そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.2 < chapter.1 >
ある日のことである。終業直前のオフィスで、ロドニーがこんなことを言いだした。
「なあマルコ。お前、『垢擦りサロン』って行ったことあるか?」
問われたマルコは、仕事の手を止めて答える。
「いいえ。それはどのような場所でしょう?」
「そのまんまだぜ。エステサロンみたいな感じで、のんびり寝そべってる間に、体中の垢をキレイさっぱり擦り落としてくれるんだ。自分じゃ洗いづらい背中の真ん中とか、太腿の後ろ側とかも全部」
「それは気持ちよさそうですね。この近くですか?」
「おう、五番街にあるぜ。この後予定無かったら、お前もどう?」
「はい。ご一緒させていただきます」
そんな庶民的なノリで、王子と次期伯爵は市内の垢擦りサロンへと繰り出した。
目当ての店は騎士団本部からほど近く、正門から徒歩十五分ほどの場所にあった。近代的なガラス張りの建物で、入り口のドアボーイも前衛的な意匠の制服に身を包んでいる。外観からは何の店か分からないし、店名らしき看板も掲げていない。高級店にありがちな『一見さんお断り』であるらしい。
従業員の教育が行き届いているようで、ドアボーイはロドニーの顔を見るなり、明るい声で呼びかけてくる。
「ようこそおいでくださいました、ハドソンさま」
マルコはこの対応に感心した。今日は貴族らしくないラフな服装で、共も連れずに来店している。それでもきっちり客の顔を覚えて相応の挨拶をするのだから、この店は本当に『富裕層向けの高級店』であるようだ。
ドアボーイに誘われるまま、ロドニーに続いて店内へ。サングラスで目元が隠れていても、ハドソン伯爵の次男坊が王子と懇意にしていることは王国中の誰もが知っている。ドアボーイがマルコの名前を呼ばなかったことも、『お忍び来店』した王子への配慮ということになるのだろう。
広々としたエントランスホールは外観同様、コンクリートとガラスで統一された近代デザインである。そのホールの奥に、シンプルでありながら高級感を匂わせる、洒落た受付カウンターがあった。ロドニーはそこで、慣れた様子でサービスプランの選択を始める。
「俺は『徹底洗浄コース』の『温浴タイプ』でヨロシク。で、マルコは……」
と、会員証を提示しながら話すロドニーの視線を受け、マルコは受付嬢に確認する。
「あの、私も会員登録をお願いしたいのですが……」
会員限定サロンなら、王子だからといって特例はいけない。ちゃんと会費を払おうとしたマルコに、受付嬢は困った顔で答える。
「お名前を頂戴してもよろしいのでしょうか? 当店の利用記録は公文書として取り扱われます。ご来店記録は、公文書館に自動送信される仕組みになっておりますが……」
マルコは「なるほど」と納得した。来店情報をあえて公文書登録することで、この店は後ろ暗い会合に使えない場所となる。これは店と客、双方を下衆な勘繰りから守るための予防線であり、また逆に、何らかのトラブルに巻き込まれた場合には強固なアリバイとなるシステムだ。
マルコに後ろ暗い事情はない。その場でサングラスを外し、笑顔で答える。
「お気遣いありがとうございます。このサングラスは移動用の変装ですので、何の問題ありませんよ」
「大変失礼いたしました。どうぞ、こちらの用紙にお名前とご連絡先をご記入くださいませ」
一本で日雇い労働者の月収二か月分が飛んでいきそうな高級万年筆を受け取り、これまた書き心地の良すぎる高級紙に、自分の名前と住所、個人端末の番号を記入する。
会費と利用料の支払い口座を指定し、サービスプランの選択、サービススタッフの性別希望を出したら、あとはいよいよ本番だ。マルコとロドニーは個室ではなく、二人一緒に施術を受けられる大きめの部屋に通された。スタッフの案内に従い、更衣室で服を脱ぎ、施術用の下着を身に着ける。
「お、おお、これは……布面積が……」
「Tバックはじめて?」
「はい。いや、なんと言いますか、これは……落ち着きませんね……」
「ケツのあたり洗われてるとき、けっこうグイグイ食い込むから。覚悟しとけよ?」
「うぅ~ん……食い込みますかぁ……」
これが王子と次期伯爵の会話なのだから、実に平和な国である。
そして二人はサウナとシャワーで汗を流し、施術台に横になった。
二人とも、妙な噂を流されると困る立場の人間である。若い女性との身体的接触は可能な限り避けるよう、騎士団長からも強く念を押されている。スキャンダル回避のため、施術スタッフは自分たちと同年代の男性を希望した。こざっぱりとした容貌の施術スタッフたちは両手に手袋状のボディタオルを着け、二人の肩、腕、背中、尻、太腿を順に洗っていく。
「お加減はいかがでしょうか? 摩擦による痛みなどはございませんか?」
「大丈夫です、丁度いい力加減ですよ」
社交辞令的な返答ではなく、本心である。絶妙な力加減は強くもなく、弱くもなく、まるでマッサージでもされているようで、気を抜くと眠ってしまいそうだった。
隣のロドニーも同様であるようで、とろんとした表情で話しかけてくる。
「な? 気持ちいだろ?」
「はい。こんなに素敵なお店をご存知なら、もっと早く教えてくださればよかったのに」
「悪ぃな。もう知ってるかと思ってたんだよ」
「他にも良いお店を隠してたりしません?」
「だから悪かったって~。隠してねえっての~」
「本当ですかぁ~?」
「信じろよぉ~」
と、二人が仲良くじゃれ合っていたときである。
部屋の扉がノックされ、施術中のスタッフたちは驚いた顔で応対に出た。
ここは富裕層向けの高級店。よほどの非常事態でない限り、施術の手を止めさせるようなことはしない。追加の器具や薬品が必要になれば、他のスタッフがそっと入室し、静かに置いて退出していく。もしも施術中のスタッフに他の貴族から指名が入ったとしても、途中で他の者に交代することは無いのだ。
ロドニーとマルコも、スタッフたちの『空気』が変わったことに気付いた。
「何かあったのでしょうか?」
「ああ、なんだろな?」
しばらくすると、施術担当のスタッフ二人と一緒に店の支配人がやってきた。
そして開口一番、信じられないことを口にする。
「今、一階にマルコ王子のニセモノがいます」
「はい?」
「どーゆーコト?」
「それが……」
支配人の説明はこうだ。
マルコとロドニーが受付カウンターから移動した直後、西部の貴族、カルミンスク男爵が来店した。男爵は腰まである長い金髪の若者を同伴していて、その若者は完全に顔を覆い隠すよう、サングラスとマスクを着用していた。
男爵はその若者を「近ごろ話題の、たいへん高貴なあのお方」と説明した。これがマルコの来店前なら、受付嬢も「マルコ王子だ!」と思ったに違いない。けれども彼女は、ほんの数分前にマルコの会員証を作ったばかり。マルコは本人確認用に王立騎士団のIDカードを提示していたし、支払い用の銀行口座も登録した。スキャンした市民カードも中央市のオンラインチェックをクリアしたのだから、これでニセモノであるはずがない。
では、カルミンスク男爵が連れている『高貴なお方』とは誰なのか。
支配人は咄嗟に「お部屋の清掃中」と説明し、二人を待たせる間、本物に相談しに来たというわけだ。
「ん~と……まあ、まずは性善説で考えてみよう。カルミンスク男爵は、本当にマルコ以外の『話題のあの人』を連れてきただけかもしれねえ。つーことで、他に『金髪ロン毛の貴族』の話題は? なんかあったか?」
「いえ……少なくとも、中央では聞きませんが……?」
「とすると、地方限定の話題かな? 西部のほうで金髪ロン毛の『たいへん高貴なあのお方』っつーと……ブランデッラ侯爵?」
「あの方は六十代ですよ? たしかに若々しい方ではありますが……」
「ブランデッラ侯爵様でしたら、何度もご来店されています。当店のスタッフが見間違えるはずもございません」
「だよな? この店俺に教えてくれたの、侯爵だし……」
「他に金髪の『高貴なお方』というと……ティモシー伯爵家のご子息?」
「あー! レオニダス! でもあいつ、顔隠してもゴリマッチョで丸分かりじゃねえか?」
「そんな気はしますが、いつでも話題に上ってらっしゃいますし」
「うん、まあ、探検家だし、話も面白いからなー。支配人さん、レオニダスは来たことある?」
「いいえ。ですが、一階にいる男性は筋肉質な体つきではありません。マルコ王子よりも少し細身に見えました」
「ん~? 細身なら、アウトドア系貴族は全員消えたか? インドア系のヤツ……?」
「芸術分野で話題に上った方であれば、ヨグゼンヴェルト家のユービット様でしょうか? 背格好も、私とさほど変わらないと思いますが……」
「そういやあ、ユービットも一応金髪か。でもちょっとくすんだ色だぜ?」
「髪色は染色や脱色でいくらでも変えられますし」
「あ、そっか。なら、支配人さん。その金髪の男、手袋着けてた?」
「いえ、手元には何の装飾品もございません」
「じゃあユービットじゃねえな。あいつ、両手に魔法石埋め込んでるし。てことは、他の『高貴な方』? 金髪ロン毛でマルコくらいの背格好で……? なあ、その男ってさ、身分証とか出したがらねえの?」
「それが、カルミンスク男爵が『高貴なお方の行動は一切記録に残せない』とおっしゃるので、それ以上は何も……」
「あー……性善説終了。駄目だこれ、最悪。嫌な予感しかしねえ……」
「詐欺師か何かに、騙されている可能性がありますね。すみませんが、私の端末を取っていただけますか? 外の皆さんに事情を説明いたします」
預けた荷物を手に、サッと歩み寄るスタッフ。マルコはその中から携帯端末を取り出し、『外の皆さん』の総司令部、王宮式部省・要人警護部隊のオフィスに通信を入れる。
あちらの端末には、もちろん王子からの着信であることは表示されている。マルコは前置きをせず、必要なことを端的に伝える。
「『垢擦りサロン』にカルミンスク男爵が来店されています。男爵は連れの男を、『近ごろ話題の、たいへん高貴なあのお方』と説明し、名を明かさないそうです。私とほぼ同じ背格好で、金髪、長髪の若い男性とのことですが、そのような特徴の『高貴な方』は、そちらで何名ほど把握されていますか?」
たまたまこの通信を受けてしまった電話番担当、ラジェシュ・ナヤルは即答する。
「それらの特徴に合致する王族の方でしたら、四名ほどいらっしゃいます」
「私の従弟に当たる方々ですね?」
「はい。ですが、石楠花様と曼殊沙華様は今朝からずっと王宮内にいらっしゃいます。大白蓮華様は魔法学研究所から御出でになっておられません。可能性があるのは優曇華様ですが……」
「私の名を騙って、カルミンスク男爵に悪戯を仕掛けるような可能性は?」
「ありすぎて、それ以外の可能性が浮かびません」
「それほどですか?」
「はい。先日も王宮中の便器の中にスライムモンスターを仕掛けて回り、侍従たちにあられもない悲鳴を上げさせていて……」
「便器にスライムですか……」
「王宮に滞在されるたびに、電気のスイッチに強粘着両面テープを貼って回るお方ですから。何を思いつかれたとしても、まったく不思議ではありません」
「そちらに対処をお任せしても?」
「かしこまりました」
通信内容が漏れ聞こえていたロドニーも、これ以上ないほど大きなため息をついている。
「せっかくリラックスできると思ったんだけどなぁ……」
「残念ですが、今日はここまでのようですね」
「だな。それじゃ支配人さん。式部省の人たちが来るから、ニセモノさんのいる部屋に案内してあげて。俺たちも垢流したらそっち行くわ」
ロドニーとマルコはシャワー室に移動し、ごっそり取れた垢を洗い流した。途中で止めてこれなら、最後まで施術されたらどれだけの垢が落ちるのか。自分の身体に付着していた老廃物の量にドン引きしながら、二人は来店時同様、ちっとも『王子と次期伯爵』らしくないカジュアルウェアに袖を通した。