはいったん左右に展開し、両翼の同時攻撃によって敵を挟み撃ちにすべきである。
そう、普通であれば、そのように考えて行動する。
だがそんな『普通の戦い方』が、天才ゴーレムマスターに通用するはずがない。
ようやく投入されるハートのゴーレム。その姿はその他三種とは大きく異なり、足の代わりに大きな車輪がひとつだけ。
まるで一輪車の上で、ゆらゆらとバランスをとっているような――。
そんな想像をした少女たちは、次の瞬間、このゴーレムの恐ろしさを目の当たりにする。
ハートのゴーレムは三体一組で騎馬戦の馬のように手を組み、その背にスペードのゴーレムを乗せる。そして左右に展開した敵軍に猛スピードで肉薄し、《物理防壁》を展開。そのまま突っ込み、進路上の機械兵を次々撥ね飛ばしていく。
軍勢を突き抜けると、くるりとターンし、再び突撃。
騎乗したスペードのゴーレムは大剣を振るい、進路のすぐ脇にいる機械兵らを攻撃していく。
盾兵、突撃兵、弓兵、重装騎兵による見事な連携攻撃を食らい、機械兵は『群れ』としての形を失った。
個々が自動制御で戦う機械兵にとって、操縦者の攻撃指令は『軍』の立て直しに無くてはならない最重要コマンドだった。だが、この操縦者たちに『強者との戦闘経験』は無い。数の優位性を活かす陣の組み方も、破壊された機体をデコイや障壁として使う知恵も、なにひとつ持ち合わせていないのだ。複数人の操縦者がそれぞれ別の指示を出しているせいで、機械兵は攻撃を続けようとしている機体、逃げようとしている機体、集まろうとしている機体、散ろうとしている機体がごちゃ混ぜになってしまった。
いい塩梅に敵がばらけたところで、ナイルが声を上げる。
「ねえみんな!? 敵が一機ずつなら、君たちの武器でも倒せるんだよね!?」
呆然と状況を眺めていた少女らは、ハッとした顔で戦場を見直す。
明らかに群れからはぐれた『壊れかけ』が複数機存在する。英霊が憑依していない他の部隊の少女たちでも、そのくらいなら十分撃破できる。
「朱雀隊! 行くよ!」
「青龍隊はこっちをやる!」
「でしたら、鳳凰隊はこちらを!」
ナイルはトランプをもう一束ばら撒き、少女らのサポートに一人一体ずつゴーレムをつけてやった。少女らが怖がらないよう、犬型の護衛用ゴーレムにする配慮も忘れていない。
「で? 君たちはどうする? 五人くらいなら、俺でも《銀の鎧》かけてあげられるけど?」
結界から出て行かなかった玄武隊の少女たち。彼女らは怖気づいているわけではない。他の部隊のサポートに回れるよう、常に後方に一部隊が残るのが彼女らのルールなのだ。
そのことをナイルに説明するイサナ。
今にも飛び出して行きそうな自分を律し、必死に冷静を装っているのだろう。その声も、握りしめた拳も、微かに震えていた。
ナイルはそんなイサナの頭を、ポンポンと優しく撫でる。
「な、なにをする!?」
「いやあ、本当にいい子たちだなぁ、と思って」
「子ども扱いするな!」
「アハハ、ごめんごめん。でも、大丈夫だよ。他の子たちに着けた俺のゴーレム、たいていの攻撃は完全防御してくれるからさ。君たちが待機してなくても平気だよ。まあ、初対面で信じてくれってのも、ちょっと無理があるかもしれないけど……」
イサナと仲間は視線を交錯させる。
この男の言葉を信じるか否か。
その答えは、流れる星が教えてくれた。
「……この夜が明ければ、すべてが終わるんだな?」
「うん。ダージリンさんも言ってたけどさ、少なくとも、機械兵を送り込む余裕はなくなってると思うよ。通信インフラが総崩れするわけだからね」
「ならば、頼む。私たちに、あの魔法をかけてくれ。貴方の兵と共に、前線で戦わせてほしい」
「残党狩りで良いのに」
「いいや。それでは私は、自分自身を許せない。自分の未来くらい、自分の手で切り拓かせてくれ」
「……他の子も?」
ナイルが視線を投げかけると、四人は一斉に頷いた。
「……どうしてこんな地獄で、君たちみたいないい子が育っちゃったんだろうね……」
ナイルは五人に《銀の鎧》をかけ、それから《物理防壁》を解除した。
「無理だと思ったらすぐに退いてね。防御魔法は万能じゃない。耐久限界を超える攻撃を受ければ、魔法が破られて即死だから」
「分かった」
駆け出す少女たち。
その背を眺めるナイルは、肩をすくめ、ため息交じりにこうこぼす。
「ホント、いい子すぎるんだってば。俺が十二か十三のころなんて、その日の事考えるだけでイッパイイッパイだったのになぁ……」
見上げる夜空に流れる星に、何かを願う者はいない。
彼女らはもう知っているのだ。
未来を切り拓くには、自分の足で走ってゆかねばならないことを。